4関西

訃報 江上泰山

20211121-00050085-yom-000-2-view

放火されて炎上する金閣寺

internet_enjou_sns_man

 

 

ネット界では「炎上」が日常茶飯事ですが

 戦後すぐの世間を騒がせたのが金閣寺炎上事件

三島由紀夫や水上勉など、文学ネタにもなりました

 いま我々が金ピカの金閣寺(再建)を見れるのは

この事件があったからかもしれません

 (^_^;)

 

img_3352bf1aca379fca3a31ca7b94a49acb93021江上泰山(えがみ・たいざん、→)氏が11/19、誤嚥(ごえん)性肺炎のため死去した。

85歳。

金閣寺元執事長で、臨済宗相国寺派宗務総長を務めた。

1949年に中学2年で金閣寺(鹿苑寺)に入る。

翌年、兄弟子の放火で炎上した金閣(舎利殿)を目撃した。

葬儀は11/24午前10時、京都市北区等持院北町61真如寺。

喪主は長男で真如寺住職の正道(しょうどう)氏。

 

 

宝塚劇場

IMG_20211119_155009

 

今日は宝塚劇場を見学しました

私が注目している潤花さんは、来年のカレンダーの表紙です

\(^o^)/

 

IMG_20211119_162432

 

▼ステージが終わって、ぞろぞろ帰る人たち

IMG_20211119_161938

 

▼宝塚音楽学校(TMS)の建物

IMG_20211119_163852

 

三千院の庭

IMG_20211118_150352

洛北大原の三千院に来ています

中学校の修学旅行以来です(ウン十年ぶり)

紅葉もさることながら、庭がスゴい!

この空間感覚は、写真や動画では伝わらない

この場に身を置くしか味わえない

作庭を芸術にまで高めた先人に感動します

これに比べたら、西洋庭園なんて・・・

(^_^)

 

東山散策

IMG_20211117_111102

今日も良い天気で、東山をプラプラ散策です

清水寺、高台寺、八坂神社、知恩院など、すでに何度も歩いた道ですが、やはり紅葉シーズンは別格

(^_^)

永観堂


IMG_20211116_201015
IMG_20211116_192746_1
IMG_20211116_194303
岡山から京都へ戻り、東山の永観堂で紅葉のライトアップを鑑賞しました

またしても、息を飲むような美しさ!

夜の紅葉の美しさは、写真に捉えきれないのが残念です

京都で一番の紅葉ライトアップを調べたら、永観堂だったのですが、評判に違わぬ美しさでした

メチャ混んでいるかと思ったら、意外に空いてましたよ

(^_^)

 

保津峡の紅葉

0177

kouyou_engawa_woman

 

秋の紅葉を楽しもうと思って

 京都を中心に、西日本を旅しています

上の写真は、嵯峨嵐山の近く、保津峡の紅葉です

息を飲む様な美しい紅葉が広がっているのですが、

観ているのは私一人で、貸し切り状態

申し訳ないような気分です

(^o^;)

 

奈良の鹿

shika_senbei_ageru

 

 奈良の鹿は、人間にナツキ過ぎて

  やや野性味を失ってますが

 その代わりに、人間界のルールを

  身につけているようです

 (^_^;)

 

動画を見た外国人の反応

・素晴らしい、日本の鹿は信号の色の意味を理解しているようだ。

・横断歩道を渡れる場所と理解しているだけでも凄い。

・動画を見ている最中、絶対に飛び出してはねられると思ったのに・・・

・私の国だと鹿は突然道路に飛び出してくるものだ。
そしてそれを避けようとして事故る人もいたりする。

・私の国でも高速道路の脇で毎日死んだ鹿を見かけるよ。
でも日本の鹿は交通ルールを守ってるなんて。

shingou_machi

・日本は動物も交通ルールを守るんだね。
本当にリスペクトするよ。

・超凄い!

・Wow、なんて興味深い映像なんだ!

・This is a Japanese style.

・クソ笑ったよ。
日本の鹿は道路の渡り方まで理解してるなんて。

・この鹿はもう明らかに進化してると思う!

・アメリカの鹿は一体どうすれば日本の鹿のようになれるのか!?

・このような動物でさえ交通ルールを守ることができるなんて、もはや一部の人間よりも優秀じゃないか。

・私もこのような国に生まれたかった・・・

・日本の鹿は交通事故で死なないように交通ルールを守ってるんだね。

・このまま行けば日本の鹿は2030年には選挙権を手にするかもな。

 

竜王戦 第2局

35260904

game_syougi

 

 初戦を制した藤井三冠、このまま連勝するのか?

  将棋オタクさんたちの関心は、盤面だけでなく

 お昼やおやつに何を食べたか?にも集まっています

  (^_^;)

 

▲ライブビデオ▼

 

豊島将之竜王に藤井聡太三冠が挑戦する、第34期竜王戦七番勝負の第2局が、10月22・23日(金、土)に、京都府京都市「総本山仁和寺で行われています。

 

 

松原拓海 熱湯かけて3歳児を虐殺

35260890

▲無職の殺人犯・松原拓海(23)

 

35260889

▲熱湯をかけて虐殺された新村桜利斗くん(3)

 

202002031809290e0

 

 吐き気のするような凶悪犯罪です

  こうゆう凶悪犯罪者には絞首刑ではなく

 釜茹での刑で処刑できるように

  刑事訴訟法を改正していただきたい!

 ヽ(`Д´)ノ

 

先月(2021年8月)、大阪・摂津市のマンションで、交際相手の3歳の長男に熱湯をかけてやけどをおわせ虐殺したとして、同居していた無職の殺人犯・松原拓海(23)が殺人の疑いで逮捕されました。

殺人犯・松原拓海は容疑を否認しているということです。

警察によりますと、8/31、大阪・摂津市鳥飼本町の20代の交際相手の女性が住むマンションの部屋(↓)で、女性の長男の新村桜利斗くん(3)の全身に熱湯をかけてやけどをおわせ虐殺したとして、殺人の疑いが持たれています。

 

35260891

▲殺人犯・松原拓海が、新村桜利斗くんを虐殺したマンション

 

女性は外出中で、当時は殺人犯・松原拓海と新村桜利斗くんの2人だけで部屋(↑)にいました。

救急隊が駆けつけたとき、新村桜利斗くんは上半身を中心に皮膚がただれ、居間であおむけに倒れていて、その後、病院で死亡が確認されたということです。

頭部から上半身にかけて皮膚がただれており、司法解剖の結果、死因は熱傷性ショックだった。

当時、新村桜利斗くんは、

「シャワーで遊んでいて、徐々に温度を上げ、

 そのままひとりにしていたら声が聞こえなくなった」

などと説明していたということですが、その後の捜査で長時間にわたって熱湯をかけた疑いがあることがわかった。

殺人犯・松原拓海は、新村桜利斗くんの母親と、2020年10月に出会い系アプリで知り合い、交際を始め、ことし5月からは現場のマンションで同居していた。

警察は、事件に至る詳しいいきさつを調べています。

警察によりますと調べに対し、殺人犯・松原拓海は

「熱湯を故意に浴びせていません」

などと話し、容疑を否認しているということです。

警察によりますと、新村桜利斗くんについて、これまで、虐待などの情報は把握していなかったということです。

名称未設定

一方、ことし5月ごろに新村桜利斗くんの母親から行政機関に対し、殺人犯・松原拓海の暴力について相談があったという情報があるということです。

死亡した新村桜利斗くんが、殺人犯・松原拓海から虐待を受けているおそれがあることについて、周囲の人は摂津市役所に相談していました。

取材に応じた、母親の知人の女性2人によりますと、去年秋以降、親子が暮らすマンションに殺人犯・松原拓海が出入りするようになったということです。

そのころから、新村桜利斗くんの様子には変化が見られ、あまり笑わなくなったほか、外出先から帰宅したがらなくなったということです。

さらに、新村桜利斗くんが殺人犯・松原拓海から、たたかれて顔にあざができたとか、金属製のおもちゃを投げつけられたなどといった相談を母親から受けていたといいます。

このため女性らは、ことし6月、摂津市役所を訪れ、新村桜利斗くんが殺人犯・松原拓海から虐待を受けているおそれがあると相談していたということです。

女性の1人は

「このままでは新村桜利斗くんが亡くなってしまうので

building_jidou_soudanjo

 早く対処してほしいと行政に相談しました。

 『あの子、死んじゃうよ!』と訴えてきたのに、

 すごく悔しく怒りを感じます」

と話していました。

もう1人の女性は

「新村桜利斗くんは、もともとは笑顔がかわいく、

 あいきょうのある男の子でしたが、

 殺人犯・松原拓海と出会ってから、

 だんだん笑わなくなりました。

 小さい小さい男の子が、大人の私たちやまわりの人を

 疑いの目で見るようになったとも感じていました。

 なぜ新村桜利斗くんが犠牲にならなければいけなかったのかと思い、

 本当に悔しいです」

と話していました。

 

 

 

銅閣寺もあるんだよ

35260838

hyousyou_sports_woman

 

  「京都の金銀銅めぐり

 とかやればいいのにと思いますけど

  残念ながら銅閣寺、通常は非公開

 だそうです

  (^_^;)

 

京都には金閣寺、銀閣寺のほかに銅閣寺(どうかくじ)があります。

銅閣寺の正式名称は、龍池山 大雲院(だいうんいん)。

1587(天正15)年に織田信長、信忠親子の菩提を弔うために、正親町(おおぎまち)天皇の勅命により建てられました。

1973(昭和48)年に、現在の祇園・東山界隈の位置に移転しました。

img_157c13b2b39932c1efb1110a14d179ba101983

この場所は、もともと大倉喜八郎(→)の別荘でした。

大倉喜八郎は一代で巨万の富を築き、大成建設や鹿鳴館、帝国劇場、帝国ホテルの創始者でもある人物です。

大倉喜八郎氏は、

「金閣も銀閣もあるんだから、銅閣も作る!」

と京都の名物にすることを考えて銅閣を建てました。

銅閣寺のモチーフは祇園祭の山鉾」(↓)です。

 

1231