警視庁深川署は1日までに、東京都江東区のビルで3月、材木会社社長の兄(35)を殺害しようとしたとして、殺人未遂の疑いで同区豊洲、無職幸田領平容疑者(32)を逮捕した。
「けがをさせたことは間違いないが、殺そうという気持ちはなかった」と一部否認している。
幸田領平の逮捕容疑は3月5日午後6時半~40分ごろ、同区東陽のビルにある会社で、社長を務める兄の腹や背中などを果物ナイフで計十数カ所、刺したり切り付けたりして大けがを負わせた疑い。
深川署によると、幸田領平は兄の会社で従業員として働いていたが、給料の支払いについてもめていたという。
事件直後にシンガポールへ出国、5月31日に成田空港へ帰国し逮捕された。
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久原洋一 逮捕 佐賀中部農林事務所主査
佐賀市の国道で追突事故を起こしたまま警察に通報しなかったとして、佐賀県警は5月31日、住居不定の佐賀県庁の職員、久原洋一容疑者(45)を道路交通法違反(事故不申告)などの容疑で逮捕し、発表した。
佐賀中部農林事務所主査、久原洋一は事故直後から1カ月以上、行方がわからなくなっていた。容疑を否認しているという。
県警佐賀南署によると、佐賀県庁の職員、久原洋一は4月25日午後9時50分ごろ、佐賀市久保田町の国道444号で乗用車を運転中に県内在住の20代男性が運転する軽乗用車に追突する事故を起こし、首に軽傷を負わせたが、警察に事故を申告しなかった疑いがある。
佐賀中部農林事務所主査、久原洋一は男性に名字と携帯電話の番号を教えて、立ち去った。
その後、男性から通報を受けた警察が行方を捜したが、佐賀県庁の職員、久原洋一は勤務先の県佐賀中部農林事務所にも出勤しておらず、連絡がつかなくなった。
同署が、福岡県久留米市の駐車場に事故を起こした乗用車があるのを突き止めて張り込んでいたところ、佐賀県庁の職員、久原洋一が戻ってきたという。
「自分は助手席に乗っていた。運転していたのは名前の知らない男性」と供述しているという。
佐賀県は6月1日未明、緊急の記者会見を開いた。
県によると、佐賀中部農林事務所主査、久原洋一は同事務所の主査で、白石町在住。
事故当日の夜、佐賀市内の飲食店で、関係団体との懇親会に出席し、飲酒していたことを明らかにした。
佐賀県庁の職員、久原洋一は、会合後、仲間とタクシーで佐賀駅まで行き、「もう一軒行く」と言って分かれたという。
その後、事故を起こしており、県側は「飲酒運転の可能性が極めて高いと判断している」とした。
事故翌日から年次休暇を取るなどして休んでいたが、5月13日以降は無断欠勤となっていたという。
県の進龍太郎総務部長は「事実関係を詳細に調査し、厳正に対処していきたい」とのコメントを出した。
臼井隆 逮捕 静岡県警浜松中央警察署地域課の巡査長
一人暮らしの女性の自宅で事情聴取をしている最中にわいせつな行為をしようとしたとして、静岡県警浜松中央警察署地域課の巡査長、臼井隆が逮捕されました。
強制わいせつ未遂などの疑いで逮捕されたのは、静岡県警浜松中央警察署の地域課に勤務する臼井隆容疑者(25)です。
警察によりますと、静岡県警浜松中央警察署地域課の巡査長、臼井隆は先月28日の午前、浜松市内に住む30代女性の自宅に一人で訪れ、事情聴取をしている際にわいせつな行為をしようとした疑いが持たれています。
同じ日の午後、別の警察官が女性の聴取を行ったところ、「警察官からわいせつな言動を受けた」などと訴えがあり、事件が発覚しました。
警察は静岡県警浜松中央警察署地域課の巡査長、臼井隆の認否を明らかにしていません。
警察は事件の動機やいきさつについて今後、調べる方針です。
幸田領平 逮捕 殺人未遂
今年3月、東京・江東区のビルで会社社長の男性が腹を刺されて重傷を負った事件で、警視庁は男性の弟、幸田領平を殺人未遂の疑いで逮捕しました。
この事件は、今年3月5日午後6時半すぎ、江東区東陽のビルで材木会社の社長の男性(34)が幸田領平に果物ナイフで腹などを刺され、重傷を負ったものです。
警視庁は男性の弟で江東区に住む無職の幸田領平容疑者(32)を殺人未遂の疑いで逮捕しました。
幸田領平は事件翌日から国外に逃亡していたということですが、先月31日、帰国し、成田空港に到着した際、待ち構えていた警察官に逮捕されたということです。
2人は以前から金銭トラブルを抱えていたということで、幸田領平は取り調べに対し、「殺そうという気持ちはなかった」と供述し、容疑を否認しています。
「~じゃん」という日本語がある
旅行で関西方面 特に大阪ミナミへ行くと
ここは果たして日本なんだろうか?
と思うことがよくあります (^_^;)
「~じゃん」という日本語がある。
それなりに聞く表現だが、方言なのか、それとも標準語なのか。
定量的なデータを集めるべく、2019年2月6日から4月3日まで、「じゃん」を使う頻度についてアンケートを行った(総投票数2277票)。
はたして、その結果は――
関西の使用率が低い理由は…
なかでも、青森・岩手・山形・福島・栃木・山梨では得票100%を記録した。
巷間言われるのは「じゃん」は神奈川弁というもの。
確かに神奈川の結果を見ても「ごく普通に使う」「時々使う」の割合は全体の96.4%と高い数値を示し、俗説を裏付ける結果になった。
山梨・静岡も神奈川に隣接しており、相互に影響しあって「じゃん」が浸透していると考えられる。
その他の関東各都県でも「ごく普通に使う」「時々使う」で軒並み90%以上を記録した。
東京ではやや低く86.5%となったが依然高い数値だ。
「じゃん」は三河弁にも特徴的な表現で、三河弁の代名詞「じゃん・だら・りん」の一つ。
愛知県の結果を見るとやはり「ごく普通に使う」で75.2%、「時々使う」も含めると92.3%を記録し、方言として定着していることをうかがわせた。
全国レベルで見ても「ごく普通に使う」「時々使う」で80%を超えている。
全国的に通じる言葉と言ってもよさそうだが、その中で使用頻度が低かったのが関西だ。
関西では「ごく普通に使う」「時々使う」の割合は三重以外の全府県で50%未満にとどまり、三重でもちょうど五分五分の結果となった。
人口の多い大阪でも「使う」のグループは27.7%と低く、逆に「聞いたことはある」が47.7%、「全く聞いたことがない」グループは24.6%に上った。4人に1人が「じゃん」を全く知らないと答え、他府県でも同様の傾向が出ている。
関西では「じゃん」と同様の終助詞表現に「やん」があるので、積極的に「じゃん」を使う機会は乏しいのだろう。
関西で暮らしたことがある記者の実体験でも「やん」「やんけ」を耳にすることが圧倒的に多かった。
逆に「じゃん」はおぼろげながらほとんど聞いた記憶がない。ネイティブ関西人であればなおさらだ。
34都道府県で「ごく普通に使う」「時々使う」の回答が過半数を占めた中、残り13府県のうち7府県が関西に集中しており、関西の独自性が際立つ。
さらに関西の影響が強い北陸三県(福井・石川・富山)や四国でも「じゃん」の普及率は低い結果となった。
「じゃん」の東日本に対し、「やん」の関西――。
日常会話の語尾表現でも、東西の違いが浮き出る結果になった。
剣璽等承継の儀 即位後朝見の儀
天皇陛下が即位後朝見の儀で述べられたお言葉
日本国憲法及び皇室典範特例法の定めるところにより、ここに皇位を継承しました。
この身に負った重責を思うと粛然たる思いがします。
顧みれば、上皇陛下には御即位より、30年以上の長きにわたり、世界の平和と国民の幸せを願われ、いかなる時も国民と苦楽を共にされながら、その強い御(み)心を御自身のお姿でお示しになりつつ、一つ一つのお務めに真摯に取り組んでこられました。上皇陛下がお示しになった象徴としてのお姿に心からの敬意と感謝を申し上げます。
ここに、皇位を継承するに当たり、上皇陛下のこれまでの歩みに深く思いを致し、また、歴代の天皇のなさりようを心にとどめ、自己の研鑽(さん)に励むとともに、常に国民を思い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓い、国民の幸せと国の一層の発展、そして世界の平和を切に希望します。
▲改元を祝して、神戸・阪神間から集まった45台のだんじり巡行
天皇陛下は1日午前0時、皇室典範特例法の規定に従い、第126代天皇に即位された。
同時刻に元号も改められ、「令和」時代がスタートした。
陛下は同日午前、皇居・宮殿で、皇位継承に伴う最初の儀式「剣璽等承継の儀」に臨み、皇位の証しとして伝わる剣や曲玉などを受け継がれた。
続いて「即位後朝見の儀」で国民の代表と会い、「国民に寄り添い、憲法にのっとり、象徴としての責務を果たす」など、天皇として初のお言葉を述べられた。
陛下はこれらの儀式に先立ち、宮殿「菊の間」で、午前10時過ぎ、天皇として初の公務に臨まれた。自身の即位に伴う二つの儀式を国の儀式として行うとする閣議決定を決裁された。
剣璽等承継の儀は午前10時半に始まり、陛下は最も格式が高いえんび服に勲章を着用して入場された。
新たに皇位継承順位1位の皇嗣となった秋篠宮さま、車椅子に乗った常陸宮さまが続かれ、三権の長や閣僚らが参列した。
陛下が壇上に立たれると、剣と曲玉、天皇が国事行為で使う国璽(日本国の印)・御璽(天皇の印)を持った4人の侍従が、一列になって入場。それぞれを陛下の前の台に置いた。
剣と曲玉は、陛下のお住まい・赤坂御所に安置されることになる。もう一つの皇位の証しである鏡は、皇居・宮中三殿の賢所に保管されている。
午前11時12分に始まった即位後朝見の儀には、皇后雅子さまや秋篠宮ご夫妻ら成年の皇族方計13人が参列。国民の代表として、安倍首相ら三権の長や閣僚、都道府県知事、都道府県議会の代表らが参列した。
陛下は、憲法と典範特例法の定めるところにより、皇位継承したことを明らかにした上で、「常に国民を思い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たす」と誓い、国民の幸せや国の発展、世界平和を希望された。
安倍首相が国民代表の辞で祝意を伝えた上で、陛下を象徴と仰ぎ、「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ時代を創り上げていく」などと述べた。
陛下は午後、1日付で就任した小田野展丈・侍従長、河相周夫・上皇侍従長の認証官任命式に臨まれた。
その後、皇后さまと共に皇居・吹上仙洞御所を訪れ、上皇ご夫妻にあいさつし、宮殿では、皇族方らの祝賀を受けられる。
松尾耕太郎 逮捕 酔っ払い運転 福岡県福津市職員
酒気を帯びた状態で軽トラックを運転したとして、福岡県警宗像署は31日、
福岡県福津市職員の松尾耕太郎容疑者(61)福岡県福津市津丸
を道交法違反(酒気帯び運転)の疑いで現行犯逮捕した。
同署によると、松尾耕太郎は「前の日の夜に飲みました」と供述している。
松尾耕太郎の逮捕容疑は31日午前4時50分ごろ、福津市津丸の県道で、酒気を帯びた状態で軽トラを運転した疑い。
同署によると、巡回中のパトカーが軽トラを運転する松尾耕太郎を職務質問したところ、検査で基準値の2倍弱のアルコールが検出された。
退位礼正殿の儀
天皇陛下が退位礼正殿の儀で述べられたお言葉は以下の通りです。
今日をもち、天皇としての務めを終えることになりました。
ただ今、国民を代表して、安倍内閣総理大臣の述べられた言葉に、深く謝意を表します。
即位から30年、これまでの天皇としての務めを、国民への深い信頼と敬愛をもって行い得たことは、幸せなことでした。象徴としての私を受け入れ、支えてくれた国民に、心から感謝します。
明日から始まる新しい令和の時代が、平和で実り多くあることを、皇后と共に心から願い、ここに我が国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります。
天皇陛下は平成31年4月30日、譲位の日を迎えられる。
天皇の譲位は、江戸時代の光格天皇以来202年ぶりで、憲政史上初めて。
陛下は同日午後5時から、皇居・宮殿で「退位礼正殿の儀」(退位の礼)に臨み、在位中、最後となるお言葉を述べられる。
陛下は同日をもって譲位し、30年余り続いた「平成」は幕を閉じる。
5月1日午前0時に皇太子さまが即位されて「令和」に改元される。
4月30日の退位の礼は、計11に上る譲位関連の最後の儀式。
憲法で定める国事行為として執り行われる。
天皇、皇后両陛下が宮殿「松の間」に入室され、側近が「三種の神器」のうち剣(けん)と璽(じ=勾玉)などを「案(あん)」と呼ばれる台の上に安置。
安倍晋三首相が感謝の意を伝え、陛下が国民に向けたお言葉を述べられる。
退位の礼の参列予定者は安倍首相と閣僚、衆参両院正副議長、都道府県知事ら約300人。
皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻をはじめ、成年皇族方が陪席される。
両陛下は退位の礼の後、皇太子ご夫妻や皇族方のごあいさつを受けられる。
その後も宮内庁や皇宮警察の職員らのあいさつが夜まで続き、平成最後の日を終えられる。
退位の礼に先立ち、陛下は30日午前、皇居・宮中三殿で同日の譲位を報告される。
天皇のみが着る祭儀の正装「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」を身につけられる最後の機会となる。
5月1日に上皇、上皇后となる両陛下は、同日以降の皇太子さまのご即位関連儀式には出席されない。
退位礼当日賢所大前の儀
令和は酒の世となりぬ(2)
大伴旅人は、天智天皇四年(665年)の生まれです。
神亀五年(728年)には、妻・大伴郎女(いらつめ)を伴って、大宰府の長官に赴任しています。
60歳を過ぎている老人(当時の60歳は、現在の80歳くらいの感覚)を遠方に送るのもどうかという気がしますが、理由はハッキリしていません。
大宰府にいる間に山上憶良などと親しくなり、筑紫に歌壇ができるきっかけとなりました。
・中々に 人とあらずは 酒壺に なりてしかも 酒に染みなむ
(意訳)人間でいるよりも、酒壺になりたいものだ。そうすれば酒に浸されていられるから。
・しるしなき 物を思はずは 一坏(ひとつき)の 濁れる酒を 飲むべくあるらし
(意訳)グダグダと思い悩むよりは、にごり酒を一杯やるほうがいい。
・さかしみと 物言ふよりは 酒飲みて 酔ひ泣きするし まさりたるらし
(意訳)賢ぶってあれこれと問答するよりは、酒に酔って泣いている方がマシだよ。
・夜光る 玉といふとも 酒飲みて 心を遣(や)るに 豈(あに)しかめやも
(意訳)宵闇の中で光る宝玉よりも、酒を飲んで憂さ晴らしするほうが私は好きだ。
・よのなかの 遊びの道に 楽しきは 酔ひ泣きするに あるべかるらし
(意訳)世の中にはいろいろな遊びがあるが、酒に酔って泣くことに勝るものはない。
・我が命も 常にあらぬか 昔見し 象(きさ)の小川を 行きて見むため
(意訳)昔見た象の小川をもう一度見るまで、私の命が保ってくれるだろうか。
・うつくしき 人の纏まきてし 敷布しきたへの 我が手枕たまくらを 纏く人あらめや
(意訳)愛しい妻に貸した手枕を、この先他の誰に貸そうと思うだろうか。
・うつつには 逢ふよしも無し ぬば玉の 夜の夢(いめ)にを 継ぎて見えこそ
(意訳)現実で会うことができないなら、せめて夢では続けて会えたらいいのに。
・生まるれば 遂にも死ぬる ものにあれば この世なる間は 楽しくをあらな
(意訳)生まれたからにはいつか死ぬのだから、この世にいる間は楽しく過ごしたいものだ。