ミュージック

槇原敬之と坂本龍一

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20年前の槇原敬之逮捕の時は、彼のCDは回収され、一応の謹慎はあったが、わずか4ヶ月で音楽活動に復帰している。

「実はその時の復帰には、ミュージシャンの坂本龍一の後押しがあったんです。

 坂本龍一は『アメリカでは考えられないこと』と回収や謹慎を否定するような持論を述べ、自らの年末のクリスマス・コンサートに槇原敬之をサプライズ出演させた。

 そんなこともあって、槇原敬之自身も世間からの批判には耳を傾けなかった部分があったと思います。

 逮捕から1年後にはオリジナル・アルバムまで発売しました」(当時を知る音楽関係者)

その後、SMAPに提供した「世界に一つだけの花」の大ヒットなどもあって、犯罪を犯しても「才能と実力さえあればミュージシャンは結果オーライ」という妙な〝実績〟を作り上げてしまった。

「おそらく、槇原敬之は自分の才能や能力さえあれば何をやってもすぐに復帰できる、許されるという、それこそ世間を舐めきった考え方があったのでしょう。

 よくも悪くも、ファンは応援してくれるという甘えというか、奢った考えを槇原敬之は20年前に学んだのだと思う。

 だとしたら、あの時に少なくとも犯罪を憎まず、逆に擁護し、槇原の背中を押したことは事実です。

 つまり坂本龍一にも道義的な責任があるはずです。

 そういった意味でも今回は坂本龍一に対しても猛省を促したいですね」

復活あずさ2号

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台風19号の被害で運休していたJR中央線の特急「あずさ」(松本-新宿など)や「かいじ」(甲府-新宿など)の運転が28日始発から再開され、長野県の中南信地方や山梨県と東京を結ぶ大動脈が16日ぶりにつながった。
甲府駅で午前7時18分発の新宿行きかいじ2号を待っていた東京都八王子市の大学3年、坂井勇樹さん(21)は

「各駅停車で甲府に帰省していたが、特急が動いてよかった。山梨県民にとって、あずさやかいじは生活の一部」

とほっとした様子。
午前7時39分発の東京行きあずさ2号に乗り込んだ会社員、高橋あずささん(38)は

「昇仙峡(しょうせんきょう)を観光するため高速バスで甲府に来たが、名前と同じあずさで帰れてうれしい」

と話した。
列車は平原綾香さんのデビュー曲「Jupiter(ジュピター)」の発車メロディーとともに走り出した。

 

ノーベル化学賞

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ノーベル化学賞の受賞が決まった旭化成名誉フェローの吉野彰さん(71)の気さくな人柄について、同社の社員はそう語る。

「ノーベル賞を取った今は『吉野先生』と呼ぶが、

 普段は友達のように『よっちゃん』と呼べる」

吉野さんの研究室で約5年、直属の部下として働いた松岡直樹さん(43)は

「成果が出ずに悩んでいる自分をいつも慰めてくれた」

と明かす。

最先端の科学を追究する身だが、意外にも験を担ぐ。

例えば、東海道線を使う際は、「13」という数字を避け、絶対に13号車は乗らない。

毎朝の日課は、NHKのテレビ体操。

ストレッチを兼ねており、仕事などの都合でできない日は、なんとなく落ち着かないという。

カラオケでは、中島みゆきさんの「時代」を好んで歌う。

苦しい時期もあった吉野さんの研究人生と重なる歌詞だ。

聴き比べ ラ・カンパネラ

0:00~  Andrei Gavrilov アンドレイ・ガヴリーロフ
3:52~  Behzod Abduraimov ベフゾド・アブドゥライモフ
8:23~  Evgeny Kissin エフゲニー・キーシン
12:22~  Josh Wright ジョシュ・ライト
17:16~  Khatia Buniatishvili カティア・ブニアティシヴィリ
21:14~  Lang Lang ラン・ラン
25:24~  Valentina Lisitsa ヴァレンティーナ・リシッツァ
29:49~  Yundi Li ユンディ・リ
34:17~  Nobuyuki Tsujii 辻井伸行

 


 

0:07~ Andre Watts アンドレ・ワッツ
4:35~ Daniil Trifonov ダニール・トリフォノフ
9:23~ Georges Cziffra ジョルジュ・シフラ
13:38~ Kema Gekic ケマル・ゲキチ
18:16~ Haochen Zhang チャン・ハオチェン
23:12~ Markus Groh マルクス・グロー
27:44~ Nobuyuki Tsujii 辻井伸行
32:08~ Seong-Jin Cho チョ・ソンジン
37:02~ Fujiko Hemming フジ子・ヘミング

 


 

01:05~  ヴァレンティーナ・リシッツァ  Valentina Lisitsa
05:28~  ラン・ラン  Lang Lang
10:04~  ジョルジュ・シフラ  Georges Cziffra
14:10~  チョ・ソンジン  Seong-jin Cho
19:14~  ダニール・トリフォノフ  Daniil Trifonov
24:04~  ユンディ・リ  Yundi Li
28:30~  ドミトリー・シシキン  Dmitry Shishkin
33:00~  フジコ・ヘミング  Fujiko Hemming
38:55~  辻井伸行  Nobuyuki Tsujii

5年かぁ

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シンガー・ソングライターの宇多田ヒカルさんが8月22日、自身のtwitterに「5年かぁ」と投稿した。
5年前のこの日、歌手で母親の藤圭子さんが亡くなったことから、フォロワーらの間では藤さんを偲ぶ意図があったのではとの見方が広がっている。
藤さんは2013年、東京都内の高層マンションから転落して亡くなった。
宇多田さんはこの4日後、自身の公式サイトで

「母が長年の苦しみから解放されたことを願う反面、

 彼女の最後の行為は、あまりに悲しく、

 後悔の念が募るばかりです」

などと綴っていた。
宇多田さんのツイート文言はこの言葉だけだったが、命日に合わせた投稿だっただけに、ファンらは藤さんの死について言っていると推測。
「今日は静かに思い出してあげてください」「心穏やかに過ごせますように」などのコメントを寄せた。

JASRACから音楽を守る党(J音党)

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 ある団体が競争の無い独占的権利を持つと
  だんだん堕落して利権団体になり
 世の中の反発を招くようですね  (^_^;)
 
 

「現在 JASRACから音楽を守る党 の設立準備を進めております」――。

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ツイッター上でこうつぶやいたアカウントが、1万リツイート以上され話題を呼んだ。
「JASRAC(ジャスラック)の不当行為を是正するための政治団体」の設立に向けて動き始めている男が。
音大を卒業し、会社経営の傍ら、クラリネット奏者でもある工藤尚規(なおき)さん。
彼は2019年7月26日、電話口で、その構想案を明かした。
 
「どうしてこんな著作権料の取り方をするのだろう」という不満
7月24日、ツイッター上で、「JASRACから音楽を守る党 設立準備会」というアカウントが、

「現在JASRACから音楽を守る党の設立準備を進めております。

 準備会の公式サイトは明日(25日)公開予定です。

 宜しくお願い致します」

と呟いた。
そのツイートは瞬く間にリツイートされ、26日現在1万2000を超えている。
この投稿には多数のリプライやDM(ダイレクトメッセージ)が寄せられ、「様々な意見を頂いており、参考にしたいと考えております」とウェブサイトの公開を29日に延期したほど反響が寄せられたという。
発起人の工藤さんは音楽大学を卒業し、その後中古パソコンなどの買取・販売やアーティストマネジメントなどを行う合同会社「初音(はつね)」の代表である。
アニメ・ゲームの演奏会の企画に加え、YouTuberとしての一面ももっている。

「自分自身が音楽大学を卒業している関係で、音楽の仕事もやっている。

 その時にコンサートを企画したりCDを作ったりだとか、

 音楽を配信するときに、JASRACに申請をだす。

 そこでJASRACに申請する側として、お客さんの立場として、

 『どうしてこんな著作権料の取り方をするのだろう?』

 と思うところがあった」

と自らのJASRACとのかかわりが、疑問をもつきっかけとなったという。

「自分の曲をライブで演奏するのにJASRACに申請する

 というのもおかしいわけで」

なぜ活動を始めようと思ったのか。
そこには21日投開票の参院選比例区で1議席を獲得した「NHKから国民を守る党(以下N国)」の影響があったという。
 
N国からの影響と相違点

「はい。それは確実にあります」

と工藤さんは電話口ではっきりとN国から影響を受けたと話した。

「『JASRAC問題』は、JASRACが音楽教室に著作権料を請求しているような

 問題が起き始めたころから『何かできないかな』という思いがあって、

 『N国』は以前から知っていたので、(2019年の)参院選までの活動1カ月

 くらいを見て、同じようなことができないかなという思いで

 (政党を)つくろうとしている」

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N国から1つの目的に向かって、改善などを求める点で影響を受けているそうだ。
今のところ1人で活動をしている工藤さんは、29日に公式サイトを公開。
その後、「JASRACのやり方に不満を持つ人」を募り、情報を集め、「精査」するという。
「アーティスト・音楽家」「JASRACに務めている(いた)人」「JASRACから徴収されているユーザー」などだ。

「(これらの人を)まず集めて情報を、いろいろなところであつめた問題点を、

 (私が)思っている問題点以外のものを精査していく」

と語った。
そして、「支援者」も同時に募る。
「まず政党として動かせるくらいの力を持てるかどうかが問題となる」と述べる工藤さんは、

「JASRACはNHKと違って、(利用する人以外は)身近な問題ではないので、

 そこでどれだけの人がこの問題に対して、

 『変えようという意思を持っていただけるか』というところを踏まえて

 支持がどれだけあるのかを確認して、

 どう設立して、政治家を輩出していくかを考えていく」

という。
自分の中で洗い出されている「問題点」はホームページに訴えていくつもりだ。
 
空席があっても「満席」分取られる著作権料
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工藤さんは口酸っぱく

「JASRAC解体が目的ではない」

という。

「JASRACの問題を法律改正により

 改善したいという想いがあります」

と焦点は法改正のようだ。
改善したい問題を3つあげた。

(1)音楽教室の著作権料支払い問題

(2)包括契約の問題

(3)著作権料の支払いに関する問題

工藤さんは「自身が経験したこと」として、コンサートなどの「座席数による著作権料の支払い請求問題」を挙げ、

「現在、コンサートにおける著作権料の支払いは座席数で決められています。

 これは音楽家の支出を増やし活動を阻害している一因でもあります。

 満席にならないコンサートがかなりの割合ありますが、

 支払いは満席である事が前提で請求されています。

 本来はチケットの売れた枚数、入場者数でカウントすべきものだと考えております。

 著作権等管理事業法の改正で是正したいと考えております」

と述べた。
ツイッターのアイコンは「J音党」。
読み方はまだ決めていないという。
アカウント名の「設立準備会」という表記について「本当に党として活動するときに外す」と述べた。
資金が集まらなければ「素直に受け止めて、解散する」らしい。
「長い時間をかけて国政選挙へ向けて準備」をしていくそうだ。

 
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明るい選挙~♪


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 選挙が近くなると
  この動画を見たくなります  (^_^;)
 

ひばり邸の「三婆」(さんばば)

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▲故美空ひばりさんの家政婦の3人

辻村あさ子、斎藤千恵子、関口範子

 
 いい話だなぁ~
  ひばりさん お元気なら今82歳
 戦後の歌謡界が生んだ 二番目の天才
  一番はもちろん 藤圭子   (T_T)
 
日本の戦後歌謡史に大きな足跡を残した美空ひばり
6月24日30回目の命日に当たる。
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生前のまま残る東京・目黒区青葉台の自宅(現在は、美空ひばり記念館)には、住み込みで働いていた「おのり」「ちーこ」「あさこ」が今も住んでいる。
ひばり邸の「三婆」(さんばば)とも「妖精」とも呼ばれる3人。
ひばりの死後30年たっても、あのころのまま「『お嬢さん』が生きていた時と同じように」と暮らし続けている。
3人の朝は午前6時、仏前で火打ち石を打つことから始まる。
公私にわたってひばりを支えた母、喜美枝が、舞台へ向かう娘のために祈りを込めた習わしだった。
母の没後は、ひばりが仏前で打つようになって、その習慣を3人が引き継いだ。
耳のいいひばりは、台所のテーブルを動かす、わずかな音でも目を覚ました。
だから静かに、お嬢さんを起こさないように朝食の支度をする。
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「今朝の食事はいかがでしたか」。
食事を担当してきた「あさこ」が仏前で尋ねる。
返事はない。
だが「おいしかったよ」という言葉を夢想して、あさこはひとり、うれしくなる。
日中は、自宅に併設する記念館をファンが訪ねてくる。
身近で見てきたひばりの素顔を今に伝える「語り部」としての役割が、3人の仕事だ。

「お客さんに『ひばりさんがここにいて、迎えてくれたみたいだわ』

 なんて言われると、本当にうれしくて」

現場で付き人を務めた「おのり」の笑みがこぼれる。
ひばりの主演映画やコンサートの録画を3人で見る。
映像に合わせて誰ともなく歌い出す。
かわいらしい衣装や小物を見れば「お嬢さん、こういうの好きよね」などと語り合う。
「飽きる? いいえ、お嬢さんの話題は次から次に出てきますから」。
おのりとともに現場の付き人だった「ちーこ」が破顔する。
現在のひばり邸を新築する際、3人に個室を、という話もあった。
だが、固辞してそのまま、豪邸の隅っこ、10畳の和室で川の字になって寝る。
「お嬢さんが夢に出てくることは、ほとんどありません。夢でもいいからお話ししたいのに。なぜでしょう」と3人は口をそろえる。
長年、公私にわたって芸能活動を支えた3人を、ひばりは生前、とても大切にした。
ひばりの死後、誰も「辞める」と言わなかった。
「出て行け」とも言われなかった。
付き人として、ひばりと暮らしたあのころのまま、昨日と同じ今日を生きていたら、いつのまにか30年がたった。
これからのことなど考えたこともない。
明日も今日のように生きるつもりだという。
3人の夢、生きがいは、昔も今も「お嬢さんのそばにいること」。
おのりは言う。

「たった一つの願いがかなった人生です。私たちは本当に幸せです」

(以上、敬称略)
「おのり」こと関口範子さんは1940年(昭15)、「ちーこ」こと斎藤千恵子さんは37年、ともに東京都で生まれた。
「あさこ」こと辻村あさ子さんは50年生まれで静岡県出身。
いずれも熱烈なひばりファンだったが、ひばりの母、喜美枝さんに声をかけられて、住み込みで働くようになった。
おのりは商社勤務を経て61年、ちーこは66年から、ともに付き人に。
あさこは農協勤務を経て73年から料理係を務めた。
それぞれのあだ名は、ひばりがつけた。
現在は、東京都目黒区の美空ひばり記念館で案内係としても働いている。