天皇陛下の79歳の誕生日を祝う一般参賀が23日、皇居で行われ、記帳を含めて2万8065人が訪れた。 陛下は今年2月に受けた心臓手術に触れ、「多くの人々に心配をかけました。現在は普通と変わりなく生活していますので、どうか安心してください」とあいさつされた。 陛下は皇后さま、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻とともに午前中に3回、宮殿・長和殿のベランダに立たれた。 陛下は東日本大震災での被災者支援について、「今日ここに来られた皆さんの中にも被災者のために様々に心を遣ってきた人々がおられることと思い、ここに感謝の気持ちを表します」と述べ、笑顔で祝賀に応えられた。 午後からは宮殿で祝宴があり、皇族方や野田首相ら約380人が出席。 このほか、各国の駐日大使らを招いた茶会など多くの祝賀行事が行われた。 |
皇居の入口には皇居前広場側から見て、石で造られた手前の「正門石橋」と、鉄で作られた奥の「正門鉄橋」という2つの橋がある。 「二重橋」とは正しくは奥の正門鉄橋の呼称である。 正門(江戸城の西の丸大手門)は普段は閉じられており、天皇の即位大礼、天皇、皇后、皇太后の大葬儀など特別な行事のある時や国賓来訪の際以外は使われない。 使用される時は皇居前広場→正門石橋→正門→正門鉄橋→宮殿というルートをたどる。 奥の鉄橋は、江戸城の西丸下乗橋のあった位置で、木造橋時代に橋桁が上下二段に架けられていた。 そこから「二重橋」と呼ばれるようになった。 現在の鉄橋は昭和39年(1964年)に架け替えられたもので、橋桁は二重ではない。 手前の石橋は江戸城の西丸大手橋があった位置で、現在の石橋は明治20年(1887年)の建造である。 二重アーチ構造であることから、「この石橋が二重橋である」との誤認が多い。 「手前の石橋と奥の鉄橋が、同じ濠に2つ重なって架かる橋だから二重橋」というのは誤り。 また手前の石橋を「二重橋」と言う場合もあるが、前述のとおり誤りである。 |
「万歳(ばんざい)」と発音するようになったのは、大日本帝国憲法発布の日、1889年(明治22年)2月11日に、青山練兵場での臨時観兵式に向かう明治天皇の馬車に向かって、万歳三唱したのが最初だという。
発する語として、当初は文部大臣の森有礼が「奉賀(ほうが)」を提案していたが、連呼すると「阿呆(あほう)がー!」と聞こえる、という理由から却下された。 元々は中国で使用されていた言葉で、「千秋万歳(せんしゅうばんざい)」の後半を取ったもの。万歳は一万年で、皇帝の寿命を示す言葉であり、皇帝に対して以外では使わない。諸侯の長寿を臣下が願うときは「千歳(せんざい)」を使っていた。 現在の日本では、選挙の当選者やその応援者が主に使用しているが、その重みからすれば「百歳(ひゃくざい)」くらいが適切であり、さらにその任期からすれば「四歳(よんざい)」でもいいよーな気もする。 衆議院の解散時に失職した議員たちが「万歳」を三唱する不思議な慣例がある。選挙戦に突撃してゆく気概を表しているとも、国事行為として衆議院を解散する天皇への敬意とも言われている。 万歳三唱をすると次の選挙で落ちない、というジンクスもあるといわれている。「失職するのに何が万歳だ!」といって万歳しないヘソ曲がりな議員もいるが、どーでもいーことである (^_^;) |