天皇誕生日 皇居一般参賀 
















天皇陛下の79歳の誕生日を祝う一般参賀が23日、皇居で行われ、記帳を含めて2万8065人が訪れた。

陛下は今年2月に受けた心臓手術に触れ、「多くの人々に心配をかけました。現在は普通と変わりなく生活していますので、どうか安心してください」とあいさつされた。

陛下は皇后さま、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻とともに午前中に3回、宮殿・長和殿のベランダに立たれた。

陛下は東日本大震災での被災者支援について、「今日ここに来られた皆さんの中にも被災者のために様々に心を遣ってきた人々がおられることと思い、ここに感謝の気持ちを表します」と述べ、笑顔で祝賀に応えられた。

午後からは宮殿で祝宴があり、皇族方や野田首相ら約380人が出席。

このほか、各国の駐日大使らを招いた茶会など多くの祝賀行事が行われた。








2012年12月23日

天皇誕生日

午前10時〜12時くらい








▼皇居の地図▼





▼拡大図▼









▼001▼地下鉄「二重橋前」駅の 2番出口を出ると 目の前に皇居

ここの海抜は わずか2.8メートル 津波が来たら大変だ ((((;゚д゚))))





▼002▼民間団体の人が 日の丸を配ってます





▼003▼「日の丸をどーぞー」 受け取っても受け取らなくても自由





▼004▼受け取りました (^_^;)





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▼007▼荷物によって 3方向に分かれます





▼008▼手前が荷物検査





▼009▼ボディチェック





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▼011▼ボディタッチは婦人警官の役割





▼012▼なるべくキレイな婦人警官のいる列に並びましょう! (^_^;)





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▼022▼丸の内警察署が警備





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▼029▼左側は 宮内庁や警察の関係者





▼030▼二重橋の手前の橋(正門橋)を渡っているところ





いま下の地図で、正門橋の上にいます

これから正門を入って、右に180度カーブして、正門橋を渡ります







▼上から見ると、こんな感じ▼



皇居の入口には皇居前広場側から見て、石で造られた手前の「正門石橋」と、鉄で作られた奥の「正門鉄橋」という2つの橋がある。

「二重橋」とは正しくは奥の正門鉄橋の呼称である。

正門(江戸城の西の丸大手門)は普段は閉じられており、天皇の即位大礼、天皇、皇后、皇太后の大葬儀など特別な行事のある時や国賓来訪の際以外は使われない。

使用される時は皇居前広場→正門石橋→正門→正門鉄橋→宮殿というルートをたどる。

奥の鉄橋は、江戸城の西丸下乗橋のあった位置で、木造橋時代に橋桁が上下二段に架けられていた。

そこから「二重橋」と呼ばれるようになった。



▼江戸時代の二重橋▼






現在の鉄橋は昭和39年(1964年)に架け替えられたもので、橋桁は二重ではない。

手前の石橋は江戸城の西丸大手橋があった位置で、現在の石橋は明治20年(1887年)の建造である。

二重アーチ構造であることから、「この石橋が二重橋である」との誤認が多い。

「手前の石橋と奥の鉄橋が、同じ濠に2つ重なって架かる橋だから二重橋」というのは誤り。

また手前の石橋を「二重橋」と言う場合もあるが、前述のとおり誤りである。




▼昼の二重橋▼

東京のガイドブックや絵ハガキによく登場する写真です



向こう側の正式な「二重橋」(正門橋)は見えにくいので

手前の橋(正門橋)を「二重橋」と呼びたくなるのも分かる (^_^;)



▼夜の二重橋▼12/23-1/6、ライトアップされてます

電力、余ってきたのかな? (^_^;)





▼夜の二重橋▼拡大すると、なかなか威厳がありますね

ここを右から左へ渡った訳です (^_^;)





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▼032▼この鉄橋ひとつで「二重橋」です (^_^;)





▼江戸時代の二重橋▼





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▼035▼これが皇居の正門です

もちろん普段は通れません





▼普段は、こんな感じ





▼036▼右翼っぽい人は ほとんどいません

みんなディズニーランドへ行くような雰囲気





▼037▼二重橋(正門鉄橋)の奥に見えるのが伏見櫓(ふしみやぐら)





▼江戸時代の二重橋▼





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▼041▼皇居の中に入ります





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▼043▼内側から正門を見る





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▼046▼ここでグルっと回って方向転換





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▼052▼二重橋の手前、新宮殿が見えてきました









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▼054▼この橋が二重橋(正門鉄橋)





▼055▼伏見櫓(ふしみやぐら)





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▼058▼二重橋の上から見た伏見櫓





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▼062▼二重橋を渡り終えました





▼063▼この門を通ると 新宮殿の前庭です





▼064▼宮内庁や警察の関係者?が、門の両側で、怪しい人に目を光らせてます





▼065▼新宮殿 ちょうど「おでまし」中だったので大歓声が上がってます





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▼069▼天皇陛下の「おことば」が始まりました





▼070▼「おことば」がスピーカーから流れています





▼071▼「おことば」の最中は 場内がシンとなります





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▼075▼「おことば」が終わって 再び大歓声!

日の丸の紙質のせいか ガサガサうるさい





▼076▼報道陣





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▼078▼「おでまし」が終わっても しばらく大歓声が続く





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▼080▼宮内庁の公務員





▼081▼オシャレしてきたおばさんたち





▼082▼出口方向へ向かう人たち





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▼084▼巨大な人の流れ





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▼087▼やっと宮殿前庭が空いてきました

次の「おでまし」(約30分後)まで、この辺をぶらぶら歩く (^_^;)





▼088▼「おでまし」と「おでまし」の間は 記念撮影タイム といった感じ (^_^;)





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▼094▼国賓などをお迎えするのは ここかな





▼095▼しばらく待っていると 次の「おでまし」の時間(11時)になりました

空いているときに前に移動したので すぐ近くで見れます





▼096▼再び大歓声!





▼097▼ときどき バンザ〜イ! する人もいます (^_^;)





万歳(ばんざい)」と発音するようになったのは、大日本帝国憲法発布の日、1889年(明治22年)2月11日に、青山練兵場での臨時観兵式に向かう明治天皇の馬車に向かって、万歳三唱したのが最初だという。

発する語として、当初は文部大臣の森有礼が「奉賀(ほうが)」を提案していたが、連呼すると「阿呆(あほう)がー!」と聞こえる、という理由から却下された。

元々は中国で使用されていた言葉で、「千秋万歳(せんしゅうばんざい)」の後半を取ったもの。万歳は一万年で、皇帝の寿命を示す言葉であり、皇帝に対して以外では使わない。諸侯の長寿を臣下が願うときは「千歳(せんざい)」を使っていた。

現在の日本では、選挙の当選者やその応援者が主に使用しているが、その重みからすれば「百歳(ひゃくざい)」くらいが適切であり、さらにその任期からすれば「四歳(よんざい)」でもいいよーな気もする。

衆議院の解散時に失職した議員たちが「万歳」を三唱する不思議な慣例がある。選挙戦に突撃してゆく気概を表しているとも、国事行為として衆議院を解散する天皇への敬意とも言われている。

万歳三唱をすると次の選挙で落ちない、というジンクスもあるといわれている。「失職するのに何が万歳だ!」といって万歳しないヘソ曲がりな議員もいるが、どーでもいーことである (^_^;)


▼衆議院の解散▼





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