13【人生いろいろ】
佳子ちゃん 大学卒業

ダンスが大好きな 皇室アイドル・佳子ちゃん
「相手はいるか?」のアホ質問に対する回答が
「きっぱりしていて良い!」と大好評です (^_^;)
秋篠宮ご夫妻の次女の佳子さまは22日、国際基督教大学を卒業するのにあたって、記者団の質問に文書で回答を寄せられました。
以下、回答の全文です。
大学卒業を迎えての感想は

(佳子さま)
大学卒業を迎え、学生生活が過ぎるのはあっという間であったと感じております。また、恵まれた環境で過ごせたことを大変ありがたく思っております。
学習院大学では、約1年半、教育の分野を学びました。国際基督教大学では、英語で学ぶことも含め、幅広い分野を学び、最終的に心理学を専攻いたしました。一つの分野を集中的に学ぶことも、幅広く学ぶことも、どちらも非常に意義のある経験であったと感じております。
学業以外では、仲良くなった友人達と一緒に食事をしながら会話を楽しむなど、どちらの大学でも思い出深い学生生活を過ごすことができました。
国際基督教大学の在学中に短期留学をしたリーズ大学では、日本では学ぶ機会の少ない、舞台芸術に関わる分野や、国際基督教大学で専攻していた心理の分野などを含め、幅広く学びました。
上に書いたことと重なりますが、一つの分野を集中的に学ぶことも、幅広く学ぶことも、どちらも非常に意義のある経験であったと感じております。
印象深かったことは、留学中の一連の経験と言えます。英語で学び、英語で生活をしたこと、様々な国の人と交流し、いろいろな文化に触れたこと、今までになかった新しい視野を持つことができたことなど、多くの経験ができたので、留学をしていた約9ヶ月間は非常に印象深い期間でした。
どの大学においても、教職員の方、仲良くなった友人達、大学に通うに当たりお世話になった方々など、関わってくださった方々に非常に感謝しております。
今後の進路と将来の夢について

(問2)今後の進路と将来の夢についてお聞かせください。卒業後は公務に臨まれる機会もさらに増えてくるかと思いますが、大学での経験を生かし、どういった活動に力をいれていきたいとお考えでしょうか。同じ国際基督教大学で学ばれた眞子さまは大学卒業後、イギリスのレスター大学大学院に留学されましたが、佳子さまはそういったご希望はありますか。
(佳子さま)
公的な仕事は以前からしておりましたが、卒業後はその機会が増えることになると思います。どのような活動に力を入れたいかについては、以前にもお答えしたことがありますが、私が何をやりたいかではなく、依頼を頂いた仕事に、一つ一つ丁寧に取り組むというのが基本的な考え方です。
これまで行った仕事は様々な分野のものがありました。大学生活で、一つの分野を集中的に学んだ経験も、幅広く学んだ経験もこれからの仕事に活かすことができれば嬉しく思います。
将来の夢は、あくまでも夢ですので、以前と変わらず自分の中で温めておきたいと思っています。大学院への進学は現時点では考えておりません。
ご家族について

(佳子さま)
両親には、公的な仕事に関することや、意見を聞いたほうが良いと感じる事柄についてアドバイスを求めることがあります。姉とは日常の出来事をお互いに報告しあったり、相談事をしたりします。弟とは、姉と同じように日常の会話をしたり、一緒にテレビを見たり、遊んだりしています。姉と弟と3人で話をしていると、非常に楽しく、たわいもないことで笑いが止まらなくなることもあります。
卒業に当たり両親に伝えたいことですが、上に書いたように、私は公的な仕事に関することや、意見を聞いたほうが良いと感じる事柄について両親にアドバイスを求めることがあります。そのような際にアドバイスをもらえることに感謝しています。姉は、小さい頃から私のことを非常にかわいがってくれましたし、いつでも私の味方でいてくれました。いつもありがとうと思っています。今年の春から中学生になる弟へのメッセージですが、楽しく充実した日々を過ごしてほしいと思います。
印象的なアドバイスについては、公的な活動への取り組み方ということが挙げられます。問2でお答えしていることと重なりますが、公的な仕事は、自分が何をしたいかで選ぶものではなく、依頼を頂いたものを一つ一つ丁寧に行うという考え方は父からのアドバイスであり、母と姉も共通して持っている認識であると思います。
結婚の時期や理想の男性像について

(佳子さま)
結婚の時期については、遅過ぎずできれば良いと考えております。理想の男性像については、以前もお答えしていますが、一緒にいて落ち着ける方が良いと考えております。相手がいるかについてですが、このような事柄に関する質問は、今後も含めお答えするつもりはございません。
姉が結婚に関する儀式を延期していることについてですが、私は、結婚においては当人の気持ちが重要であると考えています。ですので、姉の一個人としての希望がかなう形になってほしいと思っています。
また、姉の件に限らず、以前から私が感じていたことですが、メディア等の情報を受け止める際に、情報の信頼性や情報発信の意図などをよく考えることが大切だと思っています。今回の件を通して、情報があふれる社会においてしっかりと考えることの大切さを改めて感じています。
皇位継承について

(佳子さま)
天皇陛下と皇后陛下のご活動についてですが、両陛下は約60年の長きにわたり、様々なご活動に心を込めて取り組んでこられました。このことを、大変尊敬申し上げております。様々な事柄に対して、まるでご自身のことのように、時にはお心を痛められ、時には喜ばれるご様子に触れ、強く心に残るものがございました。
公的な場以外でお目にかかる際にも、私たち若い世代にとって大切なことをお話し下さいます。このように、真剣な思いを持っていらっしゃる両陛下であるからこそ、ご活動の際にそのお心が自然と伝わってくるのではないかと思っております。
皇太子殿下、皇太子妃殿下についてですが、両殿下は5月に天皇皇后両陛下になられます。私は大学を卒業し、皇族の一員としての活動が以前より多くなってまいりますので、そのような中で、少しでもお二方のお役に立つことができれば誠に嬉しく思います。
皇族の減少などの課題につきましては、制度のこととも関係しますので、回答は控えたいと思います。
肉屋 vs ヴィーガン(菜食主義者)
肉屋の前で抗議活動を始めたヴィーガン(菜食主義者)
肉屋のおばさんがブチギレています
肉食がイヤなら、自分だけ野菜を食べてればいいのに
それを無理やり他人に押し付けるから混乱します
(^_^;)
眠たい子猫
上野東京ライン


日本の鉄道は 本当に素晴らしいんですけど
地方の各駅停車が だんだん減ってきているのが
青春18きっぷファンとしては 少々残念です (^_^;)
日本を定期的に訪れている筆者(英国人 Colin Joyce)は数年前、都内に「上野東京ライン」という新しいJRの路線ができたことに気がついた。

上野駅と東京駅はすでに結ばれていなかったか? そう思い、やや困惑した
なるほど、それは都心を走り抜け、5つの都県を一度も乗り換えることなく縦断できる路線であることが分かった。
複数の路線を結ぶ難しい事業を見事に成し遂げたことで、乗客の利便性は高まり、世界最先端の日本の公共交通はさらに良くなった。
南北270キロメートルにも及ぶ鉄道路線の名称に、徒歩で行き来できる都心の2つの駅名を使うのは、かなり控え目なことに思えた。
しかし、それこそ日本人が自分たちの大きな業績を正しく評価しない、「平成」という時代の典型だった。
平成で成長した日本サッカー
同世代の日本人と違い、筆者は平成以外の日本を知らない。
1992年に英国から来た私には、バブルの記憶も、昭和への郷愁もない。
平成時代に対して日本人の多くが抱く「停滞」さらに言えば「後退の時代」という見方を理解しつつも、自分でそう感じることはなかった。
私は、自分が出会ったこの国に深く感銘を受け、特筆すべき改善する力や、遅れを巻き返す能力に目を見張っていた。

後者の例として挙げられるのはサッカーだ。
私が学生として神戸に初来日した当時、日本はサッカーの「へき地」だった。
しかし、1993年のJリーグ発足は日本を強豪国へと押し上げた。
日本代表は実力をつけ、国内リーグの人気は高い。
スタジアムは素晴らしく、サポーター層も磐石。
欧州に渡ってトップリーグでプレーできるようになった選手もいる。
関西を代表するクラブチームといえば「ガンバ大阪」。
1993年当時、そう思っていたことを覚えている。
大阪にもう1つ、さらに神戸、京都にもクラブができる余地があるなど想像もしなかった。
これはすべて一世代の間に起きたことだ。
おっと、2002年に日韓が共催したワールドカップ(W杯)の成功に言及し忘れるところだった。
複雑な直通運転の謎
日本について語り出すと、申し訳ないが鉄道の話が止まらなくなる。

運賃が高く、時刻表は当てにならず、腹立たしいほど遅れがちで、運休することもある(そして休暇シーズンには代行バスに切り替わる)英国に比べ、日本の鉄道の旅がどんなに素晴らしいか、皆に伝えたくて仕方がない。
来日当時、この国の鉄道システムはすでに十分素晴らしかった。
北は盛岡、南は博多までしか新幹線が延びていないのは当然のことと受け入れていた。
日本の大部分がカバーされていると感じたし、そこから先に行きたければ、特急列車に乗り換えるか、最初から飛行機を利用すればいいと考えていた。
都内を電車で移動するにも、JR山手線を乗り降りして私鉄のターミナル駅間を行き来するのをわずらわしいと思ったことはなかった(何しろ山手線は3分おきにやってくる恐るべき電車だ)。
しかし、そこに「上野東京ライン」が登場した。
他にも直通運転の路線が増えた。
電車に乗ったら途中で別の会社が運行する路線に変わり、その先はおそらくまた別の会社が運行している。
技術的な問題をどう解決したのかは言うまでもなく、運賃をどう分け合っているのか、どの会社が運転手に給料を払っているのか、私にはまったく見当もつかない。
1つではなかった本州と四国を結ぶ橋
1988年に開通した瀬戸大橋も偉業だと感じた。

行きは電車、帰りは大型トラックをヒッチハイクして橋を往復した。
そして英国に住む家族に、5つの島にまたがるこの驚くべき「2階建て橋」について手紙を書いた。
日本は本州と四国を結ぶ橋を完成させた──。
当時はそれで終わりだと思い込んでいた。
もう1つの連絡橋プロジェクトが進行していた事実に気づかなかったのは、そのせいだろう(後に3つ目の橋建設も始まる)。
恥ずかしいことに、神戸から四国まで、岡山を通らずバスで行けたことに驚いたのはそれから10年後のことだ。
同じく東京湾アクアライン連絡道の建設も、2003年ごろ飛行機から見るまで気づかなかった。
橋梁部がトンネルに変わって海中にもぐる部分が、なぜ水であふれないのかはいまだに謎だ。
「平成日本」は総じて安定
平成の30年間に日本が直面した深刻な問題を、軽んじるつもりはない。
自然災害、政財界のスキャンダル、増大する政府債務、終身雇用の崩壊と非正規労働者の増加、高まる自殺率、少子高齢化など枚挙にいとまがない。
いずれもこの国が解決しなくてならない重大な問題であり、日本で記者をしていた頃は、深く憂慮しながら取材をした。
しかし、平成日本に暮らした1人として、この国の社会は総じて安定しており、回復力と対応力を備えているとも感じていた。

経済危機が、ロンドンで起きた暴動のような社会の不安定化につながらなかったことをうれしく思っていた(私が物心ついてから、大きな暴動だけでも4回起きている)。
最後にもう1つ、日本で不思議だったのは外国人観光客が少ないことだった。
英国は、1990年代初めまでに年間2000万人の観光客を受け入れていた。
卓越した観光資源と交通インフラを備えた魅力的な国であるにもかかわらず、日本の実績は明らかに実力を下回っていた。
今はそれがどうなったか。私がここで話すまでもないだろう。
筆者 コリン・ジョイス(Colin Joyce)

英エセックスを拠点に活動するジャーナリスト。
オックスフォード大学卒業後、日本語を学ぶため1992年に来日。
埼玉県の高校で英語を教えた後、週刊誌ニューズウィーク日本版に4年間、英紙デイリー・テレグラフ東京支局に7年間勤務した。
15年に及ぶ日本での生活をもとにした「『ニッポン社会』入門──英国人記者の抱腹レポート」(NHK生活人新書)、「マインド・ザ・ギャップ! 日本とイギリスの<すきま>」(同)などの著書がある。
*本コラムは、ロイターに掲載され、筆者の個人的見解に基づいて書かれています。

英国人でコリンと言うと
どうしても、コリン・ウィルソンを
思い出してしまいます (^_^;)
訃報 内田裕也 79歳


すぐに希林さんの後を追ったところに
男の愛と哀しさを感じます (T_T)
ロック歌手で映画俳優としても活躍した内田裕也(うちだ・ゆうや、本名内田雄也)さんが17日、東京都内で死去した。79歳。
兵庫県西宮市出身。17年11月に脱水症状で倒れてから車椅子生活を余儀なくされていた。
18年9月15日に妻で女優の樹木希林さん(享年75)に先立たれ、喪失感が消えない中での死となった。
都知事選出馬など常に話題を提供し続けたロック界のカリスマだった。
希林さんの死から半年、波乱に満ちた“ロケンロール人生”に幕が引かれた。年明けから体調が悪化し、17日に天に召された。

1995年に俳優の本木雅弘(53)と結婚した長女の也哉子(43)らが裕也さんの遺体に寄り添っていた。
晩年は病気やケガと闘う日々が続いた。16年11月に英国ロンドンのホテルの浴室で転倒し、尾てい骨を強打。
17年夏には転倒して右足甲を骨折。
さらに同11月に脱水症状を起こして緊急入院するなど、満身創痍(そうい)だった。
完全復帰を目指してリハビリに励んできたが、日増しに体力は低下。
自身が主催する恒例の年越しライブ「ニューイヤーロックフェスティバル」にも17~18年からは車椅子で出演。
執念で立ち上がり、熱唱する状況が続いていた。12年から毎年欠かさず参列していた3月11日の東日本大震災の追悼式も今年は欠席していた。
エルビス・プレスリーに憧れて高校を中退し、1957年にバンドボーイとして音楽活動をスタートさせた。
幾つかのバンドを渡り歩き、66年のビートルズ日本公演では尾藤イサオ(75)らとの特別編成のバンドで前座を務めた。
同年、大阪のジャズ喫茶「ナンバ一番」で活動していた沢田研二(70)らをスカウト。これが後のザ・タイガースとなった。
67年には麻生レミをボーカルに据えて結成したフラワーズにジョー山中さんらが参加し、フラワー・トラベリン・バンドとして再編成。
アルバムがカナダチャートで8位を記録するなど海外でも活躍し、邦楽ロックの礎を築いた。
70年代からは映画俳優としても活躍。
崔洋一監督の「十階のモスキート」(83年)、自ら脚本を手掛けた滝田洋二郎監督の「コミック雑誌なんかいらない!」(86年)など話題作に主演した。

私生活では故かまやつひろしさんの紹介で出会った希林(当時悠木千帆)さんと73年10月にスピード結婚。
裕也さんの家庭内暴力などもあり、1年半で別居生活に入った。
81年には一方的に離婚届を提出。希林さんが訴訟を起こし離婚成立を阻止する一幕もあった。
別居生活は43年半にも及び、裕也さんは大麻取締法違反(77年)、銃刀法違反(83年)、そして強要未遂と住居侵入容疑(11年)と3度の逮捕歴を重ねた。それでも離婚には踏み切らなかった。
2人にとってお互いは特別で最愛の存在だった。
長女の也哉子が離婚しない理由を聞いた際に希林さんは
「彼にはひとかけらの純なものがあるから」
とし、一方の裕也さんも
「一生頭が上がらない」
と話していた。
91年には東京都知事選に出馬。政見放送で「パワー・トゥ・ザ・ピープル」と「コミック雑誌なんかいらない!」を歌うなど自由奔放な人生を貫き「シェキナベイベー」の名言も残した。
内田裕也(うちだゆうや)
1939年(昭14)11月17日生まれ、兵庫県出身。
神戸のジャズ喫茶でならし、エルビス・プレスリーに憧れて上京。
58年にブルージーン・バップスを結成し59年にデビュー。
渡辺プロ退社後の67年からヨーロッパを1年あまり放浪。
帰国後、日本ロックの振興に大きく貢献した。
阪神大震災、東日本大震災発生後はいち早く被災地に入り、ジョー山中さんや安岡力也さんら“ファミリー”を引き連れ炊き出しなどを行った。
悠仁さま 卒業文集全文
お茶小の六年間
秋篠宮 悠仁
お茶の水女子大学附属小学校で過ごした六年間、さまざまな思い出を作ることができました。そこで、印象に残ったことを少し振り返ってみたいと思います。
一年生のころ、毎日ライオン池で遊んだり、畑の植物や虫を観察したりして楽しみました。そして、いくつかのテーマから自分の関心があるものを決めて取り組む学習、「えらぶ」の時間に、春見つけ、秋見つけなど「きせつ見つけ」をしていたことをよく覚えています。これは、その季節で感じたことを絵や言葉で表します。例えば春の場合だと、サクラやオタマジャクシなどを探しました。校庭や大学キャンパスに出て春夏秋冬、それぞれの特徴を見つけていくことは、四季のある日本の自然を理解する上でも大事なことだと思います。
これが中学年や高学年になると、広い大学のキャンパスで、指定された野草や樹木を探すオリエンテーリング形式になります。低学年の「きせつ見つけ」と違って、それぞれの班で、それらがどこにあるのかを自分たちの記憶や勘を頼りにしながら、キャンパスの中を自由にまわります。したがって、みんながペースを合わせて行動し、協力することが大切です。また、時間制限もあるので、常にいろいろなことに集中していないといけません。そしてオリエンテーリングが終わると、先生から野草や樹木についての説明を受けます。私は、このような機会を通して、身近な自然と楽しくふれ合うことができました。
三年生以上になると、「えらぶ」は自学につながっていきます。「えらぶ」は、決められた時間内で課題を進めていきますが、「自学」では、一人一人が長い時間をかけて、自分が選んだ課題に取り組み、興味を深めていくことができます。
私は、「自学」で東京都の市町村について調べました。学校の図書コーナーで市町村が発行している副読本を読み、東京の歴史について書かれた本を用いて、各地域の歴史や特産物についてまとめました。自分の計画にそった資料を探し、調べたことをまとめていくためには時間がかかります。しかし、好きなテーマを調べ続けることができるので、多くの人たちにとって、また自分にとっても、とても楽しい時間でした。
「自学」では、四年生以上になると、クラス別の発表やテーマ別の交流があります。その時は、画用紙に内容をまとめたり、表を作ったりして、みんなが理解できるように工夫しました。友達の発表を聞き、話し合うことで、わかりやすく説明することの大切さを知りました。
この他にも、お茶小で楽しかった、よかったと思える素晴しい時間がありました。緑が多く、自然が豊かな学校で、他学年の仲間と一緒にいろいろな課題に取り組み、学んだことで、新しいことに気づいたり考えたりしました。そして、自分の力になったと思うことがいくつもありました。
お茶小で学んだことや体験したことをいかし、これからも自分が興味を持っていることを大事にしながら、過ごしていきたいと思っています。


カミよりカネ!


身も蓋もないような結論ですが
生まれてくる子供の生育環境を考えれば
母親として当然の判断かもしれません
色男 カネと力は無かりけり (^_^;)
女性8割が、貧乏なイケメンより『金持ちのハゲ』と結婚したい!
独身女性500人(10代~40代)に結婚アンケート調査を実施
株式会社アーキットが運営するAGA・薄毛治療に関するWEBメディア『フサメン』( https://fusamen.net/ )では、10代-40代の独身女性500人を対象に「薄毛男性との結婚をどう思うか?」といったアンケート調査を行いました。
■調査結果まとめ
1.ハゲが好きと回答した女性はたったの10%
2.半数以上の女性にとって薄毛の男性も恋愛対象になる
3.結婚相手が薄毛でも大丈夫という女性は61%と多数派
4.約8割の女性が『貧乏なイケメン』よりも『金持ちのハゲ』と結婚したい
5.もし結婚相手が禿げたら、36%の女性は病院で薄毛治療して欲しい
6.結婚しても良いハゲの条件1位は『金持ち・高収入』
■調査結果
以下がアンケートの回答結果です。
1.薄毛・ハゲの男性は好き?嫌い?
https://www.atpress.ne.jp/releases/179446/img_179446_2.png
全体の90%もの女性が「薄毛の男性が嫌い」という結果でした。
しかし10%の女性は薄毛・ハゲの男性が好きと回答をしており、独身女性全員がハゲを嫌いでないことがわかります。

2.薄毛・ハゲの男性は恋愛対象になる?
https://www.atpress.ne.jp/releases/179446/img_179446_3.png
全体の半数を超える54%の独身女性が、「薄毛・ハゲの男性が恋愛対象になる」という結果でした。
先ほど「ハゲは嫌い」と回答した女性が90%いたことを考えると、「嫌い」から始まる恋もあるということでしょう。
女性の心は複雑です。
3.薄毛・ハゲの男性と結婚できる?
https://www.atpress.ne.jp/releases/179446/img_179446_4.png
60%以上の人がハゲの男性と結婚できると答えました。
ハゲは恋愛対象になると回答した人よりも多くの女性が、薄毛の男性と結婚はできると回答しています。
結婚相手にルックス面を重視する女性は意外と少ないようです。

4.『金持ちのハゲ』と『貧乏なイケメン』、結婚するならどっち?
https://www.atpress.ne.jp/releases/179446/img_179446_5.png
約8割の女性が「貧乏なイケメン」より「金持ちのハゲ」を結婚相手に選ぶという結果でした。
多くの女性にとって結婚相手選びで大切なのは、ルックスではなく経済力であることがわかります。
多くの男性がコンプレックスに感じてる「薄毛」ですが、女性の結婚相手に選びにはとっては些細な問題なのかもしれません。
5.もし結婚相手が禿げたらどうして欲しい?
https://www.atpress.ne.jp/releases/179446/img_179446_6.png
最も多かった回答は「坊主・スキンヘッド」と「病院での薄毛治療」で共に36%という結果。
一方、薄毛対策として有名な「カツラ」は4%と知名度の割には、支持する女性は少数でした。
アンケートを確認すると「ハゲを隠そうとするカツラは嫌」という意見が多かったので、薄毛そのものよりも薄毛を隠そうとする行為に嫌悪感を抱く女性が多いようです。
カツラをかぶるぐらいなら、いさぎよく坊主にした方が女性には好かれそうです。

6.どんな薄毛・ハゲの男性なら結婚したい?
https://www.atpress.ne.jp/releases/179446/img_179446_7.png
全体の35%の女性が「お金持ち・高収入」なら薄毛の男性であっても結婚したい、経済力を重視した回答でした。
また「優しい性格」と答えた人も約30%と多かったです。
この結果を踏まえると、薄毛・ハゲの男性が女性に選ばれるために重要なことは『経済力』と『優しさ』であることがわかります。
それらを兼ね備えた男性は髪の多さに関係なく、たくさんの女性からはアプローチされそうです。
■調査概要
・調査時期 :2019年3月6日-2019年3月11日
・調査方法 :選択・記述式のWEBアンケート(クラウドワークス)
・有効回答数:500名(10代:18名 20代:198名 30代:202名 40代:82名)
・調査対象 :日本在住の10-40代の独身女性
・「薄毛男性との結婚」に関するアンケート結果詳細
https://fusamen.net/kanrinin/entertainment/9384/
迷い猫ブラン
親猫とはぐれたのか、幹線道路沿いを子猫がフラフラと歩いている。
車を止めるのも難しい、そんな場所で子猫は拾われた。
大阪府堺市、海の近くにある浜寺。幹線道路沿いの歩道を子猫が1匹で歩いていた。
ガリガリにやせて、フラフラとさまよっているようだったという。
推定4ヶ月のオスだった。
幸い、偶然その姿を見かけた人が保護してくれたのだという。
保護された子猫は、保護団体「ワンハート大阪」に託された。
元気に成長し、3歳になった時、譲渡希望者が現れた。
大阪府に住む平松さんは、ずっと家で犬を飼っていた。
その一方、庭にやって来る野良猫の不妊手術を私費でするなど、個人でTNR活動もしていた。
ある時、メルちゃんと名付けていた地域猫が大怪我をして、庭に帰ってきた。
窓越しに“助けてくれ”というようにこちらを見ていた。
病院に連れて行くと、怪我のほか、猫エイズに感染していることも分かったという。
そのまま家の中で飼おうとしたが、外に行きたいのか、ずっと鳴き続けた。
仕方なく、外に出すと、嬉しそうに出ていったそうだ。
だが、その4カ月後、メルちゃんは亡くなったという。
「猫を飼ったことはなかったんですが、この事件以来、ずっと可愛そうなことをしたと気になって。それで保護猫を飼うことにしたんです」
平松さんは2015年8月、ワンハート大阪のブログを見て、気に入った猫を家に連れてきてもらった。
平松さんは、その白い猫に、フランス語で「白」という意味の「ブラン」と名付けた。
手作りの段ボールハウスやキャットタワー、ベッドなど、必要なものはすべて用意して迎えたという。
首輪につける名前や電話番号の入ったチャームも準備した。
「初めての猫なので心配しましたが、ブランは、段ボールハウスが気に入ったようで、すぐにこもって眠りました。ご飯も食べてくれてほっとしました」
ブランは7人の大家族に囲まれて元気に育った。
その後、後輩猫もやって来た。
ブランはなんでも自分が一番でないと気が済まない性格で、家族が後輩をかまっていると、嫉妬するという。
それでも猫同士はつかず離れずうまくやっている。
二番ぢゃ 駄目なんですか?
両手に犯罪者
新井浩文(逮捕) 山本美月 ピエール瀧(逮捕)
写真や個人情報がネットで拡散すると
回収は不可能です
気を付けましょう! (;´Д`)
女優の山本美月に対する心配の声が、2019年3月12日夜からツイッターで急増している。
コカイン使用の容疑でピエール瀧が逮捕されたとの報道を受け、2月に強制性交の疑いで逮捕された新井浩文の約1年半前のツイートが再び注目された。
そのツイートの写真に、山本美月がピエール瀧と新井浩文と写っていたためだ。

新井浩文が投稿した1年半前の写真には、笑顔を浮かべる山本美月を真ん中に、左に新井浩文、右にピエール瀧が写っている。
手前には料理や箸も写っており、食事会での1枚と思われる。
3人は2015年4月に放送されたピエール瀧主演のNHKドラマ「64(ロクヨン)」で共演した。
同ドラマは横山秀夫の推理小説を原作とするもので、未解決の誘拐殺人事件を軸に、警察内部の闇を描いている。
ドラマで3人は同じ県警の広報室に務める役柄だった。
「まさか一年半後に、二人とも捕まるとは」
「流石にこれは怖いよ・・・」
「真ん中の山本美月さん、マジでかわいそう」
など驚きとともに、山本美月への影響を心配する声がネットにあふれている。















