欠陥機「737MAX」

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 業界内部の悪いウワサというのは
  たいてい真実ですからねぇ  ((((;゚д゚))))
 
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日本のマスコミは、昨年の暮れからずっと「ゴーン」「ゴーン」「ゴーン」と、年が明けても除夜の鐘が鳴りやまないバカ報道を続けていますが、1月9日、アメリカのボーイング社が、とても重要な発表をしました。
と書き出すと、ほとんどの人は、イラン政府が撃墜を認めたボーイング737-800の問題だと思うでしょうが、そうではありません。
737は737ですが、ミサイルでも発射されなければ墜落しない優秀な「737-800」ではなく、
欠陥機「737MAX」の話です。
皆さんご存知のように、ボーイング737MAXは、2017年の就航から1年半後の2018年10月29日に、ライオンエア610便が離陸後約10分で墜落し、乗客乗員189名全員が死亡しました。
そして、その半年後の2019年3月10日、今度はエチオピア航空302便が離陸後約6分で墜落し、乗客乗員157名全員が死亡しました。
どちらの事故も状況が酷似していた上、エンジントラブルなどのメカニカルな原因ではなく、どうやらセンサーなどのシステムに原因があるのではないかとの疑惑が濃厚になりました。
そして、ボーイング737MAXは世界各地で運航停止となり、ボーイング社は2020年1月から生産中止を発表しました。
ここまでは、少しでも航空機に興味がある人なら、知っている話だと思います。

詳細はここをクリック

 

板野博行 逮捕 東進ハイスクール講師

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元教え子に中絶迫り脅迫、東進ハイスクール講師板野博行を逮捕…著作物多数 「子を産むならわいせつ動画をネットで拡散する」
妊娠した交際女性に中絶を迫ったとして、警視庁が大手予備校「東進ハイスクール」講師の板野博行容疑者(56)(千葉県習志野市)を強要未遂容疑で逮捕していたことが捜査関係者への取材でわかった。
東進ハイスクール講師の板野博行逮捕は8日で、容疑を認めているという。
捜査関係者によると、東進ハイスクール講師の板野博行は先月20日午後2時頃、東京都武蔵野市の路上で、交際相手の30歳代の女性に対し、

「どうしても産むなら、お前のわいせつ動画を

 インターネット上に拡散してやる!」

などと言って脅し、中絶手術を受けさせようとした疑い。
女性は手術を受けず、警視庁に被害を相談した。
東進ハイスクール講師の板野博行には妻がおり、女性はかつての教え子だった。
東進ハイスクール講師の板野博行は現代文と古文の講師で、古文の単語などを語呂合わせで覚える参考書「ゴロゴ」シリーズなどの著作がある。

輪廻転生

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『第三のチンパンジー』など旺盛な著作で知られるジャレド・ダイアモンドが、

「人口減少は日本復活のチャンスだ」

と述べている(『週刊文春』2020年1月2日・9日合併号)。
日本の主流の議論の正反対だから驚く読者が多いかも知れないが、筆者(宮崎正弘)はむしろ賛成で、以前から述べてきた考えに近い。
なぜなら日本はむしろ人口が多すぎるのである。
狭い国土に一億二千万人が暮らせば住居がウサギ小屋になるのも当然であり、生活空間に余裕がなくなる。
ダイアモンドは、第一に人口八千万人が適当としてドイツと同数になり、輸入する資源が減って資源小国という強迫観念が希釈になること、第二に女性の雇用のチャンスが拡がり、第三に雇用高齢化が定着する。第四に外国人労働者をそれほど受け入れないという選択肢が日本にもたらされる。
ゆえに日本にとって人口減少は逆にチャンスだとする。
とはいうものの、近未来の日本社会は「 超高齢社会」から「多死社会」に移行する。
すでに出生者より死者が上回り、人口動態は少子高齢化と同時に大量の死がやってくる時代となる。
団塊の世代が終活期に突入したからだ。
現在進行形の少子高齢化社会で、介護保険が確立された上、介護士が大量に養成された。
そのうえで、「終末ケア」の必要が説かれている。
各地にケアセンターが次々と生まれ、雑誌は相続の特集を出したりしている。
驚くなかれ伝統的な大家族制が消滅し、介護が日本国家の「基幹産業」となった。
ものつくり、匠の日本が基幹産業を変貌させたのだ。
日本経済の絶頂期には考えも及ばなかった、退嬰的な社会に変貌した。
人は人生の満足度を抱きながら安らかに眠るのが理想である。
戦後の死生観は戦前までの伝統的なそれから転倒し、生きることだけが尊重される、不思議な価値観に蔽われている。
生命尊重だけでよいのか、と絶叫して三島由紀夫は自決した。
今後の日本では「看取り」が重視される社会となり、「看取り士」が増えるだろう。
人口動態から推測できることは2015年に毎年150万人、2040年には年間180万人が死ぬ一方で、出生数は2018年に86万人強と、少数核家族化、しかも高齢単身世帯が600万、このうち400万が女性の単身世帯となり、介護認定は2018年に644万人、これを180万人の介護士が支えている。
2025年には253万人の介護士が必要だが、38万人が不足することになるだろうとするシミュレーションが存在する(後述藤和彦論文)。
このような後ろ向きの社会が到来するにあたり、考えるべきは家族制度、冠婚葬祭の在り方、死生観の是正、日本の伝統的哲学の再構築ではないのか。
戦後の日本では、GHQの占領政策の影響が大きく、価値観の転倒がおこり、家族制度がGHQによって破壊された。
結婚の伝統も欧米的な、即物的な儀式に変質し、日本的良さは喪失された。
死生観の激変によって、死=無という考え方が拡がった。
仏教への帰依が希釈化したからだろうが、

「死は無」という誤解だらけのニヒリズム

が蔓延し、人生をいかに活きるかが説かれても、如何に死ぬかは無視されがちだった。
他方、安楽死をもとめてスイスへわたる日本人が静かに増えている

スイスでは安楽死が合法化されている。

「人生において何が本質的に重要なのか、いまの仕事が何かに貢献しているのか」という思考が見失われ、ある種達成感や人生の満足感をもって死を迎えるという人間が少なくなった。
無駄な人生だったとみる、人生に意義を認めない欧州人が増えた。
戦後の実存主義などが好例だが、AIはケアの代替にはなり得ず、看取りが必要なのである。
縄文時代の 遺跡の住居跡を調べると、入り口に甕が埋められている事例が多いという。
この甕は逆さにされ、 底には小さな穴が開けられており、乳幼児や死産児の遺体が納められていた。
死産児の遺骨を玄関の床下や女性用トイレの脇などに埋める風習がごく最近まで日本で見られていた。
「死んだ子供が少しでも早く生まれ変わってくることを願って、遺骸を女性が頻繁に跨ぐところに埋めた」(竹倉史人『輪廻転生』、講談社、2015年)
遺体を埋める前に墓の中に魔除けと「生まれ変わり」を促すとされるベンガラ(酸化鉄) という赤い粉をまいたりしていた(簗瀬均「魂のゆくえ」秋田魁新報社)
また初期の聖書には生まれ変わりの記述が多数存在していた。
こうした輪廻転生の思想が、現代に甦る。
この問題に正面から取り組んだ論文は「多死社会における産業振興のあり方に関する一試案」、藤和彦(経済産業研究所) である(RIETI  Policy Discussion Paper Series・ 2019 年 12 月)
その概要の重要箇所を下記に簡潔に掲げる。
「生まれ変わり」の観念の起源は古い。
インドでは少なくとも過去4000年にわたって宗教的、哲学的発達の最大の源泉の一つになってきた。

人類の精神史の中で輪廻や復活といった「生まれ変わり」の観念が繰り返し生じており、客観的な事実か単なる妄想なのかどうかは別にして、繰り返し出現してくるだけの心理的 な必然性があったことだけは間違いない。

2006年から2008年にかけてギャラップ社が143か国を対象として行った宗教 に関する国際調査では、日本は世界で8番目に宗教を重視しない国としてランクされてい るが、生まれ変わりを信じている日本人はなんと43%に達したのである。
内訳を見てみ ると、高齢者よりも若年層、男性よりも女性の方が「信じている」比率は高い。
生まれ変わりの主張はあらゆる時代を通じて世界のほぼ全域で発生している。
「生まれ変わり」の死生観は世界中の民俗文化において見られるが、前世の記憶を持って いると称する者の逸話がもとになって発生した可能性がある。
「生まれ変わり」を認めていた西洋古代思想  古代のエジプト人が「あの世とこの世との間に大きな隔たりはない」と考えていたよう に、太古から私たちは死と死後のことを意識してきた。
西洋哲学の出発点と言われるギリシャでは、「生まれ変わり」の観念はオルフェウス教(密儀宗教の一種)から始まったとされ、哲学においても魂や形而上的世界の実在が想定されていた。
古代ギリシャの数学者として知られるピタゴラスは前世の記憶を持ち、「不滅の霊魂」 「霊魂の輪廻転生」「修養による霊魂の浄化」を弟子たちに唱えていた。

 「魂の不死を信じて平然と死ぬことができる心の訓練が、哲学の使命である」

と弟子たち に教えていたソクラテスにとって、自らの死は永遠の生、人間の魂の永続性を象徴するも のであった。
ピタゴラスの世界観を継承したプラトンも、著書「パイドン」「国家」などの中で「死者の魂は一定期間を過ぎると生まれ変わる」と主張している。
古代ギリシャ思想においては、死によって霊魂と肉体は分離し、前者は不滅とされてい た。
例外はソクラテスと問答を行った当時のソフィスト(知恵ある者)たちだった。
彼らは現代人のような唯物論的な考え方を有していた( 樫尾直樹他「人間に魂はあるのか?」国書刊行会、2013年。以上引用止め)

輪廻転生と言えば、三島由紀夫の最後の四部作の主要テーマである

『春の雪』の松枝清顕は『奔馬』で飯沼勳となり、『暁の寺』ではジンジャンン姫に転生していた(らしい)。
最終巻の『天人五衰』の安永透は、輪廻転生とは無縁だったことが示唆されている。
嘗て筆者がローマ憂国忌での講演を依頼されたおり、イタリアの知識人達と懇談の機会があったが、三島『豊饒の海』への最大の関心は輪廻転生だった。
カソリックが強いイタリアのおいてすら、人生の模索の思想に、仏教的東洋的死生観が横たわるのである。
かくして多死社会となる日本で、精神的安らぎの希求や看取るというシステムが、嘗ての大家族制という伝統に近付くことができるか、どうかが今後の論議になるだろう。

「宮崎正弘の国際情勢解題」令和弐年正月元旦年頭随筆より

 

男は弱いよ 金ピカ先生

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派手な格好で羽振りのいいイメージが強かった「金ピカ先生」が孤独死したというニュースは、日本中に衝撃を与えた。
それは、多くの人にとって彼の死に様が他人事に思えぬものだったからに他ならない。

話が嚙み合わない

「ハァ、ハァ、ハァ……早く死にたい」
8月下旬のまだ暑い日、本誌は生前の「金ピカ先生」こと佐藤忠志さん(享年68)を取材し、9月7日号の特集でその変わり果てた姿を伝えていた。
かつて築いた財産をすべて使い果たし、生活保護と、週に2回のデイケアサービスだけを頼りに生きていた佐藤さんの家は電気もガスも止められ、熱気がこもる寝室には、異臭が充満していた。
骨と皮だけのようになった身体にパンツ一枚の姿で、ガラス玉のような両目は、遠くを見つめたまま動かない。
口にするのは近所のコンビニで売られている格安のカップ焼酎と、タバコだけ。息も絶え絶えの様子で焼酎をあおり、ゴホゴホとむせる。
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「山城(新伍)、梅宮(辰夫)、(菅原)文太、あの頃の東映ヤクザ映画は楽しかったですね……」
頭がもうろうとしているのだろう。予備校講師時代の思い出を尋ねても、会話が嚙み合わない。
取材中、佐藤さんの口をつくのは「自分は生きる屍」「何にも関心がない」「早く死にたい」という、絶望に支配された人間の言葉ばかりだった。
そして、この取材からわずか1ヵ月足らずで、佐藤さんは誰にも看取られることなく、たった独りでこの世を去った―。
バブル期に一世を風靡し、最盛期には年間2億円とも言われる収入を得ていた佐藤さんは、なぜこれほどまでにも哀しく、孤独な最期を迎えなければならなかったのか。
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佐藤さんは、’90年代前半にはすでに講師を引退。その後は、知名度を活かしてタレントとして生活していたが、ブームはあっという間に過ぎ去り、収入は講師時代の100分の1以下に。
それでも、かつては毎日のように高級ホテルで食事をし、地方への移動も常にファーストクラスだった佐藤さんの放蕩ぶりは一向に収まらなかった。
「貯金はあっという間に減っていきましたが、決定打になったのは、なけなしのおカネを元手に出馬した’01年の参議院選挙でした。自民党から出馬したものの、落選してしまった」(佐藤さんの友人)
穴埋めのため、予備校講師時代に建てた「豪邸」も売り払った佐藤さんが、中野区内にある実家に妻と共に越してきたのは、いまから5年ほど前のことだった。
「もともと、あの家には佐藤さんの母親が住んでいました。お母さんはハデな人で、ヒラヒラのフリル傘を片手に真っ赤な帽子をかぶったりしていて、佐藤さんの独特のファッションセンスは母譲りだったと思います。
そんな母親が亡くなって間もなく、佐藤さんと奥様が引っ越してきた。あの頃はまだ元気で、『いくらの時計を買った』とか『収入がウン千万円あった』とか、昔の自慢話をよくしていました。でも奥様は常識人でね。いつも腰が低い人だった」(近隣住民)

そして妻は去った…

金遣いの荒さは「金ピカ先生」の異名どおりだった佐藤さんだが、人柄については見た目とは裏腹に穏やかで、人を怒鳴るようなことは一切なかったという。
そして、周囲の人が口をそろえるのは、「人一倍仲の良い夫婦だった」ということだ。
「先生は温泉が大好きで、羽振りの良かった時代はいつも夫婦で伊豆や箱根に出かけていた。そういう旅行も、外食するときも、先生は絶対に奥さんを連れていました。
奥さんはお嬢様育ちで、実家は相撲部屋の後援会会長をしていたほど。先生とは対照的に常に地味な服装で、とても出来た人でした。旦那さんを常に立てていて『うちの佐藤がすみません』というのが口癖でした。
先生はおカネの管理がまったくできない人なので、カネ回りの世話は奥さんがぜんぶやってあげていました。誰かとご飯を食べるときはいつも先生の奢りなので、奥さんの鞄には100万円の束が入っていた。
先生が、講師を辞めてあまりおカネがなくなってからも、奥さんが先生のもとを離れることはありませんでした。10年ほど前に先生が脳梗塞で倒れた直後も、奥様は献身的に世話をして、きっちり断酒を成功させていました」(前出・佐藤さんの友人)
仕事以外のことはまるで何もできない夫と、半歩後ろを歩きながら身の回りを甲斐甲斐しく世話する妻。
典型的な「昭和のおしどり夫婦」の関係に亀裂が走ったのは、実家に移ってから2年ほどが経ち、夫婦の生活が本格的に困窮してからのことだった。
相変わらず近所の飲食店に行くにもタクシーを利用するような佐藤さんの暮らしぶりに妻は呆れ果て、二人の間には喧嘩が絶えなくなった。
ついには「死ぬまで住み続けていい」という条件のもと、知人に自宅を売り払い、そのカネで高級外車を買おうとした佐藤さんに妻の怒りは限界に達した。’17年のある日、突然家を出ていってしまう。
そこから、佐藤さんは死に至る孤独な日々を過ごすことになる。
〈もう女房に未練ないし〉
〈(独りで生きる余生は)バラ色ですよ、ずっと〉
昨年の夏に『スポーツ報知』の取材を受けた際には、以前の威勢の良さがまだ残っていた。だが、それは精一杯の強がりだった。
プライドと見栄の塊だった佐藤さんは、実入りが減って人に奢ることができなくなってからは、次第に友人たちとも没交渉になっていったという。きっと、「みっともない姿は見せられない」と思っていたのだろう。
そんな佐藤さんにとって、妻はありのままの姿をさらけ出すことのできる、唯一の相手だった。
その「たった一人」を失った瞬間から、佐藤さんの本当の苦しみが始まった。
誰もいない部屋で、話し相手もなくタバコをくゆらせながらぼんやりと過ごす毎日。
「過去の人」になっても、カネがなくなっても、病気になっても、多くの人が離れていっても、それでもそばにいてくれた妻が、ついにいなくなってしまった。
〈自分の人生には、もうなにひとつとして残されていない〉
決して取り返すことのできない過ちに気づいたとき、佐藤さんが感じた絶望はいかばかりだっただろうか。

「全部オレが悪い」

気づけば、すっかり自暴自棄になり、心の痛みを少しでも紛らわそうと、朝から晩まで大量の酒をあおるようになった。
そして、昨年の秋には、デイケアサービスがないと生活できないところまで体調が悪化した。
デイケア施設の関係者が言う。
「地域包括支援センターの職員が様子を見に行った結果、『もう一人では生きられないから、サービスが入ったほうがいい』という判断になりました。
担当のヘルパーが佐藤さんの家に初めて足を踏み入れたとき、中は荒れ放題で、床のそこかしこに落ちたゴミが異様な臭いを放っていた。
できる限りのことはしようと思いましたが、当のご本人が生きる意欲をまったく持てなかった。当初はコンビニでサンドイッチなどを買っていましたが、次第に食べることすらやめてしまった」
電気もガスもつかない真っ暗な家のなかで、服をまとわぬ佐藤さんはじっと虚空を見つめ、微動だにしなかった。
このときの様子を「恐らく、完全な『自己放任』状態だったのではないか」と語るのは、遺品整理業「あんしんネット」の石見良教氏だ。
「『自己放任』は社会から孤立していた人が、死別や離婚で唯一の心の拠りどころだった人を失ったり、病気などの負の出来事に見舞われたりして、孤独に耐えられずに自暴自棄になってしまうことです。
とりわけ、佐藤さんのように子供のいない高齢男性はその傾向がより顕著になる。普通、人間は生ゴミの臭いに耐えられず片付けたくなるものですが、毎日ボーッと過ごしているうちに感覚が麻痺して、それが異常であることにすら気づかなくなってしまう」
すでにほとんど会話することさえままならなくなっていた佐藤さんだが、時折、妻への気持ちをこぼしていたという。
「よく言っていたのは『こうなったのも全部オレが悪いから仕方ないよな』と。もとから、奥さんの悪口を言うのは聞いたことがありませんでした。
自分が悪かったというのは重々わかっていたと思います。ごくたまに奥様が訪ねてくることがあったようで、そのときは嬉しそうに話していました」(前出・施設関係者)

男は弱い

羽振りが良かった時代を忘れられず放蕩を続け、すべてを頼り切っていた妻に愛想を尽かされる。
佐藤さんの辿った末路を、「自業自得」の一言で片付けるのは簡単だ。
しかし、どんな形にせよ、すべての夫婦に離別のときはやってくる。佐藤さんが襲われた絶望は、誰にとっても決して他人事ではない。
「連れ合いと離れた後、女性は『独りで生きなきゃ』と覚悟を決めて強くなる場合も多いのですが、男性の場合は、一気に弱ってしまう人が少なくありません。
近所付き合いや友人付き合いの多い女性にとって、夫は『たくさんある人間関係の一つ』に過ぎませんが、定年後に仕事関係のお付き合いがなくなった男性にとっては、奥さんとの関係は唯一無二のもの。
死別や離婚でそれが失われると、どうしていいかわからず、ただ呆然と立ち尽くしてしまうのです」(ケアマネージャーオフィス「ぽけっと」代表の上田浩美氏)
自分では何もできない男が独りになったときに襲われる、どうしようもない孤独。
人知れず最期を迎えた瞬間、佐藤さんがせめて絶望から解放されたことを願ってやまない。

「週刊現代」2019年10月12・19日合併号より

 

年には勝てない

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 後継に道を譲らず ひたすらポストにしがみつく
  醜い認知症ボケ老人もいるようですが
 こうゆう清々しい引退劇も あるんですね~  (^_^;)
 
山梨県甲州市の田辺篤市長(74)が27日、市議会議長に辞表を提出し、受理された。
物忘れなどを理由に挙げ、来年1月末で辞職する。
市長選は2月上旬に実施される公算が大きい。
辞表提出後に記者会見し、

「年を取りしんどくなった。年には勝てない」

と語った。
特定の病気は否定したが、疲れや物忘れが目立つようになったと説明。

「30分前の話を忘れることもあり、妻から気をつけた方がよいと言われるようになった」

と明かした。
決断時期については、

「選挙のこともあり、4月までには新しい市長が誕生していないと(いけない)」

と話し、年度の区切りを考慮したという。
新年度予算については「骨格予算」との方針を示した。
現在4期目で、任期を2年近く残した辞職になる。

「自分ではそれなりのことはやってきた」

と市政運営を振り返った。後継については

「やりたい人が何人もいるので、あえて言いません」

と明言しなかった。
田辺氏は県議や旧塩山市長を経て、2005年の合併で誕生した甲州市の市長選で当選。
17年11月に4選された。
 

強姦魔・初鹿明博 立憲民主党

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立憲民主党の衆院議員、強姦魔・初鹿明博は20日、強制わいせつの疑いで書類送検されたことを受け、同日付で離党届を提出したと発表した。
報道各社宛ての文書で強姦魔・初鹿明博は「捜査機関の判断を待つ身でありますが、このような事態を招いたことに鑑み、離党届を提出しました」とした。
強姦魔・初鹿明博を巡っては2015年5月、タクシー内で知人女性にわいせつな行為をしたとして、警視庁葛西署が今月10日に書類送検した。
 

保釈 熊澤英昭さん 息子殺害

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 子供を作る自由はあっても 消す自由は無い
  人の親になるのは難しいですね
 この事案は 執行猶予でいいと思う  (T_T)
 

長男を殺害した罪で懲役6年の判決を言い渡された農林水産省の元事務次官、熊澤英昭被告(76)について東京高等裁判所が保釈を認める決定をしたことが分かりました。

保釈金は500万円で早ければ20日にも保釈される見通しです。

 農林水産省の元事務次官、熊澤英昭被告(76)はことし6月、東京 練馬区の自宅で、44歳の長男を包丁で刺して殺害した罪に問われました。
被告は起訴された内容を認め、今月16日、東京地方裁判所で懲役6年の実刑判決を言い渡されました。
判決の後、被告の弁護士は保釈を請求しましたが、東京地方裁判所が却下していて、弁護士が東京高等裁判所に抗告していました。
これについて、東京高等裁判所の青柳勤裁判長は20日、東京地裁の決定を取り消して保釈を認める決定を出しました。
保釈金は500万円で、納付されれば早ければ20日にも保釈される見通しです。
殺人罪で実刑判決を受けた被告の保釈が認められるのは異例です。
裁判所は1審の判決が言い渡され、証拠隠滅のおそれが低くなったことや、被告が高齢であることから健康状態を考慮して判断したとみられます。
裁判所によりますと、控訴する期限は来月6日で、これまでのところ、弁護側と検察とも控訴していないということです。

羽田空港

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 羽田空港は都心から近くて とても便利です
  不便な成田空港は 貨物専用空港にして
 旅客は羽田に 集約して欲しいです  (^_^;)
 
東京・羽田空港。
展望デッキの目の前をさまざまな飛行機が轟音(ごうおん)を響かせ飛び立っていく。
方角は同じでも、それぞれ違った軌道を描き、風に翼を乗せていった。
羽田空港の歴史は1931(昭和6)年、53ヘクタールの敷地に1本の滑走路を敷いた「東京飛行場」から始まる。
戦後、米軍に接収されるなどしたが55(昭和30)年に空港ターミナルがオープン。
そして、日本の経済成長、人口増加に合わせ拡張と再開発を重ねてきた。
海外渡航の自由化、ビートルズ来日、ジャンボ初飛行…。
羽田空港はエポックメーキングな出来事の舞台となった。
今や約1500ヘクタールの敷地に3つの旅客ターミナル、4本の滑走路を備え、面積、発着回数、乗降客数いずれも日本最大の空港だ。
国内、国際線を合わせて1日に計約1200回の発着が行われる
朝から夕方まで離着陸する航空機を撮影した。
空気が澄んだ日、午前8時半から午後5時まで、羽田空港の滑走路を離着陸した計70機を、三脚を据えて撮影した。
すべて同じ画角で撮った機体を、その軌道上で1機につき1枚切り抜いて合成してみた。
するとそこには、大空を埋め尽くさんばかりに混雑する首都の玄関口の姿が現れた。
2020年夏、選手や観客がこの空港に降り立ち、東京五輪・パラリンピックへの熱い第一歩を踏み出していく。
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▲1972(昭和47)年の羽田空港

 

愛子さま18歳

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 愛子さまは偏差値72の超優等生だそうです
   秋篠宮家がトラブル続きなので
 愛子天皇待望論が高まっています  (^_^;)
 
天皇、皇后両陛下の長女、敬宮(としのみや)愛子さまは12月1日、18歳の誕生日を迎えられた。
4月に学習院女子高等科3年生となり、勉学に励む一方、高校生活最後となる運動会や文化祭などの行事で活躍するなど、充実した日々を過ごされている。
天皇陛下のご即位に伴う一連の関連儀式も逐次テレビなどで見守り、関心を持たれているという。
11月上旬に開催された文化祭では、3年生有志のグループでダンス公演にご出場。
洋楽やJ-POPなどの音楽に合わせて軽快なダンスを披露したほか、美化委員としてごみの分別作業にも取り組まれた。
一連の即位関連儀式では、早朝から深夜に及ぶ両陛下のご発着を赤坂御所で欠かさず見送り、出迎えられた。
10、11月に行われた「即位の礼」の中心儀式「即位礼正殿(せいでん)の儀」や「祝賀御列(おんれつ)の儀」では、皇室の伝統や国民の祝福の様子などを伝える報道を熱心にご覧に。
8月15日の終戦の日には、両陛下が初めて臨席された全国戦没者追悼式の様子をテレビで見ながら黙とうされた。
両陛下とともに訪れた静養先の栃木県那須町では8月、駅頭で小学生や高校生に積極的に声をかけられる場面も。
陛下と長年親交のある英国のアン王女が10月、赤坂御所を訪れた際に同席するなど、海外王族と英語で交流する機会も持たれた。