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平和祈念展示資料館を観る
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▲シベリアの収容所生活
2024年1月12日(土)
新宿住友三角ビル33階 平和祈念展示資料館
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▼001▼新宿住友三角ビル33階の平和祈念展示資料館に着いた
▼002▼今年は昭和史をたどってみようかなと思っています
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▼005▼昭和史の中でも、満州事変1931年〜終戦1945年の14年間を重点的にたどりたい
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▼008▼悪名高い召集令状(赤紙)
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▼014▼こうゆう細かい計画や手続きは、実にしっかりしているんだけど
当時の国際政治の大局を見誤ってしまった大日本帝国
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▼018▼兵士たちには、捕虜になるくらいなら死ねと命じた東条英機
自分は敗戦時に腹も切らず、池袋の拘置所で、絞首刑で死んだ
優秀な部下を左遷して、自分の周りを無能なゴマスリで固めた男
こうゆう情に流れやすい人間は、平和時なら何とかなるが
戦時体制の統率者としては、敵より危険な存在になる
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▼029▼南方戦線の兵士たちは、マラリアに悩まされた
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▼114▼アウシュビッツのユダヤ人を連想させるような光景
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▼117▼人間が本当に飢えると、食べ物を見たとき、こうゆう目になるのだろう
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▼169▼「おそ松くん」の赤塚不二夫には、引き揚げ体験がある
▼169+▼「チビ太」は、空襲で親を失った孤児を描いているとの説もある
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▼173▼餓死した母親と遺児
この母親は食べ物をすべて子どもに与え、自分は餓死したのだろうか
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▼179▼当時の日本社会は未曾有の大混乱だったのに
こうゆう役所関係の手続きは実にしっかりしている
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▼181▼以上が常設展で、ここからは企画展
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▼196▼亡くなった夫と展覧会の写真で再会
まるでドラマのような話
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▼198▼住友三角ビルの中の空洞部分を上から見る
▼199▼外に出たところ
▼200▼新宿駅 小田急デパート解体中
▼201▼歩き疲れたので冷たいビール (^_^;)
▼202▼平和な時代に生まれて良かった
▼203▼スマホオーダーにも、やっと慣れてきました
以上で全部です 最後までご覧いただき ありがとうございました
歩くの大好き
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