中村勘三郎の死因

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bsi1212050748008-p1東京・築地本願寺で12月27日、本葬が営まれる歌舞伎俳優、中村勘三郎さん(享年57)。
舞台復帰を願って食道がんの手術に踏み切ったものの、本人は「進行がん」であることを悟っていたことが後に伝えられた。
治療の選択は果たして正しかったのか。
勘三郎さんは今年7月、12時間に及ぶ食道がんの摘出手術を受けた。一時は病棟内を歩けるほど回復したという。
しかし、ウイルス感染による肺炎を発症し、さらに急性呼吸窮迫症候群や肺水腫を発症。人工肺などで闘病を続け、12月5日、急性呼吸窮迫症候群のため亡くなった。
同時期に食道がんで治療を受けた作家のなかにし礼さん(74)は、摘出手術が難しかったため、放射線治療の一種である陽子線治療で「がんが消えた」と告白している。
勘三郎さんについても、抗がん剤や放射線治療などの選択肢はなかったのか。

「『医療否定』は患者にとって幸せか」(祥伝社刊)の著書がある村田幸生医師が指摘する。
「勘三郎さんの病状はわかりませんが、手術のリスクや治療後の予後を知りつつご本人が手術を選択し、ご家族も応援していたのであれば間違った選択とは誰にも言えないと思います。手術を受けなければ舞台に立てたというのは、あくまでも推測にしか過ぎません」
食道がんの手術前、勘三郎さんはフジテレビのインタビューで、「笑ってられないの、本当は」と心の内を吐露。進行がんであることを悟ったような口調で、5年生存率が低くても「完治する可能性」を信じて、主治医に全幅の信頼を置いていた。
一方で、医学界の一部には「がんは切るな」「治療をするな」と過激な論調を唱える医師もいる。「手術をしなければ体力も温存され、来年春の歌舞伎座のこけら落としを見届けられたのでは?」と話す医療ジャーナリストもいる。
村田医師が続ける。
「一般的に1週間前に元気であっても、急激に病状が悪化するというのは、珍しいことではありません。手術を受けずに舞台に立つはずが、やはり体調不良で立 てなかったということもあり得るのです。治療の選択は非常に難しい問題ですが、結果論で他人がとやかく言うことではないでしょう」
勘三郎さんは、複数の大学病院から、納得がいくまで治療方針を聞いていたという。
「医学的な知識のない患者さんにとっては、非常に悩ましいと思います。ただし、治療を受ける、あるいは、受けないにしても、その後の状況を前向きにするに は、ご本人が納得して選択することが最も重要になります。そのために、セカンドオピニオンや各医療機関に設置されているがん支援相談室を活用してみてくだ さい」と村田医師はアドバイスする。
治療の選択は、自分が納得できるかどうかがカギを握る。家族と衝突することもあるが、自分の人生の活路は、自ら見出さなければならない。勘三郎さんの死は、それを教えてくれている。
 

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 あと1、2年は生きられた?
12月11日、東京・文京区の自宅で中村勘三郎さん(享年57)の告別式がしめやかに営まれた。密葬にもかかわらず、500人もの弔問客が参列し、早すぎる別れを惜しんだ。
2012年6月18日、初期の食道がんであることを明かし、治療のため長期休養することを発表した勘三郎さん。2010年末に特発性両側性感音難 聴を患い、2011年7月に復帰したばかりだった勘三郎さんにとっては、一難去ってまた一難、思いも寄らぬことだったろう。すでに“死”も覚悟していたよ うだ。
死後、放送された彼の闘病を追ったドキュメント番組『さようなら勘三郎さん 独占密着 最期の日々』(フジテレビ系)で、勘三郎さんの最後のインタビューが公開された。それはかなり切迫したものだった。
「初期なのにさ、1個飛んでるんだよ。転移ももうあるの。進行がんなんだよ。初期なんだよ? こんなこと珍しいんだって。そうすると生存率はぐっと下がって、30%とか12%とかなんだよ。だから笑っていられない状態なの、本当はね…」
食道がん治療に詳しいおんが病院統括院長・杉町圭蔵氏は、勘三郎さんのこの発言を、こう解説する。
「勘 三郎さんの言う“1個飛んでる”というのは、1個だけリンパ節にがん細胞が転移しているということです。それはもう“早期発見”とは言えませ ん。ですから勘三郎さんのがんは“進行食道がん”だったんです。1個でも転移していれば、そのがん細胞はリンパ節を通って体中を流れているわけですから、 他のところに転移している可能性も高い。ですから5年生存率も、3割ぐらいになってしまうでしょうね」
リンパ節への転移が見つかったため、抗がん剤でがん細胞を小さくしてからの大がかりな手術が必要となった勘三郎さん。このとき、勘三郎さんの脳裏によぎったのは、今後の役者人生のことだったと前出の番組で明かしている。
「(手術をすると)声が出なくなるという可能性もなくはないの。手術しないで放射線でやるやり方もあるんだけど、そうすると再発も多いっていうし。だから声が出なくなってもいいから、62、3まで生きて、この感じを保つ方がいいのかっていろいろ考えるよね」
手術か、放射線か──命とともに、役者生命を支える声とひきかえに下さなければならない決断。前出の杉町氏は専門的な立場からこう話す。
「あくまでも仮定の話ですが、手術をせずに放射線で治療して、それから化学療法を行っていたら、少なくともあと1、2年は生きられたと思いますよ」
 

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 12時間の大手術後に2度の転院
享年57、十八代目中村勘三郎(本名・波野哲明)はあまりにも早すぎる死を迎えた。
リビングに横たえられた故人のもとには、歌舞伎界の面々はもちろん、劇作家の野田秀樹、大竹しのぶ、笑福亭鶴瓶、海部元首相など各界の著名人が続々と弔問に訪れた。
食道がんの摘出手術から4カ月あまり。死因は急性呼吸窮迫症候群(ARDS)というが、いったい、何があったのか。
「最初に入院した病院で食道がんの手術をしたが、思ったよりも状態が悪かった。がんはすべて切除したし、術後2日目にはICU(集中治療室)の中を歩いている。でも、12時間に及ぶ手術は体への負担が大き過ぎ、肺水腫を併発してしまったのです」(歌舞伎関係者)
術後に病院を2度かえ、日本医科大付属病院での闘病生活が最期となった。
「転 院を繰り返したのは、勘三郎が“がんは切除したのにどうして治らないんだ”と怒り出したからだそうです。
手術をすればすぐに舞台復帰できると思っていた。 もともと気が短い性格。周囲は歌舞伎界の“宝”の希望を受け入れ、もっといい医者を、もっといい病院を、と探し回ったと聞きました」(前出の歌舞伎関係者)
もっとも、大手術の後にARDSを患うケースは珍しくないという。
「吉祥寺セントラルクリニック」の矢端正克院長が言う。
「食 道がんの治療は病期によってさまざま。がんが粘膜内にとどまる早期がんの場合は、内視鏡治療が可能です。進行具合によって開胸手術を余儀なくされるケース もある。胸にメスを入れるとなれば、体への負担は重く、術後も免疫力が低下した状態なので、合併症を引き起こしやすくなります。
ARDSは簡単にいえば、 重篤な急性呼吸不全。
発症の原因はいくつかありますが、勘三郎さんのように肺炎をこじらせ、肺水腫を併発し、それよりさらに悪化し発症するのは、特異な ケースではありません」
それにしても、術後4カ月とは早すぎる。
「ICUに入った患者の15%、人工呼吸器を装着した20%の患者がARDSを発症します。その4割が死亡する。十分な酸素が体中の臓器に行き届かない危険な状況になるため、一刻も早い治療開始が求められます。一分一秒でも遅れれば、あっという間です」(矢端院長)
もともと食道がんは進行速度の速いがんとして知られる。それを患った時点で、この日の結末は半ば決まっていたのかもしれない。
 

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ARDS=急性呼吸窮迫(きゅうはく)症候群とは?
来春こけら落としする歌舞伎座の舞台を踏むことなく57歳で旅立った歌舞伎役者、中村勘三郎さん。
今年7月には食道がんの大手術を乗り越え、約4カ月に わたる壮絶な入院生活を送った。命を奪った急性呼吸窮迫(きゅうはく)症候群(ARDS)は現代医療でも退治できない“大悪党”だった。
最後の舞台となった7月の「信州・まつもと大歌舞伎 天日坊」を演出した串田和美氏は、「お見舞いに行った時は、もう話ができない状態でした。今まで何度 も奇跡を起こしてきた人だから、また奇跡が起きると信じる気持ちと覚悟する気持ちとの間で揺れ動いていました」とコメントした。
7月27日に12時間に及ぶ食道がんの大手術を乗り越え、一度は病院内を歩けるほどに回復。再発予防のため抗がん剤治療を受けていたが、11月に肺炎を発症し、急速に呼吸不全に陥った。
専門の治療を受けるために、二度も病院を転院しているが、家族は「考え得る最高の治療をしていただきました」としている。
この急激な悪化こそARDSの特徴だ。
杏林大学医学部付属病院呼吸器・甲状腺外科の呉屋朝幸教授が説明する。
「原因はいろいろあるが、ARDSでは肺の酸素交換ができなくなり、人工呼吸器の補助があっても呼吸ができない状態になります。最終的には全部の肺機能が 破壊され悪くなるときには1日でも急速に悪化します。ご本人も医療従事者も、どうしてこんなに急激に悪くなるのか理解できないほど症状が進行することがあ るのです」
勘三郎さんは、最終的に日本医科大学付属病院で治療を受けていた。
経験豊富な医師も、肺の状態が悪化しそうになるのは予測可能だが、ARDSの治療そのものは難しいという。
関係者によると、勘三郎さんの病室には人工呼吸器と人工肺が設置され、さまざまな管が体を貫いていた。
人工呼吸器は、気管にチューブを入れて、機械から酸素を肺に送り込みます。病院ではどこでも使用されている方法です。しかし、人工肺は、人工心肺装置の ように、体外に血液を取り出して酸素をつけて体内に戻し、肺を全く使うことはありません。極めて特殊な場合に使用され、一時的に肺の機能の負担を軽減する か、あるいは、肺の機能がすでに低下した場合が想定されます」(呉屋教授)
ARDSには治療薬があるにはあるが、急激に悪化する症状を食い止めることは容易ではない。
ARDSの引き金となったのは、食道がんとみられている。
「一般的にARDS発症の基盤になるのは肺炎で、食道がんの場合は放射線治療や抗がん剤治療の後です。炎症などで肺の酸素交換機能が低下し、結果として症状が悪化してしまう。まるで、肺の中で大規模破壊が起こるように、食い止めることは難しい」と呉屋教授はいう。
勘三郎さんは当初、息子の勘九郎(31)と七之助(29)が出演する京都・南座公演に駆けつけることを励みとし、それが無理なら来年2月の博多座公演へ、と思いをつないできた。
好江夫人がマスコミを通じて明かした経過報告には「来年4月の歌舞伎座柿(こけら)落としに出演することを、心の拠り所とし、癌晴って参りました」と綴られていた。
「癌」が「晴れる」日を願って、正面から立ち向かい力尽きた。
 

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なかにし礼の受けた陽子線治療
食道がんで今年3月から休養していた作詞家で直木賞作家のなかにし礼さん(74)が、手術を受けずにがんを克服して話題を呼んでいる。
放射線治療のひと つである先進医療の陽子線治療を受けてがんが消滅したという。
10月には現場復帰できるほどに回復。
決め手となった陽子線治療とは何か。最前線の専門医に 話を聞いた。
なかにしさんの食道がんは、「初期から進行した状態」だったという。基本的には手術が適用となる症状だが、27歳と54歳で心筋梗塞を患ったなかにしさんは手術に不安を抱えていた。
今年7月に刊行した著書『人生の教科書』(ワニブックス)で〈現在の日本における“切らずに治すがん治療”の全知全能にかけてみようと決心した〉と告白。
陽子線治療を受けることを決意したという。
治療は成功。10月1日には、コメンテーターを務めるテレビ朝日系「ワイド!スクランブル」に復帰。
陽子線は放射線の一種だが、普通の放射線治療とどう違うのか。筑波大学陽子線医学利用研究センターの櫻井英幸センター長が説明する。
「通常のX腺の放射線は、身体を通り抜ける性質を持つが、陽子線は決められた場所にピタリと止まることができるため、がんをくり抜くように治療ができる。 つまり、1カ所に固まっているがんに有効なのです。広い範囲や全身にがんが散らばっているような状態は、陽子線治療の有効性を発揮できません」
固まったがんであれば、たとえば15センチ程度にまで大きくなった肝がんも治療が可能だそうだ。
同センターで陽子線の対象となっている病気は、肝がん、前立腺がん、肺がん、食道がん、頭頸部がん、脳腫瘍など多様。
ただし、胃がんは対象外。胃は不規則な動きをするため放射線で狙いづらく、胃の粘膜を傷つけてしまうそうだ。
大腸がんはケース・バイ・ケース。いずれにしても、1カ所に留まっているがんが対象だ。
「体力の問題や何かしらの問題で手術ができない場合などに、ひとつの選択肢として、陽子線治療を検討されてはいかがでしょうか。陽子線治療は『痛くもかゆ くもない治療』といわれています。お仕事をしながら治療をされている方も、多数いらっしゃいます」と櫻井センター長はいう。
ちなみに、1回の照射時間は3~5分程度。位置の確認などを含めて15~40分程度。月曜から金曜日まで週5回連日行われる。
病態によって10回で済む人もいれば、30回の人も。なお、治療中に皮膚が日焼けをしたようになる副作用がある。
陽子線治療は先進医療と認められているが、保険適用ではない
陽子線の技術料は自己負担で約240万~280万円(施設によって異なる)。民間の保険商品の中には、「先進医療特約」でカバーできるものもある。
治療が受けられる施設は限られていて、全国で7施設しか導入されていないのが現状だ。
関東では、筑波大学陽子線医学利用研究センターと国立がん研究センター東病院、関西では兵庫県立粒子線医療センター、福井県立病院陽子線がん治療センター。ほかに北海道、静岡、鹿児島に1カ所ずつ。
「施設によって治療内容や治療方法、対象となる病気が異なることがあります。筑波大学では、個別に患者さんを診察して、陽子線治療の有効性が考えられる場合には、治療をさせていただいています」(櫻井センター長)
最新がん治療の有効な選択肢のひとつが、なかにしさんの回復で、ますます注目されそうだ。
 
以上は、公式発表(表)といったところですが
ネットでは死因に諸説(裏)入り乱れて
ミステリーの様相を呈している (;´Д`)

訃報 中村勘三郎

 

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