■
■
■
深川芭蕉散歩
■
■
■
2016年1月
深川 芭蕉記念館
中川船番所資料館
▼001▼大江戸線で森下へ
▼002▼芭蕉記念館は 森下駅から歩いて7分 隅田川沿いにあります
▼003▼新大橋通りを隅田川の方へ歩く 深川に 寒さ緩んで 春日和 (ココロの俳句)
▼004▼銀座の煉瓦亭と関係あるのかな
▼005▼
▼006▼スダレ店というのは初めて見た
▼007▼しっかり営業してますね
▼008▼
▼009▼
▼010▼
▼011▼おくのほそ道 冒頭の一句 草の戸も 住み替る代ぞ 雛の家
▼012▼さすが 俳句のメッカ
▼013▼
▼014▼芭蕉は51歳で亡くなっているので これはいくら何でも年寄り臭い
▼015▼これならピッタリ
▼016▼
▼017▼左は芭蕉を経済的に援助した杉山杉風(さんぷう)か
▼018▼
▼019▼
▼020▼芭蕉庵のあった場所から掘り出されたカエルの石像
▼021▼
▼022▼これも年寄り臭いが 江戸時代の50歳は十分に老人だったので 仕方がないか
▼023▼
▼024▼
▼025▼
▼026▼
▼027▼最初の芭蕉庵は 八百屋お七の火事で消失 芭蕉は命からがら逃げた
▼028▼
▼029▼芭蕉庵から隅田川を眺める芭蕉 これって昔の文人の理想図って感じ
右肘を文机に置くところがポイント (^_^;)
▼029+▼これは吉田兼好
▼030▼
▼031▼
▼032▼こんな感じで展示してある
▼033▼これじゃ西郷隆盛だよ
▼034▼
▼035▼
▼036▼奥の細道に随行した 謎の人物 曽良(そら)の日記
俳句の才能は乏しかったが 実務能力は抜群だった
▼036+▼
▼037▼
▼038▼
▼039▼
▼040▼目黒不動のあたりが 南西方向の街はずれ
江戸時代 深川(江東区)は市街地 目黒区世田谷区は田んぼ
▼041▼きれいに区割りしたもんだ
▼042▼
▼043▼
▼044▼江東区は 江戸時代の名所旧跡だらけ
上の地図をクリックすると拡大します(PDF)
▼045▼記念館の庭から眺めた 隅田川と新大橋
▼046▼こっちは清洲橋
▼047▼
▼048▼
▼049▼
▼050▼
▼051▼
▼052▼
▼053▼
▼054▼記念館を出て 南へ向かって歩く
▼055▼江戸時代からある万年橋 いまは武骨な鉄橋
▼056▼ここがズバリ 芭蕉庵があった場所 お稲荷さんになっている
▼057▼
▼058▼
▼059▼
▼060▼余りにも有名な一句 古池や 蛙飛び込む 水の音 ちゃぽーん
▼061▼周囲はマンション建設中?
▼062▼芭蕉を記念した展望庭園
▼063▼隅田川と小名木川(運河)が交わるポイントに 芭蕉は住んでいました
▼064▼こんな薄っぺらい防潮堤で 大丈夫なのでしょうか?
▼065▼
▼066▼展望テラスには芭蕉像 ときどき電動で向きが変わるらしい
あまり風流じゃないね (^_^;)
▼067▼ちゃんと右肘 ついてますね
▼068▼
▼069▼巨大な芭蕉の葉っぱ
芭蕉とはバナナの一種 英名をジャパニーズ・バナナと言う
重々しいことを嫌った芭蕉さん 今なら「松尾ばなな」と名乗ったかも
▼070▼これも右肘ついてる
▼071▼
▼072▼庭園すぐ前のビル 3階は茶室かな
▼073▼
▼074▼
▼075▼
▼076▼
▼077▼やはり薄っぺらい防潮堤では不安なので 耐震補強工事を進めている
▼078▼地震でも大丈夫そうな万年橋
▼079▼
▼080▼江戸時代の万年橋
▼081▼
▼082▼芭蕉はこんな感じで隅田川を眺めたのか
▼083▼芭蕉庵のあった場所
▼084▼すぐ近くの水門
▼085▼
▼086▼すぐ近くに元北の湖部屋 北の湖が亡くなって名前が変わった
2階以上が普通のマンションなのでビックリ
▼087▼
▼088▼こちらは旧大鵬部屋
▼089▼
▼090▼
▼091▼
▼092▼
▼093▼小名木川 家康が江戸に入って最初に掘った運河
▼094▼
▼095▼森下駅から都営新宿線で東大島駅へ
▼096▼この駅は旧中川の上にあります
▼097▼
▼098▼駅のまわりは巨大なマンション群 やや無機質な感じ
▼099▼
▼100▼駅から歩いて5分 中川船番所資料館
▼101▼
▼102▼
▼103▼江戸幕府のお役所で 通る船の番(積み荷のチェックなど)をしていた
「通りまーす」 「通れー」 などとやっていたらしい
▼104▼
▼105▼
▼106▼怪しい船が通ると 岸壁に横付けさせ 役人が乗り込んで検査する
お役所のシンボルとして 長槍が10本かけてある
▼107▼館内には実物大のジオラマ
川向こうは何もない原っぱだったんだね
▼108▼明治の初めまで 実際に活動していた
▼109▼
▼110▼
▼111▼
▼112▼江戸の街にお酒を提供した 新川の酒問屋街
▼113▼キッコーマンの醤油工場
▼114▼明治時代の小名木川
▼115▼現在の旧中川
▼116▼ここに船番所があった
▼117▼青いところが海面下のゼロメートル地帯
▼118▼
▼119▼
▼120▼つげ義春のマンガに出てくる硫酸ビン(カメ)
つげ義春は子供のころ メッキ工場で働いていて
硫酸を買いに行って ビンを割ってしまいケガをする
▼120+▼つげ義春「大場電気鍍金工業所」より
▼121▼水運の便が良い深川は 明治以降 工場地帯となった
▼122▼
▼123▼
▼124▼日が傾いてきた
▼125▼利根川〜旧中川〜小名木川〜日本橋
江戸時代の物流の大動脈
芭蕉庵は重要ポイントにあった 風流ばかりではない
▼126▼
▼127▼
▼128▼
▼129▼
▼130▼飛行機が上昇中
▼131▼
▼132▼スカイツリーが見える
▼133▼普通の民家がまったくなくて 巨大なマンションばかりというのは ちと不気味 ((((;゚д゚))))
以上で全部です 最後までご覧いただき ありがとうございました (^_^;)
歩くの大好き
深川江戸資料館へ
Copyright (C) M.Kosugi. All Rights Reserved.