平井権八と遊女小紫の比翼塚 目黒不動の入り口近くにある
むかし住んでいた場所の近くに
「かむろ坂」という坂があります (^_^;)
←花魁(おいらん)の前にいる子供が「かむろ」
平井権八は、因幡国鳥取藩士であったが、数え18歳(満16~17歳)の1672年(寛文12年)秋、父・正右衛門の同僚である本庄助太夫(須藤助太夫とも)を斬殺して、江戸へ逃亡(退去とも)した。
新吉原の三浦屋の遊女・小紫と昵懇(じっこん)になる。
この小紫おつきの「かむろ」が、小紫を迎えに行って乱暴され、身を投げたのを由来に名付けられたのが「かむろ坂」。
やがて権八は困窮し、辻斬り(強盗殺人)となり、130人もの人を殺害して金品を奪った。
権八は、目黒不動・瀧泉寺の近くにあったとされる普化宗の東昌寺(現在廃寺)に匿われ、尺八を修め虚無僧になり、虚無僧姿で郷里・鳥取を訪れたが、すでに父母が死去していたことから、自首したとされる。
1679年12月5日(延宝7年11月3日)、品川・鈴ヶ森刑場で刑死した。享年25(満23~24歳没)。
小紫は刑死の報を受け、東昌寺の墓前で自害したとされる。
東昌寺に「比翼塚」がつくられたが、廃寺となったため移転し、目黒不動・瀧泉寺に現存している。
比翼というのは、「比翼連理」の比翼。
講談・浄瑠璃・歌舞伎・映画等の世界では、白井権八(しらいごんぱち)として知られる。
白井権八と小紫を描いた歌舞伎狂言や浄瑠璃などを「権八小紫物」と呼ぶ。
江戸時代にも悪いロリコンがいて
かむろちゃんに乱暴したのでしょうか?
「かむろ」は漢字で書くと「禿」ですが
これは「はげ」と同じ字ですね なぜだろう? (・_・?)