このシリーズの最高傑作 (^_^;)
カワイイ
ロリかわいい
女優の安達祐実さんが4月9日、女性誌『ELLE Japan』のYouTubeチャンネルに出演して私物のバッグの中身を紹介。
ネット上で呼ばれることが多いという“ロリババア”の愛称をデザインしたスマホケースを愛用していることを明かしています。
もう公認でいいんですね!
38歳を迎えた現在も、幼少期から変わらない“ロリかわいい”ビジュアルをキープしている安達さん。
ネット上では、少女のような見た目ながら実年齢がずっと上の2次元キャラクターをロリババアと表現する文化がありますが、その条件をまさかの“3次元”で満たしている安達さんも一部ではその愛称で呼ばれています。
動画の中で私物紹介を行っている安達さんは、
「私結構ネットで、『安達祐実ロリババア』って言われることが多いので
もうこんなに言っていただけるなら、自ら名乗ろうと思って」
と“LORIBBA”と印字されたスマホケースを自作して使用していることを告白。
スペルをLORIBBA(正しくはLOLIBBA)と間違えていることもキュートですが、このエピソードを笑顔で話す懐の広さを見せており、どうやらロリババアという愛称を全く不快には思っていないようです。
優しいな!
視聴者からは、
「ロリババアって自分で書くのかっこいい 笑」
「iPhoneケースどこのブランドかなと思ったら…ロリババア 本当に可愛いです」
「ロリババア どんなことがあっても面白がれるマインド素敵すぎ」
などまさかのデザインに驚きの声があがった他、
「もう年齢不詳だな~ 少女みたいな大人の女性」
「え? 20代だよね?」
「なんなんや、、、若すぎやろ、、、」
など驚異の“ロリババア”ぶりにも大きな反響が寄せられています。
本当にかわいいな……。
深キョン
女優の深田恭子さんが21冊目の写真集「深田恭子写真集(仮)」(集英社)を5月13日に発売する。
深田さんが写真集を発売するのは2年ぶり。
ビキニ姿の深田さんが、小麦色に焼けた美背中を見せるカットも公開された。
撮影はハワイで行われ、深田さんはそのロケーションに合わせて、こんがりと日焼けした体を披露。
ビーチにたたずむ姿や、サーフィンに本気で取り組む姿のほか、庭で子犬と戯れる姿やボードショップではしゃぐ姿など、まるでハワイに住んでいる深田さんの姿を見ているかのような、親近感のある写真も収録されている。
「カーヴィーダンス」の生みの親でもあるボディーメークトレーナー・樫木裕実さん監修のもと、撮影の前からトレーニングで体作りを行ってきたという深田さんが、史上最高の“深キョンBODY”を披露する。
カンナとミナミ
おじさん、おばさんたちも
青春時代を思い出して
胸キュンしちゃう動画かな (^_^;)
橋本環奈(21)と浜辺美波(19)という、今を代表する2大美少女コンビによるドコモのCM「カンナとミナミ」が話題だ。
高校を卒業する彼女たちが、屋上で
「このまま大人になっても、友達でいようね!」
と約束するピュアさに、多くの人が自身の青春時代を思い出しているようだ。
ネット上には「#カンナとミナミ」なるハッシュタグも作られ、
「この青春、私には刺激的すぎる……」
「ドコモさん、天才すぎる!」
といった呟きが書き込まれている。
愛子さま18歳
愛子さまは偏差値72の超優等生だそうです
秋篠宮家がトラブル続きなので
愛子天皇待望論が高まっています (^_^;)
天皇、皇后両陛下の長女、敬宮(としのみや)愛子さまは12月1日、18歳の誕生日を迎えられた。
4月に学習院女子高等科3年生となり、勉学に励む一方、高校生活最後となる運動会や文化祭などの行事で活躍するなど、充実した日々を過ごされている。
天皇陛下のご即位に伴う一連の関連儀式も逐次テレビなどで見守り、関心を持たれているという。
11月上旬に開催された文化祭では、3年生有志のグループでダンス公演にご出場。
洋楽やJ-POPなどの音楽に合わせて軽快なダンスを披露したほか、美化委員としてごみの分別作業にも取り組まれた。
一連の即位関連儀式では、早朝から深夜に及ぶ両陛下のご発着を赤坂御所で欠かさず見送り、出迎えられた。
10、11月に行われた「即位の礼」の中心儀式「即位礼正殿(せいでん)の儀」や「祝賀御列(おんれつ)の儀」では、皇室の伝統や国民の祝福の様子などを伝える報道を熱心にご覧に。
8月15日の終戦の日には、両陛下が初めて臨席された全国戦没者追悼式の様子をテレビで見ながら黙とうされた。
両陛下とともに訪れた静養先の栃木県那須町では8月、駅頭で小学生や高校生に積極的に声をかけられる場面も。
陛下と長年親交のある英国のアン王女が10月、赤坂御所を訪れた際に同席するなど、海外王族と英語で交流する機会も持たれた。
雅子さまと黒田清子さん
世間的に言えば「嫁と小姑」。清子さんは生まれてからずっと皇室育ち、雅子さまはアメリカ育ちで、バリバリの元キャリアウーマン。ほとんど水と油。皇室の方々だって人間ですから、いろいろあったのかも (^_^;)
11月22、23日と、天皇皇后両陛下は即位に関する一連の儀式を終えたことを伊勢神宮に奉告する「親謁の儀」に臨まれた。
この重要な皇室の行事で、両陛下とともに大役を務めたのが、天皇陛下の妹で伊勢神宮祭主の黒田清子さんだった。
伊勢神宮を長年取材してきた文筆家の千種清美さんは、親謁の儀に臨んだ清子さんの様子についてこう語る。
「祭主さまは両陛下より早く伊勢にいらっしゃっていました。両陛下が神宮に到着された21日の夜は、両陛下がお泊まりになった内宮の行在所で大宮司、小宮司とともにお迎えになりました。内宮ご参拝後には、両陛下と食事をされたかもしれません」
前出の皇室担当記者は、21日の夜に注目する。
「ご一緒にひとときを過ごされた雅子さまと清子さんにとっては、いわば“和解の夜”になったのではないでしょうか。雅子さまが療養に入られる’03年12月以前から、関係者の間ではお二人の“不和”が囁かれていましたから」
皇室ジャーナリストの渡邉みどりさんもこう話す。
「天皇家に入った“嫁”である雅子さまには、公務でご多忙だった美智子さまに代わり、“小姑”である清子さんが折に触れ、皇室のしきたりや所作などをアドバイスしていたそうです。つまり雅子さまにとって清子さんは恩人ともいえるのですが、あるときを境に円滑なコミュニケーションがなくなってしまったと聞きました」
陛下と雅子さまのご結婚直前だった’93年4月、清子さんは24歳の誕生日に際しての文書回答で、雅子さまについてこう記していた。
《まだゆっくりとお話をする機会はございませんが、自分をしっかりと持っていらっしゃり、ユーモアのある楽しい方のように拝見しております》
義理の姉がやってくることを楽しみにする気持ちが伝わってくる。
ところが雅子さまが療養に入られて以降2005年頃から、雅子さまと清子さんの不和を象徴するような“事件”が次々と報道された。
「山階鳥類研究所に勤務し、バードバンダー(鳥類標識調査員)の資格も持つ清子さんは、研究のために赤坂御用地でカワセミの調査をしていました。早朝からの調査なので、何度か天皇陛下と雅子さまが住む赤坂東宮御所(当時)に泊まらせてもらっていたそうですが、あるときから宿泊の許可が下りなくなったという話を耳にしたことがあります」(前出・渡邉さん)
『週刊文春』(’05年12月29日号)によると、その後、清子さんは秋篠宮邸への宿泊を希望し、「いつでもどうぞ」と歓迎してくれた紀子さまと接近していったという。
また、翌年の『週刊ポスト』(’06年3月3日号)にはこんな記事が載った。
事件が起こったのは両陛下のご結婚3年目の’96年だという。
美智子さまと清子さんが御所でお菓子作りをされたとき、紀子さまは「ご一緒に」と呼ばれたのだが、雅子さまにはお声がかからなかったというのだ。
「チーズケーキ作りがお得意の雅子さまをお呼びにならないのは、いかにも不自然という声も上がりました」(宮内庁関係者)
20年以上も前から、雅子さまと清子さんの間には“緊張関係”があったのかもしれない。
清子さんが伊勢神宮の祭主に就任したのは’17年のこと。“退位特例法”が国会で可決された直後のことだった。
「当時は、次の皇后となられる雅子さまがご公務、特に祭祀へのご出席が難しく、御代替わりへの不安が大きかったのです。伊勢神宮祭主となれば、少なくとも年間30日は伊勢に滞在する必要があり、夫の黒田さんにも負担を強いることになります。それでも清子さんが引き受けたのは、皇室の外から新天皇を支えてほしいという美智子さまの強い願いがあったからなのです」(皇室ジャーナリスト)
一方、今年5月に皇后となられた雅子さまは、5月8日の「期日奉告の儀」、10月22日の「即位礼正殿の儀」、11月14日からの「大嘗宮の儀」、そして、今回の「親謁の儀」と、陛下の即位に関連した大きな宮中行事すべてに出席されている。
「御代替わり後、雅子さまは素晴らしい活躍をされています。目を見張るほどのご回復ぶりといっても過言ではないでしょう。皇室への思いの強さは、雅子さまも清子さんも同じです。宮中祭祀にも真摯に取り組む雅子さまのお姿が、皇室の祭祀を担う清子さんの心を動かしたのでしょう。長年のわだかまりは氷解して、お二人の間に“新しい絆”が生まれたのではないでしょうか」(皇室担当記者)
壇蜜さん結婚!
壇密先生の保健体育の授業
どんなこと教えてるんだろ? (^_^;)
タレントの壇蜜(38)が、『東京都北区赤羽』『ウヒョッ!東京都北区赤羽』などで知られる漫画家・清野とおるさん(39)と結婚することが21日、スポーツ報知の取材で分かった。
「いい夫婦の日」の11月22日に婚姻届を提出した。
テレビ局関係者によると、2人は17年3月に放送されたTBS系『櫻井・有吉THE夜会』での共演をきっかけに交際をスタート。
壇蜜(だん・みつ)
本名・齋藤支靜加(さいとう・しずか)。
1980年12月3日、秋田県生まれ。38歳。
昭和女子大卒業後に銀座のクラブ、葬儀会社の研修勤務などを経て2009年デビュー。
10年に本名から改名。芸名の壇は仏壇、蜜は供え物を指す。
14歳から始めた日本舞踊は師範の資格を持つ。
レギュラーはNHKラジオ第2「高校講座 保健体育」、文化放送「大竹まことゴールデンラジオ!」水曜パートナー、同「壇蜜の耳蜜」。
身長158センチ。血液型O。
沢尻エリカ 逮捕 合成麻薬MDMA所持
何もかも恵まれすぎちゃうと
それを投げ捨ててみたくなる
という心理はあるかもね (^_^;)
違法薬物(合成麻薬MDMA)を所持していたとして、警視庁組織犯罪対策5課は11月16日の午後1時頃に、麻薬取締法違反の疑いで、女優の沢尻エリカ容疑者を逮捕した。
合成麻薬MDMAは風邪薬のカプセルに入っていて、それが2錠見つかったという。
カプセルには白い粉末が入っていて、このうち1錠を警視庁本部で鑑定したところ、合成麻薬MDMAだと確認された。
警視庁によりますと、合成麻薬MDMAが見つかったのは東京・目黒区の沢尻容疑者の自宅マンションで、沢尻容疑者はこのマンションで母親と2人で暮らしていた。
合成麻薬MDMAの発見は午前8時40分頃のことで、カプセルは棚のアクセサリーケースの中に入っていたといい、逮捕は、このうちの1錠を持っていたという容疑。
沢尻容疑者は
「私のものに間違いありません」
と容疑を認めており、取り調べには素直に応じているという。
警視庁は、沢尻容疑者が合成麻薬MDMAを使用していたかどうかを調べるために簡易鑑定をしましたが、結果については明らかにしていない。
警視庁は自宅の捜索で携帯電話なども押収していて、今後、合成麻薬MDMAの入手ルートなどを詳しく調べることにしています。
沢尻エリカ容疑者は、父が日本人で母がフランス人のハーフ。
小学6年生の時に雑誌モデルとして芸能界デビュー。
2004年、映画「問題のない私たち」(森岡利行監督)、05年、同「パッチギ!」(井筒和幸監督)に出演。同作で各新人賞を総なめにした。
順風満帆に思われたが、07年に主演映画「クローズド・ノート」の舞台あいさつで、司会者の質問に「別に」と答えるなど不機嫌そうに振る舞い、世間やマスコミから猛バッシングを受ける。
09年には所属事務所との専属契約が解消され、10年春まで芸能活動を休止した。
女優復帰作となった12年の映画「ヘルタースケルター」は大ヒットを記録し、日本アカデミー賞・優秀主演女優賞を獲得した。
15年に出演した「新宿スワン」も大ヒット。
映画「ヘルタースケルター」は岡崎京子原作漫画の実写版で、全身整形で美貌を手に入れた主人公がトップスターに登り詰めながらも、薬物依存による精神錯乱で人格が崩壊していく過程を描いた衝撃的な内容だった。
この映画の主人公と沢尻の現実が重なり、同作は大きな話題を呼んだ。
当時、文春報道を受けて、周囲に
「大麻をやめられないのか。このままではまずい」
と問われると、沢尻はこう答えたという。
「やめられない。これが私のライフスタイル」
事務所関係者が話す。
「現事務所の担当者もエリカのクスリについては警戒していて、何度も本人に『大丈夫か?』と確認していた。本人は『大丈夫です』と話していました。付き合いもあるらしく、クラブにはしょっちゅう行っているのは知っていたので、心配していました」
沢尻エリカ容疑者(33)が逮捕されたことについて、所属事務所のエイベックス・マネジメントが16日夜、ホームページで「沢尻エリカの報道に関しまして」と題したコメントを発表した。
その全文は以下の通り。
関係各位
本日、沢尻エリカが麻薬取締法違反の容疑で逮捕されました。
本件につきまして、現在事実関係を確認しております。
関係各所の皆様、並びにファンの皆様へ、多大なご迷惑とご心配をおかけしておりますことを、深くお詫び申し上げます。
本人の処遇につきましては、捜査の進捗を見守りつつ厳正に対処してまいります。
令和元年11月16日
エイベックス・マネジメント株式会社
沢尻エリカ容疑者は2020年放送のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」では、織田信長の正妻・濃姫役で出演が決まっていた。
大河ドラマでは、現在放送中の「いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~」に出演していたピエール瀧(52)が麻薬取締法違反の疑いで逮捕されて降板。
瀧は懲役1年6月、執行猶予3年の有罪判決を受けた。
シン・ゴジラ第2形態に似ている魚
ラブカ
シン・ゴジラの第2形態に似ているということで知名度が向上した感のある深海のサメである。
日本全国、ラブカの標本に触れるのは、ここ(東京海洋大学)くらいではないだろうか。
どうしてもラブカと触れ合いたければ、駿河湾辺りまで出向いて、自分で釣るしかない気がする。
▲シン・ゴジラの第2形態 通称「蒲田くん」
訃報 八千草薫さん
昭和のカワイイ系女優として
最高峰でしたね (T_T)
映画やテレビで幅広い世代に親しまれた女優の八千草薫さんが、今月24日、東京都内の病院で膵臓がんのため亡くなりました。88歳でした。
八千草さんは大阪府の出身で、宝塚音楽学校を経て宝塚歌劇団に入り、昭和26年に本格的に映画デビューしました。
映画「宮本武蔵」や「蝶々夫人」、舞台の「二十四の瞳」など、かれんでひたむきな日本女性の役を演じて人気を集め、一時代を築きました。