海道東征

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clm1709200005-p1新保祐司(しんぽゆうじ) 文芸批評家、都留文科大学教授
福岡県の柳川市を初めて訪ねた。詩人、北原白秋の故郷である。
北原白秋作詩・信時潔作曲の交声曲「海道東征」については、これまで度々書いてきたけれども、信時潔を論じることが多くて、作詩をした白秋のことはあまり触れてこなかった。
しかし、この名曲を深く味わうためには、やはり白秋という大詩人と白秋が作詩した8章に及ぶ大作について考えなくてはならない。
ということで、今回の柳川への旅になった。
 

 
mytown_02
EventImage_1490_image≪戦後の風潮で冷遇された大作≫
北原白秋は死のひと月前に「水郷柳河こそは、我が生れの里である。この水の柳河こそは、我が詩歌の母体である。この水の構図、この地相にして、はじめて我が体は生じ、我が風は成つた」と書いた。
川縁に白秋の歌碑がいくつもあった。
白秋の誕生日の1月25日には毎年、白秋生家裏の「帰去来」の詩碑苑で白秋生誕祭が行われている。白秋は、その「生れの里」で広く知られているのである。
白秋記念館は、白秋の生誕100年を記念して昭和60年に開館した。
そこを訪れるに際して気になっていることが一つあった。それは、白秋の詩「海道東征」の扱いである。
というのは、この白秋の最晩年の大作は、戦後の風潮の中では冷遇されてきたからである。
例えば、岩波文庫に『北原白秋詩集』は、上下2冊入っている。詩集が2冊も出ているのは、恐らく白秋くらいなもので、さすが大詩人の扱いである。
しかし、この2冊の文庫本に「海道東征」の詩は収録されていない。ここに、戦後の日本の精神史における極めて重要な問題がある。だから、白秋記念館でのこの詩の扱いが、心配だったのである。
yanagawa≪「海道東征」は封印されておらず≫
しかし、記念館の展示には、ちゃんと「海道東征」があった。
「海道東征」には、昭和16年に「福岡日日新聞」の文化賞が贈られたのだが、その記述とともに文化賞の盾も展示されていた。
白秋は授賞式に参列するために帰郷したが、その際に母校矢留小学校の講堂へ向かう白秋の写真も掲げられていた。
小学生の列に迎えられて歩いている白秋の写真だが、その写真の説明文に、「海道東征」が文化賞を受賞した際の帰郷のときのものであるということが書かれていた。
このように、郷里の白秋記念館においては「海道東征」が「封印」されていないことを知って、私はうれしかった。
展示室を歩きながら、白秋という詩人の道程について考えていた。
一言でいえば、叙情詩人から叙事詩人への道である。
私は、昭和18年刊行の「海道東征」の特製本を所有しているが、これに風巻景次郎による「海道東征註」という小冊子が付いている。
風巻といえば、岩波文庫にも入っている『中世の文学伝統』などでも知られる優れた国文学者である。その風巻が交声曲詩篇を「荘厳なる古典調叙事詩」と呼んでいる。
白秋は、ついに「叙事詩」を書いたのである。近代詩とはすなわち叙情詩に他ならない。
白秋も近代詩人として、叙情詩の名作を数多く残したが、最後に叙事詩の傑作を完成させたのである。北原白秋の真の偉大さはここにある。
≪「蒼古雄勁の調」を味わい覚醒を≫
風巻は「全体として蒼古雄勁(そうこゆうけい)の調、まことに長(たけ)高く、秀逸の体、建国創業賦の序曲としてふさはしい古典的芬香(ふんこう)にみちてゐる。北原白秋氏の詩業に於(おい)て本篇の基本となつてをるやうな格調の萌芽は既にはやく大正末年の彼方にあり、かの幽玄閑寂の『水墨集』の後を承け、一転して記紀歌謡の始原の態を偲(しの)ばしめる古典調となつて、後に『海豹と雲』に結集された諸作品の上に、くきやかに姿を現じてゐるのである。本篇はさうした古典調の鋳型を現代語感の上に次第にうち立てつつあつた白秋氏数十年の全努力の集成であつて、かるがるしく一朝一夕の思ひつきによつて成つたのではない」と評している。
白秋自身も「私はここに於て、これまでの全詩集を、この交声曲詩篇『海道東征』に総括し、我が大成を所期した」と書いているのであって、交声曲「海道東征」は、信時潔の音楽がすばらしいのはいうまでもないが、白秋の詩も「大成を所期した」叙事詩の傑作なのである。
交声曲「海道東征」が不滅の名曲である所以(ゆえん)である。
この「蒼古雄勁の調」の日本語を味わうことで、現代の日本人は改めて日本人であることに覚醒する。
日本という国が、祖国であることに思いを新たにするのである。
かつてシオランという思想家は「人は国に住むのではない、言葉に住むのである。祖国とは、この言葉以外のものではない」と言った。
現在の日本語は祖国としての言葉という感じが希薄だ。
交声曲「海道東征」の日本語で精神を洗うことが必要であろう。
この不滅の名曲の演奏会が、12月19日ミューザ川崎シンフォニーホールで開かれることとなった。
さらに来年の2月2日には、大阪のザ・シンフォニーホールで開催される。
願わくば、多くの日本人が言葉と音楽の裡(うち)に祖国を感じ取られんことを。
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戦前戦中の時代精神を感じます
 信時潔は 「うみゆかば」の作曲者  (^_^;)
 

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