映画舞台

役者・奥野瑛太

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革命や敗戦などで体制がひっくり返ると、旧体制の上層部も路頭に迷う

明治維新では旧幕臣の多くが、単なる失業者に転落した

江戸時代初期には、多くの藩が「お取りつぶし」になって、藩士は禄を失った

何か武士以外の特殊技能を持つことは、本物の武士にとって恥とされていたから、ツブシが効かない人も多くいたことだろう

映画「一命」では、失業した武士の一家が内職をしながら、極貧の中で細々と暮らしていて涙を誘う

(T_T)

 

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朝ドラ『エール』の「智彦さん」(奥野瑛太(←)は、当時のふつうの人である。

がちがちに真面目で、家でも威厳を保つ主人である。

外で起こったことを、家内では話題にしない、というタイプだった。

これは軍人にかぎらず、昭和前半の家庭風景としては、ふつうのことだったとおもう。

ふつうの血の通った人として描かれていた。

軍人だったから、戦争が終わると路頭に迷う。

軍人は「政府の役人」でもあり「戦争という特殊技術の人」でもあった。

でも戦争が終わり、軍は解体されて再軍備は禁止されたので、それまでのキャリアがまったく使えない。

過去のキャリアが何も役に立たない、ただの無職である。

職を探して苦労している姿が見られた。

すべてをもてあましてる感じが出ていて、その姿を見せる役者・奥野瑛太が見事だった。

この人は、とても身体性を強く感じさせる役者だとおもう。

セリフを言う前の存在感がきちんとしていて、その佇まいだけで見入ってしまう。

再就職のときに彼の出した履歴書が映しだされていたが、それには赫々たる履歴が並んでいた。

陸軍幼学校から士官学校に進んだエリートで(幼学校は当時の中等学校にあたる)、卒業後、騎兵隊第十九連隊の少尉に任官。

最後は中佐まで昇進している。すごいエリートである。

最後の昇進はいわゆる「ポツダム昇進」、つまり敗戦が決まってからの昇進ではないかとおもわれるが、それまででも少佐である。

すごく偉い。なんか、軍人さんの位で偉さを測るのは裸の大将をおもいだしてしまうのだが、でもそういうしかない。

履歴書が映し出されたあとに、工場の鉄屑拾いの仕事があるといわれ、そんなものができるかと、憤然と席を立つシーンがあったが、たしかにそうだろう。

陸軍中佐は、ふつう鉄屑拾いをやらない。

プライドがあまりに高い。

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映画 天空の城ラピュタ

宮崎駿監督による、1986年、スタジオジブリの初制作作品

さすが名作の誉れ高い作品で、水準の高さがゾクゾク伝わってきます

日本のアニメが世界中で絶賛されているのも分かります

それにしても、京都アニメ放火事件、つくづく残念です

(T_T)

 

 

訃報 ピート・ハミル

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映画「幸福の黄色いハンカチ」の原作者として知られるアメリカの小説家、ピート・ハミルさん(→)が、5日、亡くなりました。

85歳でした。

ピート・ハミルさんは、1935年、ニューヨーク市の南部、ブルックリンで生まれ、地元紙の記者や編集者をへて、1968年、作家として初めての小説を出版しました。

ニューヨークを舞台にした作品をはじめ、数多くの長編や短編小説を執筆し、ごく普通の人たちが織りなす日常や心情に光りをあてた「ニューヨーク・スケッチブック」などで人気を博しました。

また、山田洋次監督の映画、「幸福の黄色いハンカチ」の原作者としても知られています。

ハミルさんの弟、デニス・ハミルさんはアメリカ、ABCテレビに対し、ハミルさんが5日、腎不全などのため亡くなったことを明らかにしました。

訃報を受けて、ニューヨーク州のクオモ知事は、ツイッターに

「ハミルさんは、卓越したジャーナリストや作家というだけではなく、ニューヨークの代弁者でした。かけがえのないニューヨーカーに別れを告げるときが来ましたが、彼の遺産と仕事は生き続けます」

と投稿しました。

 

映画 ゴジラ対ヘドラ

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1971年公開、ゴジラシリーズ第11作なんだけど、前作同様にお子ちゃま向けでもありながら、公害という当時の社会問題も取り込むという、かなりハチャメチャな展開

おまけに当時の若者のサイケ文化まで混ぜ込んで、もう支離滅裂、何が言いたいんだか分からなくなっている

背景には映画の斜陽化で制作予算が極端に切り詰められ、撮影現場と東宝首脳陣に深刻な対立もあったらしい

円谷監督が前年に亡くなり、東宝怪獣映画が存続の危機にさらされていたころの東宝社内の混乱が、そのまま映画になっちゃった、ということかしら?

去ってゆくゴジラの姿に、妙に哀愁を感じてしまいました

(^_^;)

映画 オール怪獣大進撃

1969年公開、ゴジラシリーズの記念すべき第10作なんだけど、お笑いパロディ路線ですらない、完全にお子ちゃま向け映画

「東宝こども映画まつり」みたいな企画用に作ったのだろうか?

アマゾンのコメント欄には、怪獣映画としては空前絶後の駄作だとして、ボロクソに書かれているし、まあその通りかもしれない

背景が昭和40年代前半、高度成長期の川崎の工場街で、ノスタルジックな雰囲気は今見ると面白い

(^_^;)

 

映画 怪獣総進撃

tokusatsu_kaiju_black1968年公開、ゴジラシリーズ第9作、監督本多猪四郎、音楽伊福部昭に戻って、前作までのお笑いパロディ路線が弱まる

上の予告編は、なぜか表題が「ゴジラ電撃大作戦」になってますが、これは数年後に「東宝チャンピオンまつり」で本作を流用した時に、表題だけ変えたもの(おまけに15分も縮めたらしい)

とにかく怪獣が11匹も登場するので、歌舞伎の顔見世興行のようです

ゴジラなど地球怪獣たちは、国連が小笠原に作った「怪獣ランド」で家畜化して、みんな平和に仲良く楽しく(?)暮らしているという、少々無理のある設定

そこに地球乗っ取りを狙うキラアク星人が登場し、怪獣たちに操縦装置を埋め込んで操縦権を奪い、世界各地で大暴れさせる

ニューヨーク、モスクワ、パリなどの観光名所が次々に炎上します

前作、前々作は、場面が南の島で特撮は楽でしたけど、今回は模型作りが大変な都会の特撮が復活

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CGを駆使したシン・ゴジラには比べるべくもないが、この時代の特撮としては実によく出来ていて感動します

とにかく人類も必死で戦い、怪獣たちの操縦権を取り戻すと、キラアク星人は対抗して、究極の悪役怪獣キングギドラ(→)を宇宙から呼び出す

でもキングギドラは1対10でボコボコにやられてしまってメデタシメデタシ

(^_^;)

 

映画 怪獣島の決戦

1967年公開、ゴジラシリーズの第8作、前作と同じ福田純監督でパロディ路線

南太平洋の無人島で、人工的に気象を操作する科学実験をしている

そこにカワイイ、ゴジラの息子ミニラが登場して、ゴジラが必死に子育てする、とても微笑ましい親子愛を演じます

他にカマキリの怪獣「カマキラス」や、クモの怪獣「クモンガ」も登場して、もう何でもアリの展開

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なんで、わざわざこんな変な怪獣島で、科学実験をしているのだろうか?

若い頃の前田美波里さん(→)も出演しています

(^_^;)

映画 南海の大決闘

1966年公開、ゴジラシリーズの第7作

監督が替わり、前作までとテイストがまるで異なり、ほとんどゴジラ映画のパロディ

極秘に核爆弾を作る悪役組織「赤イ竹」も出てくるけど、シリアスさのカケラも無く、ドタバタ喜劇と化している

ゴジラと闘うエビラは、ザリガニが巨大化した怪獣(獣じゃないけど)

あと、一瞬ラドンかと思った鳥の怪獣(怪鳥)が、チョイ役で登場

ゴジラが破壊する建物群も、南の島の秘密基地なので、都会のビル群に比べると簡単にミニチュアを作れそうで、予算節約が感じられる

ザピーナツも、無名な双子タレントに交代で、出演料の節約?

(^_^;)

映画 怪獣大戦争

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1965年公開、ゴジラシリーズの第6作

時代は高度経済成長の真っただ中で、生活水準の向上が感じられる

当初のシリアスなムードは消えて、完全に娯楽映画路線

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このころ流行っていた「シェー」をゴジラが演じるなど、ややサービス過剰

ストーリーは日米合作でSFを取り入れ、X星人の地球侵略にゴジラとラドンが巻き込まれ、キングギドラも登場するが新怪獣は無し

X星人が余りにも人間臭かったり、地球人より文明度が上という割には、素人発明家の作った音響機械で致命的弱点をさらすなど、何だか安っぽくなったなぁという感じもする

ゴジラシリーズ毎年1本という、量産体制の無理が出始めているのか

テレビの普及による映画全体の斜陽化もあって、観客動員数も第3作(キングコング対ゴジラ)の1120万人をピークに漸減傾向

それでも513万人を動員してるから、ゴジラ人気は大したものです

(^_^;)