若いころから太ってたんですね
リュックかついで秋葉原を歩いてるオタク、といった風情です
「左下の黒い玉は何?」
とネット上で盛り上がってます
最初1948年なら、1932年生まれの亜星さんは16歳かと思ったんだけど、1948年(昭和23年)には、まだテレビは無かったはず
すると昭和48年(1973年)ですから、41歳ですね
太った人って、年齢が分かりにくいよ~
半世紀前の東京世田谷の、室内や食卓の様子が伝わってきます
(^_^;)
若いころから太ってたんですね
リュックかついで秋葉原を歩いてるオタク、といった風情です
「左下の黒い玉は何?」
とネット上で盛り上がってます
最初1948年なら、1932年生まれの亜星さんは16歳かと思ったんだけど、1948年(昭和23年)には、まだテレビは無かったはず
すると昭和48年(1973年)ですから、41歳ですね
太った人って、年齢が分かりにくいよ~
半世紀前の東京世田谷の、室内や食卓の様子が伝わってきます
(^_^;)
主役は狩野祐一さん(→)
25歳 イケメン
(^_^;)
▼喜多流の能「絵馬 女体」
世田谷区より人口が少ない県は8県もあります
「世田谷県」として独立も可能ですね
すると、砧市、烏山市、北沢市などが誕生かな~ (^_^;)
東京都世田谷区は一部を除いて、鉄道が都心に向かっているため、世田谷区内での移動(タテ移動)に適していません。
そんなことから、
「世田谷区民が集まるなら、区外だけど新宿が一番便利」
などと、よく言われます。
しかしエリアによっては、新宿より渋谷に集まった方がいいところもあります。
世田谷区の人口は、政令指定都市並みの約94万人。
政令指定都市(→)とは、地方自治法に基づき政令で指定される人口50万人以上の市で、現在全国に20市あります。
世田谷区より人口が少ない県は8県もあり、
和歌山県、佐賀県、山梨県、福井県、徳島県、高知県、島根県、鳥取県
(人口の多い順)です。
区の人口密度は1万6200人程度と、かなりのものになっています。
そんな世田谷区では、小田急線など、各方面から都心(新宿、渋谷)に向かう交通網が充実しています。
しかしこれだけの人がいて人口密度も高いとなると、世田谷区内での移動(タテ移動)はある程度必要になります。
新宿や渋谷に出て折り返すというのはどうも……という気持ちになるからです。
京の町家は細長いので「ウナギの寝床」とか言われますが
これはそんなもんじゃない「ヘビの寝床」です
寝台列車で旅行してるような気分が味わえるかも
(^_^;)
ネットの反応
・東京すごすぎやろ…
・今、youtuber住んでる定期
・火事起きたら逃げれなさそう
・投球練習できそう
・せっまw
・日当たりはよさそう
・台風で倒れそう
・不便だし地震にも弱そう
・こんなんでも世田谷の土地付きなら価値あるよな 住む気にはならんけど
・賃貸やったら住んでみたい
・こち亀でそんな話あったや
・洗濯機とかデカイ家電入れられないだろ
・ウナギの寝床
・ベッド横における幅があったならええと思うがこれは通路やな
・置く家具かなり限られそう
今回、九州や広島を旅したんですけど、特に博多の街の道路が広いのが印象に残りました
道がまっすぐで、車道だけでなく歩道も広いので、歩いていてとても気持ちがいい
これは「太閤の町割り」と言われる、豊臣秀吉による都市計画のおかげだそうです
秀吉の若い頃の、大らかな性格が伝わってきます
一方、東京は徳川家康が作った町ですが、道が狭くてぐにゃぐにゃ曲がっている
これは猜疑心の強い家康が、敵から攻められた場合を考えて、わざと攻めにくい都市計画をしたことに関係があるらしい
用心深い家康のおかげで、日本人は世界でもまれに見る260年間もの長い平和を享受した訳ですが、都市計画には向いてない性格だったようです
(^_^;)
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世田谷区と杉並区にわたって、8km以上続く一直線の道路があります。
都道に指定されているこの道路、成り立ちは大正時代までさかのぼります。
地図で都内を見ていると、小田急の祖師ヶ谷大蔵駅付近から丸ノ内線の新高円寺駅付近まで、一直線に道路が走っているのが見えます。
この道路は東京都道・高円寺砧浄水場線に指定されています。
現地に行くと、大部分がセンターラインのない狭い道路ですが、ほぼ全線が直線のため、道路がはるか遠くまで続いていくのを見通すことができます。
東京の街並みは武蔵野台地とそれを川が浸食していった地形の関係で起伏が大きく、道路もその起伏に合わせてほとんどが曲がりくねっています。
にもかかわらず、この直線道路はどうしてこんなにもまっすぐ走っているのでしょうか。
実はこの道路の真下には、「荒玉水道」と呼ばれる直径1.1mの水道管が通っています。
荒玉水道はさかのぼること大正時代、増加する東京の人口の水需要に対応するため、多摩川で取水した水を都内に送るのを目的に設置工事が始まりました。
そして、埋設水道管の敷地を歩行者道として活用したのが、この直線道路のはじまりです。
現在は自動車も通行可能となっていますが、水道管への荷重を考慮し、重量制限が掛けられていたり、ラバーポールによって物理的に幅員が制限されているところがあります。
また、狭隘な道路のため、一部区間では一方通行となっています。
この道路を東急バスや小田急バスのバス路線が通っていますが、重量制限のある区間を走る路線は、小型バスで運行されています。
「エースのジョー」の愛称で親しまれ、日活アクション映画などで活躍した俳優の宍戸錠(ししど・じょう)さんが東京都世田谷区の自宅で死去したことが21日、警視庁などへの取材で分かった。
86歳だった。大阪市出身。
警視庁などによると、宍戸さんが死亡しているのが見つかったのは21日未明で、事件性はないという。
日大在学中の1954年、日活の第1期ニューフェイスに合格し、中退して日活に入社。
「警察日記」で本格的に映画デビューした。
頬を膨らませる整形手術をして以降、アクション映画で活躍。
気取ったしぐさが個性となり、小林旭さん主演の「渡り鳥」シリーズなどで欠かせない敵役として人気を得た。
何もかも恵まれすぎちゃうと
それを投げ捨ててみたくなる
という心理はあるかもね (^_^;)
違法薬物(合成麻薬MDMA)を所持していたとして、警視庁組織犯罪対策5課は11月16日の午後1時頃に、麻薬取締法違反の疑いで、女優の沢尻エリカ容疑者を逮捕した。
合成麻薬MDMAは風邪薬のカプセルに入っていて、それが2錠見つかったという。
カプセルには白い粉末が入っていて、このうち1錠を警視庁本部で鑑定したところ、合成麻薬MDMAだと確認された。
警視庁によりますと、合成麻薬MDMAが見つかったのは東京・目黒区の沢尻容疑者の自宅マンションで、沢尻容疑者はこのマンションで母親と2人で暮らしていた。
合成麻薬MDMAの発見は午前8時40分頃のことで、カプセルは棚のアクセサリーケースの中に入っていたといい、逮捕は、このうちの1錠を持っていたという容疑。
沢尻容疑者は
「私のものに間違いありません」
と容疑を認めており、取り調べには素直に応じているという。
警視庁は、沢尻容疑者が合成麻薬MDMAを使用していたかどうかを調べるために簡易鑑定をしましたが、結果については明らかにしていない。
警視庁は自宅の捜索で携帯電話なども押収していて、今後、合成麻薬MDMAの入手ルートなどを詳しく調べることにしています。
沢尻エリカ容疑者は、父が日本人で母がフランス人のハーフ。
小学6年生の時に雑誌モデルとして芸能界デビュー。
2004年、映画「問題のない私たち」(森岡利行監督)、05年、同「パッチギ!」(井筒和幸監督)に出演。同作で各新人賞を総なめにした。
順風満帆に思われたが、07年に主演映画「クローズド・ノート」の舞台あいさつで、司会者の質問に「別に」と答えるなど不機嫌そうに振る舞い、世間やマスコミから猛バッシングを受ける。
09年には所属事務所との専属契約が解消され、10年春まで芸能活動を休止した。
女優復帰作となった12年の映画「ヘルタースケルター」は大ヒットを記録し、日本アカデミー賞・優秀主演女優賞を獲得した。
15年に出演した「新宿スワン」も大ヒット。
映画「ヘルタースケルター」は岡崎京子原作漫画の実写版で、全身整形で美貌を手に入れた主人公がトップスターに登り詰めながらも、薬物依存による精神錯乱で人格が崩壊していく過程を描いた衝撃的な内容だった。
この映画の主人公と沢尻の現実が重なり、同作は大きな話題を呼んだ。
当時、文春報道を受けて、周囲に
「大麻をやめられないのか。このままではまずい」
と問われると、沢尻はこう答えたという。
事務所関係者が話す。
「現事務所の担当者もエリカのクスリについては警戒していて、何度も本人に『大丈夫か?』と確認していた。本人は『大丈夫です』と話していました。付き合いもあるらしく、クラブにはしょっちゅう行っているのは知っていたので、心配していました」
沢尻エリカ容疑者(33)が逮捕されたことについて、所属事務所のエイベックス・マネジメントが16日夜、ホームページで「沢尻エリカの報道に関しまして」と題したコメントを発表した。
その全文は以下の通り。
関係各位
本日、沢尻エリカが麻薬取締法違反の容疑で逮捕されました。
本件につきまして、現在事実関係を確認しております。
関係各所の皆様、並びにファンの皆様へ、多大なご迷惑とご心配をおかけしておりますことを、深くお詫び申し上げます。
本人の処遇につきましては、捜査の進捗を見守りつつ厳正に対処してまいります。
令和元年11月16日
エイベックス・マネジメント株式会社
沢尻エリカ容疑者は2020年放送のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」では、織田信長の正妻・濃姫役で出演が決まっていた。
大河ドラマでは、現在放送中の「いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~」に出演していたピエール瀧(52)が麻薬取締法違反の疑いで逮捕されて降板。
瀧は懲役1年6月、執行猶予3年の有罪判決を受けた。
焼肉ダイスキ!
目黒駅東口に 一人焼肉のライクがオープン
もっともっと増えて欲しい (^_^;)
台風19号で水害が発生した二子玉川駅周辺(世田谷区玉川)
人に歴史あり
川にも歴史あり (;´Д`)
多摩川の氾濫は、世田谷区の東急二子玉川駅付近なのですけれども、元々、堤防が無い場所で、国土交通省関東地方整備局や世田谷区が土嚢を積んでいたのですけれども、隙間から川の水が溢れたようです。
周辺の住宅の1階部分や車が水につかるなど大変な被害が発生しています。
今時、一級河川で堤防がない所があるなど、ちょっとビックリなのですけれども、この辺りは1907年に多摩川電気鉄道が開通してから行楽地として栄え、1911年頃には十数件の料亭がありました。
1918年には多摩川の改修工事が始まったのですけれども、この辺りは料亭の反対を受け、その後ろ側に堤防を作ることになります。
料亭はそのまま残ることになったのですけれども、料亭業が衰退すると、ここの土地は売られ、民家に変わっていきました。
1973年にまた堤防を作る話が出たのですけれども、住民の反対を受け頓挫。
再び2004年に堤防を作ろうとしたのですけれども、住民の中で、安全を求める賛成派と眺望・治安の悪化を嫌がる反対派で対立。
計画高水位までの暫定堤防の築堤までは合意したものの、実際の工事は反対派の妨害活動もあって、一部しか完成していませんでした。
つまり、今回の多摩川の氾濫は起きて当然の場所で起こった訳です。