むかしむかし あるところに
「文豪」というワープロ専用機がありましたが
いつの間にか 消えちゃいました (^_^;)
ノーベル賞作家の川端康成(1899~1972年)が、京都を舞台にした代表作「古都」の新聞連載開始を目前に控え、
<筋も人物も場所も定まらず>
<京都弁には御手あげ>
などとつづった書簡が見つかった。
後輩の作家・舟橋聖一(1904~76年)に宛てたもので、大作家が不安や焦りを打ち明けている。
国際日本文化研究センター(京都市)の石川肇助教(48)(日本近代文学)が舟橋の家族らから寄託され、遺品を調べてきた。
東京都内の自宅にあった約1500通の書簡の中に川端からの12通があった。
「古都」について言及した書簡は1961年10月2日の日付。
巻紙に毛筆で約300字つづられ、朝日新聞で同月8日に連載が始まる6日前、滞在先の京都から送られた。
神奈川県鎌倉市在住の川端は
<新聞小説に京都を書いてみたいため>
昨日、京都に来たとし、締め切りが数日内に迫っているのに
<筋も人物も場所も定まらず、どうなる事かと不安です>
と吐露。川端は大阪生まれだが、
<京都は不案内>
<京都弁には御手あげ>
<ただ今闇中模索の憂うつです>
と漏らしている。
舟橋が5年にわたり小説「新・忠臣蔵」を新聞連載したことを、
<私には及びもつかぬ事>
と謙遜している。
川端は同年11月、文化勲章を受章。
京都と東京、鎌倉を行き来しながら、62年1月に107回の連載を終えた。
翌月、睡眠薬の禁断症状で病院に運ばれている。
「古都」は国際的にも評価が高く、川端は68年に日本人で初めてノーベル文学賞に輝いた。
十重田裕一・早稲田大教授(日本近代文学)の話
「体調がすぐれない中で『古都』が執筆されたことは知られているが、書簡からは連載開始直前の切迫した状況が生々しく伝わる」