久しぶりに「刑事コロンボ」を観る
▲刑事コロンボ「忘れられたスター」
コロンボ警部と元スター女優グレース(ジャネット・リー)
私は小説でも映画でも、ミステリーが大好きだ
特に「刑事コロンボ」シリーズは大のお気に入りで、いま私のPCのハードディスクには、以前に観たコロンボ映画が数十本も眠っている
眠ったままではもったいないので、時々また観る
昨日は「構想の死角」、今日は「忘れられたスター」を観た
昨日の「構想の死角」も悪くなかったけど、今日観た「忘れられたスター」が非常に素晴らしく、刑事コロンボシリーズの中では「別れのワイン」と並ぶ最高傑作ではないかと思う
ミステリーのトリックというものは、時間がたつと細かいところを忘れてしまうようで、2回目や3回目でもけっこう楽しめるし、以前には気付かなかった「細部の意味」に気付いて感動することも多い(神は細部に宿る)
元スター女優グレース(ジャネット・リー)は、今では社会から忘れられた存在になっていて、夫ヘンリー(引退した医者)と共に豪邸に住み、執事とメイドにかしづかれながらひっそりと生活している
その彼女にミュージカル再デビューの機会が訪れ、彼女は舞い上がるが、製作費用を出資する者がいないので、彼女は自分が製作費用を出すと宣言してしまう
だが夫は反対し、ミュージカルの制作費用を出さないと言う
この機会を逃したくない彼女は、自殺を偽装して夫を殺してしまう
そして我らがコロンボ警部の登場という、いつもの流れになっていく
誰だって歳をとって見た目や能力が衰えていくことはつらいものだが、男性よりも女性の方が他人から見られることに敏感だし、老化の感じ方がキツそうだ
特に美人の女性は、若い頃に比べて老化による落差が大きいだけに、よりつらく感じるのではないか
日本人などアジア系に比べ、白人女性は驚くほど早く老ける
若いころ輝くような美人だった白人女性(女優とか)には、老いてから心理的にかなりキツイものがあるのではないかと想像する
▲森高千里と▼ブルックシールズ、どちらも20代と50代の比較
この辺の「忘れられたスター」の悩みとあせりを、名女優ジャネット・リーが見事に好演している
ジャネット・リーは、かつて映画監督ヒッチコック(→)の代表先「サイコ」で、シャワーを浴びながら殺される若い女の役をやっている
▲映画監督ヒッチコックの代表先「サイコ」で
シャワーを浴びながら殺される若い女(ジャネット・リー)
▲自宅の映写室で、自分が若いころ出演した映画を鑑賞する
忘れられた元スター女優グレース(ジャネット・リー)
元スター女優グレースは毎日23時くらいになると、自宅の映写室で自分が若いころ出演した映画を鑑賞するのを習慣にしている
これがこの作品のトリックにも深く関わってくるのだが、この作品「忘れられたスター」を初めて観たとき、
自宅に映写室があって、毎日好きな映画を大画面で観る生活
に当時の私は感動して憧れた
やがてVTRが個人でも買えるようになったので、私はテレビで放映される映画をせっせと録画して、「刑事コロンボ」シリーズなど、自宅に映画ライブラリーを作っていった
好きなときに自宅の映写室で好きな映画を大画面で鑑賞できるという、かつての私が憧れた生活
それが今では、ネットフリックスとかがあり、大画面テレビも安くなったので、誰でも簡単に実現できる「ごく普通の生活」になってしまった
いま私たちは、いろいろな不満や悩みをかかえて生きているが、わずか数十年前には王侯貴族だけに許されたような、非常にぜいたくな毎日を送っているのも事実だ
「刑事コロンボ」シリーズでは、上流階級の人間が犯人という場合が多く、庶民の憧れの的である上流の生活を垣間見せて、庶民の「上流のぞき願望」を満足させている
その一方で、その上流階級の人間の殺人がバレて転落していくのを眺める「庶民の爽快感」も追求している
階級社会アメリカで「刑事コロンボ」シリーズが大ヒットしたのは、そんな米国庶民の欲求に忠実に応えた結果なのだろう
(^_^;)