現代史

読書 町沢静夫「天才の法則」

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精神科医が過去の天才(政治家、文学者、思想家など)を精神分析する

ニーチェ、リルケ、フロイトという3人の天才に深くかかわった女性ザロメに興味がわいた

ヒトラーやスターリンは明らかに精神病者だが、多くの理性的な人々が、このような精神病者に簡単にダマされてしまった歴史的事実が恐ろしい

習近平や金正恩の精神分析もして欲しい!

((((;゚д゚))))

室井佑月と米山隆一が、結婚~?

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 日本は 中国や北朝鮮とは違って

  自由主義の国でありますから

 両性の同意があるのなら

  好きにしていただければ と思いますけど

 もの好きな人って いるんだねぇ~  (^_^;)

 

室井佑月(50)が、前新潟県知事の米山隆一(52)と近日中に結婚することが9日、分かった。

昨年末から交際していた。

室井佑月は再婚となる。

2人は共通の知人を通じて知り合い、昨年末から交際に発展した。

知人は

「米山隆一が猛アプローチして、室井佑月もそれに応えたそうです」

と明らかにした。

2人は既に周囲に結婚を報告している。

米山隆一は東大卒で弁護士資格と医師免許を持つ。

16年に新潟県知事に初当選し、18年に辞職している。

現在は医師、政治家としての視点から新型コロナウイルスに関してさまざまな発信をしている。

室井佑月は昨年8月に乳がんの手術を受けた。

関係者は「再発の不安を抱えながらの生活の中で、米山隆一から熱烈なプロポーズを受けた。大きな心のよりどころになっているようです」と明らかにした。

 

読書 人間、この未知なるもの

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著者は1873年生まれ、フランスの医学者

1912年、血管縫合および血管と臓器の移植に関する研究でノーベル生理学・医学賞を受賞

前半は生理学をベースに、人間という存在を「総合的に」記述している

総合的にという意味は、人間という複雑きわまりない存在を、各分野の専門家が部分的に詳細に分析し、「群盲が象をなでる」状態になっていることへのアンチテーゼとして、人間存在の全体的なスケッチを描こうとするもの

前半の淡々とした科学的記述に対して、後半は、人間の未来の進歩のために、実に大胆な提言を行っている

人間は厳しい環境と闘ってこそ進歩するという考えに基づき、安全で便利で快適な人工的環境に囲まれて生活する現代人は愚劣化しつつあると主張する

動物の子どもは、生まれるとすぐに母乳の奪い合いなど、自然淘汰の闘いに投げ込まれる

弱者は死に、強い子どもだけが生き残る

人間だけが保育器などによって、この自然淘汰のメカニズムを阻害していると著者は主張する

環境適応できない弱者を文明の力で生き永らえさせるのは、人間の脆弱化、愚劣化につながるという主張は、現代の価値観から見ると、かなり過激に感じられるが、自然淘汰プロセスが生物の種の強靭さや活力を維持する上で欠かせないという厳然たる事実は、簡単には否定できない重みがある

いまからおよそ100年前の、時代精神の一端が感じられる

著者は1944年に71歳で亡くなっている

自然淘汰プロセスの一種とも言える中国コロナ騒動を考えるうえでも、貴重な視点を与えてくれる

(^_^;)

宴会の儀

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天皇陛下の即位後初めてとなる60歳(還暦)の誕生日を祝う「宴会の儀」が23日、皇居・宮殿で行われ、安倍首相ら三権の長、国会議員ら計約450人が出席した。

一般参賀は、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、中止された。

モーニング姿の天皇陛下は午後1時頃、ロングドレス姿の皇后さまとともに宮殿・豊明殿にお入りになり、

「誕生日にあたり、皆さんと祝宴をともにすることを誠にうれしく思います」

と述べられた。安倍首相は、

「天皇皇后両陛下のご健康と皇室のご繁栄を心からお祈り申し上げます」

とあいさつした。

天皇、皇后両陛下と皇族方は、三権の長や国会議員らとともに和やかに会食された。

両陛下は午後3時から、宮殿・春秋の間で「茶会の儀」に臨み、同日夕、お住まいの赤坂御所で長女愛子さま、秋篠宮家の長男悠仁さまからお祝いを受けられる。

夜には、秋篠宮ご一家、妹の黒田清子さん夫妻らとお祝い御膳を囲まれる。

訃報 宍戸錠(ししど・じょう)

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「エースのジョー」の愛称で親しまれ、日活アクション映画などで活躍した俳優の宍戸錠(ししど・じょう)さんが東京都世田谷区の自宅で死去したことが21日、警視庁などへの取材で分かった。
86歳だった。大阪市出身。
警視庁などによると、宍戸さんが死亡しているのが見つかったのは21日未明で、事件性はないという。
日大在学中の1954年、日活の第1期ニューフェイスに合格し、中退して日活に入社。
「警察日記」で本格的に映画デビューした。
頬を膨らませる整形手術をして以降、アクション映画で活躍。
気取ったしぐさが個性となり、小林旭さん主演の「渡り鳥」シリーズなどで欠かせない敵役として人気を得た。

 

歌会始の儀

 

 
新年恒例の「歌会始の儀」が16日、皇居・宮殿「松の間」で催された。
令和となって初めてのお題は「望」。
天皇皇后両陛下や皇族方が詠まれた歌のほか、1万5324首の応募作から選ばれた10人の入選者、天皇陛下に招かれた召人(めしうど)らの歌が古式にのっとった節回しで披露された。
代替わり後初めての開催となった今回は、中央に両陛下がお座りになり、秋篠宮ご夫妻ら皇族方が両側に着席した。
皇后さまが歌会始の儀にご出席なされるのは、療養が始まった2003年以来17年ぶり。
19年に退位された上皇ご夫妻は出席されず、歌の披講もなかった。
天皇陛下は、訪問先の学校や施設で出会った子どもたちの声が響き渡る情景を歌にし、将来が明るくあってほしいと願う気持ちを詠まれた。
皇后さまは自然災害の被災地を訪れた際に、各地で若者たちが献身的にボランティア活動を行い、人々に復興の希望と勇気を与えていることを頼もしく感じたとの思いを詠まれた。
両陛下は即位後の2019年6月、東京都内の保育園に足をお運びになり、子どもたちと交流された。
12月には台風19号の被災地を見舞うため、宮城県丸森町と福島県本宮市をご訪問。
被災者や復興に尽力した人々に励ましの言葉を掛けて回られた。
こうした活動を通じ、両陛下ともに未来を担う世代への希望を歌に込められた。
儀式は午前10時半から始まり、入選者、選者、召人、三笠宮家の寛仁親王妃信子さま、秋篠宮妃紀子さま、秋篠宮さま、皇后さま、陛下の順に披露された。
 
天皇皇后両陛下、皇族方、召人、選者、入選者の歌は次の通り。
 
天皇陛下

学舎(まなびや)に ひびかふ子らの 弾む声 さやけくあれと ひたすら望む

 
皇后陛下

災ひより 立ち上がらむと する人に 若きらの力 希望もたらす

 
秋篠宮さま

祖父宮(おほぢみや)と望みし那須の高処(たかど)より煌めく銀河に心躍らす

秋篠宮妃紀子さま

高台に移れる校舎のきざはしに子らの咲かせし向日葵(ひまはり)望む

秋篠宮家長女眞子さま

望月に月の兎が棲まふかと思ふ心を持ちつぎゆかな

秋篠宮家次女佳子さま

六年間歩きつづけし通学路三笠山(みかさやま)より望みてたどる

常陸宮妃華子さま

ご即位の儀式に望みいにしへの装ひまとひ背(せ)なを正(ただ)せり

三笠宮家寛仁親王妃信子さま

雪襞(ゆきひだ)をさやかに望む富士愛(め)でて平和な御代のはじまりにあふ

三笠宮家彬子さま

言の葉のたゆたふ湖の水際から漕ぎ出ださむと望月の舟

高円宮妃久子さま

サッカーに関はりたれば五輪への出場国をひた待ち望む

高円宮家長女承子さま

初めての展望台にはしやぐ子の父母とつなぎあふ小さな両手

▽召人(敬称略)
栗木京子

観覧車ゆふべの空をめぐりをりこれからかなふ望み灯して

▽選者(敬称略)
篠弘

書き上げし稿(かう)祈りてはファックスす望外なことを近頃はじむ

三枝昂之

丘陵に街に暮らしの歩をとめて人は仰げり望月立てり

永田和宏

なだらかな比叡の肩を照らしつつ昇る幾望(きばう)の、はた既望(きばう)の月

今野寿美

港から汽笛とどけば手にとれる望遠鏡なり蝶々夫人も

内藤明

新しき靴履きて立つ街角にわが望郷の方位をさがす

▽入選者(敬称略)
三重県 森紀子

茶刈機のエンジン音は響(ひび)かひて彼方に望む春の伊勢湾

埼玉県 若山巌

百アールの田圃アートの出来映えを眺望するに櫓を組みぬ

東京都 保立牧子

創薬の望みを託す天空の「きぼう」の軌道に国境はなき

福岡県 石井信男

息を止め望遠鏡で本物の土星の環を見た夏の校庭

福岡県 粟屋融子

ランドセルは海渡りゆくアフガンの子らの希望を抱き留むるため

長崎県 柴山与志朗

望(もち)の日は漁師の父が家にゐて家族四人で夕餉を囲む

山形県 村上秀夫

それぞれに月傾けて子どもらは墨くろぐろと「望」の字を書く

神奈川県 森教子

今よりも人々の文字うつくしき平和を望む戦時下の日記

大阪府 土田真弓

眺望はどうだ晩夏に鳴く蝉を咥へて高く高く飛ぶ鳥

新潟県 篠田朱里

助手席で進路希望を話す時母は静かにラジオを消した

 

2021年のお題は「
宮内庁は2021年の歌会始のお題を「実」とし、応募要領を発表した。
応募する歌は未発表の自作とし、1人1首。歌に「実」の文字が詠み込まれていればよく、「実験」「果実」のような熟語や、「実る」といった訓読でもよい。
半紙を横長に使い、右半分にお題と短歌、左半分に郵便番号、住所、電話番号、氏名(本名、ふりがな)、生年月日、性別、職業を毛筆で縦書きする。
海外からの応募は用紙、筆記具とも自由(用紙サイズは縦24センチ、横33センチ)。
病気や障害で自筆できない場合は代筆やパソコンによる印字でもよく、別紙に理由と代筆者の住所、氏名を添える。点字も受け付ける。
9月30日の消印まで有効。
宛先は「〒100-8111 宮内庁」。
封筒に「詠進歌」と書く。

 

羽田空港

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 羽田空港は都心から近くて とても便利です
  不便な成田空港は 貨物専用空港にして
 旅客は羽田に 集約して欲しいです  (^_^;)
 
東京・羽田空港。
展望デッキの目の前をさまざまな飛行機が轟音(ごうおん)を響かせ飛び立っていく。
方角は同じでも、それぞれ違った軌道を描き、風に翼を乗せていった。
羽田空港の歴史は1931(昭和6)年、53ヘクタールの敷地に1本の滑走路を敷いた「東京飛行場」から始まる。
戦後、米軍に接収されるなどしたが55(昭和30)年に空港ターミナルがオープン。
そして、日本の経済成長、人口増加に合わせ拡張と再開発を重ねてきた。
海外渡航の自由化、ビートルズ来日、ジャンボ初飛行…。
羽田空港はエポックメーキングな出来事の舞台となった。
今や約1500ヘクタールの敷地に3つの旅客ターミナル、4本の滑走路を備え、面積、発着回数、乗降客数いずれも日本最大の空港だ。
国内、国際線を合わせて1日に計約1200回の発着が行われる
朝から夕方まで離着陸する航空機を撮影した。
空気が澄んだ日、午前8時半から午後5時まで、羽田空港の滑走路を離着陸した計70機を、三脚を据えて撮影した。
すべて同じ画角で撮った機体を、その軌道上で1機につき1枚切り抜いて合成してみた。
するとそこには、大空を埋め尽くさんばかりに混雑する首都の玄関口の姿が現れた。
2020年夏、選手や観客がこの空港に降り立ち、東京五輪・パラリンピックへの熱い第一歩を踏み出していく。
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▲1972(昭和47)年の羽田空港

 

雅子さまと黒田清子さん

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 世間的に言えば「嫁と小姑」。清子さんは生まれてからずっと皇室育ち、雅子さまはアメリカ育ちで、バリバリの元キャリアウーマン。ほとんど水と油。皇室の方々だって人間ですから、いろいろあったのかも  (^_^;)
 
11月22、23日と、天皇皇后両陛下は即位に関する一連の儀式を終えたことを伊勢神宮に奉告する「親謁の儀」に臨まれた。
この重要な皇室の行事で、両陛下とともに大役を務めたのが、天皇陛下の妹で伊勢神宮祭主の黒田清子さんだった。
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伊勢神宮を長年取材してきた文筆家の千種清美さんは、親謁の儀に臨んだ清子さんの様子についてこう語る。

「祭主さまは両陛下より早く伊勢にいらっしゃっていました。両陛下が神宮に到着された21日の夜は、両陛下がお泊まりになった内宮の行在所で大宮司、小宮司とともにお迎えになりました。内宮ご参拝後には、両陛下と食事をされたかもしれません」

前出の皇室担当記者は、21日の夜に注目する。

「ご一緒にひとときを過ごされた雅子さまと清子さんにとっては、いわば“和解の夜”になったのではないでしょうか。雅子さまが療養に入られる’03年12月以前から、関係者の間ではお二人の“不和”が囁かれていましたから」

皇室ジャーナリストの渡邉みどりさんもこう話す。

「天皇家に入った“嫁”である雅子さまには、公務でご多忙だった美智子さまに代わり、“小姑”である清子さんが折に触れ、皇室のしきたりや所作などをアドバイスしていたそうです。つまり雅子さまにとって清子さんは恩人ともいえるのですが、あるときを境に円滑なコミュニケーションがなくなってしまったと聞きました」

陛下と雅子さまのご結婚直前だった’93年4月、清子さんは24歳の誕生日に際しての文書回答で、雅子さまについてこう記していた。

《まだゆっくりとお話をする機会はございませんが、自分をしっかりと持っていらっしゃり、ユーモアのある楽しい方のように拝見しております》

義理の姉がやってくることを楽しみにする気持ちが伝わってくる。
ところが雅子さまが療養に入られて以降2005年頃から、雅子さまと清子さんの不和を象徴するような“事件”が次々と報道された。

「山階鳥類研究所に勤務し、バードバンダー(鳥類標識調査員)の資格も持つ清子さんは、研究のために赤坂御用地でカワセミの調査をしていました。早朝からの調査なので、何度か天皇陛下と雅子さまが住む赤坂東宮御所(当時)に泊まらせてもらっていたそうですが、あるときから宿泊の許可が下りなくなったという話を耳にしたことがあります」(前出・渡邉さん)

『週刊文春』(’05年12月29日号)によると、その後、清子さんは秋篠宮邸への宿泊を希望し、「いつでもどうぞ」と歓迎してくれた紀子さまと接近していったという。
また、翌年の『週刊ポスト』(’06年3月3日号)にはこんな記事が載った。
事件が起こったのは両陛下のご結婚3年目の’96年だという。
美智子さまと清子さんが御所でお菓子作りをされたとき、紀子さまは「ご一緒に」と呼ばれたのだが、雅子さまにはお声がかからなかったというのだ。

「チーズケーキ作りがお得意の雅子さまをお呼びにならないのは、いかにも不自然という声も上がりました」(宮内庁関係者)

20年以上も前から、雅子さまと清子さんの間には“緊張関係”があったのかもしれない。
清子さんが伊勢神宮の祭主に就任したのは’17年のこと。“退位特例法”が国会で可決された直後のことだった。

「当時は、次の皇后となられる雅子さまがご公務、特に祭祀へのご出席が難しく、御代替わりへの不安が大きかったのです。伊勢神宮祭主となれば、少なくとも年間30日は伊勢に滞在する必要があり、夫の黒田さんにも負担を強いることになります。それでも清子さんが引き受けたのは、皇室の外から新天皇を支えてほしいという美智子さまの強い願いがあったからなのです」(皇室ジャーナリスト)

一方、今年5月に皇后となられた雅子さまは、5月8日の「期日奉告の儀」、10月22日の「即位礼正殿の儀」、11月14日からの「大嘗宮の儀」、そして、今回の「親謁の儀」と、陛下の即位に関連した大きな宮中行事すべてに出席されている。

「御代替わり後、雅子さまは素晴らしい活躍をされています。目を見張るほどのご回復ぶりといっても過言ではないでしょう。皇室への思いの強さは、雅子さまも清子さんも同じです。宮中祭祀にも真摯に取り組む雅子さまのお姿が、皇室の祭祀を担う清子さんの心を動かしたのでしょう。長年のわだかまりは氷解して、お二人の間に“新しい絆”が生まれたのではないでしょうか」(皇室担当記者)

 

天皇皇后両陛下 伊勢神宮ご参拝


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 皇后陛下雅子さまが「お若い」と話題です
  最近はご表情も明るくなられたようで
 とても喜ばしいことだと思います  (^_^;)
 
天皇皇后両陛下は、「即位の礼」と「大嘗祭(だいじょうさい)」が終わったことを伝える儀式として伊勢神宮に参拝するため、21日から三重県を訪問されています。
両陛下が伊勢神宮を参拝されるのは、天皇陛下のご即位後、初めてです。
両陛下は、21日午後0時半前に、JR東京駅の貴賓玄関に到着されました。
両陛下は東海道新幹線のホームで、見送りに来た山東参議院議長などからあいさつを受け、にこやかな表情で一人ひとりとことばを交わし、臨時の専用列車に乗り込まれました。
両陛下が伊勢神宮を参拝されるのは、天皇陛下の即位後、初めてで、歴代天皇に伝わる三種の神器の剣と曲玉が持ち出され、側近の職員によって、列車の中に持ち込まれました。
両陛下は名古屋駅で私鉄の専用列車に乗り換え、午後4時半前に三重県伊勢市の近鉄宇治山田駅に到着されました。
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駅前では詰めかけた大勢の人たちから大きな歓声があがり、両陛下は、笑顔で手を振って車に乗り込まれると、歓迎にこたえながら宿泊先の伊勢神宮の内宮(ないくう)に向かわれました。
沿道では薄暗い中、子どもからお年寄りまで1万人を超える人たちが、手や小旗を振って歓迎し、両陛下の車列は、スピードを落として集まった人たちの前をゆっくりと進んでいました。
両陛下は、午後5時すぎに内宮に到着され、入り口にある宇治橋を車でお渡りになって、宿泊先の行在所(あんざいしょ)に入られました。
行在所では、天皇陛下の妹で伊勢神宮の主な祭りをつかさどる「祭主(さいしゅ)」を務める黒田清子さんらがお出迎えしたということです。
両陛下は22日は伊勢神宮の外宮に、23日は皇室の祖先とされる「天照大神」をまつる内宮にそれぞれ参拝し、「即位の礼」や「大嘗祭」が終わったことを伝えられる予定です。
天皇皇后両陛下を歓迎しようと、伊勢神宮内宮近くのおはらい町では、ちょうちん行列が行われました。
ちょうちん行列は、伊勢市や地元の商工団体などで作る委員会が企画し、およそ2000人の参加者は、21日午後6時半すぎから高さ20センチほどの赤と白のちょうちんを受け取り、道いっぱいに並んでゆっくりと、おはらい町を歩き始めました。
いくつものちょうちんの明かりが揺れる中、参加者は宇治橋に向かって歩いていました。
ことし4月に今の上皇さまと上皇后さまが三重県を訪問されたことを歓迎するために行われたちょうちん行列では、ちょうちんにろうそくが使われていましたが、委員会によりますと、今回は安全対策としてLEDライトを点灯させているということです。
伊勢市の40代の男性は

「昭和、平成、令和と時代の流れを感じながら行列に参加しました。

 令和の時代が明るい時代になってほしいです」

と話していました。

▲現在の上皇さまと上皇后さまを歓迎するちょうちん行列

ことし4月に三重県にて

 

大饗の儀

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 日本人に生まれて良かった!
    令和の御代が
 ステキな時代になりますように  (^_^;)
 
天皇陛下が大嘗祭(だいじょうさい)の中心的儀式「大嘗宮の儀」(だいじょうきゅうのぎ)(14、15日)への参列者を招いてもてなされる饗宴(きょうえん)「大饗の儀」(だいきょうのぎ)が16日、皇居・宮殿「豊明殿(ほうめいでん)」で行われた。
安倍晋三首相や三権の長ら約290人が参加。
皇后さまと秋篠宮ご夫妻をはじめとする皇族方も臨席された。
陛下は正午ごろ、三種の神器のうち剣と璽(勾玉)をささげ持った侍従らと共に会場に入り

「大嘗宮の儀を終え、皆さんをお招きし、

 大饗を催すことを誠にうれしく思います」

とあいさつをされた。
豊明殿では天皇、皇后両陛下のお席の後ろの壁に、大正・昭和・平成の大饗の儀でも飾られた「錦軟障」(にしきのぜじょう)と呼ばれる長さ約9・3メートルの墨絵を配置。
左右の壁には、大嘗宮の儀に米を納めた悠紀(ゆき)地方(栃木県)の那須連山や男体山、主基(すき)地方(京都府)の嵐山や天橋立などの四季の風景と、関連する和歌が描かれた屏風(びょうぶ)が立てられた。
饗宴中は両地方の風俗舞も演じられた。
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参列者の献立は鯛のお造りと尾頭付きなど。
朱塗りの「御台盤」(おだいばん)と呼ばれる両陛下の御膳には、参列者の献立に加えて蒸しアワビなどが並んだ。
大饗の儀は18日も行われる。