木曜日, 29 of 9月 of 2022

Category » 戦国時代

「悪魔の詩」著者 襲われる

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▲小説「悪魔の詩」の著者、サルマン・ラシュディ氏(75)

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安倍ちゃん殺害に続き、宗教がらみの凶悪犯罪です

日本人は平和ボケに似た宗教ボケで、宗教の危険性への警戒感が薄いように思います

そこに付け込んだオウム真理教や統一教会などの凶悪カルト宗教は、凶悪犯罪の温床になりました

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戦国時代にスペインやポルトガルの宣教師によって日本に入り込んだキリスト教も、うまいこと言って信長には付け入ったものの、その裏の目的が日本侵略の先兵だったことが、秀吉の慧眼によって見破られました

当時の日本国内におけるキリスト教徒の増え方はすさまじいもので、もし秀吉がキリスト教の布教を放置していたら、日本国内は恐ろしい内乱(宗教戦争)になっていたかもしれません

秀吉や徳川幕府による弾圧が厳しかったので、当時のキリスト教徒(キリシタン)は被害者という目で見られがちですが、実は非常に過激で危険な集団でした

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同時代に過激化した一向宗(浄土真宗)に手を焼いた経験のある家康は、アメ(保護)とムチ(弾圧)を使い分けた巧みな宗教政策をとって、日本国内での伝統仏教の牙を抜いて無害化しました

そのせいで日本の仏教は、宗教として見ればトコトン堕落して、ほとんどは葬儀屋に過ぎない葬式仏教になりましたが、危険性はほぼなくなりました

しかし、海外の一神教(イスラム教やユダヤ教、キリスト教など)や、新しく誕生したカルト宗教は、今でも恐ろしい牙を内に秘めています

宗教というものは、自分だけの心の平安のために静かに信仰している限りでは誠にけっこうなものですが、ひとたび他人に信仰を強要したり、他宗教や異端者を攻撃するようになると、これほど危険で残酷なものはありません

 ((((;゚д゚))))

 

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インド出身の英作家サルマン・ラシュディ氏(75)が8/12、講演で訪れていた米ニューヨーク州ショトーカで刃物を持った男に襲われ、首や胸を刺されたとニューヨーク州警察が発表した。

1988年出版の、ラシュディ氏の小説「悪魔の詩」が

  「イスラム教の預言者ムハンマドを冒涜した」

として、イラン革命の指導者ホメイニから「死刑」を宣告されていた。

ラシュディ氏は、人工呼吸器を付けた状態で、片方の目を失明する可能性があり、腕や肝臓にも傷を負っている。

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ラシュディ氏は、教育施設の壇上で、駆け上がってきた男に襲撃された。

ニューヨーク州警察は8/12夕、犯人がニュージャージー州に住むハディ・マタール(24)と明らかにした。

「悪魔の詩」を巡っては、日本語翻訳を担当した筑波大学の五十嵐一助教授(当時44、→)が、1991年に何者かに殺害され、犯人が特定されないまま2006年に時効となった。

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略奪を合法化したロシア軍

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▲戦国時代の「乱取り」のイメージ

 

日本の戦国時代の戦場では、武器や食料は、兵士の自腹(自己負担)が原則でした

そこで兵士への褒美の一種として「乱取り」(らんどり)が許される場合も多かった

乱取り(乱妨取り、乱暴狼藉)では、戦場になった場所の百姓などに対して、

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私有物の没収、放火、強姦、殺人

捕らえた百姓を奴隷として売り飛ばす

こともあった

当然、百姓からは鬼のように恐れられ、悪魔のように憎まれたので、負け戦になって落ち武者になると、団結した百姓から復讐され、なぶり殺しにされることもあった

豊臣秀吉に負けて落ち武者になり、自分の城に向かっていた明智光秀は、逃げる途中で百姓に殺されたとも言われています

戦国時代でも規律の取れた軍団は、兵士への報酬制度や「乱取り」を禁止する規則(↓)を整備して、占領後の領地が混乱疲弊するのを防ごうとしました

今回のロシア軍による「自給自足」「略奪合法化」指令は、戦国時代以下の野蛮な行為と言えます

「政府のレベルは、国民の民度に比例する」と言われてますから、現在のロシアの民度は、日本の戦国時代より低いのでしょうか?

 ((((;゚д゚))))

 

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▲永禄11(1568)年9月に織田信長が発行した禁制

配下の家臣に向けて、東寺境内での乱取りを禁止した

 

ロシア軍司令部は、ウクライナを攻撃したロシア兵に「自給自足」への移行を指示し、現地での略奪を合法化した。

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ウクライナ政府は

「占領ロシア軍は略奪を合法化しています。攻撃に失敗したため、占領者は戦術を変更せざるを得なくなりました。重大な兵站(へいたん)上の問題で、最前線に燃料、食料、装備を適切に提供することが出来ていません」

「プーチン軍は、物資が適切に供給されず、自給自足するように、つまり地元ウクライナ住民から略奪するように指示されている」

と説明している。

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独裁の先輩

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▲ルカシェンコとプーチン

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ベラルーシのルカシェンコ政権は、ロシアの傀儡(かいらい)政権と見られていますが、独裁歴26年のルカシェンコにすれば、「オレの方が独裁の先輩だ!」という気分かもしれません

今回のウクライナ危機でも、ロシアの先兵になることを拒否し、距離を置いて高みの見物をしています

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関ケ原の合戦における小早川秀秋(→)を思い出しますね

裏切りを促すために家康は小早川軍に銃を撃ちかけ、家康の怒りを感じた小早川秀秋は、あわててそれまでの味方(西軍)を裏切り、攻撃を開始したとされています

(^_^;)

 

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ロシア軍の爆撃機が3/11午後、隣国ベラルーシ領内の3か所の集落を空爆した。

ベラルーシ国防省は3/11、「偽情報だ」と攻撃被害自体を否定した。

ロシアが同盟国のベラルーシに派兵を迫るための攻撃と見られている。

ベラルーシはロシア軍部隊に基地を提供しているものの、ベラルーシ軍のウクライナ派兵には慎重だ。

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ベラルーシ大統領ルカシェンコ(66、→)は、ベラルーシを26年に渡って独裁統治してきた。

2020年には選挙を不正操作し、ルカシェンコが80%を得票したと宣言して、6選を果たした。

ベラルーシの反体制派ジャーナリスト、ロマン・プロタセビッチ氏(26)の身柄を拘束するために、旅客機を強制着陸させたことがある。

 

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馬上少年過ぐ 伊達政宗

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 伊達政宗の、非常に有名な漢詩(↓)です

  シンプルですが、実に味わい深いなぁと思います

 東京都心の日比谷公園のあたりが、伊達藩の江戸上屋敷で

晩年の政宗は、ここで江戸幕府相手の外交関係の安泰維持に心を砕きつつ

私生活では、趣味の世界に生きて、平和な時代の余生を大いに楽しみました

「伊達」がオシャレの代名詞になるくらい、芸術的センスにも富んでいました

江戸時代初期には、戦国の夢と野心が捨てられず

幕府と諍いを起こして改易(お家とりつぶし)になった大名も多かったのですが

政宗はサッと頭を切り替えて、太平の世に順応したようです

  (^_^;)

 

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馬上少年過ぐ
世平らかにして白髪多し
残躯天の赦す所
楽しまずして是を如何にせん

 

戦場に馬を馳せた青春の日々は遠く過ぎ去った。
今や天下は泰平。俺の髪の毛はすっかり白くなった。
生き残ったこの身の処し方くらい
どうしようと天は許してくれる。
楽しまないでどうするというのだ。

 

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▲江戸の大名屋敷のイメージ 江戸東京博物館

これは50万石だった越前福井藩の上屋敷がモデル

伊達藩は62万石だったので、これより大規模か

 

 


世田谷・杉並の真っすぐ道路

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今回、九州や広島を旅したんですけど、特に博多の街の道路が広いのが印象に残りました

道がまっすぐで、車道だけでなく歩道も広いので、歩いていてとても気持ちがいい

これは「太閤の町割り」と言われる、豊臣秀吉による都市計画のおかげだそうです

秀吉の若い頃の、大らかな性格が伝わってきます

一方、東京は徳川家康が作った町ですが、道が狭くてぐにゃぐにゃ曲がっている

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これは猜疑心の強い家康が、敵から攻められた場合を考えて、わざと攻めにくい都市計画をしたことに関係があるらしい

用心深い家康のおかげで、日本人は世界でもまれに見る260年間もの長い平和を享受した訳ですが、都市計画には向いてない性格だったようです

(^_^;)

 

* * * * * * * * * *

 

世田谷区と杉並区にわたって、8km以上続く一直線の道路があります。

都道に指定されているこの道路、成り立ちは大正時代までさかのぼります。

地図で都内を見ていると、小田急の祖師ヶ谷大蔵駅付近から丸ノ内線の新高円寺駅付近まで、一直線に道路が走っているのが見えます。

この道路は東京都道・高円寺砧浄水場線に指定されています。

現地に行くと、大部分がセンターラインのない狭い道路ですが、ほぼ全線が直線のため、道路がはるか遠くまで続いていくのを見通すことができます。

東京の街並みは武蔵野台地とそれを川が浸食していった地形の関係で起伏が大きく、道路もその起伏に合わせてほとんどが曲がりくねっています。

にもかかわらず、この直線道路はどうしてこんなにもまっすぐ走っているのでしょうか。

実はこの道路の真下には、「荒玉水道」と呼ばれる直径1.1mの水道管が通っています。

荒玉水道はさかのぼること大正時代、増加する東京の人口の水需要に対応するため、多摩川で取水した水を都内に送るのを目的に設置工事が始まりました。

そして、埋設水道管の敷地を歩行者道として活用したのが、この直線道路のはじまりです。

現在は自動車も通行可能となっていますが、水道管への荷重を考慮し、重量制限が掛けられていたり、ラバーポールによって物理的に幅員が制限されているところがあります。

また、狭隘な道路のため、一部区間では一方通行となっています。

この道路を東急バスや小田急バスのバス路線が通っていますが、重量制限のある区間を走る路線は、小型バスで運行されています。

 

 


日本刀はなぜ曲がっているのか?

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 「武士の魂」とか言われてますけど

  戦場で実際に使う武器としては

 刀→長ヤリ→弓矢→鉄砲→大砲

  などといろいろ進化していったので

 床の間の飾りだった時代の方が長いはず

  (^_^;)

 

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以下、海外の反応

海外の名無しさん

差別焼入れしたあとに真っ直ぐに戻すのが手間だからだと思ってる。
特に大量に作る場合は。
だからカーブのままにして、それが定番になったんでしょ。

海外の名無しさん

↑そうは思わない。
適当にカーブさせてるわけじゃないから。
焼入れをしたあとでもカーブを整える工程がある。
作業量としては同じだよ。

海外の名無しさん

騎乗で使用されたのは同田貫と言って普通の刀よりも長いから地上の敵にも届くんだよ。

海外の名無しさん

カーブさせるために別の素材が使われてるよ。
カーブさせないこともできるけど、そうする意味はあまりない。
騎乗ではカーブしてたほうが有利だし、綺麗だしね。
刀は有用だけど、主に芸術作品だから。
日本人と西洋人の作り方の違いを見ることをおすすめするよ。
タイムラプスで見ると素敵だよ。

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海外の名無しさん

カーブしてたほうが切ったときに長持ちするんだよ。

海外の名無しさん

意味に言われる前から、差別焼入れのせいだと思ってた。
ずっと刀好きだったらしい。

海外の名無しさん

カーブしてたほうが、重心を中心にして回転させるだけで力を加えずに切れるからだよ。

海外の名無しさん

日本刀は片刃だからどちらかわかりやすくするためだと思ってた。

海外の名無しさん

カーブやストレートの片刃は同じ鉄で作られてる。
カーブしてたほうがより頑丈で折れにくくなる。

海外の名無しさん

刀のカーブが振るのを早くしてると考えたことはない?
最速降下曲線という数学的カーブがあって、AからBに移動させるときに加速する。
だから誰かが思いっきり刀を振ったときに戦闘で数秒が違いを生む。
刀のカーブは最速降下曲線とは正確には違うけど、ふと思った。

海外の名無しさん

↑抜くのが早いからというのはよくある主張だよ。
総意ではないけどね。
抜くのが早いというのは説明がつくけど、早さは同じだと主張する専門家も居る。

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海外の名無しさん

カーブしてたほうがカッコよかったからかもね。

海外の名無しさん

西洋の鍛冶が気にすることのなかったことだよ。
西洋刀は太いから重力と運動エネルギー以外は気にしてない。
誤解しないでね。
素晴らしい西洋刀もあるけど、あまり洗練はされてないよね。

海外の名無しさん

日本の鎧は西洋鎧ほどじゃないから、刀でも切ることが出来たというのも考慮したほうがいいと思う。
もちろんアニメとは違うけど、切ることは出来たよ。

海外の名無しさん

簡単に言えば金属工学だよ。
日本人は金属工学が確立される前にすでに知ってたんだね。
剣好きが講じて学位を持ってるから知ってる。
特に日本刀が好きで。

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海外の名無しさん

探すのがめんどいけど、カーブしてたほうが騎乗で振るのが早いというビデオがあるよ。
ちょっと考えてみなよ。
騎乗の高さは有利だけどリーチが足りないから、必然的に切る必要があるんだよ。

海外の名無しさん

なんで中国刀は人気がないんだろう。
アクション映画によく出てくるのに。

海外の名無しさん

↑中国より日本文化のほうが広範囲に広がってるからじゃないかな。

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海外の名無しさん

エネルギーやリソースが関係するんだろうか。
カーブしたほうが鉄が少なくて熱も低くて済むとか。
資源の少ない国だから、そこに重点を置きそうだし。

海外の名無しさん

カーブしてたほうが切ったときに引っかかりにくいんだよ。
騎士がストレートソードを使うときは突くほうを好んでるのが分かるよ。

海外の名無しさん

単にファッショナブルだったからかも。
Mount&Blade下剋上modでの経験から、騎乗から薙刀を相手にするのは良いアイデアじゃない。
だから騎乗から切るというのはあまり有効だとは思えない。

海外の名無しさん

熱すると硬くなるのは鉄の特性ではなくて、炭素鋼の特性なんだよ。

海外の名無しさん

俺が抱いてた日本刀の疑問にほぼ答えてくれた。

 


読書 細川侯五代逸話集

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細川幽斎の逸話を期待したのですが、分量的には二代目忠興以降が多く、幽斎の分はわずかでした

江戸時代初期、まだ戦国の血なまぐさい気風がうかがえる逸話も多く、ちょっとしたことで斬り合いになったり、首をはねたり、腹を切ったりしています

武士道の二要素(勇と忠)のうち、勇の比重が圧倒的に高く、「腰抜け」と見られることを極端に嫌った戦国武士の気風が、二代目忠興(とその妻ガラシャ)の逸話に濃厚に表れています

大名も3~4代つづくと、いわゆる「バカ殿」が出るのが普通ですが、細川家では5代つづけて「名君」が出て、藩の基礎を固めたようです

和歌の名人である幽斎は、風雅な歌のほかに、儒教的な「教訓歌」も多く残しました

これが細川家の次の殿様の教育に代々生かされたのではないかと思います

(^_^;)

 

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細川幽斎

 


読書 細川幽斎

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 佐藤『幽斎玄旨』に続いて細川幽斎ものを2冊読みました

 江戸時代の改易や明治維新で没落した大名が多い中

 室町時代から現代まで 延々と続く稀有な名門細川家

  その秘密の一端は

 幽斎が残した家訓和歌にあるようです  (^_^;)

 


 

【死ぬ前のひと言】

織田信長「是非に及ばず」

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豊臣秀吉「秀頼を宜しくお頼み申す」

細川幽斎「思い残すことはない」

一休宗純「死にとうない」 

大石内蔵助「お先に」

葛飾北斎「あと10年生きたいが、せめてあと5年の命があったら、本当の絵師になれるのだが」

吉田松陰「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」

ゲーテ「窓を開けてくれ。明りがもっと入るように」

カール・マルクス「最後の言葉なぞ、充分思いを伝えきれなかった愚か者が言うことだ」

不明「カネは生きてるうちに使え」

 


戦国の城

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 これは非常に面白い!

  旅のテーマに「城歩き」を入れたくなりました

 近世の城が 姫路城や大阪城など

  見られることを意識した様式美だとしたら

 戦国の城は 命がけ 機能一点ばりです  (^_^;)

 

本書は、城の地形と立地に注目して、戦国時代の城の種類と変化、役割と意義、実用性などに迫った1冊です。

キーワードを挙げて章立てし、訪れやすい城を例としながら、なぜその地形と立地が選ばれたのか、どのようにしてその地形と立地を生かし、いかにして戦ったのかを解説しています。

ひとつひとつの城について多面的に追求するものではなく、縄張を読み解き軍事的な工夫や実用性を検証する本でもありません。

歴史的解説も、城の見どころも思い切って省きました。

ですからガイドブックとしての実用性はありませんが、城を実際に訪れたとき、地形と立地という見地からその城の本質に深く迫り戦略に思いを馳せられるよう、端的にまとめています。

第一章の「城の分類と戦国の城の基礎知識」は序章として、「立地条件による城の分類」をテーマに、城が築かれる場所による呼称の違いと特徴、山城の誕生と平山城への移行、山城の構造について簡単に解説しています。

第二章は「戦国の城を読み解くキーワード」がテーマ。「地形」「地質」「街道」「国境」「支城網」「付城・陣城」「変遷」「改造」という8つのキーワードを取り上げ、戦国時代の城と戦いを具体的に読み解いていきます。実例として、それぞれのキーワードがカギとなる有名な戦いも紹介しています。

第三章では「戦いの城を歩く」と題し、第一章と第二章を踏まえた実際の城歩きを紹介しました。鳥取城攻め、韮山城包囲戦、小田原攻め、関ヶ原合戦と、いずれも現地を歩いてこその醍醐味が実感できる城を取り上げ、著者自身が感じる山城歩きの楽しみ方を綴っています。

 


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熊本の大名細川家を建てた細川幽斎(藤孝)

いま放映中の大河ドラマにも登場します

戦国武将として命がけで戦場を駆けつつ、一方では和歌の権威として古今集の奥義を直伝する

信長、秀吉、家康、そして天皇からも厚遇を受け、肥後の大大名として細川家は明治維新まで続き、最近では熊本県知事まで生み出しました(あっ、首相もやってたね)

出処進退の鮮やかさ、その不思議な才能に、興味が尽きません

(^_^;)