肉体的な病気が医学の進歩で克服されて、私たちの寿命がどんどん延びている
認知症のような、脳の衰えが顕在化する人が増える
周囲から見たら「訳の分からない変なこと」を言い出す
施設に入っているのに「家に帰りたい」というのは、よくあることだが、やがて「家に帰ります」と確信的にキッパリと言うようになる
そのうち、いま自分がどこにいるのか分からなくなって、帰るとか言わなくなる(あるいは別な、もっと訳の分らないことを言いだす)
私の知っているあるおばあさんは、しょっちゅう
「来月、サト(実家)に帰ります!」
と言っていた
もちろん、そのおばあさんのサト(実家=親や兄弟のいる場所)なんて、今はもう無いのだが、本人は20代くらいに戻ったつもりになっている
一見すると「訳の分からない変なこと」でも、本人の意識の内部には「独特の論理」があり、それなりに筋が通った言動なのだ
これは、サイコパスの人の奇妙な言動とも似ている
最近では、サイコパスの奇妙な言動の背後にある「独特の論理」を推測する、サイコパス・クイズというのが流行している
我々人間は、自分の周囲に存在する客観的な「現実世界」を五感と脳で認識して、脳の中に主観的な「現象世界」を組み立て、その現象世界の中で生きている
この「現実世界と現象世界」のズレこそ、哲学の中心課題である「主観と認識」の問題に他ならない
このズレが極端化すると、認知症とかサイコパス、精神障害などになるのだが、大多数の「正常」とされている人でも、このズレは存在する
だから多かれ少なかれ、私たちはみんな認知症なのだ
まったく同じ2022年の日本に住んでいても、そこを天国と感じる人もいれば、地獄と思う人もいる
「天国は人の心の中に存在する
地獄もまた同様である」
ということだ
(^_^;)
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私が帰ろうとすると、グループホーム入居者のおばあさんの一人が
「あー、楽しかった。
じゃあ私も帰ろうかしら」
といって立ち上がったりするのである。
自分がグループホームに入居しているということの自覚がないのだ。
それまで普通に話をしていた人が、急におかしなことを言うのにはギクリとする。
日常に突如として裂け目が発生して
なにか見てはならない荒涼とした風景が
垣間見える気分になる。
そんなときスタッフは決して、
「いいえ、あなたは今ここに住んでいるんですよ」
といった、諫めるようなことは言わない。
「そうですか。もう少ししたらお茶とお菓子を出すつもりだったんですよ」
とか、
「今日は晩ご飯も食べていきませんか」
というように、相手の意識を「帰る」というところから引き離すようにして注意をそらす。
すると
「あら、悪いわぁ」
とか言いながら、おばあさんは再度腰を下ろし、話をしているうちに帰ろうとしていたことを忘れるのである。