昭和

貧しい育ちの大川隆法こと中川隆 「洗脳の科学」を研究して「幸福の科学」を起業する 宗教カルトを転々とした父親

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 貧しい生まれだが頭が良くて成り上がっていく

  ソフトバンクの孫正義(←)を思い出しますね

 貧しさやコンプレックスには

  人を駆り立てる上昇パワーもありますが

 どこか不安定な影のようなものも感じさせます

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無教会派、生長の家、共産党、新興宗教GLAなど

 宗教カルトを転々とした父親、中川忠義の人生が

中川隆(大川隆法)の人生に、大きな影響を与えたのは間違いなさそうです

父親のカルト体験から「カルト教祖はイケる!」と確信した商社マン中川隆(大川隆法)は

持ち前の頭脳を生かして「洗脳の科学」を研究し実践しました

  ((((;゚д゚))))

 

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幸福の科学」の教祖、大川隆法こと中川隆は、昭和31年(1956年)7月7日、父・中川忠義(幸福の科学内部での通称は善川三朗)母・君子の次男として、徳島県麻植郡川島町大字桑村に生まれた。

徳島からJRで40分ほどいった川島駅前の敷地20坪足らず、モルタル2階建ての小さな生家はいま空き家となっており、両親は現在、徳島市八万千鳥の敷地約120坪という、かなり大きな会員宅を無料提供されて住んでいる。

中川隆のこれまでの軌跡をたどるには、その父の中川忠義について触れなければなるまい。

中川忠義は大正10年(1921年)11月、父・源佐エ門、母・テルノの次男として麻植郡樋山地(現・鴨島町)に生まれた。

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地元の古老によれば、父の源佐エ門は小作のかたわら大工仕事もしていた。

その生活は村でも最底辺であったという。

その父も死に、昭和のはじめ、中川一家は川島町に新天地を求めたものの、生活は いっかな好転せず、昭和9年(1934年)、母と幼い子供ら4人は、東京の書店で働く異腹の兄を頼って上京することを余儀なくされた。

麻布台のボロ家に身を寄せた一家は、思い思いの働きで貧しい家計を支えた。

忠義によれば、この東京生活の間、矢内原忠雄門下の無教会派で学んだ後、乃木坂にあった「生長の家」の門をたたき、谷口雅春から じきじきの教えを受けるなど、いくつかの宗教遍歴をつんだという。

戦後、故郷に戻った忠義は麻植郡美郷村の中枝小学校の代用教員をつとめた。

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だが多感な性格から教職を投げだし、戦後の一時期は共産党運動に走った。

当時、一緒に運動にかかわった仲間によれば、忠義は只芳の偽名で、県委員会機関紙「徳島新報」の編集兼発行人をつとめていたという。

「只芳という名前から、ロハさんと呼ばれていた。共産党に入党はしていなかったが、機関紙の編集兼発行人だったから、みんなからは「アカ」と思われていた」

日本共産党中央委員会の理論政治誌『前衛』1984年11月号は「わが地方の日本共産党史(V)」として、徳島県を特集している。

そこにも古い活動家として中川只芳の名前が紹介されている。

共産党を離れてからの忠義は、当時めずらしかったマロングラッセの製造販売を手がけたり、毛糸の編み針の製造会社を興すなどしたが、いずれもうまくいかず、さらには結核に倒れ、1年間の療養生活を送らねばならなかった。

その間の生活は、理容学校出身の母・君子が、家の階下を床屋にして支えた。

忠義にようやく経済的安定の道がひらけるのは、かつて日共の運動仲間だった県畜産課職員を頼って、昭和39年(1964年)4月、社団法人・徳島県畜産会に就職してからのことである。

この間、忠義はたまたま徳島を訪れた生長の家系統の新興宗教GLAを主宰していた高橋信次の講演を聞き、深い宗教的感銘も受けている。

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多感な性格から政治的活動や宗教的遍歴を重ね、常に経済的不安につきまとわれてきたその忠義は、毎晩のように子供に向かって宗教に関する話をした。

その一方で、強烈な一流志向と上昇志向を植えつけた。

「どんな田舎の学校であっても、

 どんな小さな学校であっても、

 一番だけは違うよ。

どんな狭い地域社会においても、

 一番だけは値打ちがあるかもしれないよ」

片田舎での英才教育。

中川一家の近所での評判があまり芳しくないのは、ある意味で仕方のないことなのかもしれない。

「人柄は悪くはないんだが、忠義さんは ちょっと人を見くだしたところがある。

君子さんは君子さんで、あんまり息子自慢をするものだから、

誰もあの床屋には行かなくなってしまった」

佐野眞一著『幸福の科学主宰 大川隆法 挫折だらけの生いたち』から

 

古本屋で県民性の本を買う

吉田東洲 日本風土記 2023年03月01日08時41分30秒_01

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いつも前を通る古本屋には、店先の百円コーナーに大量の本が並べてあります

昨日、ふと立ち止まって見ていたら、上のような古本があったので買いました(他に4冊、ぜんぶ1冊100円)

以前に買った本が大量に「積ん読」になっていたりするので、最近は本を買うことが少なくなりました

しかも大抵の本は、アマゾンで注文すればすぐに(1~2日くらい)で送られてくるので、街の本屋で買うことは本当に少なくなった

そのせいで本屋が壊滅的に減っているのは悲しいことなのですが、やはりアマゾンの便利さにはなかなか勝てない(文明とは「便利さ」のことだと思います)

上の本は、昭和42年(1967年)発行ですから、半世紀以上も前の本です

当時の日本全国の県民性を扱っています

私は歴史がダイスキで、その中でも特に普通の人々(平民とか農民とか庶民)の生活や生き方の習慣、世界観がどんなだったかに興味があります

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柳田國男(→)や折口信夫らによって始められた民俗学のテーマですね

千葉県の佐倉市には、国立歴史民俗博物館(↓)というのがあって、日本の各時代の風俗習慣を実物展示しています

10年くらい前に見学に行ったのですが、展示量が膨大でとても1日では見切れず、また行きたいと思っています

今でも我々の日々の生活やものの見方考え方には、江戸時代やそれ以前から続く風俗習慣が根強く残っていて面白い

しかも風俗習慣には地域性があって、今でも関東と関西では別の国かと思うようなことがありますよね

これをさらに細かく分けて「県民性」として見ているのが本書のテーマです

交通や通信が発達して、県民性がだんだん薄れていくのは社会の必然ですが、完全に消え去るには、まだ長い時間(何世紀も)かかるような気がします

  (^_^;)

 

国立歴史民俗博物館

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そのときの写真へ

 

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東京科学大学 東京工業大学と東京医科歯科大学の統合後の名称

東京工業大学学長の益一哉   東京医科歯科大学学長の田中雄二郎

 

 

 

 

東京科学大学

どっかの新駅の駅名(→)みたいな変な名称にならないかと心配していたのですが、割と無難な名称に決まって安心しました

私は昨年末に応募して「先端研究大学」を提案しました

提案しておいて何ですが、先端とか卓越みたいな、レベルの高さを表す形容詞的な言葉は、時代が経過すると安っぽい方に意味が変化(陳腐化、インフレ化)するという避けられない問題があります

かつて「高等学校」とは、文字通り「高等な学校」という意味で、これから帝国大学(専門課程)に進む予定の当時の超エリート(高級官僚予備軍)たちが、その前に寮生活で青春の一時期を過ごしながら(旧制高校は全寮制だった)、人生いかに生きるべきかを思索し、「高度な一般教養」を身につける場だったのですが、戦後の学校制度改革(旧制高校→新制大学教養課程、旧制中学→新制高校)などを経て、いま高等学校(高校)という言葉の意味は、かなり下がっているのはご存じの通り

旧制第一高等学校(現在の東京大学)の寮歌に、栄華の巷低く見て」(↑)という一節があります

旧制高等学校と言えば、明治初期の創立から昭和23年の旧制高等学校廃止までの卒業生総数が20万人くらいしかいない、まさに当時の日本人社会の上位1%以下の、超エリート養成所でした

この「栄華の巷(ちまた)低く見て」の一節には、自分たちが国家社会を支えリードしていくんだという、優秀な若者らしい気負いや気取り(一種のエリート臭)があり、そのためには実社会の実利を離れた知識や学問を尊重し、俗世間の垢にまみれた発想を廃すべきだという精神貴族的な主張が強く感じられます

かつての旧制高等学校では、例えば哲学みたいな浮世離れした、日常生活にすぐ役立たないことこそ「高度な一般教養」として尊ばれたので、そのせいか今でも高校のカリキュラムには、実用性に乏しい内容が多く残っているような気がします

古文漢文や微分積分(みんな最後に「ブン」が付きますね)より、もっと実用的な、クルマの運転法、パソコンの基礎知識、マネー運用法、行政サービスの利用法など、大人の社会生活に必要な実用知識技能を高校で教えるべきだという意見は根強いのですが、教育の世界はとにかくガチガチ保守的ですので、まったく実現していませんね

古文漢文や数学の教師たちが、失業して食っていけなくなると困るからかもしれず、何ごとも既得権益を壊すのは難しい

東京工業大学の創設時の名称は「東京職工学校」で、何だか今「職工」と聞くと非常に安っぽく感じますが、当時の「職工」は高級技術者という意味でした

東京医科歯科大学は、かつては「東京医学歯学専門学校」という名称で、大学ではありませんでした

明治時代の帝国大学医学部は医学研究者(研究医)を養成する場で、開業医などの臨床医はそれより一段下の医学専門学校で養成するというのが、明治政府の方針だったようです

そのことが医学専門学校(医専)出身の医者の学歴コンプレックスになり、戦後の学制改革などで、みんな「大学医学部」に格上げされてゴッチャになってしまいました

今回決まった東京科学大学の「科学」は、単純に(専門の)領域を表す名詞的な言葉で、レベルの高さを表す形容詞的な意味合いは無いですから、名称陳腐化(インフレ化)の危険は少ないと言えそうです

類似の既存大学名として私立の「東京理科大学」があって、こちらの英語名は、「Tokyo University of Science」であって、完全にカブるので「Institute of Science Tokyo」にしたのでしょうね

東京工業大学の従来の英語名「Tokyo Institute of Technology」は、略するとTITになるのですが、このTITという単語には「乳首」という意味があって、東工大関係者は長年、英語論文などでこの英語略称を使うことに多少の抵抗を感じていましたから、今回やっと解決しそうです

日本政府の兆円単位の大学ファンドからタップリ研究費をいただいて、ノーベル賞を量産し、明日の新産業をバリバリ生み出していって欲しいものです

 (^_^;)

 

 

2024年度に統合を目指す東京工業大学と東京医科歯科大学は、新大学の名称を「東京科学大学」にすると公表しました。

両校は昨年末、新大学名の提案を公募し、それを参考にしながら新大学にふさわしい名称を検討してきました。

その結果、新名称を「東京科学大学」として大学設置・学校法人審議会へ提出することで合意し、両校のホームページで公表しました。

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英語表記は「Institute of Science Tokyo」で、略称は「科学大」です。

両校は統合のうえ、「国際卓越研究大学」の認定を目指していて、認定されれば日本政府の10兆円規模の「大学ファンド」から多額の支援を受けられるようになります。

 

昭和9年の野球観戦 のどかな日常風景

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これまでの戦前(昭和20年=1945年以前)の動画は白黒ばかり

何となく現在とは異世界のような暗い印象だったんですけど、AIによるカラー化で印象が激変しました

青空の下で野球観戦、今の我々とさほど変わらない、のどかな日常があったんだなぁ

なんだか平べったい帽子が、流行ってたんですかね

あるいは後ろの人の視界を妨げないように、野球観戦は平たい帽子、というようなマナーがあったのかな?

核爆発

この10年後に日本は地獄になり、この動画で野球を見ている人の多くが、まさに地獄を見て亡くなっているはずです

この動画の時点(昭和9年=1934年)で、もっと米国に配慮した現実的な外交姿勢に舵を切っていれば、あの悲惨な地獄は避けられたかもしれません

当時の大統領ルーズベルトに、日本より中国を選ばせるほど、日本は無茶で愚かな外交をしてました

明治日本のリアリズム外交は影を潜め、戦前の昭和日本は、ファンタジー外交してました

ファンタジーは、文学やアニメでは重要ですが、政治や外交では無用です

弱肉強食の国際政治は、正義対正義の力によるぶつかり合いの世界ですから、ただ自国の正しさを主張するだけなんて、児戯にも等しいと思います

■プーチン ヒトラー

必要なのは徹底した国益の追求であって、国益にとって良い結果を出すためなら、悪魔とでも組むくらいの冷徹なリアリズムが必要だと思います

そうは言っても、当時の世界最悪の悪魔以下の野郎(ヒトラー)と組むなんて、狂気の沙汰です

こんな野郎を選挙で選んでしまうドイツ人の外交(政治)センスは、昔も今も余り変わってないような気がします

外交センスに点をつけるなら、アングロサクソン(米英)は相当な悪党だけど昔も今も80点、明治日本は60点、戦前の昭和日本は20点くらいかな

現在の中国(習近平)は20点、認知症プーチンは0点

ヒトラーは悪党だったけど、外交センスは40点くらいで、現在の赤組(中露韓北)よりはマシのように思います

  ((((;゚д゚))))

 

佐久間製菓が廃業 明治41年(1908)創業 「サクマ式ドロップス」を製造販売

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スーパーや100円ショップでよく見かける商品ですが、

  独特のネーミングの「缶に入っている飴」

で、そのレトロな感じが、少し目立っていました

とは言っても、特に何の特徴も無いただの飴ですから、価格競争になるのは必然

■牧場

明治、森永、グリコ、ロッテなど多くの菓子メーカーが必死になって新商品を開発し、差別化(Differentiation、最近は「差異化」と呼ぶことも多い)を計っている中で、ほとんど何もしないと言っていい牧歌的な経営

これで生き残って行けるなんて、「サクマ式ドロップス」には、よほど根強い昔からのファンがいるのかな?と思っていましたが、やはり時代の流れには抗しきれなかったようです

最近はギリギリまで粘って銀行不渡りで倒産という標準プロセスを踏まず、自主的に廃業を選ぶ企業が増えているそうです

それだけ日本企業の活力が落ちて、アキラメがよくなっているのかなと思ったりもします

「サクマ式ドロップス」と「サクマドロップス」が別な会社というのは、今日はじめて知りました

 (^_^;)

 

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サクマ式ドロップス」を製造販売する佐久間製菓(株)(豊島区)が、2023年1月20日に廃業する。

サクマ式ドロップスは、1908(明治41)年に完成。

太平洋戦争で工場などが被害を受けたが、1948(昭和23)年に再興した。

八王子市に工場を構え、高い知名度を背景に事業を拡大させていた。

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しかし、安価製品との競合のほか、その他のヒット商品に恵まれなかった。

さらに新型コロナウイルスの感染拡大による需要減も重なり、2021年9月期は1億5,173万円の最終赤字を計上し、財務内容が後退していた。

別会社で緑色の缶の「サクマドロップス」(→)などキャンディー製造のサクマ製菓(株)(目黒区)は、

「佐久間製菓の廃業に関する影響はなく、

 通常通りキャンディー製造を続けている」

とコメントした。

 

千日ビル火災50年

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昭和47(1972)年5月13日夜に発生し、死者118人を出した、大阪ミナミの千日デパートビル火災

日本のビル火災史上、最大の惨事

千日デパートビルというのは、デパートも入ってるけど、それ以外もゴチャゴチャ入ってる雑居ビル

雑居ビルの常として、防火対策がエーカゲン

動画の中に出て来るアルサロって、「アルバイトサロン」の略で、今でも関西にはあるのかもしれないけど、キャバクラみたいなもの

そのアルサロの元祖(この店が日本のアルサロ第1号)が7階に入っていて、火災の火元は3階だったが、7階にいたアルサロの客や従業員、合計181人が、煙や一酸化炭素に襲われた

警察の現場検証で、7階フロア内に96人の遺体が確認され、7階からの飛び降りや転落で21人、合計死者117人

このビル火災の死者のほぼすべてが、7階のアルサロ関係者だった

出火当時7階にいた181人のうち117人が死亡、死亡率65%という悲惨さ

歌舞伎町のキャバクラ火災(2001年、死者44人)を思い出します

ビル火災というと、白木屋、千日ビル、ホテルニュージャパンあたりが御三家でしょうか

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死者数で言うと、熊本の大洋デパート(104人)もスゴいんだけどね

白木屋は東京の日本橋にあったデパートで、居酒屋ではありません

戦前だったので、デパートの店員さんも着物で、下着をつけていなかったんだけど、下から見られるのを恐れて逃げ遅れ、死亡した女性がいて話題になったそうです

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ホテルニュージャパンは、まだ窓から炎を噴き出して燃えている現場の生中継をテレビで見て、心臓がバクバクしたのを覚えています(深夜だったけど、なぜか起きていた)

守銭奴を絵に描いたような社長(横井秀樹)もスゴかったなぁ

 ((((;゚д゚))))

 

▲白木屋デパートの火災(1932年)

 

心臓がバクバクしたホテルニュージャパン火災

 

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▲1960年ころの大阪のアルサロ

 

 

 

解体 中銀カプセルタワービル

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高校生のころ、建築家になりたいなぁと思った時期があって、当時は黒川紀章が国際的に大活躍、飛ぶ鳥を落とす勢いで、スゴく憧れました

某大学の建築学科に合格するところまでいったのですが、いろいろあって、別な道に進みました

黒川紀章は若いころ、若尾文子がダイスキだったそうで、若尾文子と結婚するために、それにふさわしい超一流の建築家になってやろうと企て、そして見事に二つの夢を両方とも実現してしまいました

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若尾文子(→)は、今でこそおばあちゃんですが、当時は日本の芸能界を代表する超美人女優で、これも飛ぶ鳥を落とす勢い、まさにゴールデンカップルでした

ちょっと深キョン(深田恭子)に似てますね

最後は選挙に出たりして、いまの若い人たちからは「変なおじいさん」に見られていたみたいですけど、いい人生だったんじゃないでしょうか

一流の建築家が設計した住宅が住みやすいか?

というと、これは余り期待しない方がいいです

建築家が「一流」と呼ばれるようになるには、いろいろ社会的に目立つ活動が必要で、そのためには、それまで世の中に無かったような奇抜な建築を設計する必要もあります

まあ芸能界に近いと言うか、今で言えばユーチューバーみたいに「目立ってナンボ」の世界なんで、話題性を追求して、かなり無茶な設計をする場合もあります

美術館とか商業ビルなら話題性も重要なんですけど、住宅となると話は別で、住みやすさと話題性は方向性がかなり違うような気がします

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イギリスの哲学者、フランシス・ベーコン(→)は、

「家は住むもので、人に見せるものではない」

という言葉を残していますが、当時(16-17世紀)でも、人に見せびらかすために家を建てる人が多かったのでしょうか?

それで、この「中銀カプセルタワービル」ですが、1972年に完成ですから、ちょうど50年

鉄筋ビルの耐用年数的には問題ないんですけど、大規模修繕が無かったそうです

大規模修繕をきちんと実行すれば、鉄筋マンションは50年よりずっと長くもつんですが、そのためにはマンション管理組合の運営がうまくいっている必要があります

詳しいことは知りませんけど、ひょっとするとスラム化していた可能性もありますね

何だか、20世紀が、昭和が、音を立てて崩れていくような気がします

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建築家・黒川紀章(←)の傑作「中銀カプセルタワービル」(東京・銀座)が老朽化のため解体されることになり、4/12から工事が始まる。

分譲住宅マンションとして1972年に完成したビルは、黒川紀章が提唱した建築理論「メタボリズム」の象徴。

140個の「カプセル」を取り付け、当初は新陳代謝するように25年ごとに取り換える構想だった。

しかし、実際には手付かずのまま老朽化し、大規模修繕も行われなかった。

 

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▲亡くなる直前に選挙に出た黒川紀章

自分が設計した選挙カーに乗り、妻の若尾文子と一緒に選挙活動した

ゆっくり動画へ

超大作怪獣映画

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今や国際映画界の超巨大スターに成長したゴジラ

 初代は1954年なので広島長崎からわずか9年

ポスター右上にも水爆大怪獣映画」とあって

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 当時の雰囲気が伝わってきます

ポスター左の文句は

「見よ!原爆の暴威!混乱と恐怖の大惨事!」

という日本国民の気持ちを代弁しています

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『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズの山崎貴監督(→)が、「超大作怪獣映画」(仮題)を撮影することが決まった。

舞台は、終戦直後の1945~47年(昭和20~22年)の日本。

1954年公開の初代「ゴジラ」と近い時代設定だ。

『三丁目の夕日』シリーズでもゴジラの出現シーンを盛り込み、

「昭和でなければゴジラは出せない」

と語っていた山崎監督。

映像制作会社「ロボット」は2月18日、

「東宝の新作映画『超大作怪獣映画 』の撮影がついに決定」

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として、ボランティアでエキストラに参加する人員を募集する告知を出した。

撮影期間は3月中旬~6月中旬、関東近郊での撮影を予定している。

時代設定は「1945~47年戦後の日本」とされているため、出演者全員が用意された時代にあった扮装をする。

そのため、「パーマ・男性の長髪」のほか、ヘアカラーもNGだ。

新型コロナ対策として「最低限ワクチン2回接種から2週間経過」が条件。

告知ページに詳しい条件が書かれている。

山崎監督は2007年公開の『ALWAYS 続・三丁目の夕日』の冒頭に、昭和30年代の東京をゴジラが破壊するシーンを盛り込んだ。

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当時インタビューに次のように答えていた。

昭和でなければゴジラは出せない

 と思っていて、以前もし自分がゴジラを作る

 としたらと考えたことがあって、それには

 昭和は切り離せないと考えたんです」

ゴジラ愛が強いことで知られる山崎監督。

西武園ゆうえんちで2021年5月からスタートしたアトラクション「ゴジラ・ザ・ライド」の映像を手がけている。

それだけにSNS上では特撮ファンの間で

「ひょっとして初代ゴジラのリメイクかしら?」

と推測する声も続出している。

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その一方で現時点で「ゴジラ」とは発表されてないことから、

「ゴジラとは語ってないし、どういうことなのか?

 まさかの大ダコ(↓)だったりして」

「 実はバラン、モスラ、ラドンの可能性」

など、初代ゴジラの当初の設定として知られる「大ダコ」や、ラドンなどの他の東宝怪獣ではないかと推測する声も出ていた。

 

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あさま山荘のカップヌードル

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 上の写真は、あさま山荘を包囲し

  カップヌードルを食べている

 機動隊の隊員さんたちです

  ちょうど半世紀前です

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あさま山荘事件は、半世紀前の1972年(昭和47年)2月19日~28日、軽井沢にある河合楽器製作所の保養所「浅間山荘」において、連合赤軍が人質をとって立てこもった事件である。

2月19日、極左組織「連合赤軍」の5人が、山荘管理人の妻を人質にして、浅間山荘に立てこもった。

浅間山荘を包囲した警視庁機動隊及び長野県警察機動隊が人質救出作戦を行うも難航し、死者3名(機動隊員2名、民間人1名)、重軽傷者27名(機動隊員26名、報道関係者1名)を出した。

 

* * * * * * *

 

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10日目の2月28日に部隊が強行突入し、人質を無事救出、連合赤軍の5名は全員逮捕された。

人質は219時間(約9日間)監禁されており、警察が包囲する中での人質事件としては日本最長記録である。

酷寒の環境における警察と犯人との攻防、血まみれで搬送される隊員、鉄球での山荘破壊などの衝撃的な経過がテレビで生中継され、日本中の注目を集めた。

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2月28日の最高視聴率は89.7%に達した。

同日のNHKの報道特別番組は、平均50.8%の視聴率を記録した。

現在でも、報道特別番組の視聴率日本記録である。

 

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事件現場は、平均気温がマイナス15度前後で、機動隊員たちの弁当は凍ってしまった。

やむなく、当時販売が開始されたばかりの日清食品のカップヌードルが機動隊員に配給された。

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手軽に調達・調理ができた上に、寒い中長期間の勤務に耐える隊員たちに温かい食事を提供できたため、機動隊員の士気の維持向上に貢献したといわれている。

このカップヌードル(←)を食べる機動隊員の姿が、テレビの生放送で幾度も大写しで報じられ、平均視聴率50%を超える注目度もあって、同商品の知名度を一挙に高めた。

直後から他県警や報道陣からの注文が相次ぎ、それが更に大きく報道されたことで、カップヌードルの売上は爆発的に伸びて、一躍ヒット商品となった。

 

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▼警視庁幹部が慰霊碑に献花

 

 

▼犯人の一人は、服役後、小学校の教師になっていた!

 

▼映画にもなりました(予告編)

 

▼映画2時間まるまる全部