皇居を歩く
日付: 2023年12月5日
目次のジャンル: ..皇居, 季節の風物, 山岳城, 歩くの大好き (^_^;), 江戸時代
かんちょうていにちじょう
▲最初の6分間ほど空白です
第53回 三島由紀夫氏追悼の集い『憂国忌』
とき:令和五年十一月二十五日(土) 午後二時(一時半開場)
ところ:星陵会館大ホール(千代田区永田町)
プログラム:
総合司会 佐波優子
開会 主催者挨拶 代表幹事 玉川博己
開会の辞 富岡幸一郎(文芸評論家)
講演一 演題:君たち、改憲はいつになるのか
中西哲(前参議院議員)
講演二 演題:永遠の三島由紀夫と葉隠れ 1:21~
執行草舟(実業家・著述家)
閉会の辞 松本徹(前三島文学館館長)
合唱「海ゆかば」
代表発起人:
入江隆則 桶谷秀昭 竹本忠雄 富岡幸一郎
中村彰彦 西尾幹二 細江英公 松本徹 村松英子
憂国忌実行委員会:
宮崎正弘 玉川博己 菅谷誠一郎 佐々木俊夫 比留間誠司 他
▲1970年11月25日、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で演説する三島由紀夫
今日は、憂国忌(ゆうこくき)です
憂国忌とは、作家・三島由紀夫の命日の11月25日で、憂国忌実行委員会が毎年追悼集会を開いています
三島由紀夫は、今から53年前の1970年(昭和45年)11月25日に、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自決しました(三島事件)
生きていれば今98歳で、再来年には生誕100年
熱烈なファンにとっては教祖的な人
三島事件の年、大阪では日本万国博覧会が開催され、日本中がお祭りムードに包まれていたので、かなりショッキングな事件として報道されました
三島由紀夫は、文学者としては文句なしの天才で、自決しなければノーベル文学賞は確実だったと言われています
三島由紀夫の師は川端康成ということになっていますが、川端康成自身も
「文学的才能は三島由紀夫の方がはるかに上」
と認めていたようです
三島由紀夫は三島事件の当日、市ヶ谷駐屯地の自衛官を前に壇上で演説をしました
上の写真(↑)はそのときのものです
このとき三島由紀夫は、自分が演説をすれば自衛官が同調して革命を起こせる、などと本気で信じていたフシがあります
実際は、三島由紀夫の演説を聴いていた自衛官から多くのヤジが飛び、まったく相手にされていなかったようです
芸術的な天才には、現実感覚のアブナイ人が多いように感じます
三島由紀夫とか、坂本龍一(→)とか、芸術的な天才が政治に関与すると、現実離れしたおかしな言動をすることがよくある
天才というのは、脳内世界が常人に比べてケタ外れにデカいので、現実世界(リアル)より脳内世界(理想=イデオロギー)を優先しがちです
天才の現実感覚がアブナくなる原因の一つは、天才が先を読み過ぎてしまうこともありそうです
すべての天才がそうとは限りませんが、100年後がリアルに見えてしまう天才の現実感覚が、今現在のリアルからは遊離してしまうのは仕方のないことかもしれません
政治の世界で、現実よりもイデオロギーを優先すると、宗教政治になります
ナチス教、共産教、一神教(ユダヤ、キリスト、イスラム)など、世界史レベルの大虐殺のような悲劇のほとんどは、宗教政治が原因のように見えます
ですから多くの国の憲法で「政教分離」の原則を定め、宗教が政治に介入することを防いでいます
政教分離原則で宗教団体の政治介入を防ぐことが出来ても、ある種の天才のような「宗教的人間」が政治家になることを防ぐことは不可能です
ヒトラー(→)も、才能の使い方を間違えたような感じはありますが、ある種の天才でしたし、もともとは芸術家(画家)です
(画家としての才能は、大したことなかったようです)
世界史的に見たら規模は小さいですが、天狗党の乱など、幕末の水戸藩の悲劇は、イデオロギーの怖さを感じさせてくれます
これに比べると損得勘定の現実主義者の政治は、ときどきワイロに走ったりする程度で、カワイイもんだと思います
ただ日本のワイロは数十万円~数百万円といった金額でカワイイですが、チャイナチス中国共産党のワイロは数億円~数百億円ですからカワイくありません
わずか数十万円のワイロで日本の政治家が捕まっていると知ると、中国の政治家はビックリするそうです
今でもガザ地区などでは宗教戦争が続いており、宗教が関わる戦争は、数十年~数百年も続きます
どちらも自分は正義だと確信して「聖戦」を戦っています
もちろん純粋100%の宗教戦争というものは少なく、そこには領土紛争などの現実的な利害も絡みます
イデオロギー(理想、宗教)は非常に危険なのですが、さりとてイデオロギー無しでは人々のパワーを集めて大きな変革をすることはできない
そこに人間という生き物の、宿命的な悲しさを感じます
(^_^;)
▲川端康成ノーベル文学賞受賞(1968年)直後、三島由紀夫との対談
三島由紀夫は、この2年後(1970年)割腹自決している
さらにその2年後(1972年)川端康成も自決した
この対談の時、すでに死を覚悟していたのか? ((((;゚д゚))))
▲川端康成は、三島由紀夫とは違って寡黙な人なので
こうやって対談に出て来て話すのは非常に珍しい
堂々と話す三島由紀夫と、オドオドと話す川端康成
どっちが師だか弟子だか分からない (^_^;)
* * * * * * * * * *
▲三島由紀夫は、ネコが好きだった (^_^;)
▲今年6月の報道
上の動画は今年2023年の6/20に、米国大統領バイデンが
「習近平は独裁者だ」
と発言したときのものです
そして一昨日、11/15の米中首脳会談後の記者会見でも同様に、バイデンは
「習近平は独裁者だ」
と改めて発言しました
これに対して中国政府は
「強烈な不満と断固反対」・・・(*)
などと、いつものように怒り狂っています
もちろんバイデンも、この程度の反発は十分に計算した上で少しからかって発言していますし、撤回するつもりもありません
中国政府やチャイナチス中国共産党は、上の(*)のような
修飾語(形容詞や副詞)を多用した表現
変な修飾語(熱烈に、強烈な、断固、など)の連発
を好みます
これは
文章表現力が乏しい、子供じみた言い方
であって、
知的能力の低い人、言語表現力の弱い人の文章に共通して見られる欠点
であると言えます
就職試験などでは、面接や小論文がよく課せられます
それは、受験者の発言や文章で使われている言葉を、それなりのレベルの人が聴いたり読んだりすれば、受験者の知的能力がだいたい分かるからです
上の中国政府の言葉(*)を、ひろゆき(→)が読んだら
「頭の悪い人って、形容詞が好きっスよねー」
とか言いそうな気もします
(^_^;)
▼昨日の報道
9/21に水道橋の後楽園(球場じゃなくて庭園、ここは旧水戸藩のお屋敷)を歩いて、私の中で水戸藩への関心が高まりました
水戸藩と言うと、水戸黄門(→)とか、幕末の桜田門外の変に登場するくらいのことは知ってたけど、詳しいことはよく知らなかったんだよね
それでネット(主にYouTube)で少し調べたら、とても興味深い藩というのが見えてきた
この「少し調べる」、そして調べたいテーマに大まかな当たりを付けたいとき、いきなり書籍や文献というのは少し大げさで内容も細かすぎるので、YouTubeというのは実に丁度いい情報源だと思います(おまけにタダだしね)
ただ、YouTubeには大量の動画があって玉石混淆なので、選ぶ目が重要になる
桜田門外の変(→)もそうなんだけど、とにかく水戸藩の歴史は血塗られている
特に幕末のころには、目を覆うような残酷な事件が次から次へと起きている
そしてその背後に独特のイデオロギーがある
今でもガザ戦争とかそうだけど、大量虐殺とか凄惨な事件の背後には、たいてい共産主義(共産教)とかナチズム(これも間違いなく宗教だ)とか、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教とかの一神教的イデオロギーがある
人間はイデオロギーを排して、デカルト(→)が示したように客観的事実と合理的推論だけを理性的に活用すれば、サイエンス(自然科学)が成し遂げたような偉大な成果を手にすることが出来る
逆にイデオロギーにハマリ込むと、狂気に走って泥沼のような悲惨な状況を招き易い
ただ、イデオロギーには人間に信じられないような活力をもたらす作用があり、イデオロギーで一致団結した集団は無類の強さを発揮するというのも否定しがたい歴史的事実だ
この辺、人間という生き物が不可避的に背負った宿命なのかなぁと思ったりもする
水戸藩とか会津藩のような幕末の悲劇的な藩を見て思うのは、視野の狭さということ
明治維新を推進した薩摩藩とか長州藩には、「運良く」イギリスやフランスと実際に戦火を交える機会があったので
「こりゃ今の状態で攘夷(じょうい、外敵を撃ち払うこと)なんて無理だわ!」
「本気で攘夷をするなら、まず開国して先進国に学び、国力を付けることだ!」
と悟ることが出来た
水戸藩とか会津藩には、地理的な宿命でそのような機会が無く、最後まで
「精神力があれば、夷狄(いてき、外国人)に撃ち勝てる!」
などと信じて突き進んでしまった(視野の狭さだ)
同じような精神状態になったのが、昭和の最初の20年間
真珠湾攻撃を決定した当時の日本政府首脳には、東条英機をはじめ、米国を自分の目でしっかり見たことのない連中が多かった
ハーバードに留学し、米国の怖さを熟知している山本五十六(←)はその重大な決定から外され、真珠湾攻撃の作戦立案だけを任された
人間は自分の目で見たことのないものには具体的なイメージを脳内に描くことが出来ず、自己中心的で現実離れした判断を下しがちになる(だから、現場を見ることが重要なんだ)
明治の初め、まだ明治新政府の基盤が固まっていない不安定な時期に、日本政府首脳がそろって欧米を2年間も見て回った(岩倉使節団、→)のは本当に心底スゴいことだと感心する
大久保利通をはじめ、このときの日本政府首脳の強烈なリアリズム(現実主義)には頭が下がる
プライドも理想主義もとりあえず横に置いて、とにかく自分の目で現実(現場)を見て、現実に立脚してものを考え、その上で強い国を建設しようとしてギリギリの覚悟をしている
まさに日本という国が消えて無くなるかもしれないという強烈な危機意識の中で、必死に西欧文明を学び取ろうとした旅だった
昨今の国会議員が税金で楽しんでいる物見遊山の海外視察とは、まるで次元が違う
そうやって当時の日本政府首脳が、西欧文明とか産業革命の具体的イメージを脳内に焼き付けた結果、明治維新のあとの文明開化は、世界が驚くほどの成功を収めることが出来た
その危機意識が薄れて、政府首脳の最大の関心事が「仲間内の人間関係」になったとき、真珠湾攻撃という人類史にも残る愚かな決断が下された
国家でも企業でも、首脳陣の関心事が外界(国家なら諸外国の動向、企業なら顧客や競合企業)ではなく、「仲間内の人間関係」になったときに、本当の恐ろしい危機が訪れる
第二次大戦末期、最前線では武器も食糧も尽き、餓死寸前で戦っていた
そのとき、東京の大本営幹部は毎晩のように赤坂や新橋の料亭で芸者をあげて宴会を開いていた
宴会が好きとか嫌いではなく、宴会に参加しないと「仲間」から外されてしまう恐れがあった
「付き合いの悪い奴」と見られたら、もうオシマイなのだ
当時の大本営幹部にとって、最前線での勝敗よりも、今晩の宴会の方が重大関心事だった
競争のユルい業界や企業には、「5時から課長」とか「宴会部長」みたいな人がいて、仕事はテキトーに片付けて、仲間内の情報交換や上司へのゴマスリに専念している人がいる
そんな人が出世して、本当に外を向いて仕事をしている人が不遇になると、いずれ本当の恐ろしい危機が訪れる
居心地が良くて人間を堕落させるものは色々あるが、「仲良しグループ」もその一つだ
国家や企業の首脳に限らず、もしあなたが何かの重要な判断をしようとしているとき、あなたの頭に浮かんでいるのが仲間の誰かの顔だったら、あなたは間違った判断を下そうとしているのかもしれない
そんな訳で、時々水戸藩についてのYouTube動画を眺めていたら上の動画があった
幕末の水戸藩の全体像と流れの概略を簡潔にまとめている
私も霊夢と魔理沙のゆっくり動画(→)を作ったりしたことがあるから親しみがわく
後楽園で始まった水戸藩への興味で、次は水戸の弘道館などを見に行こうかなぁなどと考えている
旅をすると歴史への関心が高まり、それがまた次の旅を誘発する
こんな旅と歴史の関係の中で、毎日を過していきたいなぁと思う今日このごろ
(^_^;)
イスラエル軍報道官ハガリ(↑)は、
「部隊はガザ海岸とガザシティ南に達して、
ガザシティを包囲した
ガザ地区は、ガザ北部とガザ南部になった」
と述べて、ガザ地区を軍事的に南北に分断したと明らかにしました。
イスラエル軍は引き続きガザ地区の北部から南部への住民の退避を促しています。
今後、中心都市のガザシティがある北部への攻撃を強化するものとみられます。
* * * * * * *
ガザ地区と東京横浜の面積比較マップ
イスラエル軍は、とりあえずガザを南北に分断し、まず北部から料理してハマスの本拠地を徹底的に潰し、それからゆっくり南部を料理する予定のようです
ガザ地区は上の図のように、東京23区と横浜主要部を合わせた程度の細長いエリアです
人口密度の平均は、東京都と同じくらいです(キロ平米6000人余り)
下の図のように、部分的には非常に人口密度の高いエリア(ガザシティ)もあります
そこがハマスの巣窟になっていて、地下トンネルの中にハマスの司令部や基地がある訳ですが、そのすぐ上の地上にパレスチナ住民が住んでいて「人間の盾」になっています
その地下には、ハマスの地下トンネルが網の目のように走り、その長さの合計は500キロとも言われています
ガザシティは、東京都心3区(千代田・中央・港)程度の広さです
私は時々お買い物で品川から川崎まで行くんだけど、これはJR東海道線で1駅8分の距離なのですが、これはガザ北部から南部へ行くくらいの距離(11キロ)です
もし品川から横浜まで行くなら、JRで2駅16分、ガザ南端エジプト国境(ラファ検問所)近くまで行ける距離(22キロ)ですね
11キロとか22キロって、歩いても数時間くらいの距離です
「そんな狭いところで戦争やってんの?」
という感じですけど、1か月で1万人が死ぬほど、激しくやってんですよ
もし今、東京と横浜の間で、わずか1か月で1万人が死んだら、どう思いますか?
イスラエル軍は、まずこの
北部にあるハマスの巣窟ガザシティを
他エリアから分離して孤立させる作戦
を進めており、狭いところを分断してもっと狭くして、ハマスの本拠地を集中的に攻撃するつもりのようです
古くからある戦略論の基本原則に
Divide and Conquer
(分断して征服せよ)
ラテン語では、Divide et impera
というものがあります
これはローマ帝国の偉大な戦略家ジュリアス・シーザー(→)の言葉ともされています
大きな問題を複数の小さな問題に分割して個々に解決してゆくという手法は、現代の企業経営における問題解決でも活用される原則です
いまイスラエル軍は、この戦略の基本原則に基づいて、粛々とハマス征服を進めるようです
イスラエル首相ネタニヤフが「これは戦争だ。全力で戦う!」と宣言した通り、容赦なく徹底的な反撃を加えることでしょう
いきなり善良な市民を1000人も虐殺され、人質を数百人も連れ去られたままなので、イスラエル国民の怒りは激しく沸騰しています
ハマスの奇襲を許したネタニヤフへの支持率は低下しており、今ハマスに対してヌルいことをすれば、ネタニヤフは即座に失脚します
もし今、日本の周辺国が突然、日本のどこか(日本海側の鳥取市とか、対馬とか)に数千発のミサイルを撃ち込み、テロリストが数百人も上陸して、
善良な日本人市民を1000人も虐殺して
人質を数百人も捕まえて連れ去った
としたら、あなたはどう感じますか?
そして自衛隊が敵に反撃している時に、まだ日本人の人質も捕らえられたままなのに、どこかの国の第三者が安全な場所で高見の見物をしながら
「日本は反撃をやめて停戦しろ」
などと言ったら、あなたはどう感じますか?
あるいは、まだ日本人の人質も捕らえられたままなのに、日本政府がろくな反撃もせず、日本の総理大臣が
「まず攻撃をしてきた国の指導者と話し合いをします」
などとヌルいことを言っていたら、あなたはどう感じますか?
((((;゚д゚))))
▲NATO加盟国の拡大経過
ロシア国境が長いフィンランドのNATO加盟はプーチンには痛かった
これでスウェーデンもNATOに加盟すれば
黒海に続いてバルト海でも、ロシア艦隊は覇権を失うかもしれない
ロシアのプーチン(→)によるウクライナ侵略戦争で、10月のウクライナ支援国の会合(50カ国以上参加)の中で、
欧米諸国とウクライナが停戦について
「ひそかに」協議を始めた
との情報が流れている。
米NBCニュースが11/4、複数の米当局者らの話として伝えた。
ウクライナがロシアに一定の譲歩をする見返りに、北大西洋条約機構(NATO)がウクライナの安全を保証し、ロシアの再侵略を防ぐ案が浮上しているという。
ウクライナのゼレンスキー大統領は従来、プーチン露政権との交渉を否定していたが、ウクライナも欧米側の意向を無視できない見通し。
* * * * * * *
中国の習近平(→)による台湾沖縄への侵略が、現在の日本にとって最も切実な安全保障上の問題です
ウクライナ、ガザ地区にNATOや米軍の勢力が投入されている今、不動産バブル崩壊で追い詰められている習近平が、ドサクサまぎれに台湾沖縄侵略に打って出る可能性は高い
そうなれば、日本の対応次第では、すでに実戦配備されて日本の人口10万人以上の都市に照準を合わせてある中国軍の弾道ミサイルが降り注ぎ、少なくとも数万人の日本人が死ぬ
ウクライナの戦場では、善良で健康な若者たちが毎日1000人レベルで死んでいますから、数万人程度は「軽傷」かもしれません
1か月前に、ガザでこれほどの戦争が起きるとは、誰も考えていませんでした
1か月後に、台湾沖縄や日本がどうなっているか、正確なところは誰にも分かりません
習近平の考え次第です
米国にとっての優先順位は、
(1)イスラエル、(2)ウクライナ、(3)台湾
ですから、現在のウクライナとガザの状況のままでは、米軍の対中国抑止力は低くなる
ウクライナとガザでの
緊迫度が下がれば、米軍の余力が増える
ので、習近平の台湾沖縄侵略が難しくなる訳です
国際政治に敏感に反応する原油価格(↓)が、いま少し落ち着いてきているのは、この辺の事情(停戦協議)を反映したものであれば良いのですが・・・
((((;゚д゚))))
▲国際原油価格は、9/26をピークに少し落ち着いています
原油価格は国際緊張度を示す、最も信頼性の高い指標のひとつです
▲品川駅中央通路
東京の品川駅周辺が、さらに大きく変貌しつつあります
もともと品川駅の港南口には東京湾に面した倉庫が多くて、そこで働く港湾労働者や運送トラックの街、つまり肉体労働者の街でした
25年くらい前から品川インターシティなどの再開発が始まり、港南口にはソニー本社(→)、NTTデータ、キヤノン、ニコンなど、大企業のオフィスビルが次々に出来ました
今では、ちょっとした丸の内や大手町のようなオフィス街が形成されています
多くの倉庫跡地には高層マンションが林立して、現在ではタワマン街になっています
そしてごく最近、さらに大規模な再開発が品川駅周辺で進んでいます
リニア中央新幹線の始発駅建設(静岡県知事→が必死になって邪魔してますけどね)
JR品川駅と駅ビルの大改造(今までの高輪口駅ビルがショボ過ぎました)
高輪ゲートウェイ駅(↓)周辺の再開発(大型駅ビル、いくつも建設中)
高輪口の旧ホテルパシフィック跡地再開発(トヨタの東京本社などが出来ます)
京急とJRのホーム平面化工事(京急がJRと同じ1階へ下がってホームが1本増えますが、品川駅を出て横浜方面へ向かう京急線は、スグに急坂を登ることになります)
京急八ッ山橋跨線橋の掛替工事(「開かずの踏切」と言われていた京急八ッ山橋踏切が、立体交差で便利になりそう)
北品川駅周辺の再開発(★下の記事がこれです)
などが並行して進行中で、あと数年で品川駅周辺は、さらに大きく変貌します
▲高輪ゲートウェイ駅
ほとんど「品川駅の中にある」と言っていいほど品川駅に近い
なお品川駅の南側に「北品川駅」があったり、「品川駅」なのに品川区ではなく港区にあったりとか、いろいろ歴史的な事情があって面白いですよ
下の地図にある「くら寿司」は、我が家から近いので、ときどき食べに行きます
この北品川駅の近くを旧東海道が走っていて、江戸時代を感じさせるレトロな商店街になってます
(^_^;)
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東京都品川区の「品川浦周辺地区再開発協議会」は、JR品川駅南側周辺で三つの再開発準備組合を2023年10月下旬に設立しました。
約13ヘクタールの敷地を三つの街区に分けて、再開発ビルなどの建設を検討します。
対象区域は北品川一丁目と東品川一丁目にまたがるエリアです。
屋形船(→)や釣り船が停泊する品川浦を囲むように南、西、北の3街区に分かれ、うち西街区は京急本線の北品川駅が立地します。
北側はJR品川駅や同駅東口地区の再開発で整備した品川インターシティなどの高層ビル群が近接しています。
南街区
面積-約40,000㎡
準備組合-品川浦周辺南地区市街地再開発準備組合
準備組合設立-2023年10月28日
事業協力者-旭化成不レジデンス、東京建物、日鉄興和不動産、三菱地所グループ、五洋建設、大林組、東急不動産
北街区
面積-約60,000㎡
準備組合-品川浦周辺北地区市街地再開発準備組合
準備組合設立-2023年10月30日
事業協力者-旭化成不レジデンス、日鉄興和不動産、三菱地所グループ、清水建設、大林組、京浜急行電鉄、住友不動産、中央日本土地建物、東急不動産、長谷工不動産
西街区
面積-約35,000㎡
準備組合-品川浦周辺西地区市街地再開発準備組合
準備組合設立-2023年10月31日
事業協力者-旭化成不レジデンス、日鉄興和不動産、三菱地所グループ、五洋建設、清水建設、京浜急行電鉄