読書

読書 細川侯五代逸話集

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細川幽斎の逸話を期待したのですが、分量的には二代目忠興以降が多く、幽斎の分はわずかでした

江戸時代初期、まだ戦国の血なまぐさい気風がうかがえる逸話も多く、ちょっとしたことで斬り合いになったり、首をはねたり、腹を切ったりしています

武士道の二要素(勇と忠)のうち、勇の比重が圧倒的に高く、「腰抜け」と見られることを極端に嫌った戦国武士の気風が、二代目忠興(とその妻ガラシャ)の逸話に濃厚に表れています

大名も3~4代つづくと、いわゆる「バカ殿」が出るのが普通ですが、細川家では5代つづけて「名君」が出て、藩の基礎を固めたようです

和歌の名人である幽斎は、風雅な歌のほかに、儒教的な「教訓歌」も多く残しました

これが細川家の次の殿様の教育に代々生かされたのではないかと思います

(^_^;)

 

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細川幽斎

 

読書 天才の心理学

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約百年前に書かれた天才論の古典です

彼の3気質説(いわゆるヤセ・デブ・筋肉)を駆使して天才を分析し尽くしています

著者自身が天才と言ってよいので、非常に洞察が深い

天才は社会適応能力を犠牲にして、限定された領域において、その才能を開花させる

その非常に極端な形が、サヴァン症候群でしょうか

特に天才の典型としてのゲーテ、その家系における精神病の惨状には戦慄を覚えます

(^_^;)

読書 細川幽斎

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 佐藤『幽斎玄旨』に続いて細川幽斎ものを2冊読みました

 江戸時代の改易や明治維新で没落した大名が多い中

 室町時代から現代まで 延々と続く稀有な名門細川家

  その秘密の一端は

 幽斎が残した家訓和歌にあるようです  (^_^;)

 


 

【死ぬ前のひと言】

織田信長「是非に及ばず」

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豊臣秀吉「秀頼を宜しくお頼み申す」

細川幽斎「思い残すことはない」

一休宗純「死にとうない」 

大石内蔵助「お先に」

葛飾北斎「あと10年生きたいが、せめてあと5年の命があったら、本当の絵師になれるのだが」

吉田松陰「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」

ゲーテ「窓を開けてくれ。明りがもっと入るように」

カール・マルクス「最後の言葉なぞ、充分思いを伝えきれなかった愚か者が言うことだ」

不明「カネは生きてるうちに使え」

 

読書 幽斎玄旨

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熊本の大名細川家を建てた細川幽斎(藤孝)

いま放映中の大河ドラマにも登場します

戦国武将として命がけで戦場を駆けつつ、一方では和歌の権威として古今集の奥義を直伝する

信長、秀吉、家康、そして天皇からも厚遇を受け、肥後の大大名として細川家は明治維新まで続き、最近では熊本県知事まで生み出しました(あっ、首相もやってたね)

出処進退の鮮やかさ、その不思議な才能に、興味が尽きません

(^_^;)

 

輪廻転生

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『第三のチンパンジー』など旺盛な著作で知られるジャレド・ダイアモンドが、

「人口減少は日本復活のチャンスだ」

と述べている(『週刊文春』2020年1月2日・9日合併号)。
日本の主流の議論の正反対だから驚く読者が多いかも知れないが、筆者(宮崎正弘)はむしろ賛成で、以前から述べてきた考えに近い。
なぜなら日本はむしろ人口が多すぎるのである。
狭い国土に一億二千万人が暮らせば住居がウサギ小屋になるのも当然であり、生活空間に余裕がなくなる。
ダイアモンドは、第一に人口八千万人が適当としてドイツと同数になり、輸入する資源が減って資源小国という強迫観念が希釈になること、第二に女性の雇用のチャンスが拡がり、第三に雇用高齢化が定着する。第四に外国人労働者をそれほど受け入れないという選択肢が日本にもたらされる。
ゆえに日本にとって人口減少は逆にチャンスだとする。
とはいうものの、近未来の日本社会は「 超高齢社会」から「多死社会」に移行する。
すでに出生者より死者が上回り、人口動態は少子高齢化と同時に大量の死がやってくる時代となる。
団塊の世代が終活期に突入したからだ。
現在進行形の少子高齢化社会で、介護保険が確立された上、介護士が大量に養成された。
そのうえで、「終末ケア」の必要が説かれている。
各地にケアセンターが次々と生まれ、雑誌は相続の特集を出したりしている。
驚くなかれ伝統的な大家族制が消滅し、介護が日本国家の「基幹産業」となった。
ものつくり、匠の日本が基幹産業を変貌させたのだ。
日本経済の絶頂期には考えも及ばなかった、退嬰的な社会に変貌した。
人は人生の満足度を抱きながら安らかに眠るのが理想である。
戦後の死生観は戦前までの伝統的なそれから転倒し、生きることだけが尊重される、不思議な価値観に蔽われている。
生命尊重だけでよいのか、と絶叫して三島由紀夫は自決した。
今後の日本では「看取り」が重視される社会となり、「看取り士」が増えるだろう。
人口動態から推測できることは2015年に毎年150万人、2040年には年間180万人が死ぬ一方で、出生数は2018年に86万人強と、少数核家族化、しかも高齢単身世帯が600万、このうち400万が女性の単身世帯となり、介護認定は2018年に644万人、これを180万人の介護士が支えている。
2025年には253万人の介護士が必要だが、38万人が不足することになるだろうとするシミュレーションが存在する(後述藤和彦論文)。
このような後ろ向きの社会が到来するにあたり、考えるべきは家族制度、冠婚葬祭の在り方、死生観の是正、日本の伝統的哲学の再構築ではないのか。
戦後の日本では、GHQの占領政策の影響が大きく、価値観の転倒がおこり、家族制度がGHQによって破壊された。
結婚の伝統も欧米的な、即物的な儀式に変質し、日本的良さは喪失された。
死生観の激変によって、死=無という考え方が拡がった。
仏教への帰依が希釈化したからだろうが、

「死は無」という誤解だらけのニヒリズム

が蔓延し、人生をいかに活きるかが説かれても、如何に死ぬかは無視されがちだった。
他方、安楽死をもとめてスイスへわたる日本人が静かに増えている

スイスでは安楽死が合法化されている。

「人生において何が本質的に重要なのか、いまの仕事が何かに貢献しているのか」という思考が見失われ、ある種達成感や人生の満足感をもって死を迎えるという人間が少なくなった。
無駄な人生だったとみる、人生に意義を認めない欧州人が増えた。
戦後の実存主義などが好例だが、AIはケアの代替にはなり得ず、看取りが必要なのである。
縄文時代の 遺跡の住居跡を調べると、入り口に甕が埋められている事例が多いという。
この甕は逆さにされ、 底には小さな穴が開けられており、乳幼児や死産児の遺体が納められていた。
死産児の遺骨を玄関の床下や女性用トイレの脇などに埋める風習がごく最近まで日本で見られていた。
「死んだ子供が少しでも早く生まれ変わってくることを願って、遺骸を女性が頻繁に跨ぐところに埋めた」(竹倉史人『輪廻転生』、講談社、2015年)
遺体を埋める前に墓の中に魔除けと「生まれ変わり」を促すとされるベンガラ(酸化鉄) という赤い粉をまいたりしていた(簗瀬均「魂のゆくえ」秋田魁新報社)
また初期の聖書には生まれ変わりの記述が多数存在していた。
こうした輪廻転生の思想が、現代に甦る。
この問題に正面から取り組んだ論文は「多死社会における産業振興のあり方に関する一試案」、藤和彦(経済産業研究所) である(RIETI  Policy Discussion Paper Series・ 2019 年 12 月)
その概要の重要箇所を下記に簡潔に掲げる。
「生まれ変わり」の観念の起源は古い。
インドでは少なくとも過去4000年にわたって宗教的、哲学的発達の最大の源泉の一つになってきた。

人類の精神史の中で輪廻や復活といった「生まれ変わり」の観念が繰り返し生じており、客観的な事実か単なる妄想なのかどうかは別にして、繰り返し出現してくるだけの心理的 な必然性があったことだけは間違いない。

2006年から2008年にかけてギャラップ社が143か国を対象として行った宗教 に関する国際調査では、日本は世界で8番目に宗教を重視しない国としてランクされてい るが、生まれ変わりを信じている日本人はなんと43%に達したのである。
内訳を見てみ ると、高齢者よりも若年層、男性よりも女性の方が「信じている」比率は高い。
生まれ変わりの主張はあらゆる時代を通じて世界のほぼ全域で発生している。
「生まれ変わり」の死生観は世界中の民俗文化において見られるが、前世の記憶を持って いると称する者の逸話がもとになって発生した可能性がある。
「生まれ変わり」を認めていた西洋古代思想  古代のエジプト人が「あの世とこの世との間に大きな隔たりはない」と考えていたよう に、太古から私たちは死と死後のことを意識してきた。
西洋哲学の出発点と言われるギリシャでは、「生まれ変わり」の観念はオルフェウス教(密儀宗教の一種)から始まったとされ、哲学においても魂や形而上的世界の実在が想定されていた。
古代ギリシャの数学者として知られるピタゴラスは前世の記憶を持ち、「不滅の霊魂」 「霊魂の輪廻転生」「修養による霊魂の浄化」を弟子たちに唱えていた。

 「魂の不死を信じて平然と死ぬことができる心の訓練が、哲学の使命である」

と弟子たち に教えていたソクラテスにとって、自らの死は永遠の生、人間の魂の永続性を象徴するも のであった。
ピタゴラスの世界観を継承したプラトンも、著書「パイドン」「国家」などの中で「死者の魂は一定期間を過ぎると生まれ変わる」と主張している。
古代ギリシャ思想においては、死によって霊魂と肉体は分離し、前者は不滅とされてい た。
例外はソクラテスと問答を行った当時のソフィスト(知恵ある者)たちだった。
彼らは現代人のような唯物論的な考え方を有していた( 樫尾直樹他「人間に魂はあるのか?」国書刊行会、2013年。以上引用止め)

輪廻転生と言えば、三島由紀夫の最後の四部作の主要テーマである

『春の雪』の松枝清顕は『奔馬』で飯沼勳となり、『暁の寺』ではジンジャンン姫に転生していた(らしい)。
最終巻の『天人五衰』の安永透は、輪廻転生とは無縁だったことが示唆されている。
嘗て筆者がローマ憂国忌での講演を依頼されたおり、イタリアの知識人達と懇談の機会があったが、三島『豊饒の海』への最大の関心は輪廻転生だった。
カソリックが強いイタリアのおいてすら、人生の模索の思想に、仏教的東洋的死生観が横たわるのである。
かくして多死社会となる日本で、精神的安らぎの希求や看取るというシステムが、嘗ての大家族制という伝統に近付くことができるか、どうかが今後の論議になるだろう。

「宮崎正弘の国際情勢解題」令和弐年正月元旦年頭随筆より

 

猛暑は今日まで?

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 上の予報は東京です
  読書の秋 芸術の秋 食欲の秋
 もうそこまで来ています  (^_^;)
 

 

"I love you" の訳し方

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日本を代表する小説家、夏目漱石。
大学予備門(のちの第一高等学校)時代はほとんどの教科で首席で、
特に英語に関してはずば抜けて得意だったそうで、
帝国大学卒業後は、東京高等師範学校、愛媛県尋常中学校、
熊本第五高等学校で英語教師として教鞭を執っています。
そんな漱石には、”I love you”を「我君を愛す」と訳した生徒に対し、
「日本人はそんな事は言わない。『月が綺麗ですね』とでも訳しなさい」
と指導したとされる逸話が残っています。
この表現が海外のサイトで紹介されると、詩的すぎるとして大反響。
またその奥ゆかしさが、多くの外国人にとって、非常に日本的だったようでした。
 


 
海外の反応
■ キャーーーーーーー、何この素敵過ぎる愛の告白❤️😭 +8 メキシコ
■ すごく興味深い……。
残念なことに私は日本語が話せないけど、
日本語の奥ゆかしさにはいつも魅了されてる。 フランス
■ 「愛」に対する文化の違いがすごくよく分かる話だよね。 イタリア
■ 美しい。本当にチャーミングな翻訳だ。
とても日本的だとも思ったよ :) イタリア
■ 興味深いし、最高にクール。
たしかに日本の作品を見てるとこのフレーズをたまに聞くな。
今思えばそういうことだったのかって事が結構あるわ。 スペイン
■ (※女性が同性のご友人に送ったメッセージ)
The moon is beautiful,isn’t it?(月が綺麗ですね) フィリピン
■ オーマイガーッ。英語だとなんとも味気ない😟 フィリピン
■ ナツメ・ソウセキの「吾輩は猫である」をずっと読みたいと思ってた。
でも日本語に詳しい知り合いに聞いたところ、
オリジナルのトーンは翻訳版では出せてないって言ってたよ。 イタリア
■ 「月が綺麗ですね」。なんてロマンティックな告白なんだ。 ベトナム
■ 日本人は詩的だなぁ。
まぁ人を愛するという事自体が一編の詩であるわけなんだよな。 +2 チリ
■ これは面白い。
日本人が愛情と月を結びつけるのは知ってたけど、
こういう背景があるなんて知らなかったよ。 +2 国籍不明
■ 日本人は月とウサギもよく結びつけるよな。あれは何なんだ? 国籍不明
■ 詩的すぎる。
私が日本の男子からそんな告白されたら絶対に断れない。 スペイン
■ これは背景を知ってないと訳せないよなぁ。
そのまま「月が綺麗」って訳されてるのが殆どだろう。 +2 イタリア
■ この告白の仕方はいいね。
南米だと「愛してる」は挨拶みたいなものだし、軽いんだよ。
「月が綺麗ですね」は本当に最高だ。 +4 アルゼンチン
■ 「聲の形」でもこのフレーズが出てきたのを覚えてる。 +6 ルーマニア
■ この話を知らない人が多くてビックリ。
てっきりアニメを観てる人からすれば常識なのかと。 +8 国籍不明
■ 私みたいなシャイな人間には打ってつけの言葉だ。 +3 フィリピン
■ 本当に素敵で、本当に興味深い。
だけど愛情を伝えるという極めて自然な事が、
なぜ日本人にとってはそんなに恥ずかしい事なんだろうか? フランス
■ 日本人にとって「愛」は複雑な物なのよ。
私は「月が綺麗ですね」の方がロマンティックで好きだなぁ。 フランス
■ 実に日本人らしい感性だ。
国民性が反映されててなんかいいなぁ。 +6 アルジェリア
■ 基本的には「スキダヨ」でしょ。
当然日本語には愛情を伝える表現がいくつもあるわけだけど。 フランス
■ 文化が離れていれば離れているほど、
こういう訳し方は理解するのが難しいかも知れないね。 イタリア
■ 日本人の精神性まで分かる話を教えてくれてありがとう。
日本語の繊細な表現はなかなか理解するのが難しい! 国籍不明
■ 「月が綺麗ですね」……か。
こんなにワンダフルで印象的な愛の告白はないかも。
日本人が大好きだ。特に彼らのスタイルと優美さと穏やかさが。 国籍不明
■ こっちだと「君は星のように美しい」って表現をよく使う。
「愛してる」だと軽すぎちゃうんだ。 国籍不明
■ WOW 興味深い 0.0
一般的には「”だいすき”」って伝えるんだよね……。
個人的には直接的な表現よりも「月が綺麗」の方が好き。 チリ
■ 愛はもっと積極的に伝えるべきだと俺は思う。
単に月が綺麗だと感じた場合はどうすればいいんだ。 スペイン
■ これは単なる冗談なんじゃないかねぇ。
まぁ日本人っぽいし、オシャレでいいとは思うけど。 国籍不明
■ 男性からこんなロマンティックな告白をされたら、
きっと私は溶けてしまうと思う。 +4 フィンランド
■ 知れば知るほど日本の文化がもっと好きになっていく。
日本人はなんて繊細で美しい感性を持ってるんだろう。 フランス
■ 文学的で、本当に美しい愛情の伝え方だと思います🌕❤️ +30 シリア
■ ここのコメント欄、いいね。みんな恋人にタグ付けして、
「月が綺麗ですね」って伝えてるのが素敵だと思わない?
私は1人ポップコーンを食べてるわけだけど。 スウェーデン
■ 芸術的な翻訳だな。
本当に、こんなに芸術的な訳し方は、他にないよ。 +3 アメリカ
 

中西進氏 「令和」生みの親

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▲国学者の中西進氏 2013年に文化勲章を受賞

親授式で天皇陛下から文化勲章の親授を受ける中西進氏

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 令和商戦 始まりましたね
  今年一番の売れ筋商品は 万葉集かも~
 関連商品で「古今和歌集」「日本書紀」
  なんかもどうかな  (^_^;)
 
万葉集を出典とする新元号「令和(れいわ)」の考案者として浮上している国際日本文化研究センター名誉教授の中西進氏が、政府による1日の新元号発表後、自身の著書を出す筑摩書房(東京)に対し、万葉集は「令(うるわ)しく平和に生きる日本人の原点です」とのコメントを送っていた。
同社は増刷にあわせて中西進氏のコメント入りの帯を使い、18日をめどに書店に出荷する予定。
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筑摩書房によると、新元号発表後、書店などからの問い合わせを受け、
中西進『万葉の秀歌』(ちくま学芸文庫、平成24年刊)の重版を決定。増刷は1万部。
2日、中西進氏に重版決定の連絡を入れたところ、中西氏からファクスで

「『万葉集』は(うるわ)しく

  平に生きる日本人の原点です」

とのコメントが送られてきたという。
「令和」は万葉集の梅の花の歌三十二首の序文にある

『 初春の月(れいげつ)にして

  気淑(きよ)く風(やわら)ぎ

 梅は鏡前の粉を披(ひら)き

  蘭は珮後(はいご)の香を薫(かお)らす 』

から引用。
『万葉集』に収められている歌は、古くて新しい。
恋に焦がれる歌や離別の悲しみをうたった歌、子どもを思う歌や酒を楽しむ歌など、題材は色々だが、その感情が現代人に理解できない歌はない。
例えば、

朝寝髪 我れは梳らじ うるはしき
君が手枕 触れてしものを (作者未詳)

恋人が触れていた自分の髪をいとおしく思い、寝起きで乱れたままだが「とかさないでおこう」と思う歌だ。
恋人と手を握り合い、その自分の手を、しばらく洗わずにおく心と同じだ。

銀も 金も玉も 何せむに
まされる宝 子にしかめやも (山上憶良)

「どんな宝物も、子供に比べたら一体何になるだろう」という有名な歌。
親から子供への愛情は今も昔も変わらない、共感を呼ぶ普遍的な内容だ。
1200年の時を経ても廃れず、現代人が読んでも共感できる歌が沢山ある。
まさに「日本人の心の宝」と言っても過言ではない。

「令和」で万葉集ブーム

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フリー画像女子会で乾杯をしているイラスト

▲旺文社の対訳古典シリーズ「万葉集」より

 
 梅の花の下で開かれた
  初春の宴会の歌ですから
 宴会もブームになるかも  (^_^;)
 
平成に代わる新元号「令和」の出典は、日本最古の和歌集である「万葉集」だ。
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元号が発表されて以降、関連書籍の売り上げがアップしており、版元が緊急重版を決めるなど対応に追われている。
Amazon.co.jpや楽天ブックスなどネット書店を見ると、4月2日時点で最も売れている万葉集関連書籍は、角川ソフィア文庫の「万葉集 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典」(角川書店編)で、2日までにAmazon、楽天とも品切れになっている。
同書は、万葉集から名歌140首を選び、解説した書籍。
新元号「令和」の典拠となった梅の花の歌も収録されている。
版元のKADOKAWAによると、新元号発表以降、書店からの注文が相次ぎ、ネット書店でも売り切れが続出しているという。
ニーズに対応するため同社は4月1日、8000部の重版を決定。
それでも注文に追いつかないと判断して2日、さらに1万2000部上乗せして2万部重版することを決めた。
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重版分には、新元号が収録されている旨を知らせる帯を付け、4月中旬ごろに配本するという。
角川ソフィア文庫では、万葉集全首に現代語訳を付けた「新版 万葉集」(伊藤博訳注)シリーズ(1~4巻)も売れている。
梅の花の歌が収録された第1巻が得に人気で、KADOKAWAはこちらについても、1万部の重版を決めた。
このほかKADOKAWAは、「新版 万葉集」の2~4巻や「はじめて楽しむ万葉集」など、角川ソフィア文庫の万葉集関連書籍7冊も合計3万部重版する予定。
緊急重版で“万葉集特需”に対応する。
 

なぜ日本語で小説を書いたのだろう?

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▲イラン人作家、シリン・ネザマフィ

日本語で小説を執筆し、2度にわたり芥川賞候補に選出された。

彼女が紡ぐ物語には、世界の不条理と対峙し、迷い苦しみながら、儚くもどこかへと流されてゆく個人の姿がしきりに描かれる。

ネザマフィがあえて母国語を用いずに、この普遍的な題材に挑戦し続けるのはなぜなのだろうか?

  「この作者は、なぜ日本語で小説を書いたのだろう?」

彼女の物語を読んだ読者の多くは、そんな疑問を抱くだろう。
あるいは本の奥付にある彼女の略歴を一読して、「本当は日本人なのでは?」と疑う読者すらいるかもしれない。
それも無理はない。小説家、シリン・ネザマフィは、言葉の壁など微塵も感じさせないスマートな文体で日本語を操り、物語を構築して見せる“外国人作家”なのだから。
2009年に発表した代表作『白い紙』は、第198回文學界新人賞を受賞。
その後も精力的に創作を続け、2度にわたって芥川賞候補にも選出された。
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