銀幕の銀座~映画でよみがえる昭和

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3月末で閉館
映画館「銀座シネパトス」 

45年の歴史を持ち、銀座唯一の名画座として映画ファンに親しまれてきた映画館「銀座シネパトス」の3月末での閉館が、刻々と近づいている。
閉館は、劇場がある三原橋地下街の耐震性の問題で昨年夏に取り壊しが決まり、東京都から立ち退き命令があったためだ。
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同映画館は、1967年(昭和42年)から翌年、「銀座地球座」「銀座名画座」としてオープン。
2009年からは3スクリーンのうちの1スクリーンを邦画専門の名画座としていて、特集上映のラインナップの自由さに私は魅惑されていた。
そのことは、2010年4月23日付けの小欄に書いた。
名画座番組のプログラム・ディレクターをやっていたのが、映画評論家の樋口尚文さんで、2月4日付けの日経新聞朝刊に「さらば名画座」という一文を寄せている。
彼は記す。「昭和の経済と文化の発展を支えた原動力は好きな道でとことん無茶をやるという、コンプライアンスに束縛されぬ自由な精神の賜物(たまもの)だった」と。
銀座を舞台にした昭和期の映画29作品を上映
そうした昭和の時代の自由さを体感し、しかも当時の銀座の風景を楽しめる企画が、2月2日から同館で始まっている。
銀座を舞台にした昭和期の映画29作品を一堂に集めた「銀幕の銀座~映画でよみがえる昭和」である。
最後の名画座特集で、3月31日まで続く。
上映スケジュール(PDF)は ここをクリック
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戦前から戦後の高度成長期まで、夜のクラブや新聞社、画廊など、昭和の銀座を特徴づける舞台の多くを現場ロケで見ることができるのだ。
「銀幕の銀座」(中公新書)の著作がある評論家の川本三郎さんが、解説を担当している。
四方を川が流れ、新聞社の本社が建ち並ぶ。
日劇ダンシングチームが踊り、空には森永製菓の地球儀ネオンが輝いていた。
かつて「水の都」という言葉がぴったりだった懐かしい銀座をしのびながら、川本さんは川の風景にこだわって映画を選んだという。
「君の名は」(三部作、1953年~54年)は、空襲下、埋め立て前の外堀川にかかっていた数寄屋橋で男女が会うシーンがあまりにも有名だ。
東京オリンピックを前に高速道路の建設があわただしく進む中、汐留川の川縁に西洋の古城のような映画館「全線座」が確認できるのは、「セクシー地帯」(61年)。
洋画の名画座で、78年に閉館。現在は銀座国際ホテルになっている。
私は大学時代に何度か出かけたことがある。
私が特に注目しているのは、昭和初期の作品だ。
今回のラインナップにはないが、以前「東京ラプソディ」(1936年)のビデオを見る機会があった。
この映画は、公開当時、「50銭で東京見物ができます」と宣伝のキャッチフレーズが付けられていたそうで、銀座の水の風景、特に、今は埋め立てられ、上を高速道路が走っている外堀川の雰囲気がよくわかり、興味深かった。
同名の古賀メロディーが藤山一郎の歌でヒットし、すぐに作られた映画。
関東大震災後に急速に復興した、大正末から昭和初期にかけてのモダン都市、銀座の街の建物がいくつもとらえられていた。
たとえば、主演の藤山一郎が、幼なじみで今は芸者となった女性と再会する場所は、資生堂パーラー。
2階まで吹き抜けになっていて、2階にはオーケストラボックスがあり、生演奏が聴けた。
「東京ラプソディ」と同時期に作られたのが、「花籠の歌」と「女人哀愁」で、この2作品は、3月3日から7日に上映される予定だ。
「花籠の歌」の主演で、銀座のとんかつ屋の娘を演じるのは田中絹代、その娘に恋をする銀座好きの学生は佐野周二。
川が流れ、橋の上を市電が走る。
川は、戦後に銀座の川で最初に埋め立てられた三十間堀川、橋は銀座シネパトスがある三原橋。
関東大震災後に銀座に進出したデパート群も俯瞰できて、貴重な資料映像にもなっていることを、川本さんの本で教えられた
ああ、どれも見逃せない!
映画を見た帰りには、地下街で現在も営業中の「食事処・三原」に寄って、かつカレーかあじフライ定食を食べることにしようか。
出典 http://www.yomiuri.co.jp/otona/pleasure/ginza/20130208-OYT8T00642.htm
 
我々より少し(かなり?)年上のオジサン(オジイサン?)には
たまらない世界 みたいですねー
「耐震性の問題で取り壊しが決まり、立ち退き命令があった」
ことを覚悟してお楽しみください!  (^_^;)
 

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