正義の人

読書 検非違使

丹生谷 検非違使 _01

書名に惹かれて読み始めたが、日本中世史の専門的な論文を集めた本で、素人には読みにくいこと夥しく、かなり飛ばし読みになった

検非違使(けびいし)とは、中世における警察や裁判を扱った役所のことを言うのだが、その中の重要な役目として「ケガレ(穢れ)」を清める仕事の統括があった

例えば天皇がどこかにお出かけ(行幸)するときは、すべての道や宿を清める(清掃し、ケガレをはらう)必要があり、これも検非違使の重要な職務だった

この時代の「ケガレ」とは、まず第一にであって、死人の出た家は一定期間「ケガレた場」とされ、家族も「ケガレた者」として公的な場への出仕が一時的に止められる

「ケガレ」とは、一種の伝染病のようなものと考えられていたようだ

現在でも、家族が亡くなると学校や会社を休んで喪に服したり、葬式から戻ると清めの塩をまいたりするのは、この習慣の名残りだろう

人間や動物の死体は「ケガレ」た存在なので、やがてこれらを扱い、清める専門職が登場し、「非人」と呼ばれる特殊集団を形成する

最も清い存在である宮中では、特に「ケガレ」を極端に忌避したので、「非人」の活躍する場も多く、ここに天皇と非人の特殊なつながりが形成された

書名は「検非違使」だが、主たる内容は中世における非人社会の在り方とその変遷であって、実に微に入り際にわたる細かな検討が加えられている

歴史の専門家が学会などで、どんな議論をしているのかが見えてくる(非常に読みにくくて、参っちゃうけど)

当初は畏怖され特権を有する専門職だった「非人」だが、やがて「ケガレ」の概念が肥大化し、埋葬、屠殺、革細工などなど、非常に広範な仕事が「ケガレ」た仕事として、特に江戸時代に差別の対象になった

現代でも度々政治問題化する被差別民だが、その起源は古代・中世にまで遡る

mura_hachibu

「ケガレ」を嫌う傾向は、現代の日本人にも脈々と生きていて、世界一清潔な生活習慣となって表れている

中国コロナで、みんな一斉にマスクをするようになったことも、関係があるかもしれない

ある県では、東京から帰省した人を「ケガレた民」として忌避する「正義の人」まで登場している

(^_^;)

 

独善的な「正義の人」船戸雄大

検察側は「比類がないほど悪質」と述べた ©共同通信社

「記憶が曖昧でわかりかねます」

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれません」

 東京地裁の法廷でのらりくらりと質問をかわしたのは、東京都目黒区の船戸結愛(ゆあ)ちゃん(当時5)を虐殺したとして、傷害、保護責任者遺棄致死などの罪に問われた父親の殺人犯・船戸雄大(34)。
起訴内容は認めたものの、結愛ちゃんの命の危険を認識したのは死亡前日の「昨年3月1日だったと思う」と述べ、「2月下旬」とする検察側の主張に争う姿勢を見せた。

「本人が細かい主張をしてきているのに、いざ被告人質問をしてみると、虐待の時期や当時の考えなどは『明確な記憶がない』と答え、検察官を苛立たせていた。裁判員も繰り返し質問するなど丁寧に向き合っているのに、下手な国会答弁のような答えをしばしば繰り出したのが印象的でした」

法廷では雄大の過去も語られた。
幼少期を北海道で過ごした後、東京の大学に進学。
学生時代に在籍したバスケ部ではのけ者にされた経験もあったという。
大卒後は有名企業の子会社に就職してシステム関係の仕事に就くも、仕事のプレッシャーで体調を崩して退職。
その後はススキノのクラブにボーイとして勤務し、2015年から香川県のキャバクラに勤めることに。
すでに有罪判決を受けた優里被告(27)は、当時シングルマザーでこのキャバクラのキャストだった。
 

正義の人

D8v8ufXUcAAtle9
pose_sugoi_okoru_man

 本人も意識してないだろうけど
  何か深層心理にある激しい怒り
 (たいていは自分自身に対する怒り)
 が形を変えて吹き出してる感じですね  (;´Д`)

ある正義感にあふれた男性(正義の人が三重県松坂市で突然始めた「歩道クリーンアップキャンペーン」に地元商店街が悲鳴をあげている。
「正義の人」はほぼ毎日商店街を回り、歩道に置いてある看板を蹴飛ばし、店内をにらみつけて叫ぶ。

「要するにここは、天下の歩道なの!

 あそこに旗が立っている! 椅子が置いてある!」

ミリ単位のはみ出しにクレームを出すだけではなく、看板を壊す、のぼりを切る、商品を投げるなどの目に余る乱暴も。
みかねた通行人やお店の客が注意をしても「正義の人」は

「私は法律に基づいている! 一片のスキもない!」

と聞く耳を持たない。
「正義の人」のクレームを受け、各商店は看板やのぼりを敷地内に収めるようになった。
しかし、「正義の人」は毎日やって来て、ミリ単位で厳しい指摘を続ける。
「正義の人」出現以降、商店街の雰囲気は激変した。
売り上げが目に見えて下がり、休業に追い込まれたところもある。
クレームの矛先は商店だけではなく観光協会にも向かい、観光客向けの記念撮影看板は歩道から建物内へと移された。
行動のきっかけは、「正義の人」の自宅近くの質屋の看板が点字ブロックをふさいでいたことだという。
警察に通報したが、「やる」と口で言っただけで全く対応がなされなかったことから、「正義の人」の暴走が始まった。
地元商店街の人は

「(看板を)法的にちゃんと出せるようになって、

 街を活性化できたらケンカしなくても済むのかなと思う」

と対応に苦慮している。
実は、商店街、自治体、道路管理者が一体となり、地域活性化を目的に道路を使用するという事例はある。
東京の新宿3丁目モア4番街では、歩道部分にオープンカフェや広告塔が設置され、にぎわいが演出されている。
松坂市は「これまでこうした特例を検討したことはないが、地元とまとまれば進めていきたい」としている。
青木理(ジャーナリスト)

「点字ブロックに物が置いてあったというのはよくないが、

 こんなに完璧に守っていったら世の中が回らなくなる。

 「正義の人」のやり方は営業妨害だ。正義感が暴走している」