▲1970年11月25日、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で演説する三島由紀夫
今日は、憂国忌(ゆうこくき)です
憂国忌とは、作家・三島由紀夫の命日の11月25日で、憂国忌実行委員会が毎年追悼集会を開いています
三島由紀夫は、今から53年前の1970年(昭和45年)11月25日に、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自決しました(三島事件)
生きていれば今98歳で、再来年には生誕100年
熱烈なファンにとっては教祖的な人
三島事件の年、大阪では日本万国博覧会が開催され、日本中がお祭りムードに包まれていたので、かなりショッキングな事件として報道されました
三島由紀夫は、文学者としては文句なしの天才で、自決しなければノーベル文学賞は確実だったと言われています
三島由紀夫の師は川端康成ということになっていますが、川端康成自身も
「文学的才能は三島由紀夫の方がはるかに上」
と認めていたようです
三島由紀夫は三島事件の当日、市ヶ谷駐屯地の自衛官を前に壇上で演説をしました
上の写真(↑)はそのときのものです
このとき三島由紀夫は、自分が演説をすれば自衛官が同調して革命を起こせる、などと本気で信じていたフシがあります
実際は、三島由紀夫の演説を聴いていた自衛官から多くのヤジが飛び、まったく相手にされていなかったようです
芸術的な天才には、現実感覚のアブナイ人が多いように感じます
三島由紀夫とか、坂本龍一(→)とか、芸術的な天才が政治に関与すると、現実離れしたおかしな言動をすることがよくある
天才というのは、脳内世界が常人に比べてケタ外れにデカいので、現実世界(リアル)より脳内世界(理想=イデオロギー)を優先しがちです
天才の現実感覚がアブナくなる原因の一つは、天才が先を読み過ぎてしまうこともありそうです
すべての天才がそうとは限りませんが、100年後がリアルに見えてしまう天才の現実感覚が、今現在のリアルからは遊離してしまうのは仕方のないことかもしれません
政治の世界で、現実よりもイデオロギーを優先すると、宗教政治になります
ナチス教、共産教、一神教(ユダヤ、キリスト、イスラム)など、世界史レベルの大虐殺のような悲劇のほとんどは、宗教政治が原因のように見えます
ですから多くの国の憲法で「政教分離」の原則を定め、宗教が政治に介入することを防いでいます
政教分離原則で宗教団体の政治介入を防ぐことが出来ても、ある種の天才のような「宗教的人間」が政治家になることを防ぐことは不可能です
ヒトラー(→)も、才能の使い方を間違えたような感じはありますが、ある種の天才でしたし、もともとは芸術家(画家)です
(画家としての才能は、大したことなかったようです)
世界史的に見たら規模は小さいですが、天狗党の乱など、幕末の水戸藩の悲劇は、イデオロギーの怖さを感じさせてくれます
これに比べると損得勘定の現実主義者の政治は、ときどきワイロに走ったりする程度で、カワイイもんだと思います
ただ日本のワイロは数十万円~数百万円といった金額でカワイイですが、チャイナチス中国共産党のワイロは数億円~数百億円ですからカワイくありません
わずか数十万円のワイロで日本の政治家が捕まっていると知ると、中国の政治家はビックリするそうです
今でもガザ地区などでは宗教戦争が続いており、宗教が関わる戦争は、数十年~数百年も続きます
どちらも自分は正義だと確信して「聖戦」を戦っています
もちろん純粋100%の宗教戦争というものは少なく、そこには領土紛争などの現実的な利害も絡みます
イデオロギー(理想、宗教)は非常に危険なのですが、さりとてイデオロギー無しでは人々のパワーを集めて大きな変革をすることはできない
そこに人間という生き物の、宿命的な悲しさを感じます
(^_^;)
▲川端康成ノーベル文学賞受賞(1968年)直後、三島由紀夫との対談
三島由紀夫は、この2年後(1970年)割腹自決している
さらにその2年後(1972年)川端康成も自決した
この対談の時、すでに死を覚悟していたのか? ((((;゚д゚))))
▲川端康成は、三島由紀夫とは違って寡黙な人なので
こうやって対談に出て来て話すのは非常に珍しい
堂々と話す三島由紀夫と、オドオドと話す川端康成
どっちが師だか弟子だか分からない (^_^;)
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▲三島由紀夫は、ネコが好きだった (^_^;)