現代史

大坂正明に懲役20年 人を死に至らしめた二人の男

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1952年9月21日生まれ(64歳)  1949年9月29日生まれ(67歳)

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 なんだか ドラえもんと

   ゾンビみたい

     (;´Д`)

 

新城市長・穂積亮次の略歴

1968年、都立小石川高校に入学。

1975年(22歳)、マルクス主義青年同盟(マル青同)のリーダーとして岡山大学北津寮を襲撃(岡山大学北津寮襲撃事件)。

内ゲバではなく、一般学生への無差別殺害目的による襲撃であった。

寮生多数に暴行傷害を加え、さらに寮に隣接する教養部グランドに集まっていた寮生たちに向けて、襲撃隊長の穂積亮次は「殺せ!ひき殺せ!」と叫び、街宣車を突入させた。

 故意に顔を目掛けてひき殺し、まだ息があるうちに生き埋めにした

事件で殺害された当時理学部化学科1回生・大沢真さんは、死体発見時に顔面が破壊された惨憺たる状態で、すぐに本人とは判別できなかった。

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ほとんど同じような凶悪虐殺事件の主犯なのに

 片方は現在 新城市長のイスに座っています

東名高速事故のあった愛知県新城市です

 ((((;゚д゚))))

 

* * * * * * * * * *

 

上の記事は当ブログで、大坂正明 逮捕の時(2017年6月、5年半前)に書いたもの

逮捕当時67歳だった大坂正明は、72歳になった

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大坂正明は、渋谷暴動事件(1971年11月、52年前)の殺人犯で、逃亡生活45年間

まさに映画「逃亡犯」のような悲惨な人生で、上の写真(右)の表情に刻み込まれている

その大坂正明への判決が、東京地裁で12/22(昨日)に出た(懲役20年)

5年半の裁判では、当時の学生運動で暴れた連中(すでにジイサンばかり)が証人になった

大坂正明は現在72歳、控訴して被告人死亡まで、裁判は続きそうな予感

上の記事で取り上げた穂積亮次は同じような過激派学生で、渋谷暴動事件の4年後の岡山大学北津寮襲撃事件で、

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バスで学生をひき殺したが、

うまく殺人ではなく傷害致死になり

わずか2年で出所している

同じように人を死に至らしめても、裁判所が「殺意あり」と認定すれば殺人罪、「殺意なし」なら傷害致死などで、刑期(ムショ暮らしの期間)がヒトケタ違ってくる

「殺せ!ひき殺せ!」と叫びながら人間をひき殺した男が、なぜ「殺意なし」になったのか、ちょっと興味があります

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大坂正明が殺したのが警察官で、穂積亮次の場合は普通の学生だったという、この違いも裁判では大きな違いになったかもしれません

社会の治安の根本を守るという意味で、

警察官へ危害を加えた者に対して

裁判所が厳しい判決を出す

というのは、まあ当然でしょうね

大坂正明が哀れな逃亡潜伏生活(45年間)を送っている間に、穂積亮次は政治家になり、愛知県の新城市長を2021年(一昨年)まで4期もつとめた

戦後の共産主義が猛威をふるった時期にたまたま大学生だった世代は、たまたま共産主義(共産教)に洗脳されてしまい、大坂正明のように悲惨な人生を送った者も少なくない

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だがそんな洗脳学生の中にも、要領よく立ち回って、大企業に就職したり(現在の大企業の社長や幹部になっている者も少なくない)、自分で事業を興したり(牛丼「すき家」の社長がまさにそう)、そして穂積亮次のように政治家(市長)になった者もいる

戦争とか革命とか、時代の大きなうねりの中で人の一生は翻弄される訳だが、犯罪者として悲惨な人生になる者もいれば、要領よく立ち回って、華やかな人生を過ごす者もいる

まさに人の世はドラマだなぁと思います

((((;゚д゚))))

 

哲学堂公園と井上円了 そして妖怪

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▲哲学堂公園

 

「君たちはどう生きるか」を書いた吉野源三郎が東大哲学科を出ているので思い出したのですが、中野区にある哲学堂公園を作った井上円了(いのうええんりょう、→)という人がいます

東洋大学の創設者で、新潟県長岡市のお寺の跡取りとして生まれましたが、東大哲学科を出て、寺を継がずに哲学者になり、明治大正の思想界に大きな影響を与えました

私の親が長岡市(旧山古志村)出身なので、今でも長岡には親戚が多く、長岡出身の井上円了に親しみを感じます

明治大正時代の哲学者というと堅物の学者先生を思い浮かべるかもしれないが、実はこの円了先生なかなかユーモアや遊び心のある人で、哲学の傍ら妖怪の研究もしている

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「ゲゲゲの鬼太郎」の水木しげるを思い出しますが、円了先生は妖怪というものを正面から「哲学的に」研究しています

今で言う民俗学のような研究もしていた訳です

都内には井上円了の事績が2つあります

哲学堂公園 中野区 釈迦、孔子、ソクラテス、カントをまつった「四聖堂」がある

東洋大学 文京区 キャンパス内に「井上円了記念博物館」がある

どちらもまだ行ったことがないので、近々歩いてみたいと思っています

(^_^;)

 

映画「君たちはどう生きるか」

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今週の 米国 映画収益ランキングで、

1位:「君たちはどう生きるか」

3位:「ゴジラ-1.0」

トップ3に日本映画2本は、ちょっとした快挙かな?

私はまだどちらも見てないので、内容についてどうこう言えません

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「君たちはどう生きるか」(↑)は、吉野源三郎が1937年に出した哲学的な小説

1937年(昭和12年)は、盧溝橋事件が起きて日中が全面戦争に突入し、日米関係が緊迫の度を高めていたころです

そんな86年も前の本を、いまアニメ化しようと考えた宮崎駿監督(→)

よほど思い入れのある本なんでしょうかね?

著者の吉野源三郎という人は、東大哲学科を出て、何を思ったか26歳で陸軍に入り、2年後に辞めてからは反戦活動を始める

戦前に元陸軍将校が反戦活動をするのだから、軍や政府の上層部からにらまれるよね

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もう少し後になって第二次大戦末期、時の首相の東條英機(→)は、気に入らない奴(特に左翼=共産主義者)を片っ端から徴兵して、危険な最前線に送るという手段を使った

その結果、若い人はもちろん、かなりの年配者でも最前線で亡くなったり、死ぬような苦労をした

私が東條英機を好きになれない最大の理由がこれだ

自分の周りにゴマすりイエスマンばかり集めて出世させ、優秀な人材を煙たがって左遷したのもこいつ

人間のちっぽけさ丸出しで、とても一国の首相とは思えない

今でもこんなトップのいる組織は、方向性や活力を失ってダメになりやすい

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出陣学徒壮行会で「天皇陛下バンザイ」を叫んだのもこいつ(→)

こんな奴に送られて最前線へ出陣させられた学徒たちが気の毒だ

吉野源三郎も年齢的に最前線に送られておかしくなかったのだが(終戦時46歳)、運よくそうはならなかったようだ

もう少し若かったら、元軍人なんだから、間違いなく最前線送りだったと思う

戦前の左翼は命がけの覚悟が必要だったし、立派な人物も多かった

現在のふやけたパヨクとはまるで違う

戦後の吉野源三郎は、岩波書店で岩波新書や雑誌「世界」の創刊に携わり、当時の左翼運動の先頭に立った

戦後25年間くらいは左翼(共産主義)運動が盛んで、全学連などの学生が暴れまくり、日本も共産化しそうになったことがある

その最若年層に坂本龍一もいて、新宿高校で暴れていた

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戦争に負けた日本(吉田茂内閣)は、米国中心の自由主義陣営と講和して国際社会に再デビューした

このとき吉野源三郎など左翼陣営は、ソ連や中国など共産国を含んだ講和を主張していた

この左翼陣営の主張が通っていたら、やがて左翼運動が盛り上がった1960年ころに日本が共産化して、現在の中国や北朝鮮のような暗黒独裁体制の共産主義国家になっていた可能性もあって恐ろしい

このころ、安倍ちゃんの祖父の岸信介首相が

「共産勢力に勝つためなら、何でも利用しよう!」

ということで、カルト宗教の統一教会(反共団体だった)に接近し、これが今に至る自民党と統一教会の腐れ縁になった

実際、共産革命を主張する全学連が国会を取り囲み(↓)、岸信介も命の危険を感じた

今では信じがたいが、日本が共産化するかどうか、紙一重だった

 

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▲国会を取り囲んだデモ隊(1960年)

 

統一教会のおかげも少しはあったのか不明だが、日本は共産化を免れた

当時の大学生の多くや坂本龍一は、共産革命の成功を本気で信じていた

その熱っぽい雰囲気は、柴田翔「されどわれらが日々」を読むと伝わってくる

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第二次大戦中の英国首相チャーチル(→)

「ヒトラーに勝つためなら、悪魔とでも手を組む!」

と言ったらしい(史実かどうか知らんけど)

まさに岸信介はそれを実行し、悪魔(統一教会)と手を組んだ

チャーチルも岸信介も、相当な悪党だと思うが、東條英機よりははるかに人間が大きい

政治とは結局、力(パワー)の世界なのだから、必要とあらば猫の手でも悪魔の手でも借りるくらいの器の大きい悪党じゃなきゃいけないと思う

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黒船に乗ってペリーが日本に来てから170年、日本という国は随分と危険な橋を渡りながら現在に至っているのだなぁと思います

それでも何とか乗り切って来れたのは、徳川時代260年の天下太平の世で培われた民度の高さがあったからかな?

「どうする家康」終わっちゃったね

(^_^;)

 

* * * * * * *

 

追伸 大河ドラマ「どうする家康」の最終回

北川景子演じる茶々が、燃え上がる大坂城と血まみれの顔で最期に掃き捨てたセリフ

つまらぬ国になるであろう」

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「正々堂々と戦うこともせず、万事長きものに巻かれ

 人目ばかりを気にし、陰でのみ嫉み、あざける」

「やさしくて、卑屈な、かよわき者の国に」

まさにニーチェの言った「畜群」そのもの

器の大きい悪党のいない国ですね

(;´Д`)

 

 

▲映画「君たちはどう生きるか」予告編(2023年)

 

▲学徒出陣壮行会(明治神宮外苑、1943年)

 

▲全学連の安保闘争デモ隊(1960年)

 

第53回 三島由紀夫氏追悼の集い『憂国忌』

▲最初の6分間ほど空白です

 

第53回 三島由紀夫氏追悼の集い『憂国忌

とき:令和五年十一月二十五日(土) 午後二時(一時半開場)

ところ:星陵会館大ホール(千代田区永田町)

プログラム:

総合司会 佐波優子

開会 主催者挨拶 代表幹事 玉川博己

開会の辞 富岡幸一郎(文芸評論家)

講演一 演題:君たち、改憲はいつになるのか

中西哲(前参議院議員)

講演二 演題:永遠の三島由紀夫と葉隠れ 1:21~

執行草舟(実業家・著述家)

閉会の辞 松本徹(前三島文学館館長)

合唱「海ゆかば」

代表発起人:

入江隆則 桶谷秀昭 竹本忠雄 富岡幸一郎
中村彰彦 西尾幹二 細江英公 松本徹 村松英子

憂国忌実行委員会:

宮崎正弘 玉川博己 菅谷誠一郎 佐々木俊夫 比留間誠司 他

 

53年目の憂国忌

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▲1970年11月25日、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で演説する三島由紀夫

 

今日は、憂国忌(ゆうこくき)です

憂国忌とは、作家・三島由紀夫の命日の11月25日で、憂国忌実行委員会が毎年追悼集会を開いています

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三島由紀夫は、今から53年前の1970年(昭和45年)11月25日に、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自決しました(三島事件

生きていれば今98歳で、再来年には生誕100年

熱烈なファンにとっては教祖的な人

三島事件の年、大阪では日本万国博覧会が開催され、日本中がお祭りムードに包まれていたので、かなりショッキングな事件として報道されました

三島由紀夫は、文学者としては文句なしの天才で、自決しなければノーベル文学賞は確実だったと言われています

三島由紀夫の師は川端康成ということになっていますが、川端康成自身も

「文学的才能は三島由紀夫の方がはるかに上」

と認めていたようです

三島由紀夫は三島事件の当日、市ヶ谷駐屯地の自衛官を前に壇上で演説をしました

上の写真(↑)はそのときのものです

このとき三島由紀夫は、自分が演説をすれば自衛官が同調して革命を起こせる、などと本気で信じていたフシがあります

実際は、三島由紀夫の演説を聴いていた自衛官から多くのヤジが飛び、まったく相手にされていなかったようです

芸術的な天才には、現実感覚のアブナイ人が多いように感じます

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三島由紀夫とか、坂本龍一(→)とか、芸術的な天才が政治に関与すると、現実離れしたおかしな言動をすることがよくある

天才というのは、脳内世界が常人に比べてケタ外れにデカいので、現実世界(リアル)より脳内世界(理想=イデオロギー)を優先しがちです

天才の現実感覚がアブナくなる原因の一つは、天才が先を読み過ぎてしまうこともありそうです

すべての天才がそうとは限りませんが、100年後がリアルに見えてしまう天才の現実感覚が、今現在のリアルからは遊離してしまうのは仕方のないことかもしれません

政治の世界で、現実よりもイデオロギーを優先すると、宗教政治になります

ナチス教、共産教、一神教(ユダヤ、キリスト、イスラム)など、世界史レベルの大虐殺のような悲劇のほとんどは、宗教政治が原因のように見えます

ですから多くの国の憲法で「政教分離」の原則を定め、宗教が政治に介入することを防いでいます

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政教分離原則で宗教団体の政治介入を防ぐことが出来ても、ある種の天才のような「宗教的人間」が政治家になることを防ぐことは不可能です

ヒトラー(→)も、才能の使い方を間違えたような感じはありますが、ある種の天才でしたし、もともとは芸術家(画家)です

(画家としての才能は、大したことなかったようです)

世界史的に見たら規模は小さいですが、天狗党の乱など、幕末の水戸藩の悲劇は、イデオロギーの怖さを感じさせてくれます

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これに比べると損得勘定の現実主義者の政治は、ときどきワイロに走ったりする程度で、カワイイもんだと思います

ただ日本のワイロは数十万円~数百万円といった金額でカワイイですが、チャイナチス中国共産党のワイロは数億円~数百億円ですからカワイくありません

わずか数十万円のワイロで日本の政治家が捕まっていると知ると、中国の政治家はビックリするそうです

今でもガザ地区などでは宗教戦争が続いており、宗教が関わる戦争は、数十年~数百年も続きます

どちらも自分は正義だと確信して「聖戦」を戦っています

もちろん純粋100%の宗教戦争というものは少なく、そこには領土紛争などの現実的な利害も絡みます

イデオロギー(理想、宗教)は非常に危険なのですが、さりとてイデオロギー無しでは人々のパワーを集めて大きな変革をすることはできない

そこに人間という生き物の、宿命的な悲しさを感じます

(^_^;)

 

▲川端康成ノーベル文学賞受賞(1968年)直後、三島由紀夫との対談

三島由紀夫は、この2年後(1970年)割腹自決している

さらにその2年後(1972年)川端康成も自決した

この対談の時、すでに死を覚悟していたのか? ((((;゚д゚))))

 

▲川端康成は、三島由紀夫とは違って寡黙な人なので

こうやって対談に出て来て話すのは非常に珍しい

堂々と話す三島由紀夫と、オドオドと話す川端康成

どっちが師だか弟子だか分からない (^_^;)

 

 

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▲三島由紀夫は、ネコが好きだった (^_^;)

 

品川駅の再開発

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▲品川駅中央通路

 

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東京の品川駅周辺が、さらに大きく変貌しつつあります

もともと品川駅の港南口には東京湾に面した倉庫が多くて、そこで働く港湾労働者や運送トラックの街、つまり肉体労働者の街でした

25年くらい前から品川インターシティなどの再開発が始まり、港南口にはソニー本社(→)、NTTデータ、キヤノン、ニコンなど、大企業のオフィスビルが次々に出来ました

今では、ちょっとした丸の内や大手町のようなオフィス街が形成されています

多くの倉庫跡地には高層マンションが林立して、現在ではタワマン街になっています

そしてごく最近、さらに大規模な再開発が品川駅周辺で進んでいます

リニア中央新幹線の始発駅建設(静岡県知事→が必死になって邪魔してますけどね)

JR品川駅と駅ビルの大改造(今までの高輪口駅ビルがショボ過ぎました)

高輪ゲートウェイ駅(↓)周辺の再開発(大型駅ビル、いくつも建設中)

高輪口の旧ホテルパシフィック跡地再開発(トヨタの東京本社などが出来ます)

京急とJRのホーム平面化工事(京急がJRと同じ1階へ下がってホームが1本増えますが、品川駅を出て横浜方面へ向かう京急線は、スグに急坂を登ることになります)

京急八ッ山橋跨線橋の掛替工事(「開かずの踏切」と言われていた京急八ッ山橋踏切が、立体交差で便利になりそう)

北品川駅周辺の再開発(★下の記事がこれです)

などが並行して進行中で、あと数年で品川駅周辺は、さらに大きく変貌します

 

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▲高輪ゲートウェイ駅

ほとんど「品川駅の中にある」と言っていいほど品川駅に近い

 

なお品川駅の南側に「北品川駅」があったり、「品川駅」なのに品川区ではなく港区にあったりとか、いろいろ歴史的な事情があって面白いですよ

下の地図にある「くら寿司」は、我が家から近いので、ときどき食べに行きます

この北品川駅の近くを旧東海道が走っていて、江戸時代を感じさせるレトロな商店街になってます

(^_^;)

 

* * * * * * *

 

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東京都品川区の「品川浦周辺地区再開発協議会」は、JR品川駅南側周辺で三つの再開発準備組合を2023年10月下旬に設立しました。

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約13ヘクタールの敷地を三つの街区に分けて、再開発ビルなどの建設を検討します。

対象区域は北品川一丁目と東品川一丁目にまたがるエリアです。

屋形船(→)や釣り船が停泊する品川浦を囲むように南、西、北の3街区に分かれ、うち西街区は京急本線の北品川駅が立地します。

北側はJR品川駅や同駅東口地区の再開発で整備した品川インターシティなどの高層ビル群が近接しています。

南街区
面積-約40,000㎡
準備組合-品川浦周辺南地区市街地再開発準備組合
準備組合設立-2023年10月28日
事業協力者-旭化成不レジデンス、東京建物、日鉄興和不動産、三菱地所グループ、五洋建設、大林組、東急不動産

北街区
面積-約60,000㎡
準備組合-品川浦周辺北地区市街地再開発準備組合
準備組合設立-2023年10月30日
事業協力者-旭化成不レジデンス、日鉄興和不動産、三菱地所グループ、清水建設、大林組、京浜急行電鉄、住友不動産、中央日本土地建物、東急不動産、長谷工不動産

西街区
面積-約35,000㎡
準備組合-品川浦周辺西地区市街地再開発準備組合
準備組合設立-2023年10月31日
事業協力者-旭化成不レジデンス、日鉄興和不動産、三菱地所グループ、五洋建設、清水建設、京浜急行電鉄

 

林芙美子の恩師 今井先生

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私は展覧会などへ行っても有料のパンフレット(その展覧会の展示内容をまとめた1000円くらいのパンフレット)はめったに買わない

でも今回の「林芙美子展」(→)のパンフレットは、内容が充実していたので買った

新宿歴史博物館のスタッフの水準は、かなり高いのかもしれない

その中に、芙美子の恩師についてのページがあった

芙美子は極貧の家庭環境で育ち、当時の常識から言えば小学校卒業と同時に女中奉公か何かで社会に出るのが普通だったと思うが、芙美子の文学的才能に気付いた小学校教師のすすめで女学校に進学した

親からの経済的援助は期待できず、昼は学校で夜は学費稼ぎのバイトという生活を送り、しかも周囲は富裕な家庭のお嬢さまばかりという、かなりキツイ女学校生活だったはず

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それなのに芙美子が女学校生活を余りツライと感じていない、むしろ良き思い出の時代らしいのは、この先生がいたことが非常に大きいのだろう

まさに「恩師」と呼ぶにふさわしい、芙美子にとってとても重要な存在で、この人が芙美子の才能を開花させたのかもしれない

性犯罪ばかり起こしている昨今の学校教師どもに比べたら別世界

さらに言えば、芙美子にとってもっと重要な人物は、いち早く芙美子の才能に気付いて進学をすすめた小学校の先生かもしれない

この人がいなければ、今井先生に出会うことも無かったのだ

(^_^;)

 

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▲女学校を卒業して2年21歳、東京での極貧生活の中から送ったはがき

下足番、女工、事務員、カフェーの女給などでギリギリの極貧生活

原稿を雑誌社・出版社に売り込んで回り、ときには拾われた

当時の原稿料は、現金書留や為替で送られてきたので

郵便配達が「林さん、書留でーす」と来ると、芙美子の胸は高鳴った

このころに芙美子がつけていた日記が「放浪記」の原形

 

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▲昭和4年26歳、今井先生へのはがき

前年(昭和3年)に雑誌「女人芸術」掲載の「放浪記」が好評

翌年(昭和5年)に「放浪記」の単行本が出てベストセラー化

芙美子は超売れっ子作家になった

 

映画「放浪記」を観る

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10/22~24に原作「放浪記」を読む

10/26に新宿区落合の旧林芙美子邸(現記念館)見学

林芙美子の書斎(→)

そして今日10/29,映画「放浪記」を観る

まさに「放浪記」漬けの一週間 (^_^;)

原作は日記の抜粋なので、やや断片的でストーリー性が弱かったのだが、映画はちゃんと脚本で筋立てられている

しかもすでに原作を読んでいるので分かりやすかった

まず最大の印象は、主演・高峰秀子の秀逸な演技力

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高峰秀子(→)と言えば超美人女優だが、その美人度をぐっと抑えて地味な(ややブサイクな)化粧で登場

貧しさから来る卑屈さや悔しさを、表情や姿勢、歩き方など全身を使って見事に表現していてホレボレした

私がこれまでに観た日本映画が何百本になるか数えていないけど、間違いなくベストテンに入る素晴らしい作品

原作だけでは勝手に想像するしかなかった、大正末期から昭和初期にかけてのカフェーがどんな雰囲気だったのか、かなり具体的に感じ取るができる

以前に永井荷風原作の映画「墨東奇譚」(→)を観て、カフェーの場面があった

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この映画も実にいい作品で、「ベストテン」に入れたい映画

だからカフェーのそれなりのイメージはあったのだが、「墨東奇譚」で登場するカフェーは銀座にあった「タイガー」という当時の一流カフェー

今で言えば銀座の高級クラブのような、超豪華な内装や雰囲気

永井荷風は親が金持ちで、しかも小説が売れてますます金持ちになったので、そんな高級カフェーに出入りしていた

今日の映画「放浪記」の中のカフェーは、いかにも貧しい時代の場末のカフェーといったうらぶれた感じ

カフェーの客も接待する女性(女給)も、いかにも貧しげで、非常にリアリティがあった

この映画は1962年公開なので、制作に携わった人たちの頭の中には、少し前の時代のカフェーの記憶が生々しく残っていたはず

だから、かなりリアリティの高い再現かと思われる

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貧しさに辛苦しながら大成した作家と言うと松本清張(→)がいて、林芙美子と年代も近い(清張は芙美子より6歳下)

私は清張の大ファンで、彼の作品の大半は読んでいるのだが、彼の作品の背景にも、極度の貧しさがある

清張には軍隊経験(運良く国内勤務のみ)があるのだが、その自伝作品「半生の記」によると、彼は軍隊生活を余り苦にせず、むしろ楽しいと感じていたようだ

なぜかと言えば

「軍隊は毎日3回メシが食える」

というもので、清張の若き日の貧しさが想像できる

(もちろん最前線の戦争経験があれば、そんなことは言ってられないと思うが)

とにかく貧しさのせいか、清張の作品は暗い、徹底的に暗い、底なしに暗い

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私は清張作品、特に推理小説を読んでいると、いつも気分がトコトン暗くなり、何か背筋がゾクゾク寒くなるような恐怖感に襲われて、いい年して自宅のトイレに行くのも怖くなる

それくらい読む人を独特の小説世界に引き込むパワーがあり、読み始めるとやめられなくなるのが清張作品だ

清張原作の映画というと「砂の器」(→)が有名で、名作映画とし名高い

「放浪記」と似たような絶望的に貧しい場面もある

ただ私は、映画の出来として「砂の器」はさほどいい映画とは思えず、「放浪記」の方がはるかにいい

私は幸いにも余り実体験していないが、とにかく高度成長期(1960年~)より前の日本には、まるで空気のように「貧しさと空腹感」が充満していたようだ

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そんな貧しい日本が、わずか20~30年で、世界でも有数の豊かな先進文明国に駆け上がった

だから私の子どものころの日本は、今ほど豊かではなかったが、去年より今年、今年より来年が飛躍的に良くなるという時代

一人一人にはそれなりの悩みや苦労があったかもしれないが、日本社会全体としては「未来への希望」が充ち満ちていた

だから、今の若い人たちを見ると、私は少し気の毒な気分になる

貧しさと空腹感 → 未来への希望

これは世界史的に見ると、大変な「事件」だ

それより半世紀以上も前を生きた二人、時代も貧しさもよく似た清張と芙美子

だが、清張の底なしの暗さに比べると、芙美子の世界は妙に明るい

「お金が無い無い」と常にピーピーしているのだが、読んでいて気分が落ち込んで暗くなるようなことは少ない

これはもう、清張と芙美子の「気質の違い」のようなものなのだろうか

芙美子が割と社交的で、いつも近くに男(貧しいけど)がいたのに対して、若い頃の清張の周囲には女気や友人が乏しく、いつも孤独で古代史や文学の本を読んでいたようだ

芙美子が天性の文学的才能で突っ走った感じがするのに対して、清張は才能もさることながら、とにかく「努力の人」という感じがする

最近知ったのだが、清張は英語が得意だった

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大作家になってしょっちゅう海外へ取材旅行へ出かけるとき、出版社が現地通訳を用意してくれるのだが、清張は余り通訳には頼らず、自分で英語を話して取材していたらしい

清張は小学校しか出ていないので、英語が得意と知って意外だったが、小説が売れてお金が自由になってから、英語の家庭教師(もちろん外国人)を雇って、英会話の訓練を欠かさなかったそうだ

清張は晩年に自分の人生を振り返って

「とにかく、努力だけはした」

と語っているのだが、実に清張らしい、重みのある発言だと思う

芙美子はイケメン好みで、しかも「カネと力は無かりけり」のイケメンばかりにホレて、いつも貧乏生活で苦労している

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その一方で、近所に住んでいる、イケメンではないが芙美子にお金を貸してくれたりするスゴく「いい人」の印刷工・松田さん(映画では安岡さん、加東大介が好演)が芙美子にホレて「一緒に所帯を持ちませんか?」などと接近するのだが、芙美子は拒絶する

もちろん、芙美子(→)のイケメン好みもあるのだが、

やはり女は「安心感のあるいい人」よりも

「少し危険な雰囲気の男」に魅力を感じるのかなぁ

などと思ったりもする

すごくいい女がヤクザにホレて、親をハラハラさせたりするケースが世間にはよくあるように感じるが、この辺が関係しているのか?

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(でもそんな雰囲気の男は、たいてい浮気するんだけどね)

この2種類の男が芙美子の前で取っ組み合う場面もある

芙美子を取り巻く男たちには作家志望などの文学関係者が多く、性格的にはかなり危ないゆがんだ性格の男が多い(だから文学など目指す訳だが)

その中ではこの松田さん(安岡さん)と、芙美子の晩年の伴侶となった画家の手塚緑敏は、珍しくマトモな人物と言える(印刷工と画家で、二人とも文学には関係ないからね)

芸術の三大ジャンルとして、音楽、美術、文学があるが、文学が一番アブナイ人間が多いように思う(私の偏見かもしれないが)

自殺者が多いのも文学だ

もちろん、芙美子自身も相当にアブナイ女で、最近は薄れたとはいえ、かつて林芙美子と言えば「悪女」のイメージだった(だから魅力的なんだけど)

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林芙美子原作「放浪記」は、これまでに3回映画化されていて、成瀬巳喜男監督の当作品が一番評判がいいようだ

そんな訳で、他の2作品も観てみたい気もする

まあ、その前に森光子(→)の舞台「放浪記」かな

成瀬巳喜男監督による林芙美子原作映画には、他にも1951~1955年公開の「めし」「稲妻」「妻」「晩菊」「浮雲」などの名作があり、これから観るのが楽しみだ

(^_^;)