経営コンサルタント小杉事務所












◆◆◆ まえがき ◆◆◆



 年俸制が導入されて、年収がダウンした管理職がいる。配置転換で今まで経験したことのない職場へ移り、慣れない仕事で一年生から再出発をしている人もいる。会社の業績不振で肩たたきにあい、早期退職の受け入れを迫られている人もいる。ビジネスマンを取り巻く環境は厳しく、悩みは尽きない。
 会社が社員の面倒を最後まで見てくれる時代は、とうに過ぎ去ってしまったようだ。そんな時代をたくましく、そしてできれば楽しく泳いでいくにはどうしたらよいか。
 まず第一に必要なのは「自分の身は自分で守るしかない」という覚悟を固めることである。そして第二に「自分の身を守るための武器」を鍛えることである。
 この二つがあれば、変化の時代を不安な時代として受けとめる必要はない。むしろ、変化の時代はチャンスの時代として、わくわくするような冒険の時代となるだろう。
 そんな覚悟を固め、武器を鍛えるための一助として、本書を執筆した。
 前半の三つの章では、ビジネスマンを取り巻く環境の変化を概観し、どのような覚悟を固めるべきかのお手伝いをする。
 今や世界経済は大競争時代を迎えている。日本の社会が現在の繁栄を維持したければ、規制緩和は避けて通れない。それは弱肉強食の、ジャングルのような世界になる可能性もある。会社も生き残りを賭けて、なりふり構わず変身を迫られている。個人が「会社に勝つ」ためには、そんな会社の先取りをするような、思い切った自己変革が求められている。
 そして後半の三つの章では、自分の身を守るための武器について紹介し、その鍛え方のヒントを説明する。
 大競争時代の生き残りの決め手は「知恵」である。知恵こそ、自分を守る武器の核心に他ならない。本書では、知恵の担い手として「知的職人」というモデルを描き、その能力と意識の中身を分析する。
 歴史を読むと、文明の歴史は混乱と闘いの歴史だったことを痛感する。むしろ、日本の過去半世紀こそ、政治の安定と経済の成長が、かくも長く続いたという意味で、歴史の例外であった。
 英雄は乱世に生まれるというが、会社に頼れない時代を受け入れ、自分の身は自分で守るという覚悟を固めたビジネスマンの中から、次の時代のビジネス・ヒーローが生まれてくることを期待している。
 本書を執筆するにあたって、マネジメント社の笹形修編集長には大変お世話になった。厚く御礼申し上げる。

   平成九年三月  元麻布のオフィスにて

                            小 杉 昌 昭







◆◆◆ 目 次 ◆◆◆




まえがき

第一章 会社に頼れない時代が来た


1ー1【給料の個人差がどんどん拡大する】
規制緩和の後にくる自由な経済とは、弱肉強食のジャングルのような世界である

1ー2【賃金と雇用の破壊はこれから本番】
日本の会社は今、売上の低下と雇用の維持の板挟みになって、利益を減らしてじっと耐えている

1ー3【年功賃金崩壊のメカニズム】
年功序列の賃金体系とは、会社と社員の間の長期的な金の貸し借りの関係である

1ー4【現状の年俸制はまだまだ甘い】
日本の会社の年俸制は、人件費の高い中高年層に対する、一時的なショック療法という段階にある

1ー5【本当の実力主義の厳しさとは】
通年採用が本格化して、雇用の流動性が進むと、能力の社内価格と市場価格が近づいていく

1ー6【退職金制度は廃止の方向にある】
社員の定着化のために導入された退職金の役割は大きく変化して、今や人員整理の道具になりつつある


第二章 会社の本音は四五歳定年だ


2ー1【早期退職優遇制度と職場いじめ】
リストラの対象は、中高年から若い世代へと確実に広がっている

2ー2【会社は社員の独立を歓迎している】
独立支援制度には利用価値があるが、いいことばかりではない

2ー3【独立にはタイミングがある】
独立するのなら、若さと柔軟性のあるうちに「一歩を踏み出す勇気」を発揮せよ

2ー4【資格試験は独立の落とし穴】
資格というエサにつられて希望者が殺到し、資格があるがゆえの過当競争に陥っている

2ー5【外資系企業は転職の落とし穴】
外資系企業の企業文化や職場風土は、普通の日本企業のそれとは相当に異なるものがある


第三章 会社に頼らない生き方とは


3ー1【時代の波を楽しく泳ぐ条件】
自分自身を「必要な存在」に維持すれば、変化の時代を楽しみながら生きていける

3ー2【これからの時代に必要な存在とは】
「作る能力」と「売る能力」は余っており、「考える能力」だけが不足している

3ー3【能力は本場で鍛えるのが一番】
あなたの知的専門能力と、あなたの会社のコア・コンピタンスの関係が重要になる

3ー4【ゼネラリストは価値が低下する】
特定の企業に特化した能力構造が、結果的に社員の転職や独立の能力を奪ってきた

3ー5【いつも忙しいのは無能の証明】
本当の真面目さとか勤勉さというものは「目的に対して忠実」ということだ

3ー6【知的職人のプライドとは】
個人の生き方にも、コスト優位と差別化の選択が可能な時代になった


第四章 付加価値の泉は脳細胞にある


4ー1【脳細胞を徹底的に酷使せよ】
他人が作った「たたき台」を批判して意見を言うだけでは、脳細胞が遊んでしまう

4ー2【悪性パラダイムの恐ろしさ】
「解決すべき問題」よりも「解決し易い問題」に取り組んでいないか

4ー3【危機には積極的な効用がある】
壁にぶつかることが精神の緊張を持たらし、創造へ向けてのエネルギーの集中を生み出す

4ー4【特許より価値ある発明とは】
現代において、高い付加価値と収入は「ニーズと解決策の新しい組合せ」によってもたらされる

4ー5【発明者は真のニーズに気付かない】
発明から得られる付加価値の多くは、元の発明者ではなく、真のニーズの発見者が手に入れている

4ー6【脳の解放がアイデアを生み出す】
潜在意識の生み出したアイデアが、意識の水面上に浮上するのは、脳の解放をしている時が多い

4ー7【創造とはリンクの発見である】
一つ一つの情報から突起を出させて、リンクを張ることが創造の第一歩だ

4ー8【孤独な時間は創造の必要条件】
知的職人にとっての孤独な時間とは、自分自身との対話の時間である

4ー9【成功は論争を沈黙させる】
泥臭い仕事をいとわず実行し、結果を追求できる人材は、これからの時代に最も必要な存在になる

4ー10【脳細胞をベストに保て】
自分を精神的に追い込んで身動きが取れなくなっている人は「ねばならない」の奴隷である


第五章 知のリストラで頭脳再生せよ


5ー1【ビジネスにおいて無知は罪悪だ】
脳細胞で勝負する知的職人には、知のリストラ(充電)をする責任がある

5ー2【知的職人は使うほど価値が増す】
本当に優秀な知的職人の能力は、誰にも「所有」することは許されない

5ー3【富士山には五合目から登れ】
体系的な知識の充電が、経験情報の整理を可能にし、新たな問題への対応能力を高める

5ー4【情報過多の時代の情報センス】
「情報との距離感」を鍛えないと、情報過多による分析不能に陥り、身動きが取れなくなる

5ー5【自分のカタログを作る】
五年前と比べて、自分という人間のどこが、どのように変化したかを徹底的に考える

5ー6【仕事を楽しむ秘訣は初期充電】
初期充電期間に手抜きをしてサボると、適性やセンスを発見するチャンスを永久に失う


第六章 プロは自分で自分を管理する


6ー1【目標へのコミットメント】
目標と成功との間の強い相関の背景には、目標設定の自発性が重要な意味を持っている

6ー2【達成意欲と目標水準の関係】
いつも高すぎる目標ばかり設定して挫折し、自信を失っている人は、実は達成意欲が低い

6ー3【ワークデザインの考え方】
目標へのコミットメントを高めるには、ワークデザインにおける目標分解の考え方が役に立つ

6ー4【達成感を味わうから「はまる」】
努力の成果がすぐに確認できて、達成感を味わうと、努力すること自体が楽しみにすらなってしまう

6ー5【知的職人は仕事と遊びを分けない】
仕事を楽しむことができれば、人生はわくわくするような冒険の日々になる

6ー6【楽しむ者だけが生き残る世界】
脳細胞の酷使という知的職人の仕事には、内発的なポジティブ・エネルギーが必要だ

6ー7【知的職人は仕事を選ぶ】
世の中の人が「いい会社」を選ぶ基準と、あなたが「仕事を楽しめるかどうか」の基準は、たいてい一致しない


あとがき







◆◆◆ 本 文 ◆◆◆




第一章 会社に頼れない時代が来た




1ー1【給料の個人差がどんどん拡大する】


規制緩和の後にくる自由な経済とは、弱肉強食のジャングルのような世界である




 昔の武士道の影響か、今でもある年齢以上の日本人は、人前で給料の金額を話題にするのをはばかる。しかし、まったく無関心という訳でもない。
 むしろ大っぴらに口には出さなくても、給料の金額は人事問題と並んで、サラリーマンの重大関心テーマになっているようだ。
 そんなサラリーマン心理に答えて、ときどき週刊誌で、一流企業の給料の比較をする特集が組まれる。同業他社や他業界と自分の給料を比較して、一喜一憂しているサラリーマンは少なくない。
 多くの会社では、就業規則で社員のアルバイトを禁止している。普通のサラリーマンにとって唯一の収入源が、会社から受け取る給料とボーナスである。
 サラリーマンにとって給料の水準が気になるのは、それが単なる生活の糧というだけではなく、本人のプライドにも関係しているからだろう。
 特に、同じ会社の同期の者と給料を比べて、自分の方が安かったりすると、それがわずかな金額であっても、自分の価値が否定されたような気分になる。
 終身雇用を原則としていた、これまでの日本の大企業では、採用年次に基づく同期との出世レースに出遅れると、その差は後になって大きな差に拡大するおそれがあった。
 だから、人事考課の結果で定期昇給が五百円少なくても、ただ笑って済ますわけにはいかないのが、これまでのサラリーマン社会だった。それは閉鎖的な、圧力釜のような社会だった。
 そのような厳しい出世レースのゴール、サラリーマン社会のピラミッドの頂点に位置しているのが、日本の大企業の社長たちだが、その年収は意外に少ない。
 従業員数が一万人を越えるような巨大企業でも、社長の年収は数千万円程度が普通であり、一億円を超えるようなケースはめったにない。
 数千万円なら少なくない、むしろ多すぎるという意見の人もいるかもしれないが、アメリカの大企業経営者の年収と比べると、夢のある金額とは、とても言えない。
 アメリカの大企業経営者の年収は、日本円換算で数億円程度はざらであり、中には数十億円という途方もない金額を得ている者もいる。彼らのほとんどは、サラリーマン経営者であり、資本家とは違う。彼らは自分自身の努力と才能だけで、これだけの年収を手に入れている。
 ところで、国民一人当たりでは、日本よりアメリカの方が所得が少ない。一方に年収数億円、数十億円もの高額所得者がゴロゴロしているとすれば、他方では相当な数の低所得者がいなければ、計算が合わないことになる。
 事実、アメリカという「豊かな社会」には、年収で百万円とか二百万円といった低収入の人々が多数存在している。
 もともと、アメリカという国は資本主義の本場であり、貧富の格差は激しかった。アメリカン・ドリームという言葉が示すように、成功者が巨額の収入を得ることに対する社会的な納得性も高い。
 社会の成功者に、どれくらいの所得を配分するかは、それぞれの国の社会構造や文化によって決まることなので、歴史も文化も異なる日本とアメリカを比べて、多い少ないを論じても大した意味はない。
 それよりも私が気になるのは、もともと貧富の格差の大きいアメリカ社会で、最近その格差が急速に拡大しているという現象である。
 一方で高額所得者の年収が年々増えているのに、他方の低所得者の年収は、ほとんど増えていないか、または減少している。
 アメリカの社長(向こうではCEOと呼ばれている)の年収は、二五年前には新入社員の三五倍だった。それが今では、一五〇倍以上にもなっている。ちなみに日本の会社の社長の年収は、新入社員の十倍程度と、まったくかわいいものである。
 経済学を勉強すると、アメリカには当てはまるが、日本にはしっくり来ない感じが残ることがある。それもそのはずで、現在われわれが学んでいる経済学(近代経済学)は、主にアメリカ社会を研究材料にして、アメリカで発達した学問なのである。
 経済学を学ぶと「価格は需要と供給で決まる」という原則を習う。だがこの原則は、日本のような「規制でがんじがらめ」の社会では成り立ちにくい。
 規制の少ないアメリカの自由なマーケットでは、経済学の教科書どおりに、需要と供給の関係を、ストレートに価格に反映する。
 経済学的に言えば、人間の労働力も商品の一種に過ぎない。足りない労働力は価格が上がり、余った労働力は価格が下がる。
 したがって、アメリカ社会の所得格差の拡大は、高収入の者に対する需要の増加や、低収入の者に対する供給の増加(または需要の減少)を示しており、そのような需要と供給の関係の変化を、アメリカの自由なマーケットが、ストレートに価格表示していると考えることができる。
 要するに、能力のある者に対する需要が増し、これといって見るべき専門知識や特殊技能を持たない者(これを未熟練労働力という)の価値が低下している。
 先ほど「規制でがんじがらめ」と表現した日本の社会だが、その日本でも規制緩和は時代のすう勢である。
 規制緩和をして経済を自由競争体制に変えていくことは、日本経済が世界市場の中で生き残るために、避けては通れない道である。
 その意味で、今日のアメリカで起こっていることは、明日の日本でも起こる可能性が高い。日本でも、規制緩和が進めば進むほど「需要と供給の関係」を反映した価格に近づいていくだろう。
 自由な経済とは「弱肉強食」のジャングルのような経済である。特別な才能や専門知識を持たず、あるいは腕に技術を持たない人材には、安い給料で働かされる、厳しい時代が迫っている。
 逆に、自分自身の才能を磨き、チャンスに勇気を持ってチャレンジする人材には、今までとは比べものにならないほどの活躍の場と高収入が訪れようとしている。





1ー2【賃金と雇用の破壊はこれから本番】


日本の会社は今、売上の低下と雇用の維持の板挟みになって、利益を減らしてじっと耐えている



 ヘビという動物は、体が柔軟性に富んでいるので、カエルのような大きな生き物でも、そのまま飲み込んでしまう。
 ただし、そのような時には、飲み込んだカエルが消化されるまで、細長い体の一部が大きくふくれて、身動きも鈍くなる。
 飲み込まれたカエルの苦しみほどではないにせよ、飲み込んだヘビ自身も、生みの苦しみならぬ「消化の苦しみ」を味わう。
 数年前にベルリンの壁が崩れ、旧ソビエト連邦に代表される共産主義体制が崩壊した。それまでの資本主義体制は、東西の冷戦に勝利したかに見えたが、勝利の美酒に酔う暇もなく、資本主義自体が大きな内部変化に直面している。
 旧共産圏には、世界の人口の約三分の一の人々が生活していた。
 彼らは突然、資本主義の自由競争に放り込まれて、不安な毎日を過ごしている。そして彼らを受け入れて一回り大きくなった、新しい資本主義経済も、大きな不安定要因を抱え込むことになった。
 資本主義は、その柔軟さにおいて、ヘビとよく似ている。
 これまでの資本主義の歴史の中でも、環境の変化に対応して、資本主義はそのあり方を大きく変えてきた。
 現在直面している変化を大ざっぱに言えば、四十億人の資本主義経済(ヘビ)が、二十億人の共産主義経済(カエル)を飲み込み、ヘビ自身も体の形を変えて「消化の苦しみ」を味わっている。
 新しくできた六十億人の世界経済は、飲み込んだカエルを、まだ十分に消化しきれていないようだ。
 飲み込まれた方の、旧共産圏の二十億人の経済は、今や資本主義の一年生となって、貧しい経済からスタートすることになった。
 工業製品の国際競争力がないので、原材料や食糧といった、一次産品で外貨を稼ぐしかない。経済は混乱し、失業者は街にあふれている。
 結果として、新しく誕生した六十億人の世界経済は、一次産品と労働力の過剰に陥ることになった。日本のような、食糧と原材料の大輸入国は、そのメリットを受け、輸入価格の大幅な下落で、巨額の貿易黒字を計上した。
 日米の巨額な貿易黒字(赤字)に対して、日本とアメリカの双方が、互いに相手の責任であると主張し合っているが、本当の原因は、こんなところにもあった。
 原材料費と人件費が、供給過剰で安くなるのだから、その効果は時間の経過とともに、工業製品の価格低下にも波及し、世界的な「価格破壊」が発生した。
 熟練度の低い労働力でもよければ、海外に無尽蔵といってよいほどの労働力が余っている。アメリカの多国籍企業は、国内の従業員を解雇して、工場の海外移転を積極的に進めるか、または海外移転というカードをちらつかせることで、国内の労働組合を沈黙させ、賃金の上昇を抑え込んだり、引き下げたりした。
 工場を解雇された労働者の多くは、主にサービス産業に吸収されることになったが、その賃金は、工場にいた頃の三分の二程度の水準にまで下がった。
 これがアメリカで現在進行中の「賃金破壊」と呼ばれる現象である。
 人件費が下がったので、アメリカの会社は巨額の利益を計上し、株価は史上空前の上昇を続けている。
 特に大企業の経営者は、利益と株価の上昇を自らの手柄にして、巨額な年収を手に入れた。そして、アメリカ社会の貧富の格差は、ますます拡大している。
 一方、ヨーロッパは、早くから福祉社会の実現に力を入れ、アメリカに比べると、企業に対する規制の多い経済である。
 特に会社が労働者を解雇したり、賃金を下げることに対する、公的な規制が非常に厳しい。そのために、ヨーロッパの経営者たちは、新たに労働者を雇い入れることに対して極端に慎重になり、結果として大量の失業者が発生してしまった。
 つまり、ヨーロッパでは、賃金破壊の替わりに「雇用破壊」が発生した。
 失業者に失業手当などの社会保障を給付するためには、失業していない人々(職を持って働いている人々)に対する税金や社会保険料を高額にする必要があり、これらを差し引いた手取り賃金としては「賃金破壊」も進行している。
 そこで、日本はどうなっているのだろうか。
 新卒者の就職戦線が数年前から「氷河期」に入り、女子大生の就職悲話がマスコミをにぎわしている。
 ここ数年、ベースアップがゼロという会社も多い。一部の企業では従業員の減給や指名解雇も行われている。中高年を狙い撃ちにした「企業内いじめ」も発生しているらしい。失業率は過去最高の水準にあり、賃金も雇用もかなり厳しい状況にある。
 しかし、今のところ賃金破壊も雇用破壊も、アメリカやヨーロッパに比べれば、日本の社会全体を揺るがすほどの規模ではないようだ。
 これには、終身雇用の慣習が、まだ影響力を発揮している。
 日本の会社は、アメリカの会社のように簡単に従業員を解雇したりしないので、日本の会社の内部には、余った労働力を大量に抱え込んでいる。最近では国際的にも有名になった、日本の会社の「社内失業者」である。
 社内失業者の一部は「窓際族」などとも呼ばれており、これといって仕事がないので、一日中新聞を読んだり、お茶を飲んだりしている人もいる。それでも給料は保証されており、一流企業の中には、年収一千万円以上の窓際族がゴロゴロしている会社もある。
 窓際族の本人にしてみれば、精神的にはかなり辛いと思うが、欧米の本当の失業者に比べたら優雅な存在である。
 だが、社内失業者のコストは安くない。日本の会社は今、売上の低下と雇用の維持の板挟みになって、利益を減らしてじっと耐えている。
 これが日本の「利益破壊」である。
 バブル崩壊後の異常な低金利のもとだから何とか持っているが、金利水準を元に戻したら、借入金の多い商社などは、軒並み赤字に転落するかもしれない。日本の財政当局は、金利まで破壊してしまった。
 したがって、いささか単純化して言えば、ベルリンの壁の崩壊に始まる世界的な価格破壊の嵐の中で、アメリカは賃金を破壊し、ヨーロッパは雇用を破壊し、日本は会社の利益を破壊することで対応していると見ることもできる。
 しかし、資本主義経済のもとでは、会社は利益を上げなければ、成長はおろか、存在し続けることすらできなくなる。日本の会社が、いつまで社内失業者を抱えながら「利益破壊」に耐えていけるかは、時間の問題であると言えよう。
 そして、利益破壊に耐えられなくなった会社は、賃金か、雇用か、またはその両方に手をつけることになる。
 昔から、日本人はなかなか変化しない民族だが、横並び意識が強いので、変わりだしたら早いとも言われている。
 日本の会社の、賃金破壊と雇用破壊は、これからが本番だ。





1ー3【年功賃金崩壊のメカニズム】


年功序列の賃金体系とは、会社と社員の間の、長期的な金の貸し借りの関係である



「経営の神様」と呼ばれた、故松下幸之助氏は、かつて、あなたの会社は何を作っている会社ですかと尋ねられて「松下電器は『人を作る』会社です。あわせて電機製品も作っております」と回答したという。
 あなたは、学生生活を終えて社会人になり、初めて給料を受け取った頃のことを、今でも覚えているだろうか。
 入社式からほぼ一か月、学生時代とは何もかも異なる毎日で、朝から晩まで気を抜く余裕もなく、家に帰ればぐったりの日々。中には早くも「組織不適応症候群」があらわれ、毎朝ゆううつな気分で満員電車にゆられていた人もいただろう。
 そんな大変な思いをして手に入れた初任給だが、いざ給与明細をながめて見ると、なにやら訳の分からない項目がたくさん差し引かれていて、あなたの預金口座に振り込まれる手取り金額は、ぐっと少なくなっている。学生時代の「優雅なアルバイト」の収入と、大して変わらない。
 何だか期待を裏切られたような、やるせない気分の入り混じった社会人一年生のスタートである。おまけに最近では、賃上げもわずかなので、二年目になると地方税を差し引かれて、さらにもう一度ショックを受けるらしい。
 あなたがすでに会社生活を十年以上経験していれば、このようなほろ苦い思い出も、学生気分の抜けきらない「甘ったれの言い分」に聞こえるかもしれない。
 まだ何の役にも立たない新入社員なのだから、給料がいただけるだけでもありがたく思えと考えるようなら、あなたも立派な「会社人間」だ。
 会社に言わせれば、社会人になって数年間の社員は、単なるコスト要因(金食い虫)であり、投資の対象なのである。
 給料はもちろんのこと、研修や先輩からの指導など、すべてはコストであり、すぐに回収できる見通しはない。
 会社にすれば、反対に授業料をもらいたいくらいだが、それでは人が集まらないので、五年十年とあなたが一人前のビジネスマンに成長していく過程で、ゆっくり投資を回収して、元を取ろうと考えている。
 これは、終身雇用を前提とする日本の会社の良いところであり、松下電器以外の会社でも、ゆっくり時間とコストをかけて「人を作る」ことに取り組んでいる。
 そうやって時間とコストをかけてもらいながら、新入社員であるあなたは成長し、やがて会社への貢献(これを「付加価値」と呼ぶ)が、給料や賞与を含めた総人件費を上回るようになる。
 これは仕事の性格や、一人一人の成長スピードによっても異なるが、遅くとも三十歳頃までには、付加価値が人件費を上回り、会社にとっての「稼ぎ手」に成長する。また、そうなってくれなければ、会社は困る。会社は慈善事業や学校ではない。
 一方、社員の側から言っても、この三十歳前後という時期は、仕事が少しずつ面白くなっていく時期でもあり、家庭を持ったりする中で「大人」としての自覚も深まり、生活の中心が遊びから仕事へとシフトしていく時期にも重なる。
 今や「稼ぎ手」となったあなたは、能力と意識の両面で成長を続け、自分自身の付加価値を高めていくことになる。
「稼ぎ手」は会社にとって、金の卵を生むニワトリのような大切な存在だが、これまでの年功序列の日本の会社では、付加価値の上昇カーブと給与の上昇カーブとは、必ずしも一致しなかった。
 付加価値、すなわち能力の上昇カーブは、総合的に見て四十歳代にピークをつける人が多い。一方、年功賃金のもとでは、給与は五十歳代まで上昇を続ける。
 したがって、いつかは付加価値と人件費が逆転することになり、あなたは、その働きよりも給料の方が高くなり、会社にとって「持ち出し」の存在になる。
 それでも会社に余裕があれば、六十歳の定年まで、会社は「持ち出し」を許容する。それは、人生の一番いい時期を、会社のために捧げてくれた社員に対する、会社からの見返りと考えることもできる。
 あるいは現代風に、もっとドライな表現をすれば、「稼ぎ手」だった期間に付加価値が人件費を上回った分を会社に「貯金」し、後から「持ち出し」という形で貯金を下ろしていると考えることもできる。
 つまり年功序列の賃金体系とは、会社と社員の間の、長期的な金の貸し借りの関係、という見方である。一種の社内年金制度であり、若い頃に積み立てた年金用貯金を、中高年になってから取り戻す。
 この見方は、年功賃金を合理的に説明するには都合がよいが、致命的な欠点は、そのような金の貸し借りに関する契約が、どこにも存在しないということである。したがって会社には、法律的な返済の義務はないと考えることもできる。
 定年まで高い給料を支払い続けることで、社員から若い頃に借りた金を返済するかどうかは、会社側の自由な判断に任されている。
 事実、これまでの終身雇用と年功序列を前提としてきた日本の大企業では、社員を定年前にクビにしたり、給料を大幅に下げるようなことはせず、社内年金の支給を打ち切ることはなかった。
 だが、バブル崩壊以降の「利益破壊」に苦しむ現在の日本の会社にとって、明確に契約の定めのない「持ち出し」をいつまでも許容し続けることは、次第に困難になりつつあるのが実態だ。
 日本の会社は今、厳しい選択を迫られている。





1ー4【現状の年俸制はまだまだ甘い】


日本の会社の年俸制は、人件費の高い中高年層に対する、一時的なショック療法という段階にある



 未来予測は当てにならないと言われているが、世の中には絶対に当たる確実な未来予測が一つだけある。それは人口統計だ。日本全体を巻き込むような大きな戦争や天変地異でもなければ、十年後、二十年後の年齢別人口は、正確に予測できる。
 年功序列の賃金体系は、若い社員が多い、ピラミッド型の人員構成の会社では、都合が良かった。
 大きな比重を占める若い社員の給料を安くして、会社全体の人件費を低く抑えることが出来た。逆に、中高年の多い、ビア樽型の人員構成の会社では、年功序列の賃金体系は、人件費をふくらませる効果を持つ。
 すでに日本の会社の人員構成は、かなり高齢化が進んでおり、社員の平均年齢が四十歳を越えている会社も少なくない。この傾向は、まだまだ続くと見られているし、この予測は人口統計に基づいているので、確実に当たる。
 明らかに、これまでの年功序列の賃金体系を放置すれば、会社の利益は圧迫される。
 しかし、人事とか給料とかを扱う人事部門は、会社の中でも一番保守的な部門であり、賃金体系の抜本的な改革は、まだこれからという会社がほとんどである。
 そんな抜本的な改革の切り札として、最近注目されているのが、年俸制である。
 平成八年に社会経済生産性本部が、全国の上場企業二二三〇社の人事、労務担当者にアンケートし、うち五一〇社から回答を得た。
 それによると、年俸制を「すでに導入している」企業は一〇%で、前回の調査(平成四年)とほぼ同じだが、「具体的に導入を計画中」または「将来的に導入を考えている」のは計六八%で、前回(計三〇%)の二倍以上に激増している。
 逆に、前回五七%を占めた「今後も導入予定がない」は、約三分の一に激減して、二〇%になった。
 大まかに言って、約八割の企業が、すでに年俸制を導入したり、将来的な導入を考えており、保守的な人事部門でも、ここ数年で年俸制への意識は大きく変わりつつあることがうかがえる。
 導入済みの企業が、まだ一割にとどまっていることを考えると、各社の人事担当者は、他社の動向を気にしながら「年俸制ブーム」という名前のバスに乗り遅れまいとしているようだ。
 一方、すでに導入済みの企業のうち五四%は、バブル崩壊後の不景気で企業のリストラが活発化した平成六年以降の導入であり、年俸制の導入が、ごく最近の動きであることがわかる。
 制度の導入に対する人事担当者の評価をみると「まあまあ狙い通りの効果を上げた」が六五%を占め、否定的な回答は一二%に過ぎない。この辺は、導入担当者の自己評価だから、かなりの手前味噌が含まれており、年俸制の対象となった社員からは、また別な評価があると見ておく必要がある。
 年俸制の適用対象者は、主として部課長など管理職クラスが中心であり、人件費の高い中高年層を「狙い撃ち」にしたリストラ策とも受け取れる。
 七割以上の企業は、年俸制の対象範囲が「今後拡大していく」と答えており、今後は若年層にも浸透する勢いを示している。
 一方で、年俸制対象者一人当たりの人件費の伸びを、導入前と比較したところ「同程度の伸びの人が多かった」は四三%、「大きく伸びた人が増えた」は三八%だった。
 結果として、一人当たりの人件費の伸びを「抑制できた」とする企業は一九%。報告は「人件費抑制には直結していないようだ」としている。
 この辺に、日本の会社の年俸制の、現在の導入実態がよく現れている。
 多くの会社では、年度始めに上司と相談して個人目標を設定し、期末にその達成具合を評価して、翌年の年俸を決めるとしている。いわゆる、目標管理と組み合わせた年俸制である。
 目標達成率が低ければ、年収が下がることもあるというのが、年俸制の「本来の主旨」であり、またそうでなければ、人件費の抑制はできない。
 だが現実には、過去数十年続いた年功序列の習慣や、給料は毎年必ず上がるものという固定観念を打破することができず、気がついたら対前年何パーセントアップというような「春闘型年俸制」になっているところが少なくない。
 本音では人件費の抑制を目的にしながらも、ドライな実力主義に徹することができず、会社側も悩んでいるようだ。
 日本の会社の年俸制は、まだ導入済みの企業が一割程度にとどまっていることもあり、今のところ人件費の高い中高年層に対する一時的なショック療法として「導入することに意義がある」という段階にある。
 だが、これから本格化するであろう、本来の意味での年俸制は、こんなに甘いものでは済まされない。
 本当の年俸制の厳しさは、これから始まる。





1ー5【本当の実力主義の厳しさとは】


通年採用が本格化して、雇用の流動性が進むと、能力の社内価格と市場価格が近づいていく



 日本の会社の中にも、本当の実力主義の導入を試みているところがある。
 東証二部上場の「ミスミ」は、金属板の型抜きや成型をするプレス金型用部品や、FA機器用部品を、独特のカタログ通販で売る、個性的な商社である。
 自動車メーカーや電機メーカーなど、三万社近い企業と取り引きしており、最近では、ユニークな人事管理でも有名になっている。
 ミスミでは、部課制を廃止して、独特の「チーム制」を導入している。
 顧客が必要としている物をアウトソーシングで作るという発想を徹底し、顧客ニーズを追求した結果、その答としてチーム制が生まれたという。
 まず役員クラスが、それぞれ新規プロジェクトを経営会議でプレゼンテーションして、「ユニット」と呼ばれるポストを争う。
 新規プロジェクトを提案できなかったり、経営会議で否決されたりすれば、その人物は一年間仕事がなく「社内失業者」になる。
 ユニットを得て「ユニットリーダー」となった人物は、社員を前にして、再びプレゼンテーションをして「チームリーダー」を募る。
 チームリーダーの応募者たちは、各自が考える事業構想を、役員や一般社員に対してプレゼンテーションして、リーダーの座を競い合う。最終的に、ユニットリーダーがチームリーダーを選出する。
 他の一般社員は、希望チームへの参加を、チームリーダーに申し出る。平均六、七人で構成する「チーム」は、一年単位で再編成される。
 これらのプレゼンテーションは、大会議室で一週間ほどかけて行われる。リーダーの人間的な魅力や、面白そうな仕事なのかどうか、などが判断材料になる。
 現在、社員一九五人(平成八年九月)の中に、一六のチームが編成されており、その中には、デジタル素材のオンライン販売などの新規事業を手がけるデジタルサプライチームや、物流拠点統合などの課題に取り組むロジスティクスチームなどがある。
 自分の働く場所とポストを自ら選ぶので、人事異動命令の必要がなくなり、自動的に人事部はなくなったという。
 ここで年俸制が登場する。
 一年単位のチーム制にふさわしい給与体系として、年俸制が採用された。まず年俸制ありきではなく、組織運営の一つの手段として、年俸制が必要になった。
 ミスミでは、二つの性質の給与が支給されている。
 一つは、チームの実績に応じて支給される利益配分で、実績をあげたチームほど多い。それをチーム内で分ける際には、チームリーダーが、個々のチームメンバーの「取り分」を決める。
 もう一つは、個人の能力や実績をもとに算定される「年俸」で、社員一人一人の「市場価値」で決まる。
 その社員が他の会社に採用された場合に、どのくらいの年収になるのかを、ヘッドハンティング会社二社に協力してもらい、判断基準を設けている。ミスミの社員は、常に社外との競争にさらされていることになる。
 社外との競争は、年俸の算定だけではない。前述のプレゼンテーションには、社外からの参加を積極的に認めており、社外の者がチームリーダーとなることもできる。ここでも社外との競争がある。
 日本の会社で、本当の実力主義が実現されるようになるのは、次の三つの条件が整った時である。その日は、そんなに遠い将来ではない。
 第一の条件は、能力の「市場価格」が明らかになることである。
 社内人材と社外人材の能力比較であり、転職したことのある人なら、切実な体験として理解できるだろう。従来の終身雇用のもとでは、能力の社内価格と市場価格が大きくかい離していた。この二つが近づくことが、客観性のある能力評価の前提である。
 そのためには、ある程度の雇用の流動性が必要になるが、必ずしもアメリカと同じレベルの転職社会になる必要はない。ある程度の流動性があれば、能力の社内価格と市場価格は近づいていく。ミスミはここで、ヘッドハンターをうまく活用している。
 日本の労働マーケットは、新卒採用の比重を下げて、通年採用(従来の中途採用)の比重を高めつつあり、現在はその過渡期にある。
 第二の条件は、個人やチームの貢献を正しく評価し、処遇に結びつけることが出来るような仕組みの整備である。いわゆる業績評価と報償の制度だが、日本の会社は、これが非常に弱い。
 従来の終身雇用のもとでは、多少の不公平があっても「長い目で見たら悪いようにはしない」ということで、極めてあいまいな評価制度でお茶をにごしてきた。そのために、評価の手間を省くことができたのも事実である。
 本当の実力主義を実現するためには、評価の場は真剣勝負の場となり、そのために多大なエネルギーを割くことは避けられない。
 第三の条件は、社内に「自己主張の文化」が定着することである。
 自分が会社の中で実行したい課題を発見し、これを実現可能な形で計画化し、その実行には自分がふさわしいことを社内アピールできるような、自由な雰囲気のことである。
 単なるかけ声ではなく、文字どおりの意味で「仕事は与えられるものではなく、自ら開拓していくもの」と考える社員には、大きな自由を与えるが、同時に自己責任を厳しく問う。この厳しさは、トップが率先して示していく必要があるだろう。本当の年俸制の厳しさは、この辺と深い関係がある。
 ただし、行き過ぎるとギスギスした風土になって、弊害を生む可能性もあるので、微妙なバランス感覚が要求される。ミスミは、個人業績とチーム業績のバランスで、この問題の解決をはかっているように見える。





1ー6【退職金制度は廃止の方向にある】


社員の定着化のために導入された退職金の役割は大きく変化して、今や人員整理の道具になりつつある



 年俸制の普及と並行して、これまで日本の会社で、社員の定着性を高めてきた諸制度にも、見直しの動きが始まっている。その代表選手が、退職金制度である。
 社会の情報化に対応して、従来の重厚長大産業から新しい情報産業やサービス産業に人材を移動させることが国家的テーマとなっている。だが、転職は企業間にまたがることなので、一社だけの取り組みでは限界がある。
 そこで現在、官民を上げて、転職(人材の流動化)を後押しするための、社会的なインフラ整備が始まろうとしている。 
 大まかに言えば、従来の退職金は、退職時の基本給に勤続年数を掛けて算出していた。自己都合の退職では、ここからさらに減額される。
 年功賃金では、基本給も勤続年数に比例して上がるので、退職金は勤続期間の二乗に比例することになる。単純化して言えば、十年勤続者の退職金に比べて、二十年勤続者は四倍、三十年勤続者は九倍の退職金を受け取る。
 もし、十年毎に二回転職したら、三つの会社からもらう退職金は合わせて三倍で、一社に三十年続けて勤続した場合(九倍)の三分の一にしかならない。
 実際には、こんなに単純な計算ではないが、従来の退職金制度のもとでは、人生半ばの四十歳前後で一回転職すると、生涯に受け取る退職金が半分になるほどの覚悟が必要だった。これでは転職意欲も減退する。
 さらに、従来は一流企業がほとんど中途採用をしていなかったので、転職というと、それまでの会社よりも社会的な評価が下の会社に「転落」するという暗いイメージがつきまとっていた。
 それは単なるイメージにとどまらず、個人の信用にも影響していた。今でも一部の銀行などでは、現在の会社の在職年数の短い人には、融資の審査で低い評価をする傾向があるという。
 そのために、今の会社の中では十分に能力を発揮できないと思っていても転職を思いとどまり、定年まで「忍耐の日々」を過ごすという生き方が多かった。
 社内失業者とか窓際族は、その典型だった。本人にとっても辛いが、せっかくの能力を埋もれさせることになり、社会的にも大きな損失だった。大企業では窓際族でも、ベンチャー・ビジネスへ移れば、活躍のチャンスはいくらでもある。
 人材の流動化を本格的に推進するには、一社だけの取り組みでは限界があり、より広範囲な制度化が始まろうとしている。そのポイントは、税制や企業年金制度を改正して、転職に対して不利にならないようにすることにある。
 その一つの回答として、退職金や年金の「ポータビリティー方式」が提案されている。
 労働省が設置した「中小企業の退職金・企業年金研究会」では、転職者が退職金や企業年金を、転職のたびではなく、老後に一括して受け取る「ポータビリティー方式」の推進を目指している。
 同研究会の報告書では、産業構造の変化で、転職などの労働移動が今後も増え続けると指摘し、さらに離職時に退職金などを受け取っても、まとまった金額にはならず、老後の備えにはなりにくとして、老後に一括して受け取る「ポータビリティー方式」の導入を提言している。
 また、関西財界で組織する、経済改革推進関西会議は、日本経済の構造改革ビジョンについて、定期昇給や年功序列制の廃止など、日本型経営の抜本改革を提言し、報告書をまとめた。
 その中で退職金については、能力重視の賃金体系を構築する観点から「大半を能力・職務給の充実にあてるべきだ」として、退職金の大幅削減を主張している。
 日経連でも「新・日本型経営システム等研究プロジェクト」チームを作り、企画、営業などの部門での有期契約の年俸制社員や、技能部門での契約制社員などの導入を打ち出している。
 個別企業の中では、退職金の廃止を打ち出すところが現れ始めている。
 松下電器産業では、福祉制度の恩典や退職金などがない代わり、入社当初から高い給与の支給が受けられる「全額給与支払い制度」(仮称)を導入しようとしている。
 松下電器をはじめとする大手電機メーカーの従来の給与体系は、入社時の給与を比較的低く抑える代わりに、充実した福祉制度で従業員の生活を保障し、年齢上昇とともに給与も上昇するというスタイルをとっていた。
 ところが、若者を中心に勤労観が多様化する中で、従来の終身雇用的な人事制度だけではなく、多様な給与支給方法を求める声が強まってきていた。
 若者に言わせれば、年をとってから高い給料をもらっても手遅れで、若いうちから高収入を得て、人生を楽しみたいというのが本音になりつつある。そのためには、退職金を廃止して、その分を「前払い」してくれる方式には、大いに魅力を感じるだろう。
 そこで松下電器では、入社時に従来方式か全額給与支払い制度かの選択を可能にし、賃金制度の自由度を高めて、能力ある人材の確保を狙うことにした。
 最近の新入社員に対するアンケート調査でも、定年まで現在の企業にいるつもりかという質問にイエスと答える若者は少数派になっており、松下電器の新しい制度は、意欲ある若者たちから歓迎される可能性が高い。
 森下洋一社長によると、具体的な制度案の検討には二年必要であり、新制度は平成一〇年度にも導入する予定だという。
 産業用ソフトウェア開発のTGLでは、全社員の退職金をゼロにする代わりに、給与を平均で十五%ほど引き上げた。
 ハイテク産業では、中途採用や引き抜きが日常茶飯事で、退職金よりも、その時点での給与を高くする方が優秀な人材が集まりやすいという計算に基づいている。主旨は松下電器と似ている。
 タクシー大手の国際タクシーでは、二千人近い乗務員全員に退職金を支払い、平成六年に退職金制度を廃止した。こちらは松下電器やTGLとは異なり、退職金廃止の狙いは、赤字経営からの脱却だった。
 同社は昭和四十年代の後半に、慢性的な乗務員の人手不足対策として、社員の定着化を狙って年功序列型賃金を導入し、このときに終身雇用をはかる意味合いもあり、退職金制度も導入した。
 しかし、バブル崩壊後の不景気で、タクシー利用客が大幅にダウン、経常赤字が続き、制度の維持が難しい状況に追い込まれた。
 国際労働組合の笹川利雄書記長も「退職金制度そのものの限界がきたということです」と、時代と制度とのミスマッチを認めている。
 ホワイトカラーに対するドラスティックな人員整理を進める新日本製鉄でも、退職金制度の見直しに手をつけた。
 早期退職者に支払う退職金の加算金を、それまでの最高八百万円から、千三百万円に増額するなど、本来、終身雇用の象徴的な存在だった退職金の性格を変え、人員整理の道具として使い始めた。
 同社の今井敬社長は「今後、労働力の流動化が必要になるが、退職金は流動化を妨げる効果がある。退職金の見直しは必要だ」と、将来、退職金制度がなくなる可能性を否定しない。
 退職金は日本独特の制度で、ルーツは江戸時代にさかのぼる。
 親方の下で働いた職人が、退職して独立するときに、親方の店ののれんを分けてもらう「のれん分け」制度がその始まりだと言われている。
 戦後、定年までつとめた社員に対する報酬の意味合いに変化して「のれん」の替わりに功労金を支払う風習が定着し、これが退職金となった。
 退職金制度の機能には、功労報償説、生活保障説、賃金後払い説などの解釈があるが、最近では、賃金後払い説が強い。
 新日本製鉄のようにリストラに追われている企業の中には、退職金の優遇で人員整理を進めているところもあり、終身雇用の象徴的な存在だった退職金の機能は、現在大きく変化しつつある。







第二章 会社の本音は四五歳定年だ






2ー1【早期退職優遇制度と職場いじめ】


リストラの対象は、中高年から若い世代へと確実に広がっている



 先日読んだ本によると、ペンギンが海中のエサを取るときは、サメが恐いのでなかなか海に飛び込まない。
 そのうちに前の方の一匹が、後ろから押されて海に滑り落ちると、他のペンギンは、それを必死で観察する。そして、その一匹が、サメの犠牲にならずに、無事に上がってきたら、他のペンギンもいっせいに飛び込んで、エサをさがすのだそうである。
 日本の会社の中にも「利益破壊」に耐えかねてか、あるいは終身雇用に早々と見切りをつけたのか、労働者の指名解雇に踏み切るところが現れた。数年前の、パイオニアやオークマといった企業がそうであった。
 それも、従来の日本の会社では絶対に解雇されないグループであった管理職が、人員整理のターゲットになったので、本人も周囲も驚いた。
 マスコミでも大々的に取り上げられて、労働省も動き出したりしたものだから、大英断を下したつもりの経営者も驚いた。世の中を敵に回したような気分になり、腰が砕けてしまった。あわてて前に言ったことを撤回したり、大幅に緩やかな案に切り替えたりして、この事件は終わった。
 しかし、よく考えてみれば、大企業の経営者ともあろうものが、一時的な思いつきや、その時の気分で、自社の幹部社員の整理など、するはずがない。そこには十分な検討と熟慮があったはずである。
 両者のトップは、その後、やむにやまれぬ選択だったことを力説している。ただ、世の中の反応に対する読みが、少々甘かったということだろう。
 だから、もしあの時に、あれほどの騒ぎにならなかったとしたら、横並び意識の強い日本の会社のことだから、次々と後に続く会社があらわれて、日本の終身雇用の習慣に、大きな風穴が空いていた可能性は否定できない。
 要するに、今回は一匹目のペンギンが、サメに食われたのである。
 その後、大企業の人員整理は、露骨な指名解雇のような荒っぽい方法は避けて、選択定年制(早期退職優遇制度)という穏やかな手法が普通になった。
 四五歳とか五十歳を過ぎた社員には、本人の判断で会社を去ってくれれば、退職金の積み増しのような優遇策を設けるようになった。
 一流企業の中には、五十歳で辞めてくれたら合計一億円近い積み増しをするというところも現れている。これでは「給料は全額払うから、もう会社には来ないでくれ」というのと、ほとんど一緒である。
 この話には二つの意味がある。
 一つは大企業の「恵まれた処遇」である。過去の蓄積があればこそ「不要な社員」に対しても、このような優雅な処遇が実現できる。さすがは大企業である。
 もう一つの意味は、こちらの方が重要なのだが、こうまでしてでも「不要な社員」を追い出したいという、会社の本音が見えることである。
 会社が中高年社員を追い出そうとする「厳しい本音」の背景には、単に人件費を抑えたいという以上の理由がある。
 それは要するに、中高年を減らすことで組織の若返りをはかり、激変する事業環境に対する適応能力を少しでも高めておこうとする、経営者の意志である。
 これは昔から大企業では、関連会社への出向という形で行われてきた習慣であり、日本の会社の組織活力を維持するための、有力な手段でもあった。
 たまたま団塊の世代が中高年に差し掛かり、しかも経済の低成長化で出向先企業のポストも増やせないという事情が、選択定年制という苦肉の策を生むことになった。
 余裕のない中小企業には、前者の「恵まれた処遇」を実現することは不可能であり、後者の厳しい本音だけが前面に出てくる可能性もある。
 平成八年六月と十月の二回に渡って「職場いじめ一一〇番」が開かれた。開設したのは東京の「管理職ユニオン」で、リストラに悩む中間管理職を支援する組合である。相談件数は、一七二八件に達した。
 寄せられた相談の中には、不況に苦しむ会社が「職場いじめ」を利用して、中高年社員を自発的な退職に追い込もうとしている姿も目につく。自己都合退職にすれば、退職金を節約できるという訳だ。
 職場で悪い噂を流されたり、仲間はずれにして誰にも口をきいてもらえなくなるなど、かなり陰湿な方法が多いという。そのために精神的に変調をきたして不眠症になったり、情緒不安定で入院に至る人もでてきている。
 その他にも、仕事を全く与えなかったり、逆に過大な労働させたりする方法や、性的な嫌がらせ(セクシャル・ハラスメント)も含まれている。相談の半分以上は、女性から寄せられた。
 年代的に見ると中高年ほど多く、五十代は二十代の倍近い相談があり、中間管理職が厳しい状況に追い込まれていることが、数字にも表れている。
 会社の側から見ても、選択定年制は最後の切り札にはならなかった。
 選択定年制を導入したら、辞めて欲しくない優秀な社員ほど、社外でも通用するので率先して退職してしまった。残ったのは社外で通用しない社員ばかりという困った事態を招いたところも少なくない。いやな表現だが「カスが残った」と言って嘆いている。
 選択定年制の対象年齢も、従来の四五歳前後から前倒しがはかられ、最近では三十代の前半まで対象が広がっているという。
 特に最近、企業から厳しい目で見られているのが、バブル華やかかりし頃に入った世代である。
 彼らは極度の人手不足の中で就職し、それまで入社が難しかった一流企業にも難なく入社した。逆に言えば、彼らは会社の中で、前後の世代よりも明らかに能力が劣ると目を付けられている。 
 しかも、入社してからも人手不足が続いたので、会社は彼らが退職しないようにご機嫌を取り、彼らの中には「働いてやっている」という意識が育った。その後の不景気で彼らの意識も相当変わったのだが、中には意識改革できない者もいて、後輩からも馬鹿にされているという。
 一部の企業では、選択定年制の適用範囲を広げてこのようなバブル世代の整理を始めている。リストラの対象は、中高年から若い世代へと確実に広がっている。
 労働省は、六五歳定年制を目指して、法制化の準備を進めているようだが、利益破壊に苦しむ会社の現状は、そんなに甘いものではない。
 選択定年制は、早期退職を優遇する制度だから、逆に言えば、普通の定年退職を冷遇する制度であり、現行の定年制を根底から揺るがす効果がある。
 選択定年制が普及する中で、政府のもくろむ六五歳定年制どころか、現行の六十歳定年制の維持も難しそうだ。





2ー2【会社は社員の独立を歓迎している】


独立支援制度には利用価値があるが、いいことばかりではない



 日本の会社では、つい最近まで、会社を辞めて転職や独立をしようとする者には、裏切り者を見るような冷たい視線が浴びせられていた。
 しかし「本音では四五歳定年」と考えるようになった会社側は、今では社員の転職や独立を嫌うどころか、むしろ心待ちにするようになっている。その変化のスピードは、社員の意識の変化より早いようだ。
 今では社員の退職促進策として、退職金の上積みだけではなく、社員の独立や転職を積極的に後押しする施策が、多くの会社で取り入れられている。
 社員の側から言えば、これからの時代の、キャリアの多様化に対応した施策でもあるので、真剣に転職や独立を考える社員には、十分に利用価値がある。
 日本IBMでは、平成五年から人員整理に踏み切り、それに合わせて退職者の独立支援制度をスタートした。
 この制度の適用者は、日本IBMと共同出資をして、新会社を設立する。早期退職によって、一時金が上乗せされた退職金を手にできる上に、会社でそれまで手がけていた仕事を、会社公認で持ち出して、自分の会社の事業にすることができる。そんなメリットを生かして、これまでに十七社の新会社ができた。
 そのうちの一社で、人事部門の中の管理者教育や生涯設計支援などの業務を分社化した「アワーズ」は、定年退職者と出向者の四十人でスタートした。
 同社社長の古畑仁一さん(五六歳)は、日本IBMの元人事部長だ。「社員ではなくなるので、複雑な心境でしたが、全然別の会社に移るのではないという安心感があった。正直にいって、独立しやすかった」と語っている。
「アワーズ」の本社は、六本木の日本IBMの本社ビルの中にあり、最大の顧客も日本IBM。本来の意味での独立とは、かなり異なる。
 コンピュータ業界は「すき間ビジネス」が豊富に存在するせいか、独立支援でも先行しているように見える。
 富士通には、全社員を対象にした独立支援制度がある。富士通が社員の起業を支援する「新ベンチャー制度」がそれで、第二のビル・ゲイツ(マイクロソフト社会長)を日本で育てたいという主旨で、社長が発案し、平成六年度からスタートした。
 若手社員を含めて全社員に応募資格があり、書類と面接審査の後、社長の前で退職後の事業計画をプレゼンテーションする。
 合格したら退職し、富士通と共同で新会社を設立する。本人は株式の過半数を保有し、経営権をもつ社長に就任する。
 富士通は、当初の資金貸し付けなどの援助をしてくれるが「会社創設から三年目に単年度黒字」というハードルをクリアできなければ、原則として会社は解散し、富士通での再雇用も保証されない。
 片道キップの背水の陣になるので、甘い気持ちでは挑戦できないが、二十代から五十代まで、一一人の元社員がいま起業に取り組んでいる。
 そのうちの一人「トリワークス」の池田武史さんは、まだ二八歳だが、すでに代表取締役社長の肩書きを持つ。
 パソコンソフトの開発・販売を手がける池田さんは、エンジニアとして富士通の川崎工場に勤めていた。
 入社三年目の、ハワイでの社内留学中に同僚の中国人「リョウ」と意気投合し、共に富士通を退職し、トリワークスを設立した。
 十五平方メートル、月々の賃貸料八万円の、隣の会社の話し声がよく聞こえる、ささやかなオフィスで事業をスタートした。
 すでに米国と中国に拠点をもち、ソフトを作るためのソフトといえるツールを、中国向けに翻訳して販売している。社員も海外駐在員を含め二五人になった。
 富士通の営業部長から独立し、音声のマルチメディア展開を図る「アニモ」の代表取締役社長になった服部一郎さん(四八歳)も、この制度の適用を受けた。
 服部さんは「この制度がなかったら会社は興さなかった。生きがいをもって仕事に挑んでいる。仕事は楽しくやりたい。そうでなければ生きている実感がない」と語る。
 やはり独立は、損得だけでは議論できず「生きがい論」が必要になるようだ。
 流通業のダイエーには、同社系列のフランチャイズ・チェーン店を活用した、社内独立支援制度「チャレンジオーナーズ」がある。
 コンビニエンスストアの「ローソン」や、持ち帰り弁当ショップの「ほっかほっか亭」などの経営を目指す社員に、七百万円の資金を援助する制度だ。昭和五十九年からの累計適用者は、すでに数百人にのぼる。
 そのうちの一人、神戸市中央区の「ローソン元町通三丁目店」のオーナー、真下典夫さん(五三歳)は、平成六年、三四年間の会社勤めをやめた。
 ダイエーでは、人事・労務畑を歩き続け、企業の再建や過激な労働運動対策として、従業員のクビを切らねばならないこともあり、ずいぶん恨まれ役もつとめた。
 今では「自分の店は良いものです。会社勤めの頃と比べ、精神的にずいぶん楽になりました」と語っている。
 会社からの七百万円の資金援助の他に、退職金と借金で約三千万円の資金を作った。収入は従来の約半分になったが、妻や子供たちからの反対はなかったという。
 今までいた会社から支援を受けて独立するのは、いいことばかりではない。その場合に留意すべき点は、三つある。
 第一に、身内としての甘えを捨て去ること。
 サラリーマンが普通に独立する場合に比べれば、恵まれているのは事実だが、独立につきものの苦労がないことは、経営者としての甘えにつながりやすい。
 また、会社側はカネを出す以上は口も出す可能性があるので、経営の自立性が損なわれたり、会社側と意見衝突して身動きがとれなくなる危険性もある。
 特に今までいた会社が最大顧客になる場合には、中長期的に依存率を引き下げることも考えておく必要がある。在職中の人脈の効果は、時と共にだんだん薄れていくと思わなければならない。
 第二に、独立の動機が自発的であること。
 独立支援制度を導入した会社側の動機には、人減らし対策が濃厚に存在していることを忘れてはならない。
 自分自身の中に、独立への動機が十分に出来上がっていないのに、安易に会社側の勧めに応じて独立してうまくいくほど、独立は甘いものではない。支援制度がなくても独立するくらいの真剣な覚悟の人だけが、制度を利用して成功する。
 第三に、収入や生活水準が下がっても、やり抜く覚悟を持つこと。
 業種にもよるが、独立の成功率は、一般に余り高くない。大企業に長くいると分からなくなるが、中小企業は簡単に倒産するものだ。
 富士ゼロックスの独立支援制度「ベンチャービジネス・チャレンジ・プログラム」は、昭和六三年から平成二年までの間に、四つの会社を誕生させたが、すでに二社が倒産しているという。
 独立すれば自営業で、イコール高収入と考えるようでは、まず成功はおぼつかない。中小企業の健全経営は、無駄な経費の徹底的な削減から始まる。ローソンのオーナー真下さんのように、サラリーマン時代より収入が下がってもよいから独立したいというくらいの覚悟が必要だ。「生きがい論」の世界である。





2ー3【独立にはタイミングがある】


独立するのなら、若さと柔軟性のあるうちに「一歩を踏み出す勇気」を発揮せよ



 こんな言葉がある。「一歩を踏み出す勇気がなかったばかりに、今日も多くの人々が、無名なままで、墓場へと運ばれていく」
 ちょっと恐ろしい言葉だが、人生で大切な一歩を踏み出すには、タイミングというものがあるようだ。
 リクルートリサーチの、五十歳未満のサラリーマン七千人を対象に行った「就業意識に関する調査」によると、首都圏のビジネスマンの過半数が、独立・転職志向を持っているという。
 それによると「独立して仕事をしてみたい」と答えたのは四三%で「転職したい」と答えた者(三五%)を大きく上回っている。
 年齢別では、二十五歳から二十九歳が最も独立志向が強く、半数以上の五四%が独立したいと望んでいる。この傾向は、年齢が高くなるにつれて低くなるが、それでも四十五歳から四十九歳で、二九%が独立志向を持っている。
 独立したい理由(複数回答)は「自分の可能性を試してみたい」が八七%で最も高く、以下「自分の趣味や特技を仕事にしたい」が七二%、「会社の時間に縛られずに働けるが六四%という順だった。
 サラリーマンを辞めて独立するには、タイミングが重要だが、その中でも特に重要なのは、あなたの年齢である。いったい何歳くらいが「独立適齢期」なのか。
 これには多様な意見があるが、遅くとも四十五歳くらいまでに独立するのがよいと言われている。独立に失敗しても、四十五歳くらいまでなら、失敗が致命傷になりにくい。
 失敗が致命傷になるというのは、要するに、次にチャレンジする勇気を失うということである。
 逆に言えば、失敗しても次にチャレンジする勇気を失わない人は、何歳になっても「独立適齢期」と言えるのかもしれない。
 ゲーテの言葉だが、お金を失うのは「少し」失うこと、名誉を失うのは「大きく」失うこと、勇気を失うのは「全てを」失うことだそうである。
 さきほどの、ちょっと恐い言葉を引用すれば、勇気を失う前に「一歩」を踏み出さないと「無名なままで墓場へと運ばれていく」ことになる。
 また、独立して事業を始めるにしても、なかなか先の読めるものではない。最後のギリギリの決断は、一種の勘に頼ることになる。
 そんなとき、勘にしたがって「軽いノリ」で事業をスタートできる者の中から成功者が出る。スタートしなければ、成功することはない。若者は「軽いノリ」で起業を思い立つが、中高年はどうしても慎重になってしまう。
 独立には失敗が付き物だが、失敗のリスクは、失敗したときに失うものが何かによって異なる。
 二十代から三十代前半くらいで独立に失敗しても、また再就職してサラリーマンに戻るのも易しい。新しい世界でやり直すにも、若さ特有の柔軟性という武器がある。
 失敗したときに失うものには、年齢だけではなく、時代が安定期か変革期かということが関係している。今は間違いなく変革期だ。
 一昔前なら、大企業に入社すれば終身雇用で一生安泰だったから、そんな恵まれた地位を蹴って独立するのは、ハイリスクの決断だった。失敗したときに失うものが大きかったのである。
 それが今では、中高年だけではなく、二十代、三十代の若いビジネスマンにまで、リストラの嵐が吹き荒れている。浮足立っているサラリーマンが少なくない。
 独立の失敗で失うものは昔に比べて少なくなり、リスクは相当に低下していると言えるだろう。通年採用の普及で、中高年の再就職も、少しずつ間口が広がりつつある。
 定年近くになって、リストラの対象にされて放り出されるくらいなら、会社からクビを切られる前に、自分のクビを自分で切って独立するという選択が、合理性を帯びてきている。「一歩を踏み出す勇気」には、追い風が吹いている。
 リストラにならなくても、定年になってから「自分の人生はこんなはずではなかった」と後悔するのでは詰まらない。
 さらに変革期は、若者や未経験者に有利な時代でもある。
 安定した時代には、経験者や専門家のやり方が通用するが、変革期には素人の発想の方が、成功する確率が高い。
 変化の乏しい時期には、長老の意見が尊重されるが、明治維新のような大変革期には、それまで政治の素人だった若者たちが大活躍した。
 ビジネスの世界でも、保守的な業界に業界革命を起こすのは、他業界出身者が多い。それまでのやり方とか業界慣習という「固定観念」が少ないので、事業環境の変化に気づくのが早く、変化に素直に対応したら、それが業界革命になったりする。
 景気の良し悪しと、独立のタイミングはどうか。
 原則から言えば、景気の良いときに独立した方が、楽に成功できる。そこで十分に儲けを蓄積して、次の不景気に備えれば、会社は順調にスタートする。
 しかし、ここが人間の性と言うか悲しいところで、一度好景気でいい想いをすると、それが永遠に続くような錯覚に陥るのが普通の人間のようだ。
 見栄を捨てれば収入はなんとかついてくるものだが、人間の生活水準は、引き上げるのは簡単だが、引き下げるのは難しい。せっかくの好景気で手に入れた儲けを無駄遣いしてしまい、次の不景気で倒産する会社が少なくない。
 結局、不景気のときにスタートした方が、最初は苦しいかもしれないが、会社は長く続くようだ。だから、不景気だからといって独立を先に延ばすより、若さと柔軟性のあるうちに「一歩を踏み出す」ほうがよさそうである。





2ー4【資格試験は独立の落とし穴】


資格というエサにつられて希望者が殺到し、資格があるがゆえの過当競争に陥っている



 最近は、就職難のせいか、大学生が資格取得に走っている。社会人でも、会社の仕事が終わって自宅に戻ると、通信教育のテキストを開いたりして、資格試験の受験勉強に精を出している人が少なくない。何か手に職をつけた方が転職の際にも有利と考えて、資格取得に夢中になっている中高年層もいる。
 中には、生活の中心が、会社より受験勉強に移り、仕事や人間関係に悪影響がおよぶ人もでてくる。毎晩遅くまでの受験勉強で、仕事中にウトウトしたり、アフターファイブの飲みニケーションのつき合いが悪くなって、職場で孤立したりする。
 だんだん、職場に居づらくなり、心ならずも予定より早く転職や独立を余儀なくされ、準備不足で失敗することもある。
 そこまでいかなければ、資格試験を目指して勉強すること自体は悪くない。ただし、若干の問題点があるので、指摘しておく。
 まず、今の日本には、それだけですぐに高収入に結びつくような「おいしい資格」は、ほとんどない。目標となる資格を選んで、受験勉強をスタートする前に、このことをよく覚悟しておくことだ。
 通信教育の会社や、資格受験の予備校は、受験希望者が増えてくれないと、商売にならない。だから、資格試験に合格さえすれば「おいしい生活」が待っているような、甘い説明をする。
 そんな夢のような話を真に受けて、おかしな期待を持つと、合格してから失望することになる。少なくとも、すでにその資格を取得して、その資格で食べている人の話を聴くくらいの調査は必須である。
「〇〇士」などの資格取得をすすめたり、高額の教科書や参考書などを買わせたりする商法を「士」を「サムライ」と読んで、武士の商法ならぬ「サムライ商法」という。この業界には、危ない業者が少なくない。
 国民生活センターには、このサムライ商法に関する相談が毎年二千件以上も寄せられている。中には、この資格は近く国家資格になるので、今のうちなら易しく合格できるというウソの説明をして、しつこい電話勧誘で高額の教材を売りつけ、お金を受け取るとドロンしてしまう詐欺まがいの商法もある。
 資格試験の中で、最難関の双璧と言われる弁護士や公認会計士でも、国家試験に合格してから、数年間の見習い期間がある。
 この期間の収入は、普通のサラリーマンと大して変わらないし、むしろ低いこともあるくらいだ。苦労して難関を突破しても、すぐに高収入に結びつく訳ではない。
 見習いを終えても、優良顧客に恵まれなければ、高収入は見込めない。資格があれば、それだけで仕事が舞い込んでくるほど、世の中は甘くない。
 弁護士や会計士でも、こんな状況だから、それよりも易しいと言われている、他の多くの資格では、状況はさらに厳しい。
 いくつかの国家資格では、資格保有者の独占業務というものがある。
 例えば、税理士でなければ、税務代理業務を行うことはできない。社会保険労務士でなければ、社会保険代理業務を行うことはできない。
 一見すると、資格のおかげで仕事を独占できるので、競争を免れて「優雅な商売」ができるのではないかと、淡い期待を持ったりする。
 だが、この「独占の権利」が、資格保有者にとって、本当に「おいしい独占」であるためには、その独占業務の仕事量に対して、資格保有者が不足していることが必要になる。ここでも、資本主義経済の「需要と供給の法則」は有効だ。
 そして、多くの国家資格の世界では、仕事量に対して資格保有者は余っている。余っていれば、価格競争に陥りやすくなる。業界団体で「標準料金表」のようなものを定めたりしても、単に「絵に描いた餅」になる。
 おまけに最近の資格取得ブームで、新規参入希望者は増えている。業界団体が合格者を増やさないように、裏から圧力をかけたりすることもあるようだが、やりすぎると独占禁止法に触れるので、大っぴらにはできない。
 むしろ、皮肉な見方をすれば、資格というエサにつられて希望者が殺到し、資格があるがゆえの過当競争に陥っているのではないかと思えるふしもある。
 要するに、資格保有者が余っている業界では、資格試験に合格したとしても、それは単に、その職種の入場券を手に入れただけに過ぎないのである。「本当の競争」は、試験に合格してから始まる。
 私の本業である、経営コンサルタントの世界では、中小企業診断士という国家試験がある。この試験に合格しても、特に「独占の権利」はないのだが、経営学の基礎知識を幅広く勉強する目標になるので、多くのビジネスマンが合格を目指している。
 知識の勉強の目標として、中小企業診断士の合格を位置づけるのは悪くない。だが、私の経験から言って、経営コンサルタントに求められる能力の中で、知識の占める比重は、そんなに大きくない。
 経営コンサルタントの会社が、新しくコンサルタントの見習いを採用するときも、知識は余り重視しない。知識は、会社に入って、コンサルティングの実務に携わる中で、必要に迫られて、必死で勉強するから、後からでも間に合う。
 それよりも、情報に対する論理的な思考能力や、問題の本質を直観的に把握する能力のような、要するに、入社してからの努力では乗り越えにくい「センス」の部分を重視して採用する。
 だから、経営学科出身者が特に有利ということはなく、むしろ論理的思考のトレーニングを積んだ、理科系出身者や、哲学科の出身者に有利だったりする。知識の多少よりも、どれだけ自分の脳細胞を酷使してきたかが重要になる。
 このような「センス」は、資格試験に合格する能力とは、根本的に異なる。そして、資格試験に合格してから始まる「本当の競争」では、このような「センス」の良し悪しが、ものをいうのである。
 そんな事情があるので、一流の経営コンサルタントとして成功している人には、中小企業診断士の資格を持っていない人が多いし、持っていても、わざわざ名刺に刷ったりしない。資格に頼る必要がないからだ。
 あなたが資格試験を目指して勉強を始めるときも、このようなクールな姿勢があれば、心配ない。資格試験は、あくまでも勉強の目標であって、最終目的ではない。合格しなければ大変なことになる、というような切羽詰まった考え方で臨むと、失敗する。





2ー5【外資系企業は転職の落とし穴】


外資系企業の企業文化や職場風土は、普通の日本企業のそれとは相当に異なるものがある



 転職を意識して、就職情報誌や、新聞の求人欄を見ると、外資系企業が多いことに気がつく。日本も国際化したものだと考えるようでは、情報の見方が甘い。
 外資系企業の生産が、GDP(国内総生産)に占める比重は、アメリカでは一七%、ドイツでは二四%であるのに対して、日本では、わずかに〇・一%だ。しかも、その半分を、日本IBMの一社で占めている。
 日本国内の、外資系企業の存在は、たったの千分の二でしかない。それにしては、求人広告が目立っている。これはなぜか。
 最近の人材流動化で、日本の会社が通年採用を活発化したとはいえ、大企業の多くは、まだ四月の定期採用の比重がかなりある。それに対して、外資系企業の多くは、通年採用が原則で、四月の定期採用は少ない。これだけ聞くと、外資系の方が先を進んでいるようだが、そう簡単な話ではない。
 外資系企業の採用は「空いたポストを埋める」というスタイルが多い。
 特定のポストが新設されたり、従来のポストから人が辞めたりすると、そのポストにふさわしい人材を捜して採用する。
 日本企業なら、社内の他部署から人を異動したり、適任者がいなければ空きポストにしたりするが、外資系は「外から」採用する。したがって、人の出入りは激しくなり、日本国内での存在比重の割には、求人広告が目立つようになる。
 この背景には、日本と欧米の、経営スタイルの違いがある。
 日本の会社は、新人を採用しても、必ずしも即戦力は求めない。少しずつ会社のカラーに染め、ゆっくりと能力を育てていこうとしてきた。大企業ほど、この傾向が強い。
 人材の流動化で、このような「育てるマネジメント」は少しづつ崩れてはいるが、ある面で、日本の会社の強さの源泉でもあるので、通年採用が増えても、急にはなくならないだろう。
 これに対して、外資系企業は「取り替えるマネジマント」だ。育てようとする姿勢が弱い。現在のポストにふさわしい働きをしない人は、育つのを待ってもらったり、社内で異動させられるのではなく、「外へ」出される。つまり、クビになる。
 一見すると厳しいようだが、即戦力として自分の能力に自信のある人には、能力に応じた処遇を、若いうちから手に入れることができる。日本企業のように、年功序列で長い間待たされたりはしない。この「若いうちから」というところが、能力に自信のある、若い人材を惹き付けてきた。
 その替わり、いくら本人に自信があっても、結果が出せず、会社側の期待に添うことができなければ、「外へ」出される。日本の会社のように、ゆっくりと、育つのを待ってはくれない。短期勝負の世界だ。
 日本の会社のような、長い目で見たら悪いようにはしないが、短期の勝負はつけさせない文化で暮らすか、外資系企業の短期勝負の文化で暮らすか。転職に際して、よく考えてから決めないと、後からカルチャー・ギャップに苦しむことになる。
 もともと、外資系企業には、帰国子女や留学帰りなど、欧米の自己主張の強い文化に染まっている人が少なくない。
 社内の人間関係も、日本企業のようにベタベタしていないので、アフターファイブに同じ職場の仲間との「飲みニケーション」ということも少ない。ビジネスとプライベートをはっきり分けたい人には居心地がよい。
 社内のカルチャーも、普通の日本の会社に比べると、組織の和よりも、自己主張が優先される。会議などでも「黙っているのは無能の証明」と見なされたりする。
 このような企業カルチャーが、外資系企業の組織の活力を生み出しているのだが、下手をすると、組織の和などゼロで、社内は足の引っ張り合いという、すさんだ職場になることもある。
 えてして、そんな会社には、協調性の欠如で日本の会社にいられなくなったような社員が集まっていたりする。「MBA崩れの会社渡り鳥」の溜まり場のような外資系企業もある。社内の雰囲気は、和をモットーとする日本企業とは相当に異なる。
 一部の外資系企業では、本国の親会社の発言力が強大で、重要な意思決定は、すべて本国にお伺いをたてるところもある。日本の子会社側では、重要なことは何一つ決められない。
 本国の親会社が、日本での事業に収益性や将来性がないと判断すれば、日本の子会社を解散したりすることもある。本国の親会社自体が、M&Aで別な会社に吸収されたりすることも日常茶飯事だ。
 そんな会社では、親会社のエグゼクティブとの人脈が、出世の切り札になったりするので、トップの顔も、本国の方を向きがちで、現場軽視に陥ることもある。
 日本側のトップがしっかりしていて、本国の親会社と日本の子会社の、良きクッション役を果たしていれば、こんなことにはならないのだが、気をつけないと、親会社の言いなりの、主体性のない会社になる。
 たまに本国から幹部が来日したりすると、上層部が本来業務をそっちのけで、アテンド(日本での付き添い)に走り回ったりする。
 すべてがこんな会社ばかりではないが、外資系企業の企業文化や職場風土は、普通の日本企業のそれとは相当に異なるものがあるので、転職にあたっては、その点に注意すべきである。
 事前に、十分な情報の収集と分析を行って、正しい判断をしないと、転職してから「こんなはずではなかった」と泣きを見ることになる。






第三章 会社に頼らない生き方とは






3ー1【時代の波を楽しく泳ぐ条件】


自分自身を「必要な存在」に維持すれば、変化の時代を楽しみながら生きていける








ここまでお読みいただき、誠にありがとうございました。

これで、全体の3分の1程度を、お読みいただきました。

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