三ノ輪・南千住散歩 







2013年5月4日(土)



























▼001▼地下鉄日比谷線で六本木から30分





▼002▼三ノ輪駅前





▼003▼16時すぎ 松屋で焼肉定食&ビール





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▼005▼いかにも下町の江戸っ子風のおっさん





▼006▼満腹 ビール2本飲んだ (^_^;)





▼007▼松屋のすぐ裏が浄閑寺 江戸時代の吉原遊女の投げ込み寺

1655年に創建され、吉原遊廓の誕生(1657年)よりも2年早い。寺のウェブサイトによると、同寺が投げ込み寺と呼ばれるようになったのは安政の大地震(1855年)で大量の遊女が死亡した際にこの寺に投げ込んで葬ったことによる。

「病気などで死んだ遊女は吉原遊廓の場合、浄閑寺に「〜売女」という戒名で文字通り投込まれた」という説もあるが、それを裏付ける資料は古文書には一切なく、「売女」の戒名は、「心中」「枕荒らし」「起請文乱発」「足抜け」「廓内での密通」「阿片喫引」など吉原の掟を破った者に限られていることが最近の研究で明らかになっている。

この場合素裸にされた上に荒菰(あらごも)に包まれ、寺に投げ込まれた。「人間として葬ると後に祟るので、犬や猫なみに扱って畜生道に落とす」という六道の考えによったとものとされている。

新吉原総霊塔 - 関東大震災や東京大空襲で死んだ遊女も祀られている。

「生まれては苦界、死しては浄閑寺」といわれた吉原遊女の哀しい生涯に感じた永井荷風。その文学碑や筆塚もある。





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▼012▼ビール飲んでて 5時を過ぎてしまった (T_T)





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▼014▼浄閑寺の前の道





▼015▼味のある字だな (^_^;)





▼016▼日比谷線が地上に出てくる地点





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▼018▼日比谷線の下をくぐる





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▼025▼日比谷線 右は南千住駅





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▼029▼このあたり13年前(2000年3月4日)にも散歩した

この道はもっと殺風景だったような気がするのだが・・・





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▼036▼13年前 まだ平屋の民家で雑然とした街だったが

その後の東京都主導の再開発で街並みが一変していた





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▼044▼日比谷線の車庫





▼045▼変わり続ける街 東京





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▼051▼隅田川を渡る常磐線・つくばエクスプレス・日比谷線の鉄橋





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▼055▼南千住駅前





▼056▼小塚原刑場

創建から廃止までの約200年間に、20万人以上の罪人が、ここで刑を執行された

年間の死刑1000人 えん罪も多かったのではないか






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▼063▼三ノ輪の浄閑寺の裏まで戻ってきた





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▼067▼都電の駅





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▼069▼三ノ輪の商店街





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歩くの大好き







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