古代史

お屠蘇をつくる

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屠蘇(とそ)または、お屠蘇とは、一年間の邪気を払い長寿を願って正月に呑む縁起物の酒であり風習である。
「屠蘇」とは、「蘇」という悪鬼を屠る(ほふる)という説や、悪鬼を屠り魂を蘇生させるという説など、僅かに異なる解釈がいくつかある。
数種の薬草を組み合わせた屠蘇散(とそさん)を赤酒・日本酒・みりんなどに浸して作る。
屠蘇は、通常、屠蘇器(とそき)と呼ばれる酒器揃えによって供される。
屠蘇器は、屠蘇散と日本酒・味醂を入れる銚子(ちょうし)、屠蘇を注ぐ盃、重ねた盃をのせる盃台、これらを載せる盆からなる。
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屠蘇器には、漆器製、陶磁器製、ガラス製など様々な種類がある。
小・中・大の三種の盃を用いて飲むが、

「一人これを呑めば一家病無く

  一家これを呑めば一里病無し」

と言われ、日本の正月の膳などに呑まれる。

元日の朝、年少の者から年長の者への順に頂く。
正月に屠蘇を呑む習慣は、中国では唐の時代から確認できるが、現在の中国には見当たらない。
日本では平安時代から確認できる。
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 屠蘇器など無いので コップでつくります
  日本酒は苦手なので少しだけ  (^_^;)

屠蘇散のティーバッグ

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一晩つけておいたら   

こんな色になりました→

新嘗祭

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 平成最後の新嘗祭
  宮中儀礼の中でも最も神秘的かつ重要な祭祀
 神々と天皇陛下が直接接する場です  (^_^;)
 
天皇陛下は勤労感謝の日の11月23日、在位中最後の新嘗祭(にいなめさい)に臨まれた。
陛下自らその年に収穫された穀物を皇居・神嘉殿(しんかでん)に供えられる新嘗祭は最重要の宮中祭祀とされる。
五穀豊穣(ごこくほうじょう)に感謝し、国家国民の幸せを願う祈りは、陛下の側で新嘗祭に臨まれてきた皇太子さまに受け継がれる。
新嘗祭は皇居・宮中三殿に隣接する神嘉殿で、同日午後6時から「夕(よい)の儀」が、同11時からは「暁(あかつき)の儀」が、同様の次第で2時間ずつ行われる。
陛下は平成26年から暁の儀へのお出ましを控えているが、夕の儀は30分間に時間を短縮して続けてこられた。
儀式には神前での御告文(おつげぶみ)の奏上や、新穀を神々と食べる直会(なおらい)という天皇しかできないご所作がある。
新嘗祭では男性皇族方も拝礼されるが、陛下と同じ殿上に上がられるのは皇太子さまのみ。
皇太子さまは来年11月14~15日にかけ、即位後初の新嘗祭である「大嘗祭(だいじょうさい)」(大嘗宮(だいじょうきゅう)の儀)に臨まれる。
 

ゆるキャラと古墳

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彦根の「ひこにゃん」あたりから始まったゆるキャラブームですが、行くところまで行って、日本国内は八百万(やおよろず)のゆるキャラたちで満ちあふれています。
話は変わりますが、大仙古墳(いわゆる仁徳天皇陵)の調査が始まるようで、「被葬者は誰か?」が話題になっています。
あんな巨大なお墓なのに、誰のお墓かはっきりしていないのですね。
実は小さな古墳も含めると、日本全国には約16万もの古墳が確認されていて、平地にちょっと小高い丘があると、古墳の可能性が高いそうです。
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しかも古墳が作られたのは3~7世紀の400年間くらい。
縄文時代から1万年の日本の歴史から見れば、割と最近の、しかもごく短期間の出来事です。
単純計算すると年に400個、つまり毎日1個以上の古墳が出来上がっていたことになり、日本の古代に「古墳ブーム」が起こっていたようです。
お墓ですから、思いつきで作る訳でもなく、誰か当時の有力者が亡くなって作る訳です。
それにしても、クレーンもブルドーザーもトラックも無い時代に、よくもまあこれだけ沢山の古墳を作ったものです。
いまのゼネコン業界みたいな古墳建設業界があって、訃報を聞きつけた営業担当者が「ぜひウチの組に発注を」とか活動していたかもしれません。
動員された平民の苦労もさることながら、「隣がピアノを買ったからウチも」「隣の県が空港を作ったからウチの県も」みたいな横並び意識の強烈なエネルギーを感じます。
古墳を作るのが余りにも大変だったところへ仏教が伝えられて、ようやく古墳ブームは終わり、変わって「お寺ブーム」が始まります。
日本人のこの辺の意識は、千数百年たっても、まったく変わっていないんですね  (^_^;)
 
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▲高さのクフ王、広さの仁徳、始皇帝はちと影が薄い

 
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秦の始皇帝陵はよく知りませんが、クフ王のピラミッドが割と市街地の近くにあるのは有名です。
でも仁徳天皇陵は近くとかではなく、右上の写真のように、市街地のド真ん中にあります。
隣に公園がありますが、仁徳天皇陵自体には、周囲の住民はまったく入れないんですよね。
今回の調査で天皇家のお墓でないことがはっきりすれば、変わってくるかもしれません (^_^;)
 

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地域の魅力をアピールする全国各地のゆるキャラが集う「ご当地キャラ博2018」が10月20日、滋賀県彦根市中心部で始まった。
Dp6IH0fUcAEVtBI37都道府県から参加した162体の着ぐるみが、愛らしいポーズで親子連れやファンを喜ばせた。
彦根商店街連盟などでつくる実行委員会が主催し、前身の「ゆるキャラまつり」から通算11回目。
彦根城中堀南側の京橋口駐車場で開かれた開会式では、地元のひこにゃんやくまモン(熊本県)など人気キャラクター約30体がじゃれあって見せ、会場から「かわいい」と歓声が起こっていた。
福井県から訪れた会社員の女性(36)は「いろんなキャラを見て、合間に各地のおいしいものを食べたい」と話していた。21日も行われる。
 

▼ご当地キャラ博のポスター(3年前)

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▲クリックすると拡大します (^_^;)

 

「仁徳天皇陵を歩く」へ

 

イヌ派によるネコ論

download先日(2017年12月)のペットフード協会の発表によると、全国犬猫飼育実態調査で、調査開始以来、はじめてネコの推定飼育数が犬の数を上回ったという。
人類の相棒は犬じゃなくてネコだった──というわけではないけれども、少なくともペットの王は今やネコに移り変わりつつあるといえるのではないだろうか。
飼いやすいというのもあるが、ネットをみればネコの画像や動画はいつだって大流行で、あっという間に万を超える閲覧、再生数を叩き出し人間の心を鷲掴みにする。
いったいネコの何が人間をそこまで惹きつけるのだろうか?
犬は狩りもすれば防犯にも役に立ち、飼い主が苦しんでいれば寄り添って慰めてくれる。
お座りだろうがお手だろうがちょちょいのちょい。
一方、ネコはどうだ。お手ができるネコが現れれば奇跡のような扱いを受け、好き勝手に生活し、役に立つこともなく、人間がおネコさまに奉仕するかのようだ。
そのうえ、ネコは生態系を致命的なまでに破壊し、世界の侵入生物種ワースト100にまで選出されている。
僕はずっと犬派なので若干ネコへの視線が厳しくなったが、本書はそんなおネコ様の秘密──どのようにして飼いならされたのか、なぜ人間は特に役に立つわけでもないネコを飼い始めたのか、なぜ犬よりも飼われ、ネットでバカ受けするのかなど、ネコと人の歴史をそもそもの歴史と生態から問い直し、サイバースペースを支配する理由まで解き明かす一冊である。
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海道東征


clm1709200005-p1新保祐司(しんぽゆうじ) 文芸批評家、都留文科大学教授
福岡県の柳川市を初めて訪ねた。詩人、北原白秋の故郷である。
北原白秋作詩・信時潔作曲の交声曲「海道東征」については、これまで度々書いてきたけれども、信時潔を論じることが多くて、作詩をした白秋のことはあまり触れてこなかった。
しかし、この名曲を深く味わうためには、やはり白秋という大詩人と白秋が作詩した8章に及ぶ大作について考えなくてはならない。
ということで、今回の柳川への旅になった。
 
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神社の裏側

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安倍晋三首相の鶴の一声で開催地が決まった伊勢志摩サミット
開催を5月末に控え、カウントダウンが始まっている。
水面下では、サミット参加国の首脳が、そろって伊勢神宮へ参拝する段取りで交渉が続けられている。
そうなれば、世界の視線が、伊勢神宮や日本の神道へ注がれることになるだろう。
桜の花びらが舞う3月末、伊勢神宮内宮では、テロへの警戒のため、普段から警備を担当している正職員の衛士に加えて、多くの警察官が動員されていた。
20年に1度──。
伊勢神宮には、持統天皇時代から1300年もの長きにわたって受け継がれてきた「式年遷宮」と呼ばれる神事がある。
20年ごと に、社殿を新たに造営し、旧殿から神体を移すことをいう。
内宮から外宮、14の別宮に加えて、あの有名な宇治橋も全面的にリニューアルされる。
 
式年遷宮を お祭りと考えれば
あの御柱祭よりも古い!  (^_^;)
 
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諏訪大社の御柱祭(おんばしらまつり)

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▲「川越し」をする御柱(おんばしら)

  約1200年の歴史があるとされる諏訪大社(すわたいしゃ)の御柱祭。

  十二支のとらとさるの年に開かれる。数え7年に1度の奇祭。

 長さ約17メートル、重さ約10トンの巨木を山の上から人力だけで長野県・諏訪大社に運ぶ御柱祭 が始まり、諏訪大社の上社に立てる御柱を急坂から落とす「木落とし」が4月2~3日、長野県茅野市であった。

 傾斜約25度の坂を巨木が土煙を上げて滑り落 ちると、観客から大きな歓声が起こった。

 「ヨイサ、ヨイサ」の掛け声とともに御柱が徐々に坂の上からせり出してくるにつれ、興奮はピークに。
 「ここは木落とし、お願いだ~♪」と甲高い声で「木やり」が歌われると、柱の両端に取り付けた太い棒に氏子たちが鈴なりに乗ったまま10秒ほどで坂を下っていった。
午後には市内の宮川で「川越し」があり、氏子たちが川の中で綱を引いて御柱を対岸に運んだ。
 
日本最古のお祭りかな~ と思うのですが(祇園祭が1150年くらい)
あまりにも古すぎて よく分からないようです
危険度はたぶん日本一で しょっちゅう死人が出ます  ((((;゚д゚))))
 

国立歴史民俗博物館

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                 ▲▼似てる (^_^;)
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