秋の紅葉を楽しもうと思って
京都を中心に、西日本を旅しています
上の写真は、嵯峨嵐山の近く、保津峡の紅葉です
息を飲む様な美しい紅葉が広がっているのですが、
観ているのは私一人で、貸し切り状態
申し訳ないような気分です
(^o^;)
秋の紅葉を楽しもうと思って
京都を中心に、西日本を旅しています
上の写真は、嵯峨嵐山の近く、保津峡の紅葉です
息を飲む様な美しい紅葉が広がっているのですが、
観ているのは私一人で、貸し切り状態
申し訳ないような気分です
(^o^;)
▲高輪築堤(たかなわちくてい)
石に白い札のようなものが貼ってあるのは
正確に移築するために、石に番号をふっているのか
鉄道は軍事物資の輸送に重要な役割を果たすのに
明治の初めには、軍が鉄道建設の邪魔をしていた!
なんだか牧歌的な時代精神を感じます
(^_^;)
1872(明治5)年の鉄道創建時に東京湾の浅瀬に築かれ、現在のJR高輪ゲートウェイ駅(東京都港区)西側で見つかった「高輪築堤」が、来春にも佐賀市の佐賀城公園で部分的に復元される。
築堤建設を決めた旧佐賀藩出身の大隈重信(→)の没後100年の記念事業として、佐賀県が乗り出した。
築堤の石約400個を東京から西に900キロ離れた大隈ゆかりの佐賀市に運び、鉄道開業150周年も併せて祝う。
高輪築堤は、新橋~横浜間の鉄道開業に合わせて、現・田町駅付近から品川駅付近まで約2700mにわたり建設された。
佐賀城本丸歴史館(佐賀市)などによると、当時の兵部省(後の陸軍省と海軍省)の反対で付近の陸地に鉄道線路を通すことが出来ず、鉄道建設の責任者だった大隈重信らの判断で、海上建設に踏み切ったという。
当時は品川駅も海岸にあり、海岸から築堤を見て
「海の上を走る陸蒸気」
として観光名所にもなった。
▲東京八ツ山下海岸蒸気車鉄道之図 明治4年(1871)頃
実は明治4年、まだ鉄道は出来ておらず
これらの絵は、海外の資料をもとに想像で描いたらしい
そのせいか、変な形をしている (^_^;)
▲現在の田町付近を新橋方面へ走る貨物列車
1906(明治39)年頃、、左下は海
その後築堤は、付近の埋め立てで姿を消したが、JR東日本による品川駅周辺の大規模再開発に伴い、約800mが最近出土した。
このうち、国史跡に指定された120m分は保存されるものの、ほかは記録後に解体される。
そこで
「築堤の石垣から外された石の有効活用を」
と佐賀県が移築に名乗りを上げた。
奈良の鹿は、人間にナツキ過ぎて
やや野性味を失ってますが
その代わりに、人間界のルールを
身につけているようです
(^_^;)
動画を見た外国人の反応
・素晴らしい、日本の鹿は信号の色の意味を理解しているようだ。
・横断歩道を渡れる場所と理解しているだけでも凄い。
・動画を見ている最中、絶対に飛び出してはねられると思ったのに・・・
・私の国だと鹿は突然道路に飛び出してくるものだ。
そしてそれを避けようとして事故る人もいたりする。
・私の国でも高速道路の脇で毎日死んだ鹿を見かけるよ。
でも日本の鹿は交通ルールを守ってるなんて。
・日本は動物も交通ルールを守るんだね。
本当にリスペクトするよ。
・超凄い!
・Wow、なんて興味深い映像なんだ!
・This is a Japanese style.
・クソ笑ったよ。
日本の鹿は道路の渡り方まで理解してるなんて。
・この鹿はもう明らかに進化してると思う!
・アメリカの鹿は一体どうすれば日本の鹿のようになれるのか!?
・このような動物でさえ交通ルールを守ることができるなんて、もはや一部の人間よりも優秀じゃないか。
・私もこのような国に生まれたかった・・・
・日本の鹿は交通事故で死なないように交通ルールを守ってるんだね。
・このまま行けば日本の鹿は2030年には選挙権を手にするかもな。
初戦を制した藤井三冠、このまま連勝するのか?
将棋オタクさんたちの関心は、盤面だけでなく
お昼やおやつに何を食べたか?にも集まっています
(^_^;)
▲ライブビデオ▼
豊島将之竜王に藤井聡太三冠が挑戦する、第34期竜王戦七番勝負の第2局が、10月22・23日(金、土)に、京都府京都市「総本山仁和寺」で行われています。
▲ライブカメラ
小笠原付近で海底火山の噴火が続いているので、地震に警戒していたのですが、近づいてきた感じがします
東京など大都市の直下型地震や、富士山噴火などにならないといいのですが
((((;゚д゚))))
10月20日午前11時43分頃、熊本県の阿蘇山で噴火が発生した。
気象庁は警戒レベル3に引き上げ、入山規制を発表している。
火砕流が火口から1キロ以上のところに達したとして、阿蘇山の噴火警戒レベルを、火口周辺への立ち入り規制が必要な「火口周辺規制」の2から、山への立ち入り規制が必要な「入山規制」の3に引き上げました。
気象庁は、火口からおおむね2キロ以内では、噴火に伴い大きな噴石が飛んできたり、火砕流が流れたりするおそれがあるとして、警戒を呼びかけています。
阿蘇山では今月13日、火山活動が高まっているとして、気象庁が噴火警戒レベルを、危険度が最も低い1から2に引き上げていました。
▲無職の殺人犯・松原拓海(23)
▲熱湯をかけて虐殺された新村桜利斗くん(3)
吐き気のするような凶悪犯罪です
こうゆう凶悪犯罪者には絞首刑ではなく
釜茹での刑で処刑できるように
刑事訴訟法を改正していただきたい!
ヽ(`Д´)ノ
先月(2021年8月)、大阪・摂津市のマンションで、交際相手の3歳の長男に熱湯をかけてやけどをおわせ虐殺したとして、同居していた無職の殺人犯・松原拓海(23)が殺人の疑いで逮捕されました。
殺人犯・松原拓海は容疑を否認しているということです。
警察によりますと、8/31、大阪・摂津市鳥飼本町の20代の交際相手の女性が住むマンションの部屋(↓)で、女性の長男の新村桜利斗くん(3)の全身に熱湯をかけてやけどをおわせ虐殺したとして、殺人の疑いが持たれています。
▲殺人犯・松原拓海が、新村桜利斗くんを虐殺したマンション
女性は外出中で、当時は殺人犯・松原拓海と新村桜利斗くんの2人だけで部屋(↑)にいました。
救急隊が駆けつけたとき、新村桜利斗くんは上半身を中心に皮膚がただれ、居間であおむけに倒れていて、その後、病院で死亡が確認されたということです。
頭部から上半身にかけて皮膚がただれており、司法解剖の結果、死因は熱傷性ショックだった。
当時、新村桜利斗くんは、
「シャワーで遊んでいて、徐々に温度を上げ、
そのままひとりにしていたら声が聞こえなくなった」
などと説明していたということですが、その後の捜査で長時間にわたって熱湯をかけた疑いがあることがわかった。
殺人犯・松原拓海は、新村桜利斗くんの母親と、2020年10月に出会い系アプリで知り合い、交際を始め、ことし5月からは現場のマンションで同居していた。
警察は、事件に至る詳しいいきさつを調べています。
警察によりますと調べに対し、殺人犯・松原拓海は
「熱湯を故意に浴びせていません」
などと話し、容疑を否認しているということです。
警察によりますと、新村桜利斗くんについて、これまで、虐待などの情報は把握していなかったということです。
一方、ことし5月ごろに新村桜利斗くんの母親から行政機関に対し、殺人犯・松原拓海の暴力について相談があったという情報があるということです。
死亡した新村桜利斗くんが、殺人犯・松原拓海から虐待を受けているおそれがあることについて、周囲の人は摂津市役所に相談していました。
取材に応じた、母親の知人の女性2人によりますと、去年秋以降、親子が暮らすマンションに殺人犯・松原拓海が出入りするようになったということです。
そのころから、新村桜利斗くんの様子には変化が見られ、あまり笑わなくなったほか、外出先から帰宅したがらなくなったということです。
さらに、新村桜利斗くんが殺人犯・松原拓海から、たたかれて顔にあざができたとか、金属製のおもちゃを投げつけられたなどといった相談を母親から受けていたといいます。
このため女性らは、ことし6月、摂津市役所を訪れ、新村桜利斗くんが殺人犯・松原拓海から虐待を受けているおそれがあると相談していたということです。
女性の1人は
「このままでは新村桜利斗くんが亡くなってしまうので
早く対処してほしいと行政に相談しました。
『あの子、死んじゃうよ!』と訴えてきたのに、
すごく悔しく怒りを感じます」
と話していました。
もう1人の女性は
「新村桜利斗くんは、もともとは笑顔がかわいく、
あいきょうのある男の子でしたが、
殺人犯・松原拓海と出会ってから、
だんだん笑わなくなりました。
小さい小さい男の子が、大人の私たちやまわりの人を
疑いの目で見るようになったとも感じていました。
なぜ新村桜利斗くんが犠牲にならなければいけなかったのかと思い、
本当に悔しいです」
と話していました。
なんだか不気味で、ミステリアス!
こうゆう事件には、興味があります
常温で3年というのは、かなりすさまじい
人間の遺体と分からないほどだったと思う
((((;゚д゚))))
福岡県宗像市の民家で、ポリ袋に包まれた男性の遺体が見つかった事件。
福岡県警は9/10、この家に住む渋村美彦(58)を死体遺棄容疑で逮捕した。
DNA鑑定などから遺体は、渋村美彦の兄の渋村政憲さん(59)と判明。
「兄は約3年前に気が付いたら死んでいた。
そのまま放置した」
などと供述し、容疑を認めているという。
捜査関係者によると、渋村美彦は、宗像市自由ヶ丘8の自宅で、渋村政憲さんの遺体を遺棄した疑いが持たれている。
司法解剖の結果、死因は不詳で、外傷はなかった。
渋村美彦は、亡くなる前の渋村政憲さんの様子について
「体調が悪そうだった」
などと説明しているという。
事件は10/8午前、競売物件だったこの家に、立ち退きの強制執行で訪れた裁判所の執行官らが、室内で渋村政憲さんの遺体を発見して発覚した。
渋村美彦は9/3に家を出て逃走していましたが、9/10に宗像警察署に出頭。
「ネットニュースで遺体が発見
されたことを知り、出頭した」
と説明しているということです。
警察は渋村政憲さんの遺体に目立った外傷がなく、病死の可能性もあるとして詳しく調べています。
工藤会は極道界でも飛び抜けて凶暴で、ヤクザのくせにカタギに手を出して殺害しました
これは言語道断で、極道の風上にもおけない!
死刑は当然だと思います
工藤会の組織そのものも、壊滅まで追い込むべきでしょう
ただ、暴力団の有無に関係なく、世の中には凶暴な人間が、一定比率必ず発生します(統計的異常値)
暴力団には、その連中の受皿として、連中(チンピラ)に一定の規律を与え、極端な暴走を抑えてきた側面もあります
全ての暴力団を壊滅させると、半グレとか中国人ヤクザとか、もっと始末に負えない奴らが、世の中にハビコることになります
警察には、角を矯めて牛を殺すこと無きよう望みます
((((;゚д゚))))
福岡地裁は8/24の判決公判で、特定危険指定暴力団・工藤会トップ、野村悟に死刑を言い渡しました。
指定暴力団のトップに死刑が言い渡されるのは、全国で初めてです。
ナンバー2の田上不美夫には、無期懲役の判決が言い渡されました。
* * * * * * *
午後4時ごろ、足立勉裁判長(→)から死刑判決を言い渡されると、野村悟は
「公正な判断をお願いしたんだけど、
全部追認、追認。こんな裁判あるんか?
あんた、生涯、この事後悔するよ!」
と足立勉裁判長に向かって強い口調で脅迫した。
無期懲役を言い渡された工藤会ナンバー2の田上不美夫は
「ひどいな、あんた、足立さん!」
と述べた。
足立勉裁判長は冷静に2度、
「退廷してください」
とだけ求めた。
足立勉裁判長の勇気と公正さに、拍手を送りたいです
おそらく工藤会は、チンピラをヒットマンにして
足立勉裁判長の殺害を狙ってくるでしょう
警察は組織の名誉にかけて、足立勉裁判長を守っていただきたい!
万が一、足立勉裁判長のクビ獲られたら、警察幹部全員、切腹ものですよ
(^_^;)
野村悟(74、→)とはどんな男なのか。
「当時は痩せていて身長も低く、『ヤクザ』のトップ
になるような人間だとは思わなかった」
野村悟の幼なじみという70代の男はこう明かす。
野村悟は、裕福な農家に生まれ、6人きょうだいの末っ子。
1988年に母親から莫大な遺産を相続。
中学時代から素行が悪くなり、20代で暴力団の世界に入った。
「博徒」としても鳴らし、80年ごろからは小倉北区の繁華街の元すし店や自宅でサイコロの賭場を開帳。
野村悟は
「一晩に2億円以上の上がりがあった」
と話し、暴力団関係者や金融・不動産業者、近隣の市議や町議らも客だったと証言した。
1986年に工藤会の傘下組織の組長となって以来、豊富な資金力を背景に組織内の抗争をくぐり抜ける形で昇格していく。
母親からの遺産でのし上がる
鳩山由紀夫(←)に似てますね
(^_^;)
2000年に会長に就任し、工藤会の実質的トップとなり、組織内で人望を集めたとされる溝下秀男・前総裁が2008年に病死すると、誰も逆らえない権力者として振る舞うようになった。
そして2011年、総裁に。
周囲を自身の出身母体で固め、意に逆らうと一般人でさえ襲撃する「恐怖支配」が顕著になり、「みかじめ料」(用心棒代)の支払いを拒む飲食店や建設会社などが狙われる事件が相次いだ。
ある県警幹部は
「先代以上に『カリスマ化』を目指し、凶暴化したのではないか」
と指摘する。
私生活は結婚と離婚を繰り返した。
ワイン好きで自宅に業務用ワインセラーを備え付けていた。
夜は繁華街に繰り出すことが多く、ある古参組員は
「酒は強くないが、飲食店では女性従業員
への気配りもできるし、スマートだった」
と振り返る。一方で
「自宅で飲んでいるとすごい形相になり
『若いころにやられた奴のことを思い出した
あいつは絶対に許さん!』
と口にした」
と、執念深い一面をのぞかせることもあったという。
気のせいかもしれませんが
「経験したことがない大雨」
とやらが、しょっちゅう起きている!
そんな気がする今日このごろ
((((;゚д゚))))
一週間のなかに
四季があります
(^_^;)
北海道の上空には寒気が流れ込んだ影響で、北部を中心に冷え込みが強まりました。
稚内市の沼川では2.6度と、この時期としては128年ぶりの低い気温を記録しました。
稚内市民:「寒いですね。極端に寒くなったり暖かくなったり大変です」
稚内市沼川では12日午前5時前の気温が2.6度で、8月前半としては128年ぶりの強い冷え込みになりました。
朝から作業にあたる市民の口元からは、白い息が漏れていました。
また、5日前には33.7度の真夏日を記録した幌加内町朱鞠内でも午前5時前の気温が3.4度で、30度以上の気温差に市民も戸惑い気味でした。