現代史

悠仁さま 卒業文集全文

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お茶小の六年間

秋篠宮 悠仁

 お茶の水女子大学附属小学校で過ごした六年間、さまざまな思い出を作ることができました。そこで、印象に残ったことを少し振り返ってみたいと思います。

 一年生のころ、毎日ライオン池で遊んだり、畑の植物や虫を観察したりして楽しみました。そして、いくつかのテーマから自分の関心があるものを決めて取り組む学習、「えらぶ」の時間に、春見つけ、秋見つけなど「きせつ見つけ」をしていたことをよく覚えています。これは、その季節で感じたことを絵や言葉で表します。例えば春の場合だと、サクラやオタマジャクシなどを探しました。校庭や大学キャンパスに出て春夏秋冬、それぞれの特徴を見つけていくことは、四季のある日本の自然を理解する上でも大事なことだと思います。

 これが中学年や高学年になると、広い大学のキャンパスで、指定された野草や樹木を探すオリエンテーリング形式になります。低学年の「きせつ見つけ」と違って、それぞれの班で、それらがどこにあるのかを自分たちの記憶や勘を頼りにしながら、キャンパスの中を自由にまわります。したがって、みんながペースを合わせて行動し、協力することが大切です。また、時間制限もあるので、常にいろいろなことに集中していないといけません。そしてオリエンテーリングが終わると、先生から野草や樹木についての説明を受けます。私は、このような機会を通して、身近な自然と楽しくふれ合うことができました。

 三年生以上になると、「えらぶ」は自学につながっていきます。「えらぶ」は、決められた時間内で課題を進めていきますが、「自学」では、一人一人が長い時間をかけて、自分が選んだ課題に取り組み、興味を深めていくことができます。

 私は、「自学」で東京都の市町村について調べました。学校の図書コーナーで市町村が発行している副読本を読み、東京の歴史について書かれた本を用いて、各地域の歴史や特産物についてまとめました。自分の計画にそった資料を探し、調べたことをまとめていくためには時間がかかります。しかし、好きなテーマを調べ続けることができるので、多くの人たちにとって、また自分にとっても、とても楽しい時間でした。

 「自学」では、四年生以上になると、クラス別の発表やテーマ別の交流があります。その時は、画用紙に内容をまとめたり、表を作ったりして、みんなが理解できるように工夫しました。友達の発表を聞き、話し合うことで、わかりやすく説明することの大切さを知りました。

 この他にも、お茶小で楽しかった、よかったと思える素晴しい時間がありました。緑が多く、自然が豊かな学校で、他学年の仲間と一緒にいろいろな課題に取り組み、学んだことで、新しいことに気づいたり考えたりしました。そして、自分の力になったと思うことがいくつもありました。

 お茶小で学んだことや体験したことをいかし、これからも自分が興味を持っていることを大事にしながら、過ごしていきたいと思っています。

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2丁目の歴史


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  戦後の東京で
   最も光彩を放った街は
  新宿かもしれませんね  (^_^;)
 

港区郷土歴史館

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 1938年の建築というと
  真珠湾攻撃の直前ですね  (^_^;)
 

2018年の11月にオープンした東京・港区郷土歴史館が、レトロな雰囲気だとして、いまSNSで話題となっています。
80年ほど前の建物を改修して誕生した歴史館の魅力を取材しました。
港区白金台に開館した「港区郷土歴史館」。
その重厚な建物は、今から80年ほど前の1938年に建てられたものです。
中は吹き抜けになっていて、開けた空間が広がっているほか、細かな装飾も施されています。
そのほとんどが建設された当時のまま残っているというこの建物は、伝染病などを研究する日本で初めての専門機関「公衆衛生院」として2002年まで使われた後、2009年に港区が国から買い取り、耐震補強などを行った上で、2018年に郷土歴史館として開館しました。
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設計は東京大学の安田講堂などを手掛けた建築家・内田祥三の作品で、左右対称のゴシック建築に、外壁を重厚感のあるタイルで覆ったデザインが特徴です。
開館以来、SNS上では「建物がとても素晴らしい」「レトロでかっこいい」「おすすめ、うっとりです」といった感想が続々と寄せられ、話題となっています。
この建物の一番の見どころを学芸員の川上悠介さんに案内してもらいました。
案内してもらったのは、80年前から変わらぬたたずまいの、340席を備える「旧講堂」です。
木製の机や椅子をはじめ、照明器具など、室内はまるで時が止まったかのような空気が漂い、ノスタジックな雰囲気が訪れた人々を魅了しています。f0142606_17581792
訪れた人は「ムードがある。自分が勉強した場所にはこんなにムードあるところはなかった。物語の主人公になったような気分になれる。すてき」などと話していました。
中には、40年ほど前にここで学んでいたという男性も訪れていて「感無量です」と昔を懐かしんでいました。
建物が話題となったおかげで、今では展示物にも興味を持ってもらえることが増えたといいます。
川上さんは「(今後は)区民と建物の活用方法を考えながら、親しんでもらえる建物にできれば」と話しています。
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詳細はここをクリック

昭和15年の東京


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 前半が日比谷で
  後半が渋谷の道玄坂みたいです
 ちなみに忠犬ハチ公の銅像は
  昭和9年に出来ました  (^_^;)
 

陛下のお言葉

 
天皇陛下の「御在位30年記念式典」が24日、東京都内で行われ、陛下は、皇后さまと一緒に歩んだ平成の30年間を、時折、声を震わせながら振り返られた。
 


 
 

陛下のお言葉

 
在位30年にあたり、政府ならびに国の内外から寄せられた祝意に対し、深く感謝いたします。
即位から30年。
こと多く過ぎた日々を振り返り、今日、こうして国の内外の祝意に包まれ、このような日を迎えることを誠に感慨深く思います。
平成の30年間、日本は、国民の平和を希求する強い意志に支えられ、近現代において初めて戦争を経験せぬ時代を持ちましたが、それはまた、決して平たんな時代ではなく、多くの予想せぬ困難に直面した時代でもありました。
天皇として即位して以来、今日まで、日々、国の安寧(あんねい)と人々の幸せを祈り、象徴として、いかにあるべきかを考えつつ過ごしてきました。
しかし、憲法で定められた象徴としての天皇像を模索する道は、果てしなく遠く、これから先、私を継いでいく人たちが、次の時代、さらに次の時代と、象徴のあるべき姿を求め、先立つこの時代の象徴像を補い続けていってくれることを願っています。
天皇としてのこれまでの務めを、人々の助けを得て行うことができたことは、幸せなことでした。
これまでの私のすべての仕事は、国の組織の同意と支持のもと、初めて行い得たものであり、私がこれまで果たすべき務めを果たしてこられたのは、その統合の象徴であることに誇りと喜びを持つことのできる、この国の人々の存在と、過去から今に至る長い年月に日本人がつくり上げてきた、この国の持つ民度のおかげでした。
災害の相次いだ、この30年を通し、不幸にも被災の地で、多くの悲しみに遭遇しながらも、けなげに耐え抜いてきた人々、そして、被災地の哀(かな)しみをわがこととし、さまざまな形で寄り添い続けてきた全国の人々の姿は、私の在位中の忘れ難い記憶の1つです。
平成が始まってまもなく、皇后は、感慨のこもった一首の歌を記しています。
ともどもに 平(たひ)らけき代を 築かむと 諸人(もろひと)のことば 国うちに充(み)つ
平成は、昭和天皇の崩御とともに、深い悲しみに沈む諒闇(りょうあん)の中に歩みを始めました。
そのような時でしたから、この歌にある「言葉」は、決して声高に語られたものではありませんでした。
しかし、このころ、全国各地より寄せられた、「私たちも皇室とともに平和な日本をつくっていく」という、静かな中にも決意に満ちた言葉を、私どもは、今も大切に心にとどめています。
在位30年にあたり、今日、このような式典を催してくださった皆さまに厚く感謝の意を表し、ここにあらためて、わが国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります。
 
 

天皇陛下ご在位30年記念式典

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日本政府主催の「天皇陛下ご在位30年記念式典」が24日、東京・隼町の国立劇場で開かれ、天皇、皇后両陛下がご出席された。
安倍晋三首相をはじめとする三権の長や各界の著名人ら約1100人から祝意を受けられた。
4月30日に譲位する陛下は

「天皇としてのこれまでの務めを人々の助けを得て行うことができたことは幸せなことでした」

と述べ、国民への謝意を示された。
安倍首相は両陛下のこれまでの歩みを振り返り、

「30年の長きにわたって国民に常に寄り添ってこられた両陛下のお姿を私たちは決して忘れることはありません」

と式辞を述べた。
衆参両院議長らも祝辞を述べた。

 国民代表として、東日本大震災で大きな被害を受けた福島県の内堀雅雄知事らがあいさつした。
内堀氏は被災地に何度も足を運び、被災者に寄り添われてきた両陛下に対し、

「明日に向けて歩みを進める勇気をいただきました」

と感謝の意を示した。
また、沖縄県のハンセン病療養所の入所者との交流をきっかけに陛下が作詞され、皇后さまが曲をつけられた「歌声の響」を同県出身の歌手、三浦大知さんが独唱。
ソプラノ歌手の鮫島有美子さんは、皇后さまが幼いころの皇太子さまの枕元で口ずさんだという子守歌「おもひ子」を歌った。
陛下は時折感極まった様子も見せ、

「今日このような式典を催してくださった皆さまに厚く感謝の意を表し、ここに改めて、わが国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります」

と述べられた。
その後、首相の音頭で万歳三唱。両陛下は何度もお辞儀を繰り返しながら、参列者の祝意に応えられていた。
両陛下はこの日午前、皇居・宮殿で皇太子ご夫妻をはじめとする皇族方から祝賀を受けられた。
 


 
安倍晋三首相は24日に東京・隼町の国立劇場で開かれた「天皇陛下ご在位30年記念式典」の式辞を述べた。
全文は次の通り。
 

安倍晋三首相の式辞

 
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 天皇陛下には、本年、ご在位30年をお迎えになりました。国民こぞってお祝いするため、本日、この式典を挙行した次第であります。今ここに国民とともに、謹んで心からお祝い申し上げます。
 この30年、陛下は日本国と日本国民統合の象徴として、一つ一つのご公務を、心を込めてお務めになり、国民に寄り添ってこられました。
 「内平(うちたい)らかに外成(そとな)る」
私たちは、この思いの下、陛下とともに30年の歩みを進めてまいりました。
 わが国は、豊かな自然に恵まれる一方で、平成7年の阪神・淡路大震災や平成23年の東日本大震災など、地震や豪雨などの自然災害が相次いで起こっております。このようなとき、両陛下は、現地の救援活動への影響にもお気遣いなさりながら、被災地をお見舞いになり、犠牲になられた方々を悼まれるとともに、被災された方々をお励ましになりました。
 避難所に足を運ばれ、被災された方々を間近で励まされるお姿は、人々の心に深く刻み込まれております。被災地の方々はもとより、どれだけ多くの国民に、明日への勇気と希望を与えてくださったことか。

 また、両陛下は、国内各地はもとより、戦地となった外国にもご訪問され、戦争で亡くなられた方々のご冥福をお祈りされるとともに、平和を祈念してこられました。
 ご即位以来、公式にご訪問された国は、35カ国に上ります。日本と各国との友好親善関係は、両陛下の数々のご活動により、一層深まったものと実感いたしております。
 国内においては、全国47都道府県を二度以上にわたりご訪問になりました。地方ご訪問時、多くの福祉施設をお訪ねになり、人々の声に耳を傾け、寄り添ってこられました。

 30年の長きにわたって、国民に常に寄り添ってこられた両陛下のこうしたお姿を、私たちは決して忘れることはありません。
 本年4月、両陛下はご結婚60年をお迎えになります。皇后陛下とともに仲むつまじく歩んでこられたこの60年。3人のお子さまを育てられ、ご家族の絆を大切にしてこられた両陛下。そのお姿にも、また、私たちは深い敬愛と親しみを抱く次第であります。
 私たちは、これまでの陛下の歩みを胸に刻みながら、激動する国際情勢の中で、希望に満ちあふれ、誇りある日本の輝かしい未来を、創り上げていく決意であります。
 ここに、国民を挙げて、ご在位30年をお祝いし、天皇陛下、皇后陛下のご健康と皇室のご繁栄を心からお祈り申し上げます。
 

天皇陛下ご在位30年

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最近の近隣某国の政治を見ると「積弊清算」とか言って、前大統領を刑務所にブチ込んだり、前政権の全ての努力を否定して、根底からブチ壊しにするような動きに終始しています。
それに比べると、天皇制によって権力と権威を分離し、国内の無用な権力抗争を回避し、政権が交代しても過去の努力の蓄積に継続性を持たせてきた日本人の英知に、改めて感動を覚えます (^_^;)
 
天皇陛下のご在位30年を記念した政府主催の式典が行われるのを前に、天皇、皇后両陛下は24日午前、皇居・宮殿「松の間」で、皇太子ご夫妻をはじめとする皇族方からご在位30年の祝賀を受けられた。
皇太子さまが「ご即位30年、心からお祝い申し上げます」と述べられると、陛下は「どうもありがとう」と応じられた。
この日は皇居・宮内庁庁舎前で、一般からの祝いの記帳受け付けも実施。
午後の式典では、国民代表として、東日本大震災で被災した福島県の内堀雅雄知事と、海外訪問に同行した川口順子元外相が感謝の言葉を述べる。
陛下が読まれた琉歌(沖縄の歌)に皇后さまが曲をつけた「歌声の響」を沖縄県出身の歌手三浦大知さんが披露する。
夜には住まいの皇居・御所で、両陛下が皇太子さまや秋篠宮さま、長女の黒田清子さんら家族と祝いの夕食を共にされる。
 

 

悪夢のような民主党政権

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 民主党政権による超円高政策で
  日本企業は壊滅的な打撃を受けました
 シャープは外国企業に乗っ取られ
  東芝は重要な事業を手放しました
 多くの善良な日本国民が
  失業や倒産で地獄の体験をしました
 忘れられない 悪夢のような体験です  (T_T)
 
安倍晋三首相は10日、都内のホテルで開かれた自民党大会で演説し、春の統一地方選と夏の参院選が重なる「亥(い)年」選挙を前に、前回の亥年選挙で参院選に敗北した経緯に触れ、

「(その後)あの悪夢のような民主党政権が誕生した。

 あの時代に戻すわけにはいかない!」

と、強い口調で呼びかけた。
首相は、第1次安倍政権の時に行われた12年前の亥年選挙を振り返り、

「参院選の惨敗は当時総裁だった私の責任。片時たりとも忘れたことはない。わが党の敗北で政治は安定を失い、決められない政治となり、経済も失速した」

と指摘した。
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「(今回も)厳しい戦いになるが、まなじりを決して戦い抜く。その先頭に立つ決意だ」と述べ、統一地方選についても「力を合わせて勝ち抜こう」と訴えた。

悪夢のような民主党政権の鳩山由紀夫→

野党が「アベノミクス偽装」などと批判している毎月勤労統計の不正については「しっかり徹底的に検証し、再発防止に全力を尽くすことで責任を果たしていく」と短く触れた。
児童虐待については「いまこの瞬間も、虐待が行われているかもしれないという危機感を持ち、根絶に政府を挙げて全力で取り組む」と述べた。
持論の憲法改正に関しては「いよいよ立党以来の悲願である憲法改正に取り組むときが来た」と声を上げ、「憲法にしっかりと自衛隊を明記して、違憲論争に終止符を打とうではないか」と、9条改正実現に意欲を示した。
 

天皇陛下 お言葉

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天皇陛下は28日、国会の開会式に出席し、開会のお言葉を述べられた。

今国会の会期は6月26日までの150日間で、4月末に退位される陛下にとって、最後の開会式となる。

陛下は28日午後1時過ぎ、大島衆院議長の先導でゆっくりとした足取りで参議院の本会議場に入り、

「当面する内外の諸問題に対処するに当たり、

 国権の最高機関として、

 国民の信託に応えることを切に希望します」

と述べられた。

陛下の国会開会式出席は今回で即位後82回目。

皇太子時代にも昭和天皇の臨時代行で4回出席されている。

トキワ荘復元

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 幕末の松下村塾に匹敵する
  偉大な文化遺産だと思います
 藤子不二雄(A)さんが84歳でご存命なので
  リアルな復元が可能かと思います  (^_^;)
 
手塚治虫など日本を代表する漫画家たちがかつて暮らした豊島区南長崎のアパート「トキワ荘」の復元費用に充てる寄付が、依然として絶好調だ。
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寄付総額は、募集開始から1年で目標額3億円まであと一歩の2億7千万円に到達。
復元施設は来年3月22日にオープンすることが正式に決まり、今月15日に着工する。
トキワ荘は、昭和28~36年に日本の漫画の巨匠たちが住み集い、青春時代を過ごした2階建てのアパート。
28年に手塚治虫が入居したのをはじめ、最盛期の30年代には藤子不二雄、石ノ森章太郎、赤塚不二夫らが住み、数々の名作を生み出したが、建物の老朽化により57年に解体された。