コマツの安崎暁元社長(80)が、がんにかかったことを公表し、お世話になった人に「感謝の会」への参加を呼び掛けた新聞広告が反響を呼んでいる。
延命治療を受けないことも明らかにし、インターネット上では人生の最期を考える「終活」の一つの在り方と受け止められている。
感謝の会は12月11日にコマツ本社近くのANAインターコンチネンタルホテル東京で開く。
大橋巨泉の生前葬が有名ですが
それの一種でしょうかね
延命治療に対する姿勢は 大いに参考になります (^_^;)
その後、会長、相談役を歴任し、国家公安委員会委員も務めた。
引退後は講演活動などを行っていたが、今年の10月上旬にがんが見つかり、転移も多く手術はできないと診断されたという。
日本経済新聞の11月20日付朝刊に出した広告では「残された時間をクオリティー・オブ・ライフ(人生の質)優先にしたく、副作用の可能性のある治療は受けないことにしました」と明かし「(感謝の会に)ご参加いただき、お会いできたら最大の喜びです」と記した。
大企業の元トップが生前にこうした会を催すのは珍しい。
主催するのはコマツではなく安崎氏個人だという。
1937年に陸軍大学校学生安崎操(のちに陸軍中佐・第6方面軍参謀や、自衛隊陸将・東北方面総監を歴任)の長男として、徳島県吉野川市鴨島町で生まれ育つ[1]。1959年3月一橋大学社会学部卒業。中国経済史専攻。1961年3月一橋大学経済学部を卒業。理論経済学専攻[2]。大学時代は小笠原流の弓道部に所属[3]。
1961年4月小松製作所入社。同社では主に国際部門を担当し、海外事業展開を進めた[4]。貿易研修センター一期生[5]。また1982年には野村ビジネススクールにも参加し、同スクール同期のKDD元社長の西本正、元セコム会長の杉町寿孝、元三和総合研究所理事長の原田和明、元財務官の榊原英資、元三菱商事取締役の武部晃二、元日本貿易保険理事長の今野秀洋、元WOWOW会長の佐久間曻二とは、その後も「八人の会」として交流が続いた[6]。
1995年小松製作所社長に就任。土木建設などの不採算事業からの撤退を行う一方、エレクトロニクス事業を建機と並ぶ経営の柱に育成した。また建機不況の中、投資を続け、ITを用いた生産や在庫を最適化する基幹システムを構築し、その後の会社の発展の基盤を作った[7]。
1998年11月、藍綬褒章受章。2012年5月、旭日重光章受章。
趣味はゴルフや、妻とチェスをすること[8]。一男二女で横浜市在住[9]。
落語家。 1907年に行った。1909年に死去。
�2世曽呂利新左衛門
落語家。 1914年に行った。1923年に死去。
�小野田寛郎
大日本帝国陸軍第14方面軍の情報部付として、フィリピン防衛戦に派遣される。終戦後も復員せず行方不明になっていたため、厚生省引上援護局は戸籍法89条に基づいて1959年12月10日に「死亡日・昭和29年5月8日」として「死亡公報」を出し、翌11日に公示され、これに合わせて翌12月12日には小野田元少尉の故郷の和歌山県海南市にて親類の手により葬儀が行われた。しかし1974年、日本の冒険家鈴木紀夫が小野田との接触に成功、3月12日に小野田は日本に帰国する。生前葬を行う意図を親族に伝達する手段は行方不明当時の小野田にはなかったが、1959年の葬儀は結果的に生前葬となった(通常の生前葬とは違い、本人の意図に基づかずに式が執り行われ、また、自分の葬儀が行われていることを本人は知ることができなかった)。2014年死去。
�児玉誉士夫
右翼運動家。1960年に生前葬を行った。1984年死去。
�月亭可朝
落語家。1968年に芸名を桂小米朝から月亭可朝に襲名した際に花月のイベントで、3代目笑福亭仁鶴がお経を読みながら棺桶から出てくるという企画を行った。
�水の江瀧子
女優。1993年に生前葬を行い、以後芸能界を引退しメディアに露出せず隠居生活を送っていた。2009年死去。
�2世茂山千之丞
狂言師。還暦の時に生前葬を行った。2010年死去。
�養老孟司
解剖学者。2004年11月に山口県防府市の多々良学園講堂ホールにて行った。
�仰木彬
2004年野球殿堂のパーティーのスピーチで「今日のパーティーでございますが、これは私の生前葬だと思っております」と発言。2005年死去。
�ビートたけし
お笑いタレント、映画監督。2009年4月3日に、バラエティ番組『たけしのニッポンのミカタ!』(テレビ東京)の初回収録にて生前葬を行った(放送は同月10日)。「コントで葬式をやると番組が当たる」というジンクスを参考にしたため。立会人代表は、共演者である国分太一(TOKIO)。
�桑田佳祐(サザンオールスターズのボーカル兼リーダー)
ミュージシャン、シンガーソングライター。2009年4月20日放送のフジテレビ系『桑田佳祐の音楽寅さん ~MUSIC TIGER~(第2期)』の第1回の企画として、共演者のユースケ・サンタマリア曰く「『リニューアル』として一度桑田佳祐に死んでもらい、『新生桑田佳祐』として生まれ変わってもらおうという意図」のもとで『桑田佳祐追悼特別番組』というタイトルで生前葬を行った。司会として佐々木恭子アナウンサー、ゲストとしてユースケと岸谷五朗が出演。番組の最中に虎の着ぐるみを着た桑田が登場するが、着ぐるみが佐々木・ユースケ・岸谷に見えていないという体で番組が進むため、スケッチブックに「はすい(破水)してます(当時佐々木アナは妊娠中で、同年5月に出産予定だった)」と書いてカメラに出し、その後乳児(の人形)を足元から取り出してみたり、尻尾を股間に挟みそれを用いて自慰を意識される行動を取るなど、好き勝手な行動を連発した。
�テリー伊藤
2010年9月18日に、生前葬を実施したと発表。
�SMAP
2014年7月26日に、『FNS27時間テレビ』のオープニングの企画として「今までのSMAPから生まれ変わる為に」という名目で、メンバー全員の生前葬が行われた。2016年解散。
�小椋佳
2014年9月12日~15日に、生前葬コンサートを開催[3]。
�大橋巨泉
80歳の誕生パーティー「傘寿の会」での本人談[5]。2016年7月12日死去。
�アントニオ猪木
2017年10月21日に両国国技館で行われた、『INOKI ISM.2』の中で生前葬を行った[6]。
1. 生前葬 松稔ハッピーエンドパーティー
2. 【松竹梅】松稔 自分史 -生前葬-
3. 小椋佳、「生前葬コンサート」リハで「さらば青春」など披露|スポーツ報知2014年9月13日閲覧
4. 10・10AKIRA生前葬に蝶野、船木参加|東スポWeb2014年9月13日閲覧
5. 小倉キャスターが秘話 巨泉さんからお宝!大量ジャズLPレコード|スポーツ報知2016年7月22日閲覧
6. 猪木、生前葬で「千の風になって」を熱唱|スポーツ報知2017年10月21日閲覧