▲超新星残骸「かに星雲」
野本氏らの論文で電子捕獲超新星と予測された
平安貴族と言えば和歌!
というイメージが強いですが
日記を書いていた人も多いし
天体記録していた人もいます
(^_^;)
1982年に日本の天文学者が予測した理論上の「電子捕獲型超新星」の存在が観測によって裏付けられた。
太陽の8~10倍の質量を持つ恒星に起きる現象で、これまでシミュレーションでは確認されていたものの、その特徴を示す超新星は観測されていなかった。
カリフォルニア大学サンタバーバラ校の博士課程学生、平松大地氏ら国際研究グループは、2018年に日本の超新星ハンターが発見した「SN 2018zd」の観測結果から、その特徴を確認した。
成果は英国の国際学術誌『Nature Astronomy』にオンライン掲載された。
平安末期から鎌倉初期の歌人、藤原定家の日記『明月記』には、彗星や超新星など大きな天文現象「客星」に関する記述がある。
記録のひとつが示す位置にかに星雲があり、このことからかに星雲は、1054年の超新星の結果できた超新星残骸だと考えられている。
同様の記述は中国の宋の時代の記録にもあり、超新星は昼間でも23日間、夜は2年近く明るく見えていたという。
比較的暗いとされる電子捕獲型超新星だが、平安時代には驚くような見え方をしていたのかもしれない。
▲藤原定家の日記『明月記』
藤原定家(ふじわらのていか)は平安末期から鎌倉初期の歌人で,『新古今和歌集』の選者も務め,また『源氏物語』や『土佐日記』の研究者としても知られてい ます。
彼は『明月記』という日記風のエッセイを著しています。
『明月記』には多数の天文現象が載っていますが、最も重要なのは超新星の出現記録です。
超新星とは「新しく生まれた星」ではなく「新たに見えた星」で,それまで全く見えなかったところに突如として星が輝き出し,一夜にして10等級以上も明る くなります。
実は星の最期の大爆発で,星の生涯のうち最も劇的なシーンです。
望遠鏡のない時代の超新星の記録は、世界で7件しかなく、そのうち3件も記載がある本は『明月記』だけです。