昭和
東京都ベンツ区
ちゃぶ台返し世界大会
岩手県矢巾町で、「ちゃぶ台返し」の世界大会が開かれました。
昭和の頑固親父をイメージしたこの大会。全国から26組が出場し、ちゃぶ台に乗ったおもちゃのサンマの飛距離や個性豊かなパフォーマンスを競い合いました。
優勝は9mの記録を出した地元の男性で、特製の金色のちゃぶ台が贈られました。
バブルの頃の 懐かしいマンガ (^_^;)
「とらやに、とらが、やってきた。」展
東京都・六本木のとらや東京ミッドタウン店ギャラリーにて、伝統的なとらの郷土玩具に焦点をあてた企画展「とらやに、とらが、やってきた。」を開催する。
開催期間は6月25日~9月17日(東京ミッドタウン休業日に準ずる)。
時間は11:00~21:00。入場無料。
この企画展では、日本各地から集めた30点以上の「とらの郷土玩具」を、東京ミッドタウン ガレリア地下1階にある「とらや東京ミッドタウン店」内に併設されたギャラリーに展示。
また、明治から昭和にかけて活躍した郷土玩具画家・川崎巨泉の「と らの玩具絵」18点を並べて展示し、実物の郷土玩具と玩具絵のさまざまな部分を見比べながら鑑賞することができる。
そのほか、「金沢張子」を例にとらの郷土玩具がどのようにつくられているかを写真とともに紹介する。
絵師:川崎巨泉による「とらの玩具絵」→
同企画展のパートナーは、雑誌「BRUTUS」にて郷土玩具や縁起物を紹介する連載を持つフリーの編集者・川端正吾氏が務める。
なお、企画展に合わせ、虎斑模様の特製ようかん「千里の風」(3,726円)、同ようかんをモチーフにしたふろしき「千里の風」(1,620円)、 とら張子焼印付の生姜入特製残月(303円)の3つのとらにちなんだ商品が数量限定で販売されるほか、同企画展で展示予定のとらの郷土玩具の一部や、郷土 玩具に関する商品も販売予定ということだ。
柴又の「とらや」 ではありませんでした (^_^;)
中高年男性 プラモデルに再び熱中
子供の頃に親しんだプラモデル作りを再び始める男性が増えている。
その中心がシニア層と、一歩手前の中高年。
プラモデルの質の向上に加え、精神的ゆとりがきっかけになっているようだ。
←タミヤプラモデルファクトリートレッサ横浜店
◆最高齢は88歳
接着剤がはみ出した部品を磨いたり、塗装の出来具合をチェックしたり…。
横浜市港北区の「タミヤプラモデルファクトリー トレッサ横浜店」の工作スペースでの光景だ。
工作スペースの利用料は30分257円からで、4時間以上は2057円(有料会員1028円)。
黙々と続く作業が一段落したら、取り組み中のプラモデル を見せ合い、談笑が始まる。
外車のプラモデルを楽しむ神奈川県茅ケ崎市の高橋敏さん(61)は「同じ趣味を持つ異業種の人と気兼ねなく好きな話をして交流 できる」。
昭和33年頃、国産初のプラモデルが発売されると、国内メーカーが相次いで参入した。町の専門店でプラモデルキットを購入し、組み立てや塗装に悪戦苦闘 した経験を持つのも中高年。
東京都目黒区の加藤一秀さん(47)は「社会に出て、家族を持ったらプラモデル作りをやめていた。子供も大きくなって自分の趣 味に『出戻り』する。僕もその一人」と笑う。
プロモデラーでプラモデル作りの講習会の講師も務める長谷川伸二さんによると、受講者の最高齢は88歳の男性。かつて戦艦大和のプラモデルに挑戦した が、完成に至らなかったという。
長谷川さんは「(男性は)新しく発売された戦艦大和を作りたいと、半年かかって講座で製作した」と話す。
◆大人のたしなみ
東京・新宿の「模型ファクトリー」も手ぶらでも模型製作ができる貸しスペースが併設されている。
店員はプロモデラーで、相談しやすい環境を整えた。
利用 者の約3割が中高年・シニア層の男性で、運営会社、ライデンシャフトの有馬律雄さんは「プラモデルはものづくりの楽しみを実感できる。大人のたしなみとし て根付いてくれれば」。
プラモデル雑誌の発行人も務めた長谷川さんはシニア層がプラモデルに出戻る心理について、「プラモデルキットそのものが精巧になり、ストレスなく作れる 環境になっている。いい年になった大人が始めるのだから趣味で挫折はしたくない、楽しみたいとの思いもあるからでは」と分析している。
■愛好歴は50年超え 石坂浩二さん
俳優の石坂浩二さん(72)もプラモデル愛好家「モデラー」の一人で、同好会「ろうがんず」を立ち上げ、老眼モデラーと交流を続けている。6年目の今秋には横浜市内でコンテストを開くという。プラモデルへの思いを語ってもらった。
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子供時代、プラモデルは高価でね。木を削って模型作りをしていたが、芝居に熱心になって中断。
再開後からのプラモデル歴は50年は超えました。作るのは 飛行機で、第二次世界大戦中の欧州機が好き。接着工程は急ぐと部品が後から取れることもあるから、きりのいいところまで毎日少しずつ作っています。
昔と比 べ精密になり、細部の再現力が上がり、飽きがこない。1人で全部やれるから、自分でいいと思うようにやればいいのも魅力だと思う。
プラモデルを趣味にしてきたことで、気づかぬうちに仕事にも役立ち、仲間ができた。1人でやるものとは言ったが、長年やっていると、同好の士が必要と感じ、ろうがんずの発起人になった。情報交換が主で、プラモデルキットへの愚痴が多いんですけど、それも楽しみです。
コンテストを企画したのはプラモデルを話題にしてほしいから。これからは長寿社会で、女性は夫がいなくても何らかのつながりがあるが、男性は会社を抜け たら1人になる。
共通言語で仲間と話せる趣味は必要で、そんな潤いがないと元気でいられない。
プラモデルだったら製作中のワクワク感も得られる。昔と比 べ、塗料のにおいも薄くなり、水性塗料を選べば溶剤臭もない。
だから、女性には夫がやり始めたら止めずに喜んであげてもらいたい。
プラモデルメーカーも、 シニアや「出戻り組」向けにパーツが少なく組みやすい製品を開発してほしいですね。
わせべん
コンビニやスーパーの弁当では若干物足りない。そう感じる読者も多いのではないだろうか。
そんな悩みを解決してくれるお弁当屋さんこそが、東京都・早稲田にある「わせだの弁当屋」。略して”わせべん”である。
早稲田学生の胃袋を支え続けた驚異の弁当
以 前から早稲田出身の知人に「わせべん、ヤバいよ」と聞かされていたが、実際に訪れてみると確かにそのヤバさを実感。
まず、弁当が圧倒的に安すぎ る。
例えば餃子&唐揚げがのった「ギョーカラ弁当」、シューマイ&唐揚げを盛り込んだ「シューカラ弁当」、茄子&唐揚げの「茄子 カラ弁当」がいずれも350円ですよ。
利益が出ているのかと心配になるような価格だが大丈夫なんですか、店長の西坂さん!
「昭和40年代からずっと同じ場所で営業してきたんだけど、その頃から早稲田の学生さんたち向けに弁当を作り続けてきたんです。だから価格も控えめなんですよ」。
メニューの看板を見ていると、面白いネーミングの弁当が多数。肉食系にオススメしたい「パワー弁当」や直球ネーミングの「ドカ弁」。
そして……「たぬき弁当」って何ですか。
「先代の社長が考案したメニューなんですよ。ウチは揚げ物が多いので天カスがよく出るから、それをご飯の上にのせて甘辛いタレをかけたものが『たぬき弁当』です。お金のない学生さん向けに開発したそうなので、250円と激安なんです(笑)」。
そんな学生への愛が溢れたメニューがあるとは! ならばその「たぬき弁当」と、西坂店長が一番人気と語る「茄子カラ弁当」を注文しまっす!!
「『茄子カラ弁当』はマシますか?」。
……マシ? マシって言うとあの黄色い看板のラーメン屋さんこと某「二●」が聞いてくる、あのマシ??
「ウチの弁当はプラス50円すると唐揚げを2個追加できるんです。マシマシはプラス100円で4個追加。どうします? 」。
すでに1人で弁当2つを注文しているのだが、最高峰の頂があるならば登らなくては……と、「茄子カラ弁当」はマシマシ、ついでに大盛り(プラス50円)で注文。それでも500円とワンコインで収まるのはさすがである。
悩殺”からチラ”
注文後、2品とも5分もかからずに出てきたのだが、弁当のフタが閉まりきらず、魅惑の”からチラ”(※唐揚げのチラリズム)。物言わぬアグレッシブさが伺え、圧倒的なプレッシャーを感じずにいられない。まずは「茄子カラ弁当」と勝負だ。
12種類のスパイスを使っているという唐揚げを一口食べてみると、確かにスパイシーだが日本人好みの味付け。
そして揚げた茄子が甘辛のタレと絡んで 破壊力抜群。確実にハイカロリーすぎるのだが、油っこさやモタレなどを感じさせず、あっという間に完食。
そして、胃から脳へと送られる満足感……。物足り なさなど皆無である。
脳には満足感と同時に、もうこれ以上は危険というシグナルが送られているが、続いて「たぬき弁当」に挑戦。
まるで長年連れ添ってきた夫婦かのように 阿吽の呼吸を見せるほっこりごはんとサクサクの天カス。
そして、それを結びつける甘辛のタレに「子はかすがい」という言葉を連想せずにはいられない。
これ は250円のレベルを逸脱しているぞ。
そしてアクセントのキンピラたちもいい仕事をしてくれてなんとか完食した。
学生たちへの溢れる愛を弁当箱に詰め込んだ「わせだの弁当屋」の弁当たち。
ワンコインで確実に腹を満たしてくれる弁当屋として、覚えておきたい。
早稲田出身の 弁護士さんも わせべん (^_^;)
パンツ
昭和57年=1982年=32年前のマンガ
当時は「若もの」だったはずだけど 果たして「パンツ」と呼んでいたかな?
下着も「パンツ」だからややこしい
女性の下着を「パンティ」と呼ばなくなったのは いつからだろう?
やや死語化しつつある「ズボン」 語源には諸説あるそうだ
フジ三太郎は すごい勘違いをしてるね (^_^;)
デパート屋上遊園地が消える
デパートの屋上遊園地がいま、その姿を消しつつあることをご存知だろうか?
3月2日、観覧車も擁した東急プラザ蒲田の屋上遊園地が閉鎖。そして3月11日には上野松坂屋の屋上遊園地も閉鎖となり、都内近郊では京王百貨店新宿店、東急百貨店吉祥寺店の2店舗を残すのみとなる。
レジャーの多様化により、もはや「子どもをデパートの屋上で遊ばせる」ということ自体、需要がなくなってきているのかもしれない。しかし、昭和を生きた世代にとっては、懐かしの風景が消え行くことに対して、センチメンタルな想いを抱かずにはいられないだろう。デパートの屋上遊園地はこのまま消えてしまう運命なのだろうか?
◆閉鎖理由は建物の建て替えやリニューアル
主な閉鎖理由は、「人が来ない」ではない。東急プラザ蒲田では、今年秋のリニューアルオープンに向けて、フロア単位での休館が始まる。屋上遊園地もリニューアルにあたって閉鎖となった。リニューアル後に復活するかどうか、現時点では未定となっている。2月28日に屋上遊園地が閉鎖した阪急梅田本店も、新阪急ビルと一体化する建て替えのためだ。
3月11日に屋上遊園地が閉鎖する上野松坂屋も、南館自体が同3月に閉館、建て替えが行われるため。上野松坂屋の新南館にはパルコ、TOHOシネマズ、さらに上層階にオフィスフロアも備えた地上22階建ての高層複合ビルに生まれ変わる。ガラリと生まれ変わったあと、屋上遊園地の代わりとなるような、開放的なくつろぎ空間は作られるのだろうか。
大型テレビ
昭和60年当時のテレビ
25インチで大型だったんだね (^_^;)
やなせたかしさん死去
「アンパンマン」などで知られる漫画家、やなせたかし(本名=柳瀬嵩)さんが13日、心不全のため死去した。94歳。
葬儀・告別式は近親者のみで執り行った。後日、しのぶ会を開く予定。
大正8年生まれ、高知県で育つ。東京高等工芸学校(現千葉大工学部)図案科を卒業後、グラフィックデザイナーとして、田辺製薬(現田辺三菱製薬)、三越百貨店(現三越伊勢丹)などに勤務。三越の包装紙にある「Mitsukoshi」の文字は当時、やなせさんが描いた。
昭和28年に独立し、漫画家デビュー。ラジオドラマの脚本や詩、童話なども手掛け、多彩な才能を発揮。36年に作詞した「手のひらを太陽に」(いずみたく 作曲)は大ヒットした。48年には雑誌「詩とメルヘン」を自らが中心となって創刊。詩にイラストを添えて載せた形式が評判を呼んだ。雑誌は平成15年の廃 刊まで30年間にわたって刊行され、多くのイラストレーターを輩出した。
昭和48年に出版した絵本「あんぱんまん」(当時は平仮名表記)は、困った人に自分の顔をちぎって与えるヒーローが高い支持を得て、大ヒット。63年にテレビアニメ化されると、その人気は国民的なものになり、アニメ映画作品も繰り返し作られた。
アニメ映画の挿入歌の歌詞も大半を自分で書くだけでなく、作曲も手掛け、歌手デビューし、その後、ミュージカルにも出演した。晩年も積極的に活動を続け、平成12年から24年まで日本漫画家協会理事長を務め、その後、同協会会長に退いていた。
子供たちの アンパンマン人気
ものすごいものがある (T_T)