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後楽園と岩崎邸を歩く
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2023年9月21日(木)
小石川後楽園 旧岩崎邸庭園
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▼001▼水道橋駅から歩いて5分くらい
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▼007▼門の外は馬券売場(水道橋駅前の黄色いビル)とか、かなり猥雑なエリア
▼008▼ここは旧水戸藩のお屋敷で、さすが御三家、かなり広いです
あの水戸黄門さま(水戸光圀公)が気合いを入れてつくった庭園です
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▼022▼「後楽園」というと岡山にもあるし、球場や遊園地と紛らわしいので
ふつうは「小石川後楽園」と呼ぶみたいです
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▼025▼ここは都心で、すぐ隣に馬券売場や球場、遊園地があるとは思えない静寂さ
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▼046▼水戸黄門風のカカシ
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▼056▼手すり無しでは怖くて登れそうもない急な階段
▼057▼東京ドームと後楽園ホテルが見える
▼058▼東京ドームの左には遊園地のジェットコースター
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▼071▼水戸光圀が助さん格さんと諸国漫遊をしたのはフィクション
実際の水戸光圀はかなりの学者で、「大日本史」を編纂した
水戸藩の学問(水戸学)は、幕末の尊皇攘夷思想のバックボーンとなった
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▼083▼中でお食事も出来ます
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▼099▼洋学が入ってくる前の江戸時代の学者は
漢文で書かれた支那(中国)の書物(漢籍)をたしなみ、支那にあこがれた
だが実際の江戸時代の支那は腐敗堕落していて
かつての隋や唐のような文明国の面影はなかった
明治維新のような改革も出来ず、英国との戦争(アヘン戦争)にも破れ
当時の欧米先進国の植民地になっていった
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▼105▼外へでたところ すぐ前の黄色いビルは競馬の馬券売場
▼106▼水道橋駅前の外堀(神田川)
▼107▼外堀(神田川)に沿って御茶の水駅の方へ歩く
▼108▼湯地天神の近くまで来ました
▼109▼周辺はラブホテル街など、かなり猥雑な街ですが、ここに岩崎邸があります
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▼112▼馬車が登れるように、ゆるやかな坂道になっている
▼113▼本館の右下にあるのが、撞球(ビリヤード)をするための建物
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▼117▼ビリヤードルーム
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▼119▼本館
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▼121▼三菱マークの変遷
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▼123▼三菱マークの元になった「三階菱」が描かれている
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▼125▼隣は国立近現代建築資料館
一般人も入れるけど、プロの建築家向けの図書館といった感じ
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▼138▼ビリヤード室まで地下道で移動できた
反政府テロリストなどに侵入されたときの逃げ道にもなりそう
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▼148▼三菱創業者の岩崎弥太郎の生家 土佐藩の貧しい下級武士だった
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▼153▼奥に見えるのがビリヤード室
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▼158▼戦前の岩崎家の人たち ゴッドファーザーを囲むファミリーといった感じ
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▼188▼昔はもっと広かった
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▼190▼洋館のベランダ
▼191▼西洋風の庭園
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▼194▼奥がビリヤード室
▼195▼隣に関東財務局の無骨なビル 国有財産の管理などをしている
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▼213▼洋館のすぐ隣が日本風の和館
当主や家族は主に和館で暮らし、洋館は来客用の迎賓館だった
やっぱりキンキラの洋館では、落ち着かなかったんだろうね
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▼217▼奥に洋館が見える
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▼221▼和館の大広間 ここで三菱家の家族がそろって食事をした
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▼225▼三菱マークの原型
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▼229▼三菱や小岩井農場の関連グッズを売るお店
▼230▼「小岩井」は、出資者3人の名前から1文字ずつ取っている 「岩」はもちろん岩崎家の岩
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▼235▼洋館に戻る
▼236▼洋館と和館のつなぎ目
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▼238▼ビリヤード場を見ましょう
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▼242▼豪華な山小屋、といった感じ
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▼246▼左から、関東財務局、和館、洋館
関東財務局のある土地も元々は岩崎邸だったが、相続税で物納されたらしい
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▼257▼岩崎邸庭園の目の前には、香港みたいな無骨なビル
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▼259▼都立庭園9件のうち、4件が岩崎家関係
江戸時代の大名屋敷の庭園の多くが、明治維新のあとバラバラ細切れになった
それを悲しんだ岩崎家が、一部の庭園を買い取って保存に努めた
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以上で全部です 最後までご覧いただき ありがとうございました
歩くの大好き
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