鼠小僧(ねずみこぞう、寛政9年(1797年) - 天保3年8月19日(1832年9月13日))は、江戸時代後期(化政期)に大名屋敷を専門に荒らした窃盗犯。本名は次郎吉(じろきち)。鼠小僧次郎吉として知られる。
本業は鳶職であったといわれ、義賊の伝承で知られる。 最後は捕縛され、奉行の尋問に対し、十年間に荒らした屋敷95箇所、839回、盗んだ金三千両余り、と鼠小僧は供述した。 3ヵ月後の8月19日(9月13日)に市中引き回しの上での獄門の判決が下される。 この刑は本来なら凶悪犯(放火や殺人)に適用される刑であり、この判決は面子を潰された武家の恨みの産物という見方もできる。 なお、引き回しの際には牢屋敷のある伝馬町から日本橋、京橋のあたりまで有名人の鼠小僧を一目見ようと野次馬が大挙して押し寄せた。 市中引き回しは当時一種の見世物となっており、みずぼらしい外見だと見物人の反感を買いかねなかった為、特に有名な罪人であった鼠小僧には美しい着物を身に付けさせ、薄化粧をして口紅まで注していたという。 処刑は小塚原刑場にて行われた。享年36歳。 |
『甲子夜話』(かっしやわ)は、江戸時代後期に肥前国平戸藩第9代藩主の松浦清(号は静山)により書かれた随筆集。
書名の由来は、平戸藩主を退き隠居した後、この随筆が1821年12月11日(文政4年11月17日)の甲子の夜に書き起こされたものであることによる。その後静山が没する1841年(天保12年)まで20年間にわたり随時書き続けられ、正篇100巻、続篇100巻、第三篇78巻に及ぶ。 内容は、藩主時代の田沼意次政権や松平定信が主導した寛政の改革の時期に関すること、執筆期に起きているシーボルト事件や大塩平八郎の乱などについての記述を始め、社会風俗、他藩や旗本に関する逸話、人物評、海外事情、果ては魑魅魍魎に関することまでの広い範囲に及んでおり、文学作品としてのみならず江戸時代後期、田沼時代から化政文化期にかけての政治・経済・文化・風俗などを知る文献としても重視されている。 「鳴かないホトトギスを三人の天下人(織田信長・豊臣秀吉・徳川家康)がどうするのか」の詠み人知らずの有名な川柳も載せられている。 平凡社東洋文庫より、直筆原稿に基づき、正篇6巻、続篇8巻、三篇6巻の計全20巻が刊行されている。 |