’01年に第1号店を東京・築地場外市場に「すしざんまい 本店」をオープン。
現在では北海道から九州まで、51店舗を展開。
その多くが年中無休24時間営業で、本格的な寿司を手ごろな価格で楽しむことができるという、それまでの寿司屋の常識を覆したのが、株式会社喜代村の木村清社長だ。
日本の正月の新たな風物詩ともなった、「すしざんまいの社長」による、築地初セリでの、クロマグロの競り落し合戦。
14年には1億5540万円での落札となり、単なる「話題」を超え、喧々囂々の議論の種にさえなった。名物社長の、マグロと商売にかける思いとは。
最近はがってん寿司ばかりですが
すしざんまいは24時間営業なので
朝早く寿司が食べたい時には便利です (^_^;)
波瀾万丈!木村清氏の来歴
1952年:千葉県東葛飾郡関宿町木間ヶ瀬(現 野田市)に生まれる。
4歳のとき、父親が他界する。
1968年:中学校を卒業。
F104のパイロットをめざして航空自衛隊第4術科学校生徒隊に入隊するも、通信兵を養成するための学校だったことを知る。失望するも、厳しい訓練の毎日に耐える。
1970年:大検に合格したことで、航空操縦学生になる資格を取得。
1972年:中央大学法学部(通信制)入学。司法試験合格を目指し、通信教育で学ぶ。
1973年:事故で目を患い、パイロットを断念。同年、航空自衛隊退官。
1974年:中央大学入学後、2年で司法試験の択一式試験に合格するも、学費を捻出するため、百科事典の訪問販売など、数々のアルバイトに精を出す。
その 後、大洋漁業(現・マルハニチロ)の子会社で、冷凍食品などを扱う新洋商事に入社。3か月間のアルバイトの予定だったが、水産や食材に深い興味を持ち、正 社員に。
1979年:それまでの経験と知識を活かし独立、木村商店を創業。
お弁当・寿司ネタなどの開発・製造・販売、世界各国の海産物の輸入・販売ガリの製造から 本マグロの漁獲販売までを手がけるほか、カラオケボックスレンタルビデオ店、コンビニなども経営。
手がけた業種業態は90に及ぶ。同年、中央大学卒業。
1985年:株式会社喜代村を設立。
それまで多角化してきた事業を「水産食品」「弁当」「寿司」「商品開発」の4部門に絞って経営。
順調に事業を拡大する も、バブル崩壊でメインバンクの裏切に合い、止むなく、事業を縮小。
最後に手元に残っていた資金300万円で、築地に「喜よ寿司」を開業。
2001年:日本で初めての年中無休、24時間営業のすし店「すしざんまい本店」を開業。
またたく間に店舗数を増やす。
2006年:寿司職人の養成学校「喜代村塾」開校。
2013年:初競りで、大間産の本マグロを1億5540万円で落札し話題に。
アフリカ・ソマリア沖の海賊問題解決と、同海域でのマグロ漁場開拓のため、ソマリアの新政府に、民間による漁業支援を申し出る。
2014年:築地市場が豊洲に移転するのに合わせ、同地に新たな「場外観光拠点」として、応募した「千客万来施設」が採用される。
2015年:「千客万来施設」建設・運営の辞退を発表
35坪で年間10億を売り上げる驚異的な寿司屋
――市場といえば「朝」のイメージですが、今の築地場外市場は、平日の昼過ぎや週末でも人通りが絶えませんね。特に最近では外国人観光客の人数もぐんと増えた印象を受けます。
木村:そう。ものすごい人でしょ。でもほんの10数年前は、業務筋の買い出しが終わる昼前にはもう人通りが絶えていま した。まるでシャッター通りです。見かねた私の知人が、場外市場に人を集めてほしい、ちょうど空き店舗があるから何かやってもらえないかという話を持ち込 んできました。それが「すしざんまい」のきっかけだったんです。
「あんなところで今さら寿司屋をやっても」という人もいましたが、私には勝算がありまし た。
実際、35坪、40数席の店で、年間売り上げは10億円、1日の客回転率が23.5という、驚異的な店ができたわけです。うちの店を目当てに人が集ま るようになり、市場らしい賑わいも戻ってきました。気がつけば「築地で買い物をして寿司を食べる」というのが東京観光の定番コースになっていたというわけ です。
――勝算とは?
木村:築地といえばやっぱり、新鮮な魚でしょ。
場外市場にはいろんなものを売っていますが、一般の人が期待するのは やっぱり魚だし、寿司なんです。ところが、いざ足を運んでも、昼近くになればほとんどの店は閉まっていて、「なんだ、築地に行けばうまそうなものがあるか と思ったが、何もない」と思われてしまう。これじゃあ廃れても当然ですよね。
だから私は、年中無休24時間営業で寿司屋をやろうと思ったんです。いつ行っ ても、うまい寿司が手ごろな価格で食べられる。しかもそれが築地にあるとなれば、絶対にお客が集まってくるはずだと考えたわけです。築地の場外にどういう 店があったらお客が喜んでくれるかを考えて「すしざんまい」をつくったのです。
日本のマグロ漁と中国のマグロ漁は違う!
――最近、中国のマグロの漁獲量が増えています。「日本の食文化を守る」とおっしゃっている木村社長としては、「すしざんまい」を訪れた中国人がマグロの美味しさを知って、中国でのマグロ人気がさらに高まってしまうと、忸怩たる思いもあるのでは?
木村:その認識が間違っているんです。中国人がいくらマグロを好きになるといっても、毎日寿司を食べるわけじゃないで しょ。刺身としてマグロを食べる量なんて、たかが知れているんです。どんどん食べてもらえばいいじゃないですか。
問題なのは、生食用のマグロじゃないんで す。ツナ缶用のマグロなんです。彼らが獲っているマグロの9割はツナ缶用にまわされています。しかもそのマグロは、「幼魚」と言ってもいい、まだ小さいサ イズのマグロ。ツナ缶で油漬けにしてしまうなら、マグロの大きさなんか関係ないですからね。
だから、小さいマグロまでどんどん獲ってしまうんですよ。あと 3年泳がせておけば10倍の大きさに育つのに、それを待たずにどんどん獲ってしまう。そういうところをちゃんと見ないで、マグロ資源の保護だとか、漁獲量 の制限なんてことをやっていると、おかしなことになるんじゃないですか。
――確かにクロマグロは一時減少しましたが、ICCAT(大西洋まぐろ類保存国際委員会)の漁獲規制などで資源量が回復し、今では漁獲規制が緩和されていますね。
木村:そう。でも、だからといってまだ小さいマグロまで獲っていいのでしょうか。私たちは、クロマグロの備蓄システム を開発・確立し、15年掛けて、現在、北大西洋では一日で一年分の二万数千トン獲れるようにしました。漁獲規制で「とにかくクロマグロを獲るな」というだ けでは、何の解決にもならないと思います。
――まるで木村社長が日本の水産行政を担っているようです。
木村:好 きでやっているんじゃないですよ。水産資源のことをもっと皆が時間をかけてちゃんと勉強し、とことん議論を尽してないから、一部の狂信的な自然保護団体の 理不尽なクレームに右往左往してしまうのではないでしょうか。
彼らの言っていることが、本当の自然保護につながっているのでしょうか?
私はちゃんと調べ て、筋の通ったことを言っているつもりです。
だから私が言っていることも、彼らは納得してくれています。
インタビュー中の木村社長の話し方は、ひと言ひと言が力強く、圧倒的な説得力を持ち、熱い思いがヒシヒシと伝わってくる。
しかし、決して「乱暴」な話し 方ではない。
自分の言いたいことや思いが次から次へとあふれてくるのだ。
このパワーが、好調に出店を続ける「すしざんまい」の原動力となっているのだろ う。
「すしざんまい」が年間300件の海賊被害をゼロに
――「『すしざんまい』の社長が、アフリカのソマリアで、元海賊とマグロ漁をやっている……と話題になったことがありましたね。
木村:今でもやってますよ。ソマリアの沖というのは、キハダマグロのいい漁場なんです。ところが海賊が出るようにな り、危なくてマグロを獲りに行けなくなってしまったんです。
しかし、聞いてみると誰も海賊とは話していないという。おかしいじゃないですか。海賊といっ たって相手は人間なんですから。それでさっそく、伝手を頼ってソマリアの海賊たちに会いに行きました。そこでわかったことは、彼らだってなにも好き好んで 海賊をやっているわけじゃないということです。
だったらこの海で、マグロを獲ればいいじゃないか。自分で稼いだ金で家族を養うという、誇りを持った人生に しなくちゃいかん――と、彼らと話し合ったんです。
――ソマリアの人たちは、内戦で国を失い、無法地帯となった彼らの海が荒らされたため、海賊になったと主張しているそうですが、自力では対抗できなかったのでしょうか……?
木村:口で言うのは簡単ですが……、まず彼らは、マグロ漁の技術をもっていないし、船もありません。
マグロを獲っても それを入れておく冷凍倉庫が使えなくなっている。獲ったマグロは売らなければなりませんが、そのルートをもっていない。
IOTC(インド洋まぐろ類委員 会)に加盟していないから、輸出ができなかったんです。じゃあ、仕方がない。うちの船を4隻もっていった。漁の技術も教えましょう。
冷凍倉庫も使えるよう にする。ソマリア政府にはたらきかけてIOTCにも加盟する。獲ったマグロをうちが買えば、販売ルートも確保できる。こうやって一緒になってマグロ漁で生 活ができるようにしていったんです。
――「民間外交」の枠を超えた貢献ですね。なぜそこまで?
木村:い ろんな国や国際機関も援助をやっていますが、どれも上滑りのことばかりであまり役に立っていないことも少なくありません。
相手の視線に立って、相手の悩み に気がついてあげることが必要なんです。ソマリア沖じゃ一時は年間300件、海賊による被害があったそうですが、うちが行くようになって、この3年間の海 賊の被害はゼロだと聞いています。
よくやってくれたと、ジブチ政府から勲章までいただきました。
――そこまでして、事業として採算はとれるんですか。
木村:んー。まあ、正直言って今のところまだ採算はとれていませんね。
しかし、将来的にはきちんと利益が出る目論見は たっていますよ。それに商売というのは、目の前の利益、儲けのことを第一に考えていたんではうまくいかないものなんです。
まず考えなくてはならないのは、 どうやったら喜んでもらえるか、何を求められているかということ。それに応える算段をするのが「商売」なのではないですか。
世界に唯一で最高の市場を私たちがつくる
――儲けと言えば、築地市場の豊洲移転に関連して、大和ハウス工業と共同して大型商業施設の進出を計画されたものの、最終的に断念されました。会見で「私利私欲でやったことではない……」と涙を流されました。
木村:「築 地市場」という文化を守りたかったんですよ。考えてみてください。世界中どれだけ探したって、生で食べられる魚をこれだけ扱っている市場は築地だけです よ。そのことを私たちはもっと誇りに思うべきでしょう。
ご存じのように築地市場というのは、卸売市場である「場内」と、一般客向けの「場外」とで成り立っ ています。2016年の11月に「場内」は豊洲に移転し、「場外」は基本的には築地に残ることが決まっています。
それはそれでいいけれど、やっぱり「場 内」と「場外」がセットになった良さもあったほうがいいと、私は思うんです。豊洲移転を成功させ、東京、ひいては日本の魅力を国内外に発信していくために は豊洲に新たな「場外」を作ることが必要なんです。
ならば、かつて寂れかけていた築地場外に「すしざんまい」を初めて開店させたときと同じ気持ちで私が豊 洲に「場外」を作ろう、そう考えていたのです。
いろいろな問題があり結局実現させられませんでしたが、これからも「日本の食文化と市場は私たちが守る!」という気持ちに、今も変わりはありません。
築地市場移転問題とは
いわゆる「場内」である築地卸売市場は1935年に開設されたもので、施設の老朽化が進んでいる上、貨物列車による輸送を前提とした建物の配置が非効率 になっている。
一方、輸送の主力がトラックに変わったにもかかわらず、駐車場が狭小で、ピークの時間帯には市場近くの道路に入場待ちの車がずらりと並ぶほ どであった。
さらに施設の規模そのものが、世界最大の市場と言われる扱い量をさばくにはあまりにも手狭となっていたため江東区豊洲の、東京ガス工場の跡地 への移転計画が持ち上がった。
予定地の土壌が汚染されていることが判明したことなどで移転反対運動が起こったが、2012年に移転が正式に決定。2016年11月の新市場開所が決まった。
公設の市場である「場内」の移転が決まる一方で、一般の商店街と同じ扱いの「場外」の動向が注目されたが、これまで通り都心の飲食店関係者が日常的な買い 回りを続けられるよう、築地に残ることになった。
しかし、建物の老朽化が進んでいるのは場外も同じ。そのため、隣接地に新市場を建設し、場内の移転と時期 を合わせ「築地魚河岸」の名称でオープンする予定で整備が進められている。
なお、豊洲の新市場では、隣接地に「新たな場外市場」ともいうべき商業施設「千客万来」を、喜代村と大和ハウス工業が共同で設置すると発表されたが、その後、条件面での折り合いがつかず、計画は撤回された。
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すしざんまい社長は
ソマリア沖の海賊を壊滅させたのか?
すしざんまいの木村社長が、ソマリアの漁民にマグロ漁を指導し買い取ることで、海賊から漁民に戻したという趣旨の話が話題のようです。
ソマリア海賊被害は減少した?
先のまとめの元ネタは、すしざんまい社長のインタビュー記事のようです。
インタビュー記事中、木村社長はソマリアの漁民を支援する活動を紹介し、事業面以外の成果を以下の様に語っています。
木村:いろんな国や国際機関も援助をやっていますが、どれも上滑りのことばかりであまり役に立っていないことも少なくありません。相手の視線に立って、相 手の悩みに気がついてあげることが必要なんです。ソマリア沖じゃ一時は年間300件、海賊による被害があったそうですが、うちが行くようになって、この3 年間の海賊の被害はゼロだと聞いています。よくやってくれたと、ジブチ政府から勲章までいただきました。
記事では木村社長がいつごろから活動を始めたのか詳細は書いていませんが、「うちが行くようになって、この3年間の海賊の被害はゼロだと聞いています」と 述べていることから、3年ほど前からソマリアでの活動を始めたようです。では、ここで当該地域における海賊被害の推移を見てみましょう。
ソマリア沖・アデン湾における海賊等事案の発生状況(外務省資料より作成。2015年のみ7月までの数値) |
海賊被害のピークは2009年から2011年で、年間200件以上の襲撃がありました。しかし、2012年からは減少に転じ、2015年(ただし、7月 31日までの数値)は襲撃・被害共に0件です。行くようになってから海賊が減ったとは言いますが、2012年あたりに活動を始めたとすると、ちょうど海賊 被害が減少に転じてから事業を始めた事になり、ちょっと不整合を感じます。
ソマリア海賊と国際社会
そもそも、ソマリアの海賊問題に国際社会はどう対応していたのでしょうか。
2008年に国連で相次いでソマリアの海賊問題に関する決議が採択され、2009年頃から各国海軍の派遣活動が活発化します。アメリカ、NATO、EU、 ロシア、中国等、ほとんどの主要国が艦艇を派遣しています。日本も海賊対策として、2009年から自衛隊の護衛艦2隻を派遣して船舶の護衛活動を続けてお り、2011年には自衛隊初となる常設の海外拠点をジブチに設置し、航空機による監視活動も行っています。現在も約600名の自衛官、海上保安庁職員が現 地での活動に携わっています。
アデン湾でEU艦艇と訓練を行う海上自衛隊護衛艦(統合幕僚監部サイトより) |
各国海軍と海賊との間で戦闘が発生した事もありましたが、ほとんどの場合、海賊は軍艦や軍用機を見ると逃走します。海賊のボートと軍艦では戦力が違い過ぎ るので、戦いようがないのです。民間船舶の護衛が行われるようになり、多国籍部隊や各国部隊との協調が確立し、警備活動も軌道に乗ると、海賊の被害も減少 するようになります。
このような国際社会の警備活動もあり、ソマリア沖の海賊は減少に転じています。このような活動を考えれば、木村社長によって、ソマリア沖の海賊が壊滅したかと言われると、ちょっとそれは言い過ぎだと思います(そもそも壊滅させたのは自分だと木村社長は言っていません)。
国際社会と企業の両輪関係
しかし、かと言って木村社長の功績が毀損されるいかと言うと、これ自体は大変立派なものです。
紛争地域の紛争を終結させ、平和な状態へと再建する平和活動のプロセスに、武装解除・動員解除・社会復帰(DDR)と呼ばれるものがあります。これは武装 組織構成員の武装を解除し、教育や職を与えることで、復興の担い手として社会に貢献できるようにする活動です。継続的な平和を維持するためには、かつての 武装組織の構成員に、生活できる収入を得るための正業に就かせることが重要です。
元戦闘員に工具箱を手渡すDDR活動(在スーダン日本国大使館サイトより) |
国際社会主導の事業は、長期の営利事業として立ち行かないことがままあり、民間企業の役割も大きなものです。しかし、現実的に紛争地域かそれに準じる地域 で、事業を行おうとする企業は多くありません。経済が立ち行かないと、その国の平和も乱れ、また紛争に逆戻りするパターンも見られます。
国際社会の軍事的な海賊対処活動で、海賊行為が上手くいかなくなった海賊たちに、マグロ漁師としての道を与えた木村社長は、重要な活動をしていたと言えま す。しかし、海賊行為が莫大な利益をもたらしていた場合、そうやすやすと海賊が漁師になるでしょうか? そして、各国海軍の活動で海賊行為が出来なくなっ たとしても、海賊たちに他に職のアテが無ければ、海賊以外の犯罪で糊口をしのぐのは目に見えています。つまり、国際社会の海賊対処活動と木村社長の活動 は、海賊壊滅のための両輪だったと言えます。どちらが欠けていても、成し得なかったでしょう。
しかし、ソマリアの海賊は減少したとはいえ、終わった問題ではありません。ソマリアは依然として統一政権が無い状態で、政府の警察力による取り締まりは期 待出来ません。各国の海軍部隊が撤退したらまた海賊が出没するようになるでしょうし、漁民の生活が行き詰まったら、また海賊に戻るかもしれません。今後も 国際社会は、各国海軍による警備活動と共に、ソマリア国内の安定化を働きかける必要があるでしょう。