ネットで見つけた写真です
場所は関西の某西成区だそうです
このくらいの価格で、十分に利益が出ます
中身の原価なんて、せいぜい2~3円
パッケージが5~10円くらいかな
一番カネかかるのが、ボトルを販売機に補充する人件費
あと場所によっては、地主に払う利益分配金
空気や水を売る商売は、儲かります
(^_^;)
▼某西成区の路上住宅街
ネットで見つけた写真です
場所は関西の某西成区だそうです
このくらいの価格で、十分に利益が出ます
中身の原価なんて、せいぜい2~3円
パッケージが5~10円くらいかな
一番カネかかるのが、ボトルを販売機に補充する人件費
あと場所によっては、地主に払う利益分配金
空気や水を売る商売は、儲かります
(^_^;)
▼某西成区の路上住宅街
奈良公園名物のシカさんたちです
カワイイですね
シカさんに危害を加える人間がいないので、安心しきっているようです
逆に、シカせんべいをあげるのが遅い人間には、「早くくれ!」と頭突きしたりするシカさんもいるそうです
奈良公園のシカは小さくてカワイイですけど、北海道で見たエゾシカ(→)は非常に大きくて、近くで見ると怖いです
道東(北海道の東側)では、道路を横断するエゾシカの群れを何度も見ました
うっかりクルマでエゾシカに衝突すると、シカもケガをしますけど、クルマも大破して廃車になります
それほどエゾシカは大きいんです
古代史の本を読むと、縄文時代の日本列島には、シカとイノシシがいっぱいいました
まだ農業(イネの栽培)が始まっていないので、木の実を拾ったり、海岸で貝を拾ったり、海や川で魚を釣ったりしながら、ときどき狩猟で獲れたシカやイノシシの肉を食べていたそうです
日本史を長期的に見ると、縄文時代の食生活が非常に豊かで、それからだんだん貧しくなって、江戸時代に最悪となり、明治になってかなり過ぎてから、やっと縄文時代の水準を超えました
江戸時代は、貧富の格差や、都会と田舎の格差が非常に大きくなっていて、東北の農村が飢饉で餓死者が出ていた同じころ、江戸ではグルメブームが起きて、どこのお店が美味しいとか書いたグルメ本がベストセラーになっていたそうです
((((;゚д゚))))
中国コロナで観光客が減ったために、もらえるシカせんべいが少なくなって
かわいそうに、ヤセてしまったシカさんもいるそうです (T_T)
▲殺人犯・宅間守 出刃包丁で子ども8人を刺し殺した
2004年9月14日に死刑を執行された(40歳没)
虐殺された子供たちは、事件が無ければ、今27歳くらい
吐き気のするような虐殺事件ですが
この種の凶悪犯罪を予防することは
現在でもほとんど不可能です
((((;゚д゚))))
大阪教育大学教育学部附属池田小学校に、出刃包丁を持った男1名(被告人:宅間守)が、平成13年6月8日(金)の2時間目の授業が終わりに近づいた午前10時過ぎころ、自動車専用門から校内に侵入した。
校舎1階にある第2学年と第1学年の教室等において、児童や教員23名を殺傷した。
平成13年9月14日大阪地方検察庁は、被告人を殺人、殺人未遂、建造物侵入及び銃刀法違反で、大阪地方裁判所に起訴した。
【死亡者】 8名[1年男子児童1名 2年女子児童7名]
負傷者 15名[児童13名(男子5名 女子8名) 教員2名]
平成13年6月8日午前10時過ぎころ、犯人は自動車で附属池田小学校南側正門前に至ったが、同所の門が閉まっていたことから、そのまま通り過ぎ、同所から離れた自動車専用門に至り、開いていた同小学校専用門の前に自動車を止め、出刃包丁及び文化包丁の入った緑色ビニール袋を持って、同専用門から同小学校敷地内に立ち入った。
2年南組の担任教員は、体育館の横で、犯人とすれ違い軽く会釈をしたが、犯人は会釈を返さなかったので、保護者でもなく教職員でもないと思ったにもかかわらず、何らかの雰囲気を察して振り返るなど、犯人の行く先を確認せず、不審者という認識を抱けなかった。
犯人は、10時10分過ぎころ、2年南組テラス側出入口から担任教員不在の2年南組教室内に入り、出刃包丁で5名の児童を突き刺し死に至らしめた。
犯人は2年南組の教室テラス側出入口からテラスに出て東に隣接する2年西組の教室に向かい、10時15分ころテラス側出入口から同教室に入った。
当時2年西組では、児童全員前を向いて座り、担任教員は犯人の侵入方向に向いて教卓の席に着いていた。
犯人は教室に侵入する際大きな物音をたてたが、2年西組の担任教員は気付かなかった。 犯人は侵入したと同時に、3名の児童を次々と突き刺し、うち1名を死に至らしめた。
犯人に気付いた、2年西組の担任教員は、悲鳴をあげ、校内放送を用いて誰かに知らせようとしたが、利用を停止した。その後、同教員は、犯人が児童に向かって包丁を突き刺すのを見たが、児童の避難誘導をせず、警察へ通報するため廊下側前のドアから出て事務室に向かって廊下を走った。
途中、同教員は、廊下で倒れて苦しんでいる児童(この2年南組児童は他の教員がかかわるまで約6分間放置の状態であり、その後死亡した。)を見たが、そのまま事務室に飛び込み、10時18分(警察より確認済み)、110番に通報した。
同教員は、事務室にて110番に通報した際、警察に事件の詳細を聞かれ、対応に時間がかかった(約8分間)。そのため、警察からの救急車の依頼が遅くなり、警察が、救急車を要請したのは、通報を始めてから5分後であった。
同教員不在の間に、犯人は逃げる児童を追い回し、教室内、出入口付近、廊下で5名の児童を突き刺し又は切り付け、うち1名の児童を死に至らしめた。
次いで、犯人は、2年西組教室後方廊下側出入口から廊下に出て、東隣にある2年東組に向かい、10時15分過ぎころ、2年東組廊下側出入口から教室内に入り、児童2名を出刃包丁で突き刺し又は切り付けた。
犯人は、教室内で状況を見た2年東組の担任教員から椅子を持って追い掛けられたことから、テラス側出入口に向かって逃げたが、その途中で教室後方にいた児童1名と、さらに同出入口付近で別の児童1名を突き刺した。
犯人は、教室テラス側出入口からテラスに出たところ、通り掛かった1年南組の担任教員にタックルされ、取り押さえられそうになったことから、同教員を殺害しようと考え、出刃包丁で突き刺した。
その際、犯人は2年東組の担任教員から椅子を投げ付けられたものの、これを意に介さず、テラス上にいた児童を見付けて、その児童らを西方向に追い掛け、10時20分ころ、犯人は、1年南組教室内に児童の姿を認め、同教室テラス側出入口から同教室内に入った。
それまでの間、3名の教員が1年南組の横を通過したにもかかわらず、1年南組にいた児童に危険を知らせ、避難するように声かけできておらず、避難誘導が行われなかった。
犯人は、1年南組教室テラス側出入口から担任教員不在の1年南組教室内に入り、出刃包丁で3名の児童を突き刺し又は切り付け、うち1名を死に至らしめた。さらに、別の児童1名を同教室テラス側前方に追い詰め出刃包丁で突き刺した際、駆けつけた2年南組の担任教員に背後から出刃包丁を持っている右腕をつかまれたが、同教員目掛けて出刃包丁で切り付け、引き続き、出刃包丁を左手に持ち替え、倒れている同児童を突き刺した。
犯人は、10時20分ころ、2年南組の担任教員及び副校長によって殺人未遂の現行犯人として逮捕され、間もなく、現場に到着した警察官に引き渡された。
犯人を取り押さえてから犯人確保までの間、学校全体としての状況把握と組織的な対処行動ができなかった。死亡した8名の児童は即死ではなく、救命活動の遅れが死因に直結する失血死である。児童に対する組織的な避難誘導、救命活動、搬送処置が行えず、被害を最小限にくい止めることができなかった。
負傷児童の氏名、場所、人数、負傷の程度の確認など、学校全体としての状況把握ができず、救急車に付き添うよう申し出た教員もいたが、管理職や教務主任は、混乱の中で事件の全容をつかめず、20分前後も放置され既に致死的な状態になっている負傷児童の搬送に、ほとんどの教員が付き添うことができず、また、保護者への児童の搬送先病院の連絡が大きく遅れてしまった。
そのため、事件直後、ある死亡児童の保護者は早い段階で来校したにもかかわらず、学校内で負傷していた児童に会うことができず、自力で探し回った病院で既に死亡した我が子と対面することとなった。また、事件後において、学校からの説明や弔問が遅れ、教員の心ない表現、発言、行動が遺族の心を大きく傷つけた。
(注)事件の経過については、『平成13年12月27日、宅間守被告人の初公判における「冒頭陳述」(大阪地方検察庁作成)』、『平成13年11月8日付け、大阪教育大学教育学部附属池田小学校長作成「I.学校の教育責任に関する反省点(事件後5ヶ月時点)」及び「II.事件の経過および教職員の行動と課題」』からの引用又は要約したものである。
宅間守は、1963年11月23日に生まれ、2004年9月14日に死刑を執行された(40歳没)
宅間守は中学校時代、好意を抱いていた女子生徒の弁当に自分の精液を掛けた
宅間守は自衛隊に所属していた頃、家出少女を下宿に招き入れ性行為に及んだ為、航空自衛隊を除隊させられている
宅間守が最後の児童を刺した直後に呟いた言葉は「あーしんど!」である
宅間守には兄がいたが、弟が池田小学校で事件を起こす遥か前に、弟の破綻した行動に心を痛め、小刀で自分の首を突き刺し自殺している
宅間守は裁判の証言の中で、「小学校ではなく、保育園か幼稚園にしとけば、もっと殺せた」という言葉を発している
虐殺犯人 習近平 380万人虐殺
自国の武漢研究所に命じて、コロナウイルスに遺伝子操作を加えた「コロナ生物兵器」を製造させた
さらにこれを武漢研究所の外部にバラまき、世界中に感染を広げて、すでに380万人を虐殺した
現在も地球上で善良な人々を、毎日1万人、虐殺し続けている
アメリカみたいに爆破解体すれば
安く済みそうだけどね~
(^_^;)
廃虚マニアの間で“むち打ち観音”と呼ばれる「世界平和大観音像」(兵庫県淡路市)が解体される。
首部分に設置された展望台が、まるでむち打ち治療用のギプスのように見えるため、この異名がついた。
1982年に建設、高さ約100メートル。
当時、“世界一の高さを誇る観音像”として知られ、人気観光スポットになった。
ところが次第に物珍しさがなくなり、来場客は激減。
所有者で地元出身の資産家だったオクウチグループの創業者、奥内豊吉氏の死後、運営を引き継いだ妻が死去した2006年、経営が行き詰まり閉鎖。
この十数年、管理が行き届かず廃虚化。
2020年からは国が所有者となり解体を検討していた。
今回、解体工事を請け負うのは大阪市にある建設会社。
8億8000万円で落札し、早ければ6月上旬にも工事に着手し、撤去完了まで1年8か月かかる予定。
愛媛県在住の廃虚マニアの男性は
「もう5年くらい前のことになります。友人と館内の探索をしたことがあります。
目的は、首の部分にある展望台に登ることでした。
当時は、まだ入ることができたので、一気に上がることができましたね。
展望台から見る景色は、もう最高でしたね。潮風が気持ちよかったです。
こんな快適な廃虚は他にはありませんよ。
その末期は、観光業界からもそっぽを向かれた施設でしたね」
「B級感たっぷりの廃虚でした」
と振り返る。
この観音像の台座部分となるビルの1階には、豊清山平和観音寺がある。
表向きには宗教施設だったが、実際には宗教施設というよりも、物好きな資産家が手がけたミュージアム。
工事が始まると、全体を覆い尽くすドームができるため、見られなくなる。
NHK「きょうの料理」で初めて見た時からファンになりました
京都ことばで料理のつくり方を説明する、ちょっとカワイイおばさん
これはブレイクするだろうなぁと思っていたら、最近やっぱり話題です
現在56歳でこの美貌ですから、若い頃はさぞかしやと思っていたら、やっぱり若い頃は女優もしていたそうです(これはブレイクしなかったけど)
京都の歴史ある料理旅館「美山荘」の次女に生まれ、子どもの頃から京料理に親しんでいたので、その強みを生かして料理研究家になったので、年季が入ってます
大原千鶴は、京都の中京区に「遇酒旦呵呵」という名前のキッチンアトリエを所有しています
「遇酒旦呵呵」とは、中国の漢詩の一節で、
「酒を飲んだらひとしきり大笑いしよう」
「陽気に飲みましょう」
といった意味合いがあるようです
呵呵大笑(かかたいしょう、大声をあげて笑うこと)という四字熟語もありますね
キッチンアトリエ「遇酒旦呵呵」は、築30年ほどが経つ古い一軒家をリノベーションして作られた建物
大原千鶴の仕事場としてだけでなく、おもてなしの場としても活用されているそうです
* * * * * * *
『花間集』菩薩蠻其四 韋莊
勸君今夜須沈醉 君に勸む 今夜 須(すべか)らく沈醉すべし
樽前莫話明朝事 樽前に 話す莫(なか)れ 明朝の事を
珍重主人心 珍重す 主人の心
酒深情亦深 酒深くして 情も亦た深し
須愁春漏短 須(すべか)らく愁ふべし 春漏の短きを
莫訴金杯滿 訴ふる莫れ 金杯に滿ちたるを
遇酒且呵呵 酒に遇(あ)ひては 且(しば)し呵呵たれ
人生能幾何 人生 能(よ)く 幾何(いくばく)ぞ
人生も残り少なくなってくると、人生能く幾何ぞ(人生なんて、あっという間さ)ということが、実感としてヒシヒシと感じられます
(^_^;)
これ(→)のことかと思ったら違った!
被害額はせいぜい150万円だそうです
もちろん損害保険には入ってるだろうし
ニュースに出た宣伝効果を考えると
損害より利益の方がずっと大きいかも~
早朝でも人がかなりいたはずのエリアですが
中国コロナのせいで、ひっそりしてますね
(^_^;)
大阪・ミナミにあるカニ料理の飲食店で4/5、カニのオブジェが壊される被害があり、防犯カメラに犯行の一部始終が映っていました。
4/5の午前5時前の道頓堀商店街です。
犯人の男2人が、カニ料理店のオブジェを蹴ったり、揺らしたり。
そして最後には、引き倒して逃げていきました。
カニのオブジェは、高さ約3メートル、重さ100キロほど。
製作には150万円ほどかかり、5年前の開業当初から店のシンボルになっていました。
「こういうご時世で、みんな苦労してるじゃないですか。
人として絶対許せないですね。
営業時間短縮で人が少なくなってるわけじゃないですか。
目撃者もそれだけ少ないわけですから、やりたい放題ですよね」
(大阪かに源・武田源社長)
警察が器物損壊の疑いで捜査しています。
周辺では4月、ビルのエレベーターのボタンが壊されるなど被害が相次いでいて、警察が関連を調べています。
1995年1月17日に起きた阪神・淡路大震災から、1/17で丸26年を迎えた。
発生時刻の午前5時46分に合わせ、神戸市中央区の東遊園地など各地で追悼行事があった。
新型コロナウイルス禍の中でも「この日だけは」と多くの人が手を合わせ、震災で亡くした家族や友人らを思い起こした。
前日から紙製の灯籠でかたどられた「がんばろう」の文字が点灯され、分散来場が呼び掛けられた東遊園地。
その中に、震災で母親の藤井あい子さん=当時(83)=を亡くした神戸市東灘区の寺内和子さん(72)の姿があった。
あい子さんは全壊した自宅の下敷きになった。
震災の日が近づくと当時がよみがえる。
自身もけがをしながら実家に駆け付けたこと、がれきから出てきた足が温かかったこと、掘り出されたあい子さんは「あ、あ」と懸命に何かを伝えようとしたこと、自らくぎを打ち棺おけを作ったこと…。
和子さんは「お母さんの代わりに誰かのためになれば、自分が救われるかもしれない」と介護ヘルパーの仕事を続けている。
新型コロナの影響で離職者が増え、夜から翌朝までの勤務にも入るようになったが、「この仕事は辞めたくない」。
* * * * * * * * * *
東日本大震災では東京でも、住んでいるマンションが崩れるかと思うほど揺れましたが、阪神・淡路大震災では、揺れた瞬間はほとんど気が付きませんでした
でもテレビで刻々と入って来るニュースは神戸一帯が燃えているような感じで、死者数も当日は数百人くらいでしたが、毎日千人くらいずつ増えていく感じで、非常に恐ろしかった
たまたま地震の翌日に大阪で結婚式に招かれていて、問い合わせたら決行するとのこと
飛行機を調べたら飛んでいたので、伊丹空港経由で大阪へ行き、結婚式の翌日、西宮から神戸にかけて10時間くらい歩きました
最も印象に残ったのは、木造建築が地震に弱いということ
木造の家が跡形もなくグシャグシャになって燃えているすぐ隣で、鉄筋コンクリートの家が、外形はほぼ無傷という場面をたくさん見ました
日本に住んでいる限り、木造の家には住みたくないなぁ、と今でも思っています
((((;゚д゚))))
いよいよ今年も
あとわずかですねぇ
(^_^;)