紅葉の御嶽渓谷を歩く
日付: 2023年11月15日
目次のジャンル: 多摩, 季節の風物, 山岳城, 歩くの大好き (^_^;), 神社仏閣
かんちょうていにちじょう
青梅と青海は文字も読みも超似ているので、青海駅に行くつもりで青梅駅に行ってしまったという悲劇が、時々発生するそうです
片道2時間かかりますから、確実に半日ツブレて、予定が滅茶苦茶になりますね
さすがに東京都府中市と間違えて、広島県府中市まで行ってしまうアワテ者は少ないと思いますが、東京都の府中市役所には、広島県府中市についての問い合わせ電話とか、しょっちゅうらしいですよ
日本の都道府県とか市区町村の境界線って、かなり複雑に曲がりくねってますよね
日本は歴史の長い国なので、「いろいろ複雑な事情」が反映されてるのだと思います
アメリカの州の境界線は超単純で、何でもシンプルな基準を作って割り切ってしまうアメリカ人の合理的な気風や、いかにも荒っぽい西部劇の時代を感じます
ワイオミング州とかコロラド州、四角い紙に印刷するには、紙の無駄が少なくて良さそう
原住民のインディアンには、それぞれの土地に対する愛着や、「いろいろ複雑な事情」があったと思いますが、白人との土地の奪い合いの戦争に負ければ、そんな愛着や事情は一切無視されて、狭い居留地に強制移住させられました
日本人が日本の国土にどれほど愛着を持っていても、一度でもロシアとの戦争に負ければ、そんな愛着は一切無視されて、日本人は全員、極寒のシベリア奥地に強制移住させられ、戦争になれば真っ先に最前線へ送られて、虫けらのように死ぬ訳です
競技かるたを題材にした人気漫画「ちはやふる」は、主人公の女子高生と幼なじみが府中市に暮らす設定。
主人公らが所属する、かるた会「府中白波会」は、実在の「府中白妙会」がモデル。
大國魂神社に初詣する場面も。
府中市の名前の由来は、奈良時代から平安時代の約四百年間、武蔵国の役所「国府」(↓)があったため。
府中市は人口26万人で、新宿から西へ約22キロ。
競馬場や刑務所のほか、農工大と外語大の二つの国立大キャンパスも。
広島県にも「府中市」がある。
広島県府中市も備後国の国府があった。
2006年に北海道伊達市と同名の福島県伊達市が誕生するまで、「府中市」は約50年間、国内で唯一の同じ漢字の市名だった。
市制施行は広島では1954年3月31日で、東京では同年翌日の4月1日。
わずか1日違いになったのは偶然か。
いつも思うんだけど、この種の写真って、なんでこんなに低画質なの?
テレビ番組のどうでもいいような動画でも、4Kとか8Kとかドンドン高画質化してるのに、犯人逮捕の決め手になる極めて重要な防犯カメラの映像が、昔からこんな感じのボケボケ画像
防犯カメラの世界だけ、技術進歩から取り残されているような、妙な印象を受けます
これでも無いよりマシだし、服装もかなり特徴があるので、たぶん犯人を知ってる人からの通報で、すぐ捕まるのかなとは思いますけど
安スマホでも高画質カメラが2台3台ついてる昨今ですから、防犯カメラも主カメラで顔認識したら、副カメラで顔だけをクローズアップして鮮明に高画質静止画撮影とか出来ないのかなぁ
AIとか使えば技術的には簡単に実現できそうなことが、なかなか実現しないのは、政治的な要因とか、行政が設けた時代遅れの基準とか、プライバシーへの過剰な配慮とか、何か別の要因があるのでしょうか?
最初から高画質を公表すると、警察の手の内がバレちゃうので、最初はボケボケを公開して社会の反応を待ち、有力な通報が無ければ徐々に画質を上げていくという戦略なのかな?
(^_^;)
東京都立大教授の宮台真司さんが刃物で刺された事件。
退院後の写真→
警視庁は逃走中の犯人が写った防犯カメラ映像を公表しました。
犯人は11月29日夕方、都立大・南大沢キャンパスで教授の宮台真司さん(63)の頭を後ろから殴ったうえ、刃物で首や後頭部などを複数回突き刺して重傷を負わせました。
犯人は、身長180から190センチの長身で、オレンジ色っぽいニット帽をかぶり、黒っぽい上下の服装に白っぽいスニーカーを履き、リュックサックを背負っていました。
首を切られたというので、都立大の教授を解雇されたのかと思いました
犯人が正気で、かつ本気で狙ったのなら、確実に仕留めるはず
命が助かったということは、サイコパスとかメンヘラ系の犯罪かもしれません
((((;゚д゚))))
宮台真司(みやだい・しんじ)が、首を切り付けられました。
宮台真司は、東京都立大学の人文社会学部教授で、現代社会や戦後思想などが専門。
警視庁によりますと11月29日16時半まえ、東京・八王子市の東京都立大の南大沢キャンパスで
「都立大の中で、男性が顔を切られた」
と目撃者の男性から110番通報がありました。
キャンパス内の路上にいたところ、頭を後ろから殴られたうえ、刃物のようなもので首を切られて病院に搬送されました。
命に別状ないということです。
▲都立大の南大沢キャンパス
元祖ジャニーズ系ですから
ジャニーズ事務所が買い取って
継続させたらどうでしょう?
これとは別に
日野市立新選組のふるさと歴史館
というのもあって、こちらは閉館しません
今回「休館」とありますが、再開時期未定の長期休館で、民間(ご子孫)のよる運営ですから、このまま再開せずオシマイという可能性もあります
(T_T)
幕末に活躍した新選組の副長・土方歳三(1835~69年)の遺品などを、土方歳三の生家跡に展示してきた「土方歳三資料館」(日野市)が、10月末で休館する。
土方歳三ゆかりの品を見学できる生家跡として、30年近く全国のファンに親しまれてきた。
土方歳三の兄の子孫である土方愛館長(50)は
「今後は違った形で土方歳三の息吹を
感じられる方法を考えていきたい」
と話し、一区切りを付ける決意をした。
土方愛館長は、木造平屋建ての土方歳三の生家で生まれ育った。
蔵で保管していた土方歳三の遺品を見たいと訪ねて来る人が後を絶たず、家の建て替えを機に、一部を資料館として1994年に開設し、遺品や史料を公開してきた。
土方歳三が少年時代、風呂上がりに相撲の張り手のけいこをしていたと言われる生家にあった大黒柱は、資料館入り口の 梁はり として残っている。
ネコみたいな名前の電気自動車ですが
なんと敗戦から2年、1947年に国産されました
敗戦にもメゲなかった
日本のエンジニア・スピリッツを感じます
(^_^;)
電気自動車「たま」は、1940年代後半から1950年代初頭にかけて、東京電気自動車株式会社が製造・発売していた、世界で初めて量産された電気自動車。
東京電気自動車株式会社は、立川飛行機の流れを汲み(1949年に本車両に因み「たま電気自動車株式会社」に改名、プリンス自動車工業株式会社の前身。
「たま」という車名は、工場の位置する地名の「多摩」から命名された。