メガネに水滴が垂れ、ボールがよく見えない──。
横浜市在住の眞野覺さん(72歳)はゴルフが一番の趣味だ。
40代まではスコアは90を切り、 60歳を過ぎて飛距離は落ちたが100を切る腕を誇る。
しかし、雨の日のゴルフだけは好きになれなかった。
雨が降るとメガネが邪魔で5打、6打と余計に打 ち込んでしまうからだ。
10年前のある日、テレビの特集番組で「レーシック」なる視力矯正手術があることを知った。
早速テレビに出演していた医師が在籍する、みなとみらいアイクリニック(旧南青山アイクリニック横浜)を受診した。
ここの料金は安値を売りにした他のクリニックの3倍。両目で約80万円もした。それでも信頼できる医師に執刀を頼みたいと考えた。
手術で1.5(手術前は0.2)の視力を得てからは、雨の日のラウンドが前ほど嫌いではなくなった。
この10余年、近視矯正の世界は大きな変化を遂げた。
それまで裸眼で十分に見えない人たちの選択肢はメガネかコンタクトレンズだった。そこに裸眼視力を矯正するレーシックが登場した。
レーシックの技術進歩と並行して、手術を行う医療機関が急増した。急速な普及はゆがみを生んだ。
レーシック手術数は激減している
2008年の約45万件をピークに、12年は約20万件と半減した。
減少要因は、若い層に安値で手術をしまくって需要を食い尽くした、08年のリーマンショックで目にカネをかけるマインドが冷え込んだ、など複数あるが、最大の要因はイメージの悪化にあるというのが業界関係者の共通認識だ。
日本の現状は、米国では安全な治療として認知されているのとは対照的だ。
視力矯正手術の第一人者である坪田一男・慶應義塾大学教授は「このままでは日本の視力矯正はガラパゴス化する」と危機感を募らせる。
負のイメージを生んだ原因の一つは09年に発覚した銀座眼科の感染症事件だ。
レーシックを受けた患者の約1割に当たる67人が感染性結膜炎などに 集団感染した。
原因は手術機器をろくに殺菌処理しない、ずさんな管理体制にあった。レーシックの安全性とは直接関係なかったが、社会問題化してイメージは 一気に悪化した。
業界関係者らは「商業主義の横行による信頼低下」も原因に挙げる。
06年ごろから美容クリニックが参入して手術数は一気に増加。顧客獲得競争が激化し、彼らは術後の視力を競い合うようになった。
その結果、視力2.0という遠くばかりが見える過矯正の人が増えた。過矯正をすると近くが見えにくくなり、ドライアイや頭痛の原因となる。術後フォローの不十分な医療機関がこうした患者をたらい回しにし、「レーシック難民」という不名誉な言葉が誕生した。
荒稼ぎする品川近視に 眼科医界の冷たい視線
美容クリニックグループであり、手術数トップを誇る品川近視クリニックは同業者らに「商業主義の権化」と揶揄される。
客を奪われたねたみはあろうが、確かに品川近視のやり口は「医療」ではなく「ビジネス」だ。
品川近視は現在、「アベリーノ角膜変性症DNA検査」をレーシック手術希望者に勧めている。
アベリーノ角膜変性症は角膜が混濁してしまう遺伝病で、レーシックを行うと病気の進行を促進する。
それを理由に原則全員に事前に検査を行い、検査料1万円を取る。レーシック手術を行えば検査は無料になるが、キャンセルすれば、1万円は戻らない。
結果的に、検査代が患者を逃がさないための手付金代わりになっている。
「そもそも必要のない検査」。眼科医の大半はそう指摘する。
「きちんとした眼科医であれば角膜を見ただけでほとんど判別ができる」からだ。品川近視は「陽性でも25~30%の人は症状が出ない。だから検査が必要だ」と反論する。
品川近視が提供するこの他のメニューにもいろいろな批判があるが、結局のところ、手術数最多の医療機関と眼科医界の医師たちが対立している異常な状態自体が、視力矯正の信頼を低下させている。
そもそも医学会の動きが遅きに失した。レーシック希望者たちが知りたいのは本当の危険性。しかし、日本には合併症発生率や失明率の正確な数字が存在しない。何しろ、国内手術数の過半を占める品川近視の協力なくして、正確な数字はつかめない。
日本白内屈折矯正手術学会は、ようやく国内での合併症を把握する大規模な調査を行うことを決定し、準備に入った。学会関係者は「合併症は少ないので、調査結果を公開すれば安心な手術だと理解してもらえる」と期待する。
冒頭に登場した眞野さんは、術後10年たった今も「トラブルは一切ない」という。
ただし、レーシック手術を受けてから5年後、異変はあった。朝起きると視界が白く、もやがかかっているようだった。レーシック手術によるトラブルではなく、右目が白内障になったのだ。
そこで手術で濁った水晶体を取り除き、眼内レンズを挿入した。レンズは1ヵ所に焦点が合う単焦点タイプ。公的保険が適用され、自己負担分は約5万 円だった。12年には左目も白内障に。今度は多焦点という遠近両用タイプを選択した。多焦点レンズを使う手術は保険適用外なので全額自費。ドイツ製高級レ ンズは40万円した。
眞野さんの視力は現在、両目で遠方1.5、近方0.6。建築設備工事会社の会長として現役で仕事を続けており、職場でパソコンを使うが、メガネは不要。休日のゴルフも裸眼で満喫している。
目のケアは10年以上の付き合いである荒井宏幸・みなとみらいアイクリニック主任執刀医に生涯頼むと決めている。
多焦点レンズの人気は高まっている。レーシックの手術数が激減している中で、レーシックを手がける医療機関の多くは高齢者向けの手術を強化している。それだけに多焦点レンズも、商業主義にさらされて失速しないか懸念されるところだ。
医者を選ぶのも 寿命のうちかも~ (^_^;)