2東北

嫁つつき

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秋田県にかほ市では、小正月の伝統行事が行われ、新婚の家庭が
子宝に恵まれることを祈る「嫁つつき」という行事も行われました。
にかほ市象潟町の「上郷の小正月行事」は、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
このうち、大森集落では、14日朝、木とわらで作られた小屋に火をつけて、
五穀豊穣や無病息災を祈りました。
そして、新婚の家庭が子宝に恵まれることを祈る「嫁つつき」という行事が3つの家で行われました。
「嫁つつき」では、地元の小学生の男の子たちがそれぞれの家を訪れ、
はじめに、「初嫁を出せ」とはやしたてます。
新たに嫁いできた晴れ着姿の女性が部屋の真ん中に座ると、男の子たちは、
女性のそばを回りながら「つつくは今だ」と女性を棒でつつく仕草をします。
最後は、夫がやめるよう止めに入って、「嫁つつき」は無事に終わり、
集まった家族や地元の人たちが子孫繁栄を願っていました。
嫁つつきを体験した齋藤絵理香さん(28)は、
「とても緊張しました。子どもができたら、こうした行事を継いでほしいです」
と話していました。
また、嫁つつきで家を回った小学6年生の男の子は、
「お嫁さんが来てくれて、とてもうれしいです。
自分が大人になっても、この行事が残っていてほしいです」
と話していました。

なぜ45分間も校庭にとどまり続けたのか?

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▲震災前   震災後▼

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東日本大震災の津波で全校児童108人中74人が死亡となり、児童を保護していた教職員10人が死亡した宮城県石巻市大川小の避難ルートについて、教職員が北上川の堤防道路(三角地帯)への最短ルートと誤解し、行き止まりを知らずに裏道を進んだ可能性が高いことが、河北新報社の検証で分かった。
児童の足取りを巡っては「なぜ、津波に向かって進んだのか」「なぜ、県道に直接出ず、遠回りしたのか」など長い間謎だった。
(大川小事故取材班)
2011年3月11日午後2時46分の地震発生。
その直後、教職員と児童は約45分間、校庭にとどまり、津波襲来の約1分前までに校庭を徒歩で出発した=上図=。
証言によると、その後、釜谷交流会館の駐車場を横切っている際に県道から戻ってきた教頭が「津波が来ているから急いで」と叫び、児童の一部は途中で右折し、民家の間を通って県道に出ようとした。
先頭付近にいた当時5年の只野哲也さん(18)=高校3年=は県道に出る直前、津波に気付いて引き返し、裏山を約3メートル登った辺りで波にのまれた。
地元釜谷育ちの只野さんは「行き止まり」を知っており、とっさに右折するルートを選んだ。行き止まり付近では児童34人の遺体が見つかった。
地元住民によると、裏道は1976年12月に新北上大橋が開通するまで、軽トラックが通れる道幅があった。
開通後も幅1メートル弱の小道は残り、近所の住民が生活道として利用していた。商店主が震災の約10年前に高さ2メートル以上の鉄柵を設置し、通行できなくなった。
鉄柵と山裾にはわずかな隙間があり、「震災の数年前まで三角地帯に行けた」との証言もある。地元の女性は「無理をすれば通れたが、子どもを大勢連れて通る道ではない」と話す。
三角地帯は標高約7メートルで学校より6メートル近く高い。教頭は地元住民と相談し、三角地帯行きを決めた。
住民のアドバイスなどを基に、土地勘のない教職員が裏道を先導した可能性があるほか、「交通量が多い県道を避けた」との見方もある。
大川小は07年度に危機管理マニュアルを改定し、「津波」の文言を初めて盛り込んだ。10年度の改定でも校庭からの避難場所については「近隣の空き地・公園等」を踏襲し、具体的な場所を指定しなかった。
仮に三角地帯にたどり着けたとしても、付近は高さ2~3メートルの津波に襲われた。
マニュアルの不備に加え、震災当日の(1)避難先(2)避難ルート(3)出発時刻-など二重三重の判断ミスが重なり、「大川小の悲劇」につながったと言える。
<主体的決定なし/遺族らでつくる大川伝承の会共同代表の佐藤敏郎さん(54)の話>
先生たちは「三角地帯に行ける」と思って行ったのかもしれないが、
そもそも、なぜ45分間も、校庭にとどまり続けたのか?
学校管理下の避難行動にもかかわらず、学校側の主体的な意思決定がなかったことが原因の全てだ。
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 とりあえず様子を見る という判断が
  最悪の判断になるかも  ((((;゚д゚))))

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校庭のすぐ後ろが山だった

 

 ▲震災3年目   昨年末▼

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泣ぐ子はいねがー

秋田県男鹿市で12月31日、大みそかの伝統行事「なまはげ」が行われた。

鬼のような面をかぶり、わら装束を着たなまはげたちが「ウオー」「泣く子はいねがー」と雄たけびを上げながら、集落の家々を巡り歩いた。

 同市の安田忠光さん(64)方には午後5時すぎ、なまはげに扮した男性3人が訪れた。

家族で帰省していた孫の鈴木久玲羽ちゃん(6)に「言うこと聞いてるかー」と大声で尋ねると、久玲羽ちゃんは「おりこうさんにしています」と泣きながら答えていた。

 なまはげは厄を払い、福をもたらす神の使いとされ、家主は料理や酒でもてなすのが習わし。

国の重要無形民俗文化財に指定されている。

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多少の恐怖体験は 子供の精神の発育に
良い影響を与えるのかもしれませんね  (^_^;)
 

津軽のご婦人の会話


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 何をお話しになっているのか よくわかりませんが
  津軽弁の響きって フランス語に似てるなぁ  (^_^;)
 

秋田竿灯まつり

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秋田は美人の本場 (^_^;)

東北を代表する夏祭りの一つで、ちょうちんをぶら下げた竹ざおを高々と掲げる「竿灯(かんとう)まつり」が8月3日夜、秋田市で始まり、笛や太鼓が鳴り響く中、黄金色の光が夏の夜空を照らした。
稲穂に見立てた竿灯の数は282本で過去最多。
大きなもので長さ12メートル、重さ50キロあり、はんてん姿の男性が手のひらや額、肩などでバランス良く支える妙技を披露した。
千葉県市川市から友人と訪れた自営業山口芳三さん(73)は「テレビで見る以上の迫力。7月の豪雨で開かれるか心配だったが、来て良かった」と笑顔で話した。
実行委員会は6日までの期間中、昨年と同じ132万人の人出を見込んでいる。
028これも10年前に 現場で見ました
近くで見ると かなりスリリングです
ときどき竿灯が 観客の上に倒れてくるんです (^_^;)

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聖火台と飛行機雲

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1964年の東京五輪の象徴となった国立競技場(東京)の聖火台が27日、移設された東日本大震災の被災地・宮城県石巻市で点火され、燃えさかる炎に被災者らが故郷の再生を祈った。
聖火台は直径、高さとも約2・1メートル、重さ約2・6トンで、市総合運動公園のコンクリート製台座の上に設置。
雨が降る中、アテネ五輪の陸上男子ハンマー投げ金メダリスト室伏広治さん(40)が火の付いたトーチを聖火台にかざすと、オレンジ色の炎が勢いよく空に舞い上がった。
室伏さんは「みんなの笑顔が見られてよかった。(聖火台の設置で)東北の復興に拍車が掛かってほしい」と語った。
 
空に描かれた 飛行機雲の五輪
  小学生のころ 見ましたよ  (^_^;)
 

青森ねぶた祭

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「秋田竿燈(かんとう)まつり」「仙台七夕まつり」と並ぶ東北3大祭りのトップを切り、青森ねぶた祭が2日夜、青森市で開幕した。
「ラッセラー」のかけ声とお囃子(はやし)の音色に合わせ、武将などを題材にした高さ約5メートル、幅約9メートルの大型ねぶた15台が街を練り歩き、跳人(はねと)が舞い跳ねた。
17年間の会社員生活を経てねぶた師になった手塚茂樹さん(39)は、今年初参加。
五穀豊穣(ほうじょう)の神とされる「雷神」を制作した。
皆が平和に暮らせるようにと願いを込めたという。7日まで。

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ちゃぶ台返し世界大会


岩手県矢巾町で、「ちゃぶ台返し」の世界大会が開かれました。
昭和の頑固親父をイメージしたこの大会。全国から26組が出場し、ちゃぶ台に乗ったおもちゃのサンマの飛距離や個性豊かなパフォーマンスを競い合いました。
優勝は9mの記録を出した地元の男性で、特製の金色のちゃぶ台が贈られました。
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バブルの頃の 懐かしいマンガ (^_^;)