読書

読書 古代史を歩く3 筑紫

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反藤原史観の旅ガイドとは違って、本書は多くの筆者の原稿の寄せ集めで、共通する史観のようなものは無い

毎日グラフの別冊なので、写真が多い

場所を筑紫(広く言えば九州全体、狭く言えば九州北部)に限って、古代史をテーマとしたシロウト向け数ページの文章や写真をゴチャゴチャ集めてある

やはり多数の筆者による共著というものは、全体を貫く一貫性もストーリーも無いので、イマイチ詰まらないなぁ、という印象

とりあえず最後まで読んだけどね

ホントにハズレの本なら、読書ノート書かないし、途中で読むのをやめる場合も多いです

(^_^;)

読書 不幸になりたがる人たち

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著者は都立松沢病院の精神科医

著者自身が前書きで「読後感は気分の悪いものになるであろう」と予言している

それは目が覚めたときに枕をひっくり返したら、枕の下に大きなムカデ(ゴキブリでもいい)を発見したような不快感だと著者は言っている

自殺、心中、自己破壊(肉体、精神)、殺人、死体損壊、放火、ストーカー等々、いろいろと常軌を逸した人々の、実にグロテスクな事例と、その背後にあるであろう「心の闇」が提示されている

しかも本書は、それらの人々の「心の闇」には、著者自身と共通のものがあるのだ、だからグロテスクに感じるのだと主張している

つまり、この本を読んでいる読者にも、共通のグロテスクな深層心理があるのだと暗に示唆している

シロアリに食い荒らされてボロボロになった家でも、崩壊する直前までは誰も気付かず、普通の家として見られている

人の心もこのようなもので、たとえ崩壊寸前であっても日常生活は普通に送れるのが、人間精神の「普通」なのだと著者は言う

そして、だから人の「心の闇」は恐ろしいのだと言う

その恐ろしさは、自分の心の中にも同じ闇が潜んでいることへの自覚によるようだ

副題にあるような、自虐指向とか破滅願望という言葉はよく目にするが、そのリアルな姿を見せつけられると、確かに余り気分の良いものではない

しかし、非常に興味を惹かれるのは、それが「他人事ではない」ことを深層心理が自覚しているからかもしれない

世の中には、猟奇的な事件を専門に扱っている雑誌や書籍が少なくないのも、そのせいだろう

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最近でも、SNSにおける匿名の誹謗中傷にさらされていた最中に自殺した22歳のスポーツ選手(木村花さん、→)について、「だからSNSの無責任なコメントは法的に取り締まるべきだ」といった主張がなされている

別にSNSの誹謗中傷を擁護するつもりはないが、「誹謗中傷→自殺」という因果関係を当然のことのように報道しているマスコミの論調には、思考停止のようなものを感じる

人間とは、赤の他人からの誹謗中傷だけで自殺するほど、そんなに弱い生き物なのだろうか?

自殺という具体的な行動の背後には、周囲からは計り知れない「心の闇」や心理的に微妙なバランスがあり、それを多少でも理解するカギを、本書は含んでいる

こんなことを言えば、それは心の強い人間の暴論だ、などと鬼の首を取ったように非難(誹謗中傷)する「正義の人」が、ウジャウジャわいて出るのが予想されるけどね

とにかく現在の日本では、自分を被害者の立場に置けば「絶対善」であって、これに反論することは絶対に許されないような歪んだ空気があるように感じる

それは、被害者であることに対する依存症のようなものであると本書は指摘する

(^_^;)

 

読書 江戸藩邸物語

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先日読んだ『実見・江戸の暮らし』は、主に町人の生活を描いたものだが、この本はその武士バージョンと言える(著者は異なる)

直前まで戦場で殺し合いをしていた荒くれ武士たちが、天下泰平の江戸時代になったからといって、急に頭の回路を切り替えることは出来なかった

17世紀の江戸では、歩いていて刀のサヤがぶつかったとか、道を譲らなかったとか、詰まらない原因で口論となり、斬り合いになることが非常に多かった

「勇と忠」という武士道の2要素のうち、「」が圧倒的に優先されていた

悪く言えば当時の江戸は、凶暴なヤクザや狂犬のような連中がウロウロしている、かなり危険な街だった

そこで遠慮したり後ずさりしたりすれば、「腰抜け武士」と馬鹿にされるので、武士のメンツとメンツが正面からぶつかり合う、実に殺伐とした時代だった

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しかも主君からは「武士にあるまじき卑怯者」として切腹を申し渡されたりする可能性もあるので、互いに一歩も引けない緊張感が満ちていた

やがて江戸幕府や諸藩は、たくさんの法度(行動規範)を定めて対策を講じ、荒くれ武士を平和な時代の従順なサラリーマン武士へと、時間をかけて誘導してゆく

18世紀に入ると、武士道の「」が優先されるようになり、現在の平和な日本が形成されてゆく

本書は、ある藩の江戸藩邸に残された詳細な日記から、当時の「時代精神」をさぐる

(^_^;)

読書 ブッダの集中力

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著者は、1945年スリランカ生まれで、1980年に来日、駒澤大学で博士を取得し、その後は仏教伝道と瞑想指導をしている

大量の著書があり、アマゾンで調べただけでも、200冊くらいありそう

これだけの本が売れているということは、何かあるのかな?と思ったのが読み始めた動機

仏教は科学であって宗教ではないと主張する

特にキリスト教などの一神教は、科学的根拠も無いことを信じる愚かなものとしている

基本となる考え方は、ブッダによる原始仏教に置き、中国の大乗仏教や日本の鎌倉仏教とは異なる

科学であると標榜するだけあって、心理学的な洞察には深さを感じさせるものがあり、なるほどなぁと感じ入りました

集中力を、感情(本能)に基づく集中力と、理性に基づく集中力に分け、前者を危険なものとして扱うよう、いろいろ細かく注意を喚起している

理性に基づく集中力を高めるプロセス(主に瞑想)には、必ず「楽しみ」が伴い、この楽しみに高い価値を置いている

逆に、宗教によくある苦しい修行は意味の無いものとして退け、宗教儀式など無価値と断ずる

抹香臭い仏教の解説書かなと思って読み始めたら、まったく違って、非常に理性的な本でした

(^_^;)

 

読書 壬申の乱の謎

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引き続き、反藤原史観の古代史を読む

壬申の乱がテーマなので、天武天皇の出自を細かく追ってゆくことで、天武と出雲系、つまり蘇我氏や尾張氏との関係を明らかにしてゆく

出雲と東国には、深い関係がある

当時は陸上交通が貧弱で、海の道こそが幹線交通だった

山陰地方の出雲は海の道を通じて、北陸地方や越の国(新潟)方面と深くつながっていた

大和朝廷内部でも、出雲系の蘇我氏や尾張氏が東国経営を任されている

壬申の乱の背景には、当時の東アジア情勢における大和政権内の外交政策の対立があった

天智系(九州系):対百済外交を重視

天武系(出雲系):唐や新羅を含む多方面外交

現在の日本における、対中韓重視派(野党、マスコミ)と対米欧重視派(政府、国民)の対立によく似ている

(^_^;)

読書 大化の改新の謎

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いわゆる反藤原史観シリーズの1冊

反藤原史観というのは、要するに

1)3世紀に始まる大和朝廷は、日本各地の豪族が平和的に結びついた連合政権だった(大和=大きな平和)

2)7世紀に政権内の争いが激化した

3)藤原系(九州系・天智系)の始祖・藤原鎌足が、中大兄皇子(天智天皇)と組んで、暴力的なクーデター(乙巳の変・大化の改新)で、当時の権力者・蘇我入鹿(聖徳太子)を殺害し、主導権を奪取した

4)藤原鎌足は、朝鮮半島で滅亡した百済王朝の、日本に亡命した王子だった可能性がある

5)二代目・藤原不比等が、正史(日本書紀)を編集し、その中で反藤原系(出雲系・天武系)を抹殺した

6)藤原系は、明治維新まで名門貴族として、日本史の表舞台で活躍した

7)しかし、反藤原系の勢力も消えておらず、日本史の裏舞台で暗躍を続ける

8)藤原系は、聖徳太子や長屋王などの怨霊によるタタリを恐れて、反藤原系をまつる神社仏閣(出雲大社、法隆寺など)を、異常なほど大切に扱っている

9)これらは天皇家の正統性に関わるので、日本の歴史学会も、俄かに認めることが出来ずにいる

というようなことになる

まさに壮大なミステリーであって、興味は尽きない

(^_^;)

 

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▲乙巳の変(大化の改新)のクーデター実行場面

蘇我入鹿(聖徳太子)のが飛んでいる

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▲かつてお札の顔になっていた藤原鎌足

反藤原史観によると、鎌足は聖徳太子を暗殺したテロリストかもしれない

クーデターは成功すれば革命となり、首謀者は権力を握り、英雄になる

((((;゚д゚))))

 

読書 天武天皇・隠された正体

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天智天皇天武天皇と言えば、額田王(ぬかたのおおきみ)の和歌をめぐる三角関係が有名です

 あかねさす 紫野ゆき 標野ゆき

 野守は見ずや 君が袖ふる

しかし実態は、こんな優雅な世界ではなかった

著者によると、実は二人の天皇は兄弟ではなく、その後の壬申の乱は、九州系と出雲系の権力闘争ということになる

背後で糸を引くのは、鎌足と不比等という、天才的策略家の藤原親子

乙巳の変(大化の改新)の後の天智天皇の異常な低人気、壬申の乱で天武天皇側に続々と援軍が集まったこと、天皇家が出雲大社を異常に尊重すること、などの理由がスッキリ説明できている

壬申の乱で天武系(出雲系)に移った皇位だが、天武の死後、天武の后であったのちの持統天皇によって、再び天智系(九州系)に戻ってしまう理由も、うまく説明している

天皇家の正統性に関わる重いテーマなのだが、推理小説を読むように楽しめる

(^_^;)

 

読書 検非違使

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書名に惹かれて読み始めたが、日本中世史の専門的な論文を集めた本で、素人には読みにくいこと夥しく、かなり飛ばし読みになった

検非違使(けびいし)とは、中世における警察や裁判を扱った役所のことを言うのだが、その中の重要な役目として「ケガレ(穢れ)」を清める仕事の統括があった

例えば天皇がどこかにお出かけ(行幸)するときは、すべての道や宿を清める(清掃し、ケガレをはらう)必要があり、これも検非違使の重要な職務だった

この時代の「ケガレ」とは、まず第一にであって、死人の出た家は一定期間「ケガレた場」とされ、家族も「ケガレた者」として公的な場への出仕が一時的に止められる

「ケガレ」とは、一種の伝染病のようなものと考えられていたようだ

現在でも、家族が亡くなると学校や会社を休んで喪に服したり、葬式から戻ると清めの塩をまいたりするのは、この習慣の名残りだろう

人間や動物の死体は「ケガレ」た存在なので、やがてこれらを扱い、清める専門職が登場し、「非人」と呼ばれる特殊集団を形成する

最も清い存在である宮中では、特に「ケガレ」を極端に忌避したので、「非人」の活躍する場も多く、ここに天皇と非人の特殊なつながりが形成された

書名は「検非違使」だが、主たる内容は中世における非人社会の在り方とその変遷であって、実に微に入り際にわたる細かな検討が加えられている

歴史の専門家が学会などで、どんな議論をしているのかが見えてくる(非常に読みにくくて、参っちゃうけど)

当初は畏怖され特権を有する専門職だった「非人」だが、やがて「ケガレ」の概念が肥大化し、埋葬、屠殺、革細工などなど、非常に広範な仕事が「ケガレ」た仕事として、特に江戸時代に差別の対象になった

現代でも度々政治問題化する被差別民だが、その起源は古代・中世にまで遡る

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「ケガレ」を嫌う傾向は、現代の日本人にも脈々と生きていて、世界一清潔な生活習慣となって表れている

中国コロナで、みんな一斉にマスクをするようになったことも、関係があるかもしれない

ある県では、東京から帰省した人を「ケガレた民」として忌避する「正義の人」まで登場している

(^_^;)

 

読書 実見・江戸の暮らし

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いやぁ、グイグイ引き込まれるほど面白かった!

歴史の本にはなかなか出て来ない庶民の生活を、実にリアルに分かりやすく描いている

著者は江戸時代の生活を描いた絵を数千枚も所有していて、その絵の中に現れた庶民生活をこまめに拾っているので、文献資料だけに頼った歴史家よりずっと現実感のある描写が可能になっている

歴史書の面白さは、説明力より描写力にあるように思う

著者は江戸時代をテーマにした小説家で、1933年生まれの86歳

著者の子どものころの庶民の生活は、現在よりも江戸時代に近かったようなところもあり、最近80年ほどで、日本人の生活スタイルが激変したことがよく分かる

特に面白かったのは、江戸時代の旧暦(太陰太陽暦)と、明治以降の新暦(グレゴリオ暦)の違いで、これほど分かりやすい説明は他に無さそう

歴史の本を読む楽しさは、現在とは異なる時代精神に触れることだと思い、そのために最近は中世史関係を多く読んでいるのだが、わずか200年ほど前の日本でも、これだけ違う生活があって、それなりに合理的に動いていたことが分かって、非常に楽しむことが出来た

(^_^;)

 

読書 闇の修験道

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日本の多くの山は、山伏による修験道の修行の場となっている

この修験道(しゅげんどう)とは何だろうか?

筆者は古代史関係の多くの本を書いている歴史作家で、本書では、この修験道の謎に挑んでいる

筆者によると、日本には縄文時代から続くアニミズム信仰があったが、仏教の流入に刺激されて、7~8世紀ころに上からの官製神道として、中臣神道が形成されてゆく

天智天皇派の中臣(藤原)鎌足と息子の藤原不比等が宮廷(天皇家)を実質支配し、自分たちに都合良く、歴史(日本書紀)と宗教(中臣神道)をまとめていく

この中臣神道からこぼれおちた、従来からの日本古来の信仰が、修験道になったという

このような経緯から、修験道の勢力は反藤原となり、さらに反権力となったので、時の権力者からは敵視されることが多く、「」と呼ばれるようになる

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はるか後の世の、明治維新による廃仏毀釈の真のターゲットは、仏教ではなく修験道だったと言う

藤原氏の権力奪取によって、これまで天皇家を支えてきた旧勢力は疎外され滅ぼされていくが、その残党は壬申の乱で一時復権し、やがてまた藤原氏が権力を奪い返す

こうして平安時代は、藤原氏と反藤原による権力闘争の場となる

その後の日本史の動乱の中で、修験道の勢力は常に、反権力の立場で歴史に関わってくる

著者は、藤原氏こそ日本史最大の悪党と考えているようだ

(^_^;)