宮崎駿監督による、1986年、スタジオジブリの初制作作品
さすが名作の誉れ高い作品で、水準の高さがゾクゾク伝わってきます
日本のアニメが世界中で絶賛されているのも分かります
それにしても、京都アニメ放火事件、つくづく残念です
(T_T)
宮崎駿監督による、1986年、スタジオジブリの初制作作品
さすが名作の誉れ高い作品で、水準の高さがゾクゾク伝わってきます
日本のアニメが世界中で絶賛されているのも分かります
それにしても、京都アニメ放火事件、つくづく残念です
(T_T)
補陀落船(ふだらくせん)って何だろうと思って読み始めた
熊野の海岸から船に乗り、死を覚悟して阿弥陀浄土をめざした補陀落渡海という捨身行
熊野には常に死がつきまとう
後白河を始めの院政期の歴代法皇が狂ったように参詣した熊野
やがて下々の民衆まで熊野に押し掛けるようになり「蟻の熊野詣で」と言われるほどに盛況となる
江戸時代になって民衆の行き先は伊勢になり、お祭り化、観光化してゆく
寂れた熊野は、純粋な信仰の場として残っていく
今でも熊野三山など紀伊山地は、修験道など日本の原始信仰を守り続ける聖地となっている
(^_^;)
▲那智参詣曼荼羅 一番下に見えるのが補陀落船
この横丁には
「鳥園」という焼鳥屋がありまして
ときどき行くことがあります
(^_^;)
どんどん街並みが変わるメガシティ東京。
ここにきて、新宿西口も再開発されるとの報道が。
小田急百貨店が建つ駅西口から、駅南口の「新宿ミロード」までの細長い地区が対象となっていて、2029年には地上48階建ての高層ビルに建て替わる予定とか。
計画しているのは東京メトロと小田急電鉄で、現在は、
「近隣住民の方々にご説明し、ご理解をいただいている段階」
(小田急電鉄)
つまりまだ正式な決定ではないというが、気になるのは再開発地域の先にある「新宿西口思い出横丁」の行方。
通称「しょんべん横丁」として親しまれているこの地域の歴史は、戦後の闇市に遡る。
日本の情緒を安く味わえると、最近は外国人観光客からも人気だ。
新宿大ガード脇の約2千平方メートルの地域に約80軒もの店がひしめき、1999年には横丁の半分近くを焼く火災があるなど、何度も存続が危ぶまれてきた。
ビル化の話も持ち上がり、03年には地権者たちによる「新宿駅西口地区市街地再開発準備組合」も立ち上がって、多くの店が賛成したと言われたが……。
「『組合』も意見がまとまらず頓挫しました。『思い出横丁』の再開発は、
行政庁および一般企業を含めまして、俎上に載ることはありません。
以来、再開発の話は皆無となっております」(新宿西口商店街振興組合)
どうやら、しょんべん横丁はこのまま残るようだ。
「あの存在は現代の奇跡」
とは居酒屋関連の著作も多いライターの大竹聡氏。
「闇市的な雰囲気で多数の店が集まる場所は、すでに大阪や名古屋にはなく、長崎の銅座など日本国内でも数カ所だけ。あの地域の空中権はすごい価値ですから、バブルの時代にもビル化などされずよくぞ生き残ってきたものです。権利関係が複雑なのが、かえって幸いしているんですね」
昭和の名残、いつまで。
日本の多くの山は、山伏による修験道の修行の場となっている
この修験道(しゅげんどう)とは何だろうか?
筆者は古代史関係の多くの本を書いている歴史作家で、本書では、この修験道の謎に挑んでいる
筆者によると、日本には縄文時代から続くアニミズム信仰があったが、仏教の流入に刺激されて、7~8世紀ころに上からの官製神道として、中臣神道が形成されてゆく
天智天皇派の中臣(藤原)鎌足と息子の藤原不比等が宮廷(天皇家)を実質支配し、自分たちに都合良く、歴史(日本書紀)と宗教(中臣神道)をまとめていく
この中臣神道からこぼれおちた、従来からの日本古来の信仰が、修験道になったという
このような経緯から、修験道の勢力は反藤原となり、さらに反権力となったので、時の権力者からは敵視されることが多く、「鬼」と呼ばれるようになる
はるか後の世の、明治維新による廃仏毀釈の真のターゲットは、仏教ではなく修験道だったと言う
藤原氏の権力奪取によって、これまで天皇家を支えてきた旧勢力は疎外され滅ぼされていくが、その残党は壬申の乱で一時復権し、やがてまた藤原氏が権力を奪い返す
こうして平安時代は、藤原氏と反藤原による権力闘争の場となる
その後の日本史の動乱の中で、修験道の勢力は常に、反権力の立場で歴史に関わってくる
著者は、藤原氏こそ日本史最大の悪党と考えているようだ
(^_^;)
4月に生まれて次が7月
出産ペースが速いですね
年に4回生むつもり?
(^_^;)
「スナネコ」の赤ちゃんが、新たに3匹誕生し、このうち1匹が今月12日から一般公開されることになりました。
アミーラの妹たち3匹のうち、1匹が衰弱していたため、動物園では人工保育に切り替えて世話をしていました。
生まれた時のおよそ5倍の370グラムまで育ったことから、今月12日から一般に公開します。
那須どうぶつ王国の櫻井大城飼育員は
「再び妊娠したと聞いた時は大変驚きましたが、
うれしさとともに責任を感じました。
元気いっぱいの赤ちゃんを多くの人に見てもらいたい」
と話していました。
一方、一緒に生まれた残りの2匹は母親ジャミールが育てていて、順調に成長しているということで、動物園は今後、公開の時期を検討するとしています。
「おかげまいり」は、江戸時代に起こった伊勢神宮への集団参詣
数百万人規模のものが、およそ60年周期(「おかげ年」と言う)に3回起こった
「ええじゃないか」は、特に最後の回(慶応3年・1867年)で発生した集団乱舞だが、これは明治元年の前年
著者は1912年生まれの京大出身の歴史学者なのだが、ガチガチのマルクス教信者のようで、階級闘争に結びつかないと価値を認めないようなところがあり、本書が刊行された1968年ころの時代精神(70年安保闘争のころ)が伝わって来る
観光旅行など多くの人には夢のような話だった江戸時代に、伊勢神宮めざして数百万人規模で「民族大移動」をしたという事実に驚く
伊勢神宮の近隣はもとより、遠く九州や東北地方からも、みんな歩いて伊勢をめざした
当時の人口(3000万人くらい)を考えると、長距離を歩ける者の3人に1人くらいが、民族大移動に参加したことになる
60年周期とすると、1867年の次は1927年(昭和2年)で、この時は金融恐慌など社会不安は大きかったが、「おかげまいり」は起きなかった
しかし、少し後に満州事変が起きて日中戦争に突入していくが、このころ日本軍は連戦連勝で、大日本帝国の支配地が広がることに熱狂している国民も少なくなかった
その次は1987年(昭和62年)で、バブルの真っただ中、日本中が狂喜乱舞した時代
さらに次は2047年ですけど、それまで生きてるかな~?
(^_^;)
▲伊勢神宮
映画「ええじゃないか」
▲バブルのころのジュリアナ東京
お姉さんたち 今は還暦くらい? (^_^;)
▲最近の伊勢神宮への集団参詣
夜這いに興味を持った作家と、若い頃に夜這いをしたことのある男の、手紙の交換という体裁で書かれている
冬には雪が3メートルも積もり、零下25度にもなるという山深い村の夜這いの体験が、淡々と述べられる
夜這いにもルールがあり
結婚が決まった娘には夜這いしない
まったく初対面の娘には夜這いしない
娘に断られたらすぐに帰る
などが守られていたそうだ
昭和30年代まで、日本の多くの田舎に残っていた夜這いと言う風習が、特に禁止された訳でもないのに、いつの間にか消えてしまったのはなぜだろう?
(^_^;)
ネコは年に2~3回
子ネコを生みます
(^_^;)
栃木県那須町大島の那須どうぶつ王国で「砂漠の天使」と呼ばれる世界最小級の野生ネコ「スナネコ」の雌3匹が誕生し、健やかに育っている。
雄のシャリフ、雌のジャミールが両親。
母親は4月末に雌のアミーラを産んだ後、今回生まれた3匹を妊娠し、7月9日の早朝に出産した。
2匹は母親が巣箱で育て、1匹は出産直後に低体温で衰弱したため人工保育に切り替えた。
現在の3匹の体長は約19センチ、体重は誕生時の3.5~5倍の約350グラムとなった。
今月12日からは人工保育で育った1匹を一般公開する。
名前は、アミーラの名前を公募した際に集まった候補から選ぶ。
飼育員の荒川友紀(あらかわゆき)さん(28)は
「鼻筋が通ったキリッとした表情と気の強さが魅力。
人気者になってほしい」
と話した。
他の2匹は巣箱から出るようになってから公開を検討する。
生まれて2か月半が過ぎました
もう赤ちゃんと言うより
小学生くらいかな? (^_^;)
いまや動物界において
カワイイと言えばスナネコ!
に決まりなんですけど
レッサーパンダもカワイイ! (^_^;)