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港区郷土歴史館
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2019年3月
目黒駅〜港区郷土歴史館
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▼001▼目黒駅から歩いて来ると左側に、目黒のサンマ専門?の居酒屋あり

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▼003▼この辺は江戸時代、下屋敷街だったようですね

▼004▼郷土歴史館に着きました 東大医科研病院の隣です

▼005▼まず東大医科研の中を歩いてみます

▼006▼ここでゲノム解析とかやってるみたい 京大の方が勢いあるかな? (^_^;)

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▼008▼手前が19世紀の建物 奥が21世紀の建物

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▼010▼春ですね〜 (^_^;)

▼011▼文京区の東大の建物と良く似てます
設計者が同じですからね

▼011+▼文京区の東大法学部の校舎

▼011++▼文京区の東大図書館

▼012▼コリント式のような柱頭

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▼015▼近くで見ると古さは否めません

▼016▼独特の三角屋根の入口
階段の所々欠けていて 廃墟のような雰囲気
本当にここで研究しているの? ((((;゚д゚))))

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▼018▼卒業シーズンですからね 新しい博士が誕生です

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▼021▼19世紀と21世紀の間の道

▼022▼21世紀のビルにも19世紀の名残を取り入れてますね

▼023▼病院であると同時に大学キャンパスでもあるので、テニスコートもあります

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▼027▼医療機器の墓場?

▼028▼お隣の郷土歴史館

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▼035▼駐車場もあります

▼036▼ここからは 港区郷土歴史館です

▼037▼改元ブームを当て込んだ企画

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▼041▼鶴翼の陣のような形の建物

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▼049▼中央の吹き抜け

▼050▼このまま日米が仲良くやってたら良かったんだけどね (T_T)

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▼052▼港区の福祉関係の施設も入ってます

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▼054▼中学生の頃 初めてテープレコーダーを買うとき
リール式にしようかカセットにしようか迷いました (^_^;)

▼055▼港区はかなりデコボコしていて坂が多い
有栖川公園〜テレ朝通り〜六本木交差点〜外苑東通り〜乃木坂〜青山一丁目は
尾根伝いの稜線上の道です
麻布十番は谷底 (^_^;)

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▼058▼19世紀のトイレを期待したら21世紀だった

▼059▼このドアは19世紀ですね 色だけ21世紀

▼060▼もうすぐ、こんな号外が出ます

▼061▼バブル期の「マハラジャ」が 既に歴史的資料になってます (^_^;)

▼062▼このワープロ まだ使ってる人いるかも

▼063▼短いようで平成も既に30年

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▼065▼こんなものが歴史的保存物になってます

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▼067▼「たまごっち」 流行しましたね

▼068▼六本木の東京ミッドタウンの場所 戦前は陸軍歩兵第一聯隊があった
226事件のとき反乱軍はここを出て
六本木交差点を左に曲がって首相官邸方面へ向かった

▼069▼今はこんな感じ

▼070▼白く塗ってあるからいいけど
死体安置室だったかもしれない ((((;゚д゚))))

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▼072▼ここがかつての院長室 割と質素な感じ

▼073▼建築家・内田祥三氏が設計した建物は
文京区の東大キャンパスにも沢山残ってますね

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▼075▼桜は3〜5分咲きくらい

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▼077▼ひょっとしたら、あの731部隊とも関係があったかもしれません

▼078▼まだ水洗便所が珍しかった時代なんですね
公衆衛生院ですから、くみ取り式って訳にはいきませんよね (^_^;)

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▼080▼東京湾の歴史

▼081▼東京湾の漁場

▼082▼東京湾の研究者

▼083▼見学者の感想なんだけど ボケちゃった (T_T)

▼084▼バラスト水を通じて海外の魚介類が東京湾に入ってくる

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▼087▼縄文時代は暖かくて海面が高かった 地球温暖化でまたそうなるかも

▼088▼関東地方の奥まで海だった

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▼090▼江戸時代の大名屋敷

▼091▼雑魚場(ざこば)は魚河岸に出す魚より小さな魚の取引をした場所
たぶん安くて、庶民の食事だったのでしょう

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▼094▼右側は貝塚の断面

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▼096▼竪穴住居の一部が区切られています
床の間とか神棚のような神聖な空間だったのかな

▼097▼左側の薩摩下屋敷で幕末に勝海舟と西郷隆盛が会談をして
江戸無血開城が実現しました 魚臭かったかも (^_^;)

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▼099▼落語「芝浜」の舞台ですね

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▼103▼黒船が来るまで のどかだった東京湾

▼104▼魚河岸が築地に移ったのは大正時代で
江戸時代は日本橋にありました

▼105▼日本橋の魚河岸の様子
左上の海から上げてすぐに売る 冷蔵庫が無いからね (^_^;)

▼106▼金杉橋 現在はオフィスビルの街

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▼115▼世界的に見ても 四角い硬貨は珍しいかも

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▼119▼ここまで見てきて 魚のイメージが強くて 田んぼのイメージは薄いのに
なぜ「田町」とか「三田」とか 地名に田の字が入っているのだろう? (・_・?)

▼120▼ここ(田町周辺)だけ 石積みが無くて砂浜だった

▼121▼今は高速道路が上を通って、砂浜の痕跡は絶無
ただし高速の下は東京湾遊覧船の置き場になってます

▼122▼高速が通る前の金杉橋
この直後に高速が出来て東京オリンピック!

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▼124▼「江戸前」の海というのは割と狭いんですね 東京湾全体かと思ってました

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▼130▼高輪の風景
大名行列がすれ違ったりとか あったんでしょうね

▼131▼江戸時代の契約書

▼132▼麻布龍土町は西麻布交差点の近く

▼133▼右下が現在の広尾で その左上の「南部美濃守」の屋敷が現在の有栖川公園

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▼137▼それにしても詳細な史料が残っているものです

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▼139▼今でも港区はお寺だらけ

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▼141▼秀吉に攻められて滅びた北条氏の掟
家康が来るまで関東を支配してました

▼142▼当時の一向宗は、かなり過激派だった

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▼145▼この絵に比べると、現在の芝明神は小さくなってしまった

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▼149▼増上寺 プリンスホテルに土地を売ったりして今は狭くなった

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▼161▼江戸時代のネコのお墓

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▼165▼実際、勝海舟は何度もテロリストに殺されそうになった

▼166▼食えなくなった旧幕臣を何とかしてくれ〜と明治政府に頼んでいる文書

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▼168▼江戸時代でも能力ある人は出世した 足軽の子は足軽、とは限らなかった

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▼170▼100石程度の下級武士でも 屋敷は100坪以上!

▼171▼企業の給与制度を作る時は まずこんなグラフを作ります (^_^;)

▼172▼江戸時代の紳士録

▼173▼几帳面な字ですねぇ

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▼179▼講堂

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▼181▼このまま今でも大学の教室として使えそう

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▼185▼つい最近まで、ここで研究してたんですよね
右下でバレーボールしてますよ

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▼190▼教壇に立つと、こんな感じ

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▼192▼ここからおごそかに教授が登場?

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▼203▼妓楼で遊ぶ外人さん 踊ってますよ

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▼213▼見学に2時間以上かかりました
疲れたのでドトールでお茶 (^_^;)

以上で全部です 最後までご覧いただき ありがとうございました

歩くの大好き
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