今回、九州や広島を旅したんですけど、特に博多の街の道路が広いのが印象に残りました
道がまっすぐで、車道だけでなく歩道も広いので、歩いていてとても気持ちがいい
これは「太閤の町割り」と言われる、豊臣秀吉による都市計画のおかげだそうです
秀吉の若い頃の、大らかな性格が伝わってきます
一方、東京は徳川家康が作った町ですが、道が狭くてぐにゃぐにゃ曲がっている
これは猜疑心の強い家康が、敵から攻められた場合を考えて、わざと攻めにくい都市計画をしたことに関係があるらしい
用心深い家康のおかげで、日本人は世界でもまれに見る260年間もの長い平和を享受した訳ですが、都市計画には向いてない性格だったようです
(^_^;)
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世田谷区と杉並区にわたって、8km以上続く一直線の道路があります。
都道に指定されているこの道路、成り立ちは大正時代までさかのぼります。
地図で都内を見ていると、小田急の祖師ヶ谷大蔵駅付近から丸ノ内線の新高円寺駅付近まで、一直線に道路が走っているのが見えます。
この道路は東京都道・高円寺砧浄水場線に指定されています。
現地に行くと、大部分がセンターラインのない狭い道路ですが、ほぼ全線が直線のため、道路がはるか遠くまで続いていくのを見通すことができます。
東京の街並みは武蔵野台地とそれを川が浸食していった地形の関係で起伏が大きく、道路もその起伏に合わせてほとんどが曲がりくねっています。
にもかかわらず、この直線道路はどうしてこんなにもまっすぐ走っているのでしょうか。
実はこの道路の真下には、「荒玉水道」と呼ばれる直径1.1mの水道管が通っています。
荒玉水道はさかのぼること大正時代、増加する東京の人口の水需要に対応するため、多摩川で取水した水を都内に送るのを目的に設置工事が始まりました。
そして、埋設水道管の敷地を歩行者道として活用したのが、この直線道路のはじまりです。
現在は自動車も通行可能となっていますが、水道管への荷重を考慮し、重量制限が掛けられていたり、ラバーポールによって物理的に幅員が制限されているところがあります。
また、狭隘な道路のため、一部区間では一方通行となっています。
この道路を東急バスや小田急バスのバス路線が通っていますが、重量制限のある区間を走る路線は、小型バスで運行されています。