80【ヒストリー】

大坂正明に懲役20年 人を死に至らしめた二人の男

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1952年9月21日生まれ(64歳)  1949年9月29日生まれ(67歳)

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 なんだか ドラえもんと

   ゾンビみたい

     (;´Д`)

 

新城市長・穂積亮次の略歴

1968年、都立小石川高校に入学。

1975年(22歳)、マルクス主義青年同盟(マル青同)のリーダーとして岡山大学北津寮を襲撃(岡山大学北津寮襲撃事件)。

内ゲバではなく、一般学生への無差別殺害目的による襲撃であった。

寮生多数に暴行傷害を加え、さらに寮に隣接する教養部グランドに集まっていた寮生たちに向けて、襲撃隊長の穂積亮次は「殺せ!ひき殺せ!」と叫び、街宣車を突入させた。

 故意に顔を目掛けてひき殺し、まだ息があるうちに生き埋めにした

事件で殺害された当時理学部化学科1回生・大沢真さんは、死体発見時に顔面が破壊された惨憺たる状態で、すぐに本人とは判別できなかった。

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ほとんど同じような凶悪虐殺事件の主犯なのに

 片方は現在 新城市長のイスに座っています

東名高速事故のあった愛知県新城市です

 ((((;゚д゚))))

 

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上の記事は当ブログで、大坂正明 逮捕の時(2017年6月、5年半前)に書いたもの

逮捕当時67歳だった大坂正明は、72歳になった

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大坂正明は、渋谷暴動事件(1971年11月、52年前)の殺人犯で、逃亡生活45年間

まさに映画「逃亡犯」のような悲惨な人生で、上の写真(右)の表情に刻み込まれている

その大坂正明への判決が、東京地裁で12/22(昨日)に出た(懲役20年)

5年半の裁判では、当時の学生運動で暴れた連中(すでにジイサンばかり)が証人になった

大坂正明は現在72歳、控訴して被告人死亡まで、裁判は続きそうな予感

上の記事で取り上げた穂積亮次は同じような過激派学生で、渋谷暴動事件の4年後の岡山大学北津寮襲撃事件で、

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バスで学生をひき殺したが、

うまく殺人ではなく傷害致死になり

わずか2年で出所している

同じように人を死に至らしめても、裁判所が「殺意あり」と認定すれば殺人罪、「殺意なし」なら傷害致死などで、刑期(ムショ暮らしの期間)がヒトケタ違ってくる

「殺せ!ひき殺せ!」と叫びながら人間をひき殺した男が、なぜ「殺意なし」になったのか、ちょっと興味があります

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大坂正明が殺したのが警察官で、穂積亮次の場合は普通の学生だったという、この違いも裁判では大きな違いになったかもしれません

社会の治安の根本を守るという意味で、

警察官へ危害を加えた者に対して

裁判所が厳しい判決を出す

というのは、まあ当然でしょうね

大坂正明が哀れな逃亡潜伏生活(45年間)を送っている間に、穂積亮次は政治家になり、愛知県の新城市長を2021年(一昨年)まで4期もつとめた

戦後の共産主義が猛威をふるった時期にたまたま大学生だった世代は、たまたま共産主義(共産教)に洗脳されてしまい、大坂正明のように悲惨な人生を送った者も少なくない

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だがそんな洗脳学生の中にも、要領よく立ち回って、大企業に就職したり(現在の大企業の社長や幹部になっている者も少なくない)、自分で事業を興したり(牛丼「すき家」の社長がまさにそう)、そして穂積亮次のように政治家(市長)になった者もいる

戦争とか革命とか、時代の大きなうねりの中で人の一生は翻弄される訳だが、犯罪者として悲惨な人生になる者もいれば、要領よく立ち回って、華やかな人生を過ごす者もいる

まさに人の世はドラマだなぁと思います

((((;゚д゚))))

 

哲学堂公園と井上円了 そして妖怪

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▲哲学堂公園

 

「君たちはどう生きるか」を書いた吉野源三郎が東大哲学科を出ているので思い出したのですが、中野区にある哲学堂公園を作った井上円了(いのうええんりょう、→)という人がいます

東洋大学の創設者で、新潟県長岡市のお寺の跡取りとして生まれましたが、東大哲学科を出て、寺を継がずに哲学者になり、明治大正の思想界に大きな影響を与えました

私の親が長岡市(旧山古志村)出身なので、今でも長岡には親戚が多く、長岡出身の井上円了に親しみを感じます

明治大正時代の哲学者というと堅物の学者先生を思い浮かべるかもしれないが、実はこの円了先生なかなかユーモアや遊び心のある人で、哲学の傍ら妖怪の研究もしている

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「ゲゲゲの鬼太郎」の水木しげるを思い出しますが、円了先生は妖怪というものを正面から「哲学的に」研究しています

今で言う民俗学のような研究もしていた訳です

都内には井上円了の事績が2つあります

哲学堂公園 中野区 釈迦、孔子、ソクラテス、カントをまつった「四聖堂」がある

東洋大学 文京区 キャンパス内に「井上円了記念博物館」がある

どちらもまだ行ったことがないので、近々歩いてみたいと思っています

(^_^;)

 

政治資金とイデオロギー 安倍ちゃん vs 財務省

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政治資金パーティー問題で、安倍派や二階派だけでなく、岸田派(宏池会)でも実際の収入より少ない金額を収支報告書に記載していた

東京地検特捜部もこれを把握し、経緯を調べている

元々、財務省の緊縮財政(キンシュクノミクス)による景気冷え込みに安倍ちゃんが切り込み、積極財政(アベノミクス)で景気を良くしようとしたことが背景にある

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そのため政界には 安倍ちゃん vs 財務省 という対立構図が出来た

安倍ちゃんが進めた積極財政(アベノミクス)と黒田日銀の円安誘導で、日本経済はデフレからの脱却に成功し、いまや世界がうらやむほどの好景気になっている

(景気実感は実際の景気よりかなり遅れるので、まだ実感出来てない人は多いと思うが)

そこに安倍ちゃん暗殺事件が起き、財務省は岸田に接近し、巻き返しをはかった

岸田に「××ミクス」と呼べるような経済政策を考える能力は無く、財務省(キンシュクノミクス)の言いなりになっている

そしてさらに財務省が台本を書き、東京地検特捜部による安部派つぶしが始まった

その火の粉が岸田派にも飛んできた、というのが現在の状況

安部派ばかりでは偏向捜査と批判されるので、それを避ける狙いかもしれない

アベノミクス成功のおかげで税収も伸びて財務省はウハウハなのだが、言いなりになる岸田が使える間にやっちゃえ!という感じで、財務省はなりふり構わず増税しまくっている

積極財政(アベノミクス)から緊縮財政(キンシュクノミクス)へ、一直線だ!

総理が岸田になった時点で予想されたことで、驚くことは何もない

選挙にカネがかかるという日本の政治風土が急に変わるはずもなく、政治家が資金集めに汲々としている状況は今後も続くだろう

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むしろ、そのような状況が政治家のパワーを削ぐので、政治家からのヨコヤリを排除して政治の主導権を握り続けたい官僚(財務省)にとっては都合がいい

政治とカネ(政治資金)のつながりを絶つのもいいが、それをやり過ぎればどうなるか?

もっと恐ろしいイデオロギー(宗教)

が幅を効かせるようになる!

共産党(マルクス教)や公明党(創価学会)などの宗教団体は、カネの替わりにヒト(信者、党員)を動員出来るが、ヒトが動いても政治資金としてはカウントされない

カネ(政治資金)の影響力が下がれば

ヒト(宗教団体)の影響力が上がる

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意図せざることとはいえ、財務省も東京地検特捜部も結果的に、共産党(マルクス教)などカルト宗教団体の先兵となって働いていることになる

イデオロギー(宗教)が政治を動かすと、十字軍から現在(ガザ戦争)に至る、気が遠くなるほど長い長~い悲劇(戦争や虐殺)になるというのが世界史の貴重な教訓だ

背中に宗教(正義)を背負ってる 正義の人 (→)は、トコトン残酷になれるので、罪悪感ゼロで敵を虐殺し続け、最後の一人になるまで「聖戦」を戦い続ける

それに比べるとカネ(損得)で動く世界は単純だ

どちらかが勝ちそうになると、みんな勝ち組に付けとばかりに裏切りが起こるから、実際の戦いはすぐに終わる

16世紀ヨーロッパでは宗教戦争(カトリックvsプロテスタント)で、100年以上もの間、普通の農民まで巻き込んで、血で血を洗うような戦争や虐殺を続けていた

まさに地獄のような状況

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そのころ日本では、天下分け目の大戦争(関ヶ原の戦い)があったが、わずか半日で終わっている

実際に関ヶ原で戦った武士は大変だったと思うが、関ヶ原周辺の農民は、弁当を持って山に登り、合戦を見物していた

(あわよくば、死者や落ち武者から武具金品を奪い取れる)

日本の戦国時代というと、日本中で毎日のように戦争をしていたと思う人もいるかもしれないが、誤解だ

当時の日本人の9割以上を占める農民(百姓)は、普通に農作業をしてコメを作り、秋になったらお祭りをしていた

たまに戦国大名の間で戦争が起きても、たいてい半日~数日で終わる

守勢が城にこもって持久戦をしても、食糧が尽きるので、せいぜい数か月で終わる

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ほとんどの農民(百姓)にとって、そんなことは関係なく、ひたすらコメを作って、夏になったら盆踊り(実態は乱交パーティー)

当時の盆踊りは今のキャンプファイアーのようなもので、電気が無いから明るいのは盆踊りの中心にある焚き火の周囲だけ

お目当ての女がいたら、盆踊りをしながら周辺の暗闇に誘い出し、あとはやりたい放題

農民(百姓)の中にも野心的な奴がいて、

「オレはビッグになってやるぅ!」

と武士になり(戦国時代は常に武士募集中だった)、中には秀吉のように天下を取る奴も出て来る

それは超例外で、農民(百姓)出身の下っ端武士は、たいてい戦場で虫けらのように死ぬ

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そいつが妻帯者の場合、残された妻は後家さんになるのだが、当時の農村には

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というスゴい風習があった!

村の若い衆が、真夜中に後家さんの家に忍んで来る

ダンナは死んで、もういないから安心だ

後家さんは村の若い衆に性的テクニック(前戯とか)を教授し、後家さんの性的欲求も満たされて、みんなハッピー

なんと牧歌的な世界だろう!

性に罪悪感を持たせるのはキリスト教の馬鹿げた風習で、江戸時代までの日本人は、性を大らかに楽しんでいたようです

ちなみに、この「夜這い(よばい)」という風習は、地域によっては、つい最近まで続いていたらしい(今でも続いてるかも)

イデオロギー(宗教)に毒されさえしなければ、人間は理性(損得)で動く動物だから、滅多なことでは「地獄のような状況」にはならないんだよね

白河の清きに魚の住みかねて もとのにごりの田沼恋しき

(^_^;)

 

第53回 三島由紀夫氏追悼の集い『憂国忌』

▲最初の6分間ほど空白です

 

第53回 三島由紀夫氏追悼の集い『憂国忌

とき:令和五年十一月二十五日(土) 午後二時(一時半開場)

ところ:星陵会館大ホール(千代田区永田町)

プログラム:

総合司会 佐波優子

開会 主催者挨拶 代表幹事 玉川博己

開会の辞 富岡幸一郎(文芸評論家)

講演一 演題:君たち、改憲はいつになるのか

中西哲(前参議院議員)

講演二 演題:永遠の三島由紀夫と葉隠れ 1:21~

執行草舟(実業家・著述家)

閉会の辞 松本徹(前三島文学館館長)

合唱「海ゆかば」

代表発起人:

入江隆則 桶谷秀昭 竹本忠雄 富岡幸一郎
中村彰彦 西尾幹二 細江英公 松本徹 村松英子

憂国忌実行委員会:

宮崎正弘 玉川博己 菅谷誠一郎 佐々木俊夫 比留間誠司 他

 

53年目の憂国忌

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▲1970年11月25日、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で演説する三島由紀夫

 

今日は、憂国忌(ゆうこくき)です

憂国忌とは、作家・三島由紀夫の命日の11月25日で、憂国忌実行委員会が毎年追悼集会を開いています

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三島由紀夫は、今から53年前の1970年(昭和45年)11月25日に、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自決しました(三島事件

生きていれば今98歳で、再来年には生誕100年

熱烈なファンにとっては教祖的な人

三島事件の年、大阪では日本万国博覧会が開催され、日本中がお祭りムードに包まれていたので、かなりショッキングな事件として報道されました

三島由紀夫は、文学者としては文句なしの天才で、自決しなければノーベル文学賞は確実だったと言われています

三島由紀夫の師は川端康成ということになっていますが、川端康成自身も

「文学的才能は三島由紀夫の方がはるかに上」

と認めていたようです

三島由紀夫は三島事件の当日、市ヶ谷駐屯地の自衛官を前に壇上で演説をしました

上の写真(↑)はそのときのものです

このとき三島由紀夫は、自分が演説をすれば自衛官が同調して革命を起こせる、などと本気で信じていたフシがあります

実際は、三島由紀夫の演説を聴いていた自衛官から多くのヤジが飛び、まったく相手にされていなかったようです

芸術的な天才には、現実感覚のアブナイ人が多いように感じます

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三島由紀夫とか、坂本龍一(→)とか、芸術的な天才が政治に関与すると、現実離れしたおかしな言動をすることがよくある

天才というのは、脳内世界が常人に比べてケタ外れにデカいので、現実世界(リアル)より脳内世界(理想=イデオロギー)を優先しがちです

天才の現実感覚がアブナくなる原因の一つは、天才が先を読み過ぎてしまうこともありそうです

すべての天才がそうとは限りませんが、100年後がリアルに見えてしまう天才の現実感覚が、今現在のリアルからは遊離してしまうのは仕方のないことかもしれません

政治の世界で、現実よりもイデオロギーを優先すると、宗教政治になります

ナチス教、共産教、一神教(ユダヤ、キリスト、イスラム)など、世界史レベルの大虐殺のような悲劇のほとんどは、宗教政治が原因のように見えます

ですから多くの国の憲法で「政教分離」の原則を定め、宗教が政治に介入することを防いでいます

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政教分離原則で宗教団体の政治介入を防ぐことが出来ても、ある種の天才のような「宗教的人間」が政治家になることを防ぐことは不可能です

ヒトラー(→)も、才能の使い方を間違えたような感じはありますが、ある種の天才でしたし、もともとは芸術家(画家)です

(画家としての才能は、大したことなかったようです)

世界史的に見たら規模は小さいですが、天狗党の乱など、幕末の水戸藩の悲劇は、イデオロギーの怖さを感じさせてくれます

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これに比べると損得勘定の現実主義者の政治は、ときどきワイロに走ったりする程度で、カワイイもんだと思います

ただ日本のワイロは数十万円~数百万円といった金額でカワイイですが、チャイナチス中国共産党のワイロは数億円~数百億円ですからカワイくありません

わずか数十万円のワイロで日本の政治家が捕まっていると知ると、中国の政治家はビックリするそうです

今でもガザ地区などでは宗教戦争が続いており、宗教が関わる戦争は、数十年~数百年も続きます

どちらも自分は正義だと確信して「聖戦」を戦っています

もちろん純粋100%の宗教戦争というものは少なく、そこには領土紛争などの現実的な利害も絡みます

イデオロギー(理想、宗教)は非常に危険なのですが、さりとてイデオロギー無しでは人々のパワーを集めて大きな変革をすることはできない

そこに人間という生き物の、宿命的な悲しさを感じます

(^_^;)

 

▲川端康成ノーベル文学賞受賞(1968年)直後、三島由紀夫との対談

三島由紀夫は、この2年後(1970年)割腹自決している

さらにその2年後(1972年)川端康成も自決した

この対談の時、すでに死を覚悟していたのか? ((((;゚д゚))))

 

▲川端康成は、三島由紀夫とは違って寡黙な人なので

こうやって対談に出て来て話すのは非常に珍しい

堂々と話す三島由紀夫と、オドオドと話す川端康成

どっちが師だか弟子だか分からない (^_^;)

 

 

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▲三島由紀夫は、ネコが好きだった (^_^;)

 

藩校サミットを観る

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藩校(はんこう)とは、江戸時代に諸藩が藩士子弟などを教育するために設立した学校

藩校ではないが、江戸幕府にも公式の学校として昌平坂学問所(湯島聖堂)があった

藩校サミットでは、これも含む

詳細はここをクリック

 

品川駅の再開発

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▲品川駅中央通路

 

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東京の品川駅周辺が、さらに大きく変貌しつつあります

もともと品川駅の港南口には東京湾に面した倉庫が多くて、そこで働く港湾労働者や運送トラックの街、つまり肉体労働者の街でした

25年くらい前から品川インターシティなどの再開発が始まり、港南口にはソニー本社(→)、NTTデータ、キヤノン、ニコンなど、大企業のオフィスビルが次々に出来ました

今では、ちょっとした丸の内や大手町のようなオフィス街が形成されています

多くの倉庫跡地には高層マンションが林立して、現在ではタワマン街になっています

そしてごく最近、さらに大規模な再開発が品川駅周辺で進んでいます

リニア中央新幹線の始発駅建設(静岡県知事→が必死になって邪魔してますけどね)

JR品川駅と駅ビルの大改造(今までの高輪口駅ビルがショボ過ぎました)

高輪ゲートウェイ駅(↓)周辺の再開発(大型駅ビル、いくつも建設中)

高輪口の旧ホテルパシフィック跡地再開発(トヨタの東京本社などが出来ます)

京急とJRのホーム平面化工事(京急がJRと同じ1階へ下がってホームが1本増えますが、品川駅を出て横浜方面へ向かう京急線は、スグに急坂を登ることになります)

京急八ッ山橋跨線橋の掛替工事(「開かずの踏切」と言われていた京急八ッ山橋踏切が、立体交差で便利になりそう)

北品川駅周辺の再開発(★下の記事がこれです)

などが並行して進行中で、あと数年で品川駅周辺は、さらに大きく変貌します

 

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▲高輪ゲートウェイ駅

ほとんど「品川駅の中にある」と言っていいほど品川駅に近い

 

なお品川駅の南側に「北品川駅」があったり、「品川駅」なのに品川区ではなく港区にあったりとか、いろいろ歴史的な事情があって面白いですよ

下の地図にある「くら寿司」は、我が家から近いので、ときどき食べに行きます

この北品川駅の近くを旧東海道が走っていて、江戸時代を感じさせるレトロな商店街になってます

(^_^;)

 

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東京都品川区の「品川浦周辺地区再開発協議会」は、JR品川駅南側周辺で三つの再開発準備組合を2023年10月下旬に設立しました。

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約13ヘクタールの敷地を三つの街区に分けて、再開発ビルなどの建設を検討します。

対象区域は北品川一丁目と東品川一丁目にまたがるエリアです。

屋形船(→)や釣り船が停泊する品川浦を囲むように南、西、北の3街区に分かれ、うち西街区は京急本線の北品川駅が立地します。

北側はJR品川駅や同駅東口地区の再開発で整備した品川インターシティなどの高層ビル群が近接しています。

南街区
面積-約40,000㎡
準備組合-品川浦周辺南地区市街地再開発準備組合
準備組合設立-2023年10月28日
事業協力者-旭化成不レジデンス、東京建物、日鉄興和不動産、三菱地所グループ、五洋建設、大林組、東急不動産

北街区
面積-約60,000㎡
準備組合-品川浦周辺北地区市街地再開発準備組合
準備組合設立-2023年10月30日
事業協力者-旭化成不レジデンス、日鉄興和不動産、三菱地所グループ、清水建設、大林組、京浜急行電鉄、住友不動産、中央日本土地建物、東急不動産、長谷工不動産

西街区
面積-約35,000㎡
準備組合-品川浦周辺西地区市街地再開発準備組合
準備組合設立-2023年10月31日
事業協力者-旭化成不レジデンス、日鉄興和不動産、三菱地所グループ、五洋建設、清水建設、京浜急行電鉄

 

林芙美子の恩師 今井先生

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私は展覧会などへ行っても有料のパンフレット(その展覧会の展示内容をまとめた1000円くらいのパンフレット)はめったに買わない

でも今回の「林芙美子展」(→)のパンフレットは、内容が充実していたので買った

新宿歴史博物館のスタッフの水準は、かなり高いのかもしれない

その中に、芙美子の恩師についてのページがあった

芙美子は極貧の家庭環境で育ち、当時の常識から言えば小学校卒業と同時に女中奉公か何かで社会に出るのが普通だったと思うが、芙美子の文学的才能に気付いた小学校教師のすすめで女学校に進学した

親からの経済的援助は期待できず、昼は学校で夜は学費稼ぎのバイトという生活を送り、しかも周囲は富裕な家庭のお嬢さまばかりという、かなりキツイ女学校生活だったはず

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それなのに芙美子が女学校生活を余りツライと感じていない、むしろ良き思い出の時代らしいのは、この先生がいたことが非常に大きいのだろう

まさに「恩師」と呼ぶにふさわしい、芙美子にとってとても重要な存在で、この人が芙美子の才能を開花させたのかもしれない

性犯罪ばかり起こしている昨今の学校教師どもに比べたら別世界

さらに言えば、芙美子にとってもっと重要な人物は、いち早く芙美子の才能に気付いて進学をすすめた小学校の先生かもしれない

この人がいなければ、今井先生に出会うことも無かったのだ

(^_^;)

 

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▲女学校を卒業して2年21歳、東京での極貧生活の中から送ったはがき

下足番、女工、事務員、カフェーの女給などでギリギリの極貧生活

原稿を雑誌社・出版社に売り込んで回り、ときには拾われた

当時の原稿料は、現金書留や為替で送られてきたので

郵便配達が「林さん、書留でーす」と来ると、芙美子の胸は高鳴った

このころに芙美子がつけていた日記が「放浪記」の原形

 

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▲昭和4年26歳、今井先生へのはがき

前年(昭和3年)に雑誌「女人芸術」掲載の「放浪記」が好評

翌年(昭和5年)に「放浪記」の単行本が出てベストセラー化

芙美子は超売れっ子作家になった