小林麻央さん

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動画を見て 久々にボロボロ 泣いてしまいました (T_T)


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歌舞伎役者・市川海老蔵(39)の妻でフリーアナウンサーの小林麻央さんが6月22日夜、都内の自宅で亡くなった。34歳だった。
海老蔵が23日、都内で緊急会見を開くと発表した。
海老蔵はこの日、東京・シアターコクーンで自主公演「ABKAI2017〜石川五右衛門 外伝〜」を正午からと午後5時からの2回予定しており、昼公演と夜公演の間に会見が行われることになる。
海老蔵は、この日朝ブログを更新。
「人生で一番泣いた日です」と記述。
その後、舞台公演中ということもあり、楽屋写真を添え、「どんな事があろうと、舞台。役者になるとはそういう事なのかもしれません」と書き込んだ。
正午の舞台は十二時ちょうどに開演。
石川五右衛門を演じる海老蔵は、約3分後に登場し、客席からは万雷の拍手。
海老蔵は「絶景かな、絶景かな」の有名なセリフを述べ、代名詞のにらみも見せた。コミカルなシーンも演じてみせ、高笑いで舞台を締めた。
海老蔵は最愛の妻をあまりにも若くして失った悲しみを観客には一切見せず、その死に舞台上で触れることもなかった。
21日以降更新が途絶えて心配されていた麻央さんのブログは、「オレンジジュース」のタイトルで記された20日付が絶筆に。
オレンジを絞る力もなく、母に絞ってもらったジュースを飲むと笑顔になり、「皆様にも、今日笑顔になれることがありますように」との言葉が最後のメッセージとなった。
7月3日初日の七月大歌舞伎に一人息子の堀越勸玄君(4)が出演する予定で、麻央さんは東京・歌舞伎座に足を運ぶことを目標にしてきた。あと10日ほど命があれば、その願いがかなう可能性があった。
それでも、家族とともに過ごせたこの1か月ほどは麻央さんや海老蔵、一人娘麗禾(れいか)ちゃん(5)、姉のフリーアナ小林麻耶(37)にとって幸せな時間だったに違いない。
海老蔵は7日のイベントで、麻央さんについて「家にいてくれてうれしい」と発言。麻央さんも「やはり 我が家は最高の場所です」と先月末、ブログで退院の喜びを報告している。
闘病2年8カ月
<–2014年–>
▼2月 海老蔵と人間ドックを受診。左乳房に腫瘍があることが分かり、がんの確率は50%と診断される。後日、再検査もがんとは診断されず、念のため半年後に再検査と言われる
▼8月 半年たつも、多忙のため再検査を受けられず。
▼10月 左胸のしこりに気がつき、その場で検査を予約。
▼10月11日 検査日。脇にもしこりが発覚し「95%がん」と言われる。
▼10月21日 がんの告知を受ける。脇とリンパ節に転移していた。その後、肺や骨などにも転移。
闘病始まる。
後のブログで「生検の結果を聞くまでの10日間は、ひとりだけ違う時間軸に生きて、ゆっくりゆっくり皆とは違う暗闇に追いていかれるような感覚だった」と振り返り、告知された当日については「診察室に入った時の先生の表情で、『陽性だったんだな、がんなんだな』と分かった。心の準備は意外とできており、冷静に先生のお話を伺った」とつづった。
<–2016年–>
▼6月9日 市川海老蔵が進行性の乳がんで1年8カ月も闘病中であることを明かす。「かなりのスピードで進行している。深刻な状況」と説明。病気を公にできなかった苦悩を語り、この間の家族模様を真摯(しんし)に語った。長女麗禾(れいか)ちゃん(4)長男勸玄(かんげん)くん(3)も「自分の中で踏ん張っている」と語った。
病気の判明から1年8カ月。「長かったけれど、これからも続く。おのおのが忍耐し、悲しんだ1年8カ月だった。麻央とは元気がない時にくだらない話をするし、『必ず元気になると思う』と話している。地方で仕事の時は、電話で1、2時間話すこともある」。ここ数年、長い休暇を取らなかったが、「今年は休みを取ろうと思うので、どこか行きたい。どうか付いてこないでほしい」と話し、つかの間、会場に笑いが広がった。
海老蔵は「治るまで全面的に支える。麻央には『治っても支えるよ。そして、おれのことも支えてね』と言ってきた」と語った。
▼9月1日 ブログ「KOKORO.」を開設。
「なりたい自分になる」のタイトルで「今日から、ブログを書くことにしました。家族はとても、驚いています」と書き始めた。ブログ開設のきっかけは「がんの陰に隠れないで」と医師に言われたことだったとし「がん患者というアイデンティティーが私の心や生活を大きく支配してしまっていたことに気がつきました。陰に隠れている自分とお別れしようと決めました。1度きりの人生なので、なりたい自分になろうと決意できたことはうれしいです」とつづった。
長女麗禾ちゃん(5)長男勸玄くん(3)への思いものぞかせ、病と闘う人たちへエールを送った。「元気いっぱいの娘や息子を前に途方に暮れる思いでした。子供に『いつも一緒にいられなくてごめんね。何にもしてあげられなくてごめんね』と胸を痛めてるママがいたら、私も同じですと伝えたいです」。
夜までに3000件以上のコメントが寄せられ、麻央は「ありがとうございます」のタイトルで2回目の投稿をし「言葉の中に、優しさを感じ、愛を感じ、人生を感じ、感動しています」と感謝した。
▼9月2日 1日に開設した公式ブログ「KOKORO.」で、過去の“”金髪”姿を公開。「かつら」と題したブログで、時期こそ明かさなかったものの、抗がん剤で髪が抜けるため、金髪のウイッグを試した際に撮影したもの。家族に「金髪に決めました」と写真を送ったところ、思いのほか好評な反応が返ってきたといい「き、き、きんぱつー!? と驚いて欲しかったのですが、きっと皆、私の気持ちを盛り上げようとしてくれていたのでしょう」と気遣いに感謝していた。
▼10月1日 がんが肺や骨などに転移していることを明かしたが、病院食のご飯が「小」になっていたことに、「『大』を希望しよう。私の取りえは食欲です。皆様、安心してください」と前向きにつづった。
▼10月1日 ブログで、「病院の先生方の勇断により、先日、手術を受けることができました。術後、徐々に回復してきたため、ご報告させていただきます。私の場合、根治手術ではなく、局所コントロール、QOLのための手術です」と報告した。
さらに「一時は、胸や脇の状況が深刻になってしまったため、手術さえも選択にありませんでした。手術をしたからといって、肺や骨にがんは残っており、痛みもあるので、これからが闘いです。なので、心からの喜びとまではいきません。が、先生方が大きな手術にチャレンジしてくださったことは、大いに大いに喜んで、心からの感謝をしています」とつづった。
▼10月3日 ブログに「一般的には根治は難しい状態と言われるかもしれません」と記した上で「奇跡を起こしたいんです」と医師に伝えると「奇跡を起こすには着実な1歩1歩を踏むことです」と言われたことを紹介。さらに「ステージ4だって治したいです」と初めて明かした。
▼10月10日 公式ブログで、長女麗禾ちゃん(5)長男勸玄くん(3)の通う幼稚園の運動会に行ったことを報告。「運動会!」と題し「幼稚園の運動会、行ってまいりました!! 闘病してから初めて、決めた目標でした。うれしくて、力を使い果たし、今はクタクタですが、この幸せのクタクタ! 娘も息子も、思いっきり楽しんで参加していて、本当にうれしかったです」。
▼11月23日 英BBC(電子版)に寄稿した闘病、家族への思いが同サイトにアップ。「病気になったことが私の人生を代表する出来事ではない。私の人生は、夢をかなえ、時に苦しみもがき、愛する人に出会い、2人の宝物を授かり、家族に愛され、愛した、色どり豊かな人生」と記している。この日ブログも更新して「私なりの葛藤の先にたどり着いた思いです」と寄稿について説明した。
▼12月20日 ブログで、入院中であることを明かす。「体力回復に向けて」のタイトルで、麻央は「自宅にいたかったので、気力で復活させようとしてきたのですが、『今は、がんばる時ではないよ。医療の力を借りて、回復させよう』と主治医の先生に言われ、ここ最近の踏ん張りを一度、休止することにしました」とつづった。
<–2017年–>
▼1月9日 日本テレビ系「市川海老蔵に、ござりまする。」に出演。16年6月のがん公表以来、テレビ出演は初めて。
インタビューは今月4日、入院中の病室で行われた。ショートヘアのウイッグを着けた麻央は「主人には心の持ちようを教えてもらっている。主人と結婚したからこうやって生きていられる。そうじゃなかったら心が死んじゃっていた。すごく感謝してます」と話した。麻央は、父市川団十郎さんを亡くした海老蔵に孤独を感じていたというが、自分が病気をしたことで、悲しみや苦しみが想像できるようになったとし「病気をする前よりちょっといいパートナーになれるんじゃないか。役者市川海老蔵を、パートナーとして支えられるチャンスを神様ください、と思う」と涙ぐんだ。
また同番組で海老蔵は「今だから言えるけど、今年(16年)の夏はダメだと思った。手術できるとは思わなかった」と厳しい状況だったことも明かした。
▼1月13日 ブログを更新し、胸に皮膚転移があり、おなかにも同様の可能性があることが分かったことを明かした。昨秋に手術を受け、1月11日から、がんが転移した骨への放射線治療を始めていた。
▼1月29日 ブログを更新して「今、何が必要か。やはり子供達を感じられる環境だと思います。心の栄養。帰っても、自分のことすらしきれない不安はありますが、思い切って退院日を決めました」と報告した。
▼2月2日 ブログ「KOKORO.」が「ブログ・オブ・ザ・イヤー2016」最優秀賞に。「Ameba(アメーバ)ブログ」の中で最も注目されたブログを表彰するもので、「がんの影に隠れない」という意志のもと昨年9月に開設された「KOKORO.」は一般投票でもトップの得票だった。放射線治療を終え、自宅療養中で「ブログの更新を楽しみに、時には目標にしながら1日1日をつないできた気がします。皆様からの励ましの言葉を読むたびに、力が湧き出てきます。本当にありがとうございます」とコメントを寄せた。
▼3月29日 ブログを更新し、血液検査の結果が悪かったことを報告。「がびちょーーーーんっ !! と言ってみる。気が明るくなった。有難い言葉だ」とつづった。
▼4月19日 ブログで「ここずっと1日中横になっている毎日でした。息苦しさと変な発汗と痛みと。10日前まで普通に歩けたのに、10歩歩くのもやっとになってしまうのだから」と、具合の悪さを明かした。母親に背中をさすってもらい、一緒に泣いたこともつづった。
▼5月29日 ブログで入院先から1カ月ぶりに帰宅したことを報告。「やはりわが家は最高の場所です」。今後は在宅医療に切り替え、自宅で点滴などを続ける。
▼6月20日 「オレンジジュース」のタイトルでブログ更新。「口内炎の痛さより、オレンジの甘酸っぱさが勝る最高な美味しさ! 朝から笑顔になれます。皆様にも、今日笑顔になれることがありますように」とつづった。
ブログはこれが最後の更新となった。
 
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