いま夜の7時、東京の夜の7時って、いい時間だなぁ
1993年、30年近く前の曲だけど、いい曲だなぁ
バブル崩壊の直後、まだバブルの余韻が残ってる感じ
(^_^;)
いま夜の7時、東京の夜の7時って、いい時間だなぁ
1993年、30年近く前の曲だけど、いい曲だなぁ
バブル崩壊の直後、まだバブルの余韻が残ってる感じ
(^_^;)
私は現実に起きた事件や事故を扱ったドキュメンタリー動画を見るのがダイスキなのですが、上の動画はとても良く出来ていたのでご紹介します
この動画は1995年に発生した警察庁長官狙撃事件を扱っていて、真犯人を確定したと信じている警視庁刑事部の立場から描かれています
現実には警視庁公安部の立場が優先され、警視庁の公式見解では「オウム真理教の組織的犯行」としながらも、真犯人(狙撃を実行した個人)を特定できず、時効となりました
大まかに言えば、警察など日本の官僚機構は、世界的に見ても非常に優秀な部類に属している、と私は思っています
しかし大きな欠点(弱点)も内包していて、それは
身内意識(帰属意識、組織愛)が強すぎる
こと、具体的に言えば何かあったときに、身内(上司、先輩、同期、部下、後輩)をかばい過ぎることではないかと思っています
ここで言う「身内」は、状況によって変化(拡大・縮小)します
例えば警察で言えば、警察外に対しては警察組織全体が「警察一家」となって身内を守りますが、警察内部で対立が生じた場合には、より小さい組織単位が「身内」(組織愛の対象)となり、いわゆるセクショナリズムが丸出しになります
上の動画の事件では公安部と刑事部が対立していますし、警視庁(東京都管轄)と神奈川県警の仲の悪さは昔から有名です
戦前の大日本帝国の陸軍と海軍の対立は有名で、陸軍には
「全力で海軍と戦い
残る余力で敵と戦え!」
という、ややジョークっぽい言葉まであったそうです
この強烈な身内意識(帰属意識、組織愛)は、一つの正しい決定に従って組織が一丸となって努力する時には偉大な長所にもなるのですが、組織の長といえども人間ですから、時には間違った決定が下される場合もあります
その時は、その決定を下した組織の長(上司、先輩)のメンツを考えて(忖度して)、その決定を間違ったものとして否定したり軌道修正したりするのが難しくなる、という大きな欠点(弱点)にもなります
おそらく、当時の公安部の幹部が
「犯人はオウム関係者だ!」
と断定して捜査を進め、途中からこの断定は間違っているのではないかと皆が薄々気づいても、断定した幹部のメンツを考えて、公安部全体が組織的にこの幹部を「かばった」可能性があります
多くのえん罪事件の背景には、警察の強すぎる身内意識や、幹部のメンツへの過度の忖度があるのかもしれません
それから、この動画の面白いところがもう一点、それは真犯人と思われる男、中村泰のキャラクターです
東大教養学部に在学中に、教授から「将来はノーベル賞を狙える頭脳」と言われたほどの優秀な頭脳を持ちながら
「スナイパー(狙撃者)になって
国家の運命を変えて見せる!」
と固く信じ、東大を中退して、スナイパーの道をトコトン突き進みます
これだけ自分の信じる道を迷うことなく歩めれば、コトの善悪を別にすれば、さぞかし充実した人生ではないのかなと、少しうらやましいような気分になります
ちなみに中村泰は現在92歳で、岐阜刑務所に無期懲役で服役中です
いやー人間って、本当に面白い生き物ですねー
(^_^;)
【追加】上の文章で「欠点(弱点)」として指摘した内容は、官僚組織や警察だけに特有のものではないと思っています
日本人が組織を作れば、必ず生じる欠点(弱点)で、一種の国民性のようなものです
もちろん私の脳の中にも、この欠点(弱点)の要素が含まれているはずです
それが余りにも日本社会に広く深く浸透しているので、すでに当たり前の空気のような存在となっていて、多くの日本人はそれを余り意識せずに生きています
でも組織のトップに立つ人が、この欠点(弱点)を意識しないで意思決定していると、組織(時には国家)をトンデモない方向へ導いてしまう恐れがあります
中村泰は頭の良い男ですから、すべてを悟った上で、自分を真犯人としない警察に対して「オレが真犯人だ!」と叫んで抗議しているのでしょう
これは確かに「国家の運命を変える」貴重な行為かもしれません
((((;゚д゚))))
トキワ荘の偉大な漫画家さんたちが次々に世を去り
非常にサミシイ気持ちです (T_T)
貸本屋で細々と始まった日本のマンガ文化ですが
今や世界を席巻するビッグビジネス!
(^_^;)
漫画家の藤子 不二雄Aさん、本名、安孫子素雄さんが、4/7午前、川崎市内の自宅で亡くなりました。
1951年より漫画制作を始め、
『忍者ハットリくん』(↑)
『怪物くん』
『プロゴルファー猿』
『笑ゥせぇるすまん』(→)
など数々のヒット作を著しました。
2008年に旭日小綬章を受章した際のインタビューでは、漫画を書き続ける情熱や、若い世代へ伝えたいことのほか、かつてコンビを組んだ藤子・F・不二雄さん、故・藤本弘さんへの思いを語っていました。
▲歌手の森高千里(52)がミニスカートのステージ衣装と私服姿を公開
ハッキリ老ける白人女性と違って、日本女性は余り老けない人が多いのですが、その中でも特に「老けない女」というのがいますね
もちろん本人の努力もあると思いますが、やはりほとんど天性のものでしょうか
彼女には22歳の長女と19歳の長男がいるそうですけど、
一緒に歩けば姉で通用しそうですね
(^_^;)
森高千里▲ ▼ブルックシールズ
天皇陛下は若かりしころ、ブルックシールズのファンだったそうですが
左がプリンセスならいいのですが、右が皇后陛下というのは想像しにくい
日本国民の一人としては、雅子さまで良かった~と思います (^_^;)
高校生のころ、建築家になりたいなぁと思った時期があって、当時は黒川紀章が国際的に大活躍、飛ぶ鳥を落とす勢いで、スゴく憧れました
某大学の建築学科に合格するところまでいったのですが、いろいろあって、別な道に進みました
黒川紀章は若いころ、若尾文子がダイスキだったそうで、若尾文子と結婚するために、それにふさわしい超一流の建築家になってやろうと企て、そして見事に二つの夢を両方とも実現してしまいました
若尾文子(→)は、今でこそおばあちゃんですが、当時は日本の芸能界を代表する超美人女優で、これも飛ぶ鳥を落とす勢い、まさにゴールデンカップルでした
ちょっと深キョン(深田恭子)に似てますね
最後は選挙に出たりして、いまの若い人たちからは「変なおじいさん」に見られていたみたいですけど、いい人生だったんじゃないでしょうか
一流の建築家が設計した住宅が住みやすいか?
というと、これは余り期待しない方がいいです
建築家が「一流」と呼ばれるようになるには、いろいろ社会的に目立つ活動が必要で、そのためには、それまで世の中に無かったような奇抜な建築を設計する必要もあります
まあ芸能界に近いと言うか、今で言えばユーチューバーみたいに「目立ってナンボ」の世界なんで、話題性を追求して、かなり無茶な設計をする場合もあります
美術館とか商業ビルなら話題性も重要なんですけど、住宅となると話は別で、住みやすさと話題性は方向性がかなり違うような気がします
イギリスの哲学者、フランシス・ベーコン(→)は、
「家は住むもので、人に見せるものではない」
という言葉を残していますが、当時(16-17世紀)でも、人に見せびらかすために家を建てる人が多かったのでしょうか?
それで、この「中銀カプセルタワービル」ですが、1972年に完成ですから、ちょうど50年
鉄筋ビルの耐用年数的には問題ないんですけど、大規模修繕が無かったそうです
大規模修繕をきちんと実行すれば、鉄筋マンションは50年よりずっと長くもつんですが、そのためにはマンション管理組合の運営がうまくいっている必要があります
詳しいことは知りませんけど、ひょっとするとスラム化していた可能性もありますね
何だか、20世紀が、昭和が、音を立てて崩れていくような気がします
(T_T)
建築家・黒川紀章(←)の傑作「中銀カプセルタワービル」(東京・銀座)が老朽化のため解体されることになり、4/12から工事が始まる。
分譲住宅マンションとして1972年に完成したビルは、黒川紀章が提唱した建築理論「メタボリズム」の象徴。
140個の「カプセル」を取り付け、当初は新陳代謝するように25年ごとに取り換える構想だった。
しかし、実際には手付かずのまま老朽化し、大規模修繕も行われなかった。
▲亡くなる直前に選挙に出た黒川紀章
自分が設計した選挙カーに乗り、妻の若尾文子と一緒に選挙活動した
6/12で開業150周年を迎える品川駅
日本で一番古い鉄道駅だそうです
いろいろお祭りするみたい
(^_^;)
▲昔の品川駅 駅のすぐ横が海岸だった
派手に引退公演とか大騒ぎしておいて
すぐに芸能界に戻っちゃう人が多い中
人気の絶好調で、これほど見事にスッパリ
キレイに引退した人は少ないですね~
(^_^;)
ついに山口百恵(63)がおばあちゃん!
山口百恵の息子、三浦祐太朗(37)と声優、牧野由依(36)夫妻(→)に第1子となる女児が誕生。
三浦友和(70)と山口百恵にとって初孫。
山口百恵は1980年に引退して以降、表舞台には姿を見せていない。
▲国鉄色のやくもと記念撮影する関係者ら 3/19JR米子駅
撮り鉄さんたちが
全国から集ったのかな?
かなり古い車両だと思うんですけど
ピカピカに整備されてますね
(^_^;)
JR西日本の特急やくも(出雲市―岡山)の運行が、クリーム色と赤色の「国鉄色」をまとって、3/19から始まった。
やくもの運転開始50周年を記念した企画で、新車両が導入される2024年春以降まで、1日2往復する予定だ。
国鉄色になったのは、定期運行している特急車両として本州で最も古い旧国鉄時代の381系を使った1編成(6両)。
今後、やくも8、9、24、25号として運行される。
この日、鳥取県米子市の米子駅で記念セレモニーがあり、平井伸治鳥取県知事や伊木隆司市長らが出席。
平井知事は
「コロナ禍でJRも苦労されており、
地元の方も懐かしいやくも号に乗っていただき、
JRを盛り上げていきたい」
とあいさつした。
式典には国鉄からJRに変わった当時の米子駅長だった山口真佐実さん(85)も参加し、現在の陰山健二駅長に国鉄時代の制帽が贈呈された。
やくもが米子駅に入線する際には、車内で懐かしい鉄道唱歌のチャイムが流されたといい、入線すると全員で記念撮影。
出発時には全員が右手を挙げて見送った。
山口さんは
「あの色のやくもに会えて懐かしい」
と話していた。
▲新幹線が出来るまで、東海道在来線を疾走していた特急こだま
東京~大阪を6時間40分で結んでいた
原爆の放射能から生まれたゴジラ
いままた誕生しようとしている?
((((;゚д゚))))
特撮映画「ゴジラ」で知られる俳優、宝田明さん(→)が、3/14に87歳で急死していた。
3/10に、宝田明さん主演の映画「世の中にたえて桜のなかりせば」(4/1公開)の完成試写会に、車いす姿で登壇していた。
1953年、東宝ニューフェイス第6期生として俳優活動をスタートさせ、1954年に映画デビューし、「ゴジラ」で主演した。
撮影初日に撮影現場で
「主役の宝田です」
とあいさつし、照明スタッフから
「主役はゴジラだ!」
と怒られた。
終戦後、中国ハルビンから過酷な引き揚げ体験をしてきただけに、「ゴジラ」の完成試写では
「試写室で、のどが痛くなるくらい泣けて仕方がなかった。
なぜ戦争の被害者のゴジラを、人間が殺さなければいけないのか。
監督にも
『こんなに痛めつけることはないじゃないですか』
といって、2人でシンミリしたのを覚えています。
製作したのは、みんな戦争経験者でしたからね」
と明かしていた。
今や国際映画界の超巨大スターに成長したゴジラ
初代は1954年なので広島長崎からわずか9年
ポスター右上にも「水爆大怪獣映画」とあって
当時の雰囲気が伝わってきます
ポスター左の文句は
「見よ!原爆の暴威!混乱と恐怖の大惨事!」
という日本国民の気持ちを代弁しています
((((;゚д゚))))
『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズの山崎貴監督(→)が、「超大作怪獣映画」(仮題)を撮影することが決まった。
舞台は、終戦直後の1945~47年(昭和20~22年)の日本。
1954年公開の初代「ゴジラ」と近い時代設定だ。
『三丁目の夕日』シリーズでもゴジラの出現シーンを盛り込み、
「昭和でなければゴジラは出せない」
と語っていた山崎監督。
映像制作会社「ロボット」は2月18日、
「東宝の新作映画『超大作怪獣映画 』の撮影がついに決定」
として、ボランティアでエキストラに参加する人員を募集する告知を出した。
撮影期間は3月中旬~6月中旬、関東近郊での撮影を予定している。
時代設定は「1945~47年戦後の日本」とされているため、出演者全員が用意された時代にあった扮装をする。
そのため、「パーマ・男性の長髪」のほか、ヘアカラーもNGだ。
新型コロナ対策として「最低限ワクチン2回接種から2週間経過」が条件。
告知ページに詳しい条件が書かれている。
山崎監督は2007年公開の『ALWAYS 続・三丁目の夕日』の冒頭に、昭和30年代の東京をゴジラが破壊するシーンを盛り込んだ。
当時インタビューに次のように答えていた。
「昭和でなければゴジラは出せない
と思っていて、以前もし自分がゴジラを作る
としたらと考えたことがあって、それには
昭和は切り離せないと考えたんです」
ゴジラ愛が強いことで知られる山崎監督。
西武園ゆうえんちで2021年5月からスタートしたアトラクション「ゴジラ・ザ・ライド」の映像を手がけている。
それだけにSNS上では特撮ファンの間で
「ひょっとして初代ゴジラのリメイクかしら?」
と推測する声も続出している。
その一方で現時点で「ゴジラ」とは発表されてないことから、
「ゴジラとは語ってないし、どういうことなのか?
まさかの大ダコ(↓)だったりして」
「 実はバラン、モスラ、ラドンの可能性」
など、初代ゴジラの当初の設定として知られる「大ダコ」や、ラドンなどの他の東宝怪獣ではないかと推測する声も出ていた。