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思い出横丁

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 この横丁には

  「鳥園」という焼鳥屋がありまして

 ときどき行くことがあります

  (^_^;)

 

どんどん街並みが変わるメガシティ東京。

ここにきて、新宿西口も再開発されるとの報道が。

小田急百貨店が建つ駅西口から、駅南口の「新宿ミロード」までの細長い地区が対象となっていて、2029年には地上48階建ての高層ビルに建て替わる予定とか。

計画しているのは東京メトロと小田急電鉄で、現在は、

「近隣住民の方々にご説明し、ご理解をいただいている段階」

 (小田急電鉄)

つまりまだ正式な決定ではないというが、気になるのは再開発地域の先にある「新宿西口思い出横丁」の行方。

通称「しょんべん横丁」として親しまれているこの地域の歴史は、戦後の闇市に遡る。

日本の情緒を安く味わえると、最近は外国人観光客からも人気だ。

新宿大ガード脇の約2千平方メートルの地域に約80軒もの店がひしめき、1999年には横丁の半分近くを焼く火災があるなど、何度も存続が危ぶまれてきた。

ビル化の話も持ち上がり、03年には地権者たちによる「新宿駅西口地区市街地再開発準備組合」も立ち上がって、多くの店が賛成したと言われたが……。

「『組合』も意見がまとまらず頓挫しました。『思い出横丁』の再開発は、

 行政庁および一般企業を含めまして、俎上に載ることはありません。

 以来、再開発の話は皆無となっております」(新宿西口商店街振興組合)

どうやら、しょんべん横丁はこのまま残るようだ。

「あの存在は現代の奇跡」

とは居酒屋関連の著作も多いライターの大竹聡氏。

「闇市的な雰囲気で多数の店が集まる場所は、すでに大阪や名古屋にはなく、長崎の銅座など日本国内でも数カ所だけ。あの地域の空中権はすごい価値ですから、バブルの時代にもビル化などされずよくぞ生き残ってきたものです。権利関係が複雑なのが、かえって幸いしているんですね」

昭和の名残、いつまで。

 

読書 闇の修験道

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日本の多くの山は、山伏による修験道の修行の場となっている

この修験道(しゅげんどう)とは何だろうか?

筆者は古代史関係の多くの本を書いている歴史作家で、本書では、この修験道の謎に挑んでいる

筆者によると、日本には縄文時代から続くアニミズム信仰があったが、仏教の流入に刺激されて、7~8世紀ころに上からの官製神道として、中臣神道が形成されてゆく

天智天皇派の中臣(藤原)鎌足と息子の藤原不比等が宮廷(天皇家)を実質支配し、自分たちに都合良く、歴史(日本書紀)と宗教(中臣神道)をまとめていく

この中臣神道からこぼれおちた、従来からの日本古来の信仰が、修験道になったという

このような経緯から、修験道の勢力は反藤原となり、さらに反権力となったので、時の権力者からは敵視されることが多く、「」と呼ばれるようになる

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はるか後の世の、明治維新による廃仏毀釈の真のターゲットは、仏教ではなく修験道だったと言う

藤原氏の権力奪取によって、これまで天皇家を支えてきた旧勢力は疎外され滅ぼされていくが、その残党は壬申の乱で一時復権し、やがてまた藤原氏が権力を奪い返す

こうして平安時代は、藤原氏と反藤原による権力闘争の場となる

その後の日本史の動乱の中で、修験道の勢力は常に、反権力の立場で歴史に関わってくる

著者は、藤原氏こそ日本史最大の悪党と考えているようだ

(^_^;)

 

 

読書 「おかげまいり」と「ええじゃないか」

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おかげまいり」は、江戸時代に起こった伊勢神宮への集団参詣

数百万人規模のものが、およそ60年周期(「おかげ年」と言う)に3回起こった

ええじゃないか」は、特に最後の回(慶応3年・1867年)で発生した集団乱舞だが、これは明治元年の前年

著者は1912年生まれの京大出身の歴史学者なのだが、ガチガチのマルクス教信者のようで、階級闘争に結びつかないと価値を認めないようなところがあり、本書が刊行された1968年ころの時代精神(70年安保闘争のころ)が伝わって来る

観光旅行など多くの人には夢のような話だった江戸時代に、伊勢神宮めざして数百万人規模で「民族大移動」をしたという事実に驚く

伊勢神宮の近隣はもとより、遠く九州や東北地方からも、みんな歩いて伊勢をめざした

当時の人口(3000万人くらい)を考えると、長距離を歩ける者の3人に1人くらいが、民族大移動に参加したことになる

60年周期とすると、1867年の次は1927年(昭和2年)で、この時は金融恐慌など社会不安は大きかったが、「おかげまいり」は起きなかった

しかし、少し後に満州事変が起きて日中戦争に突入していくが、このころ日本軍は連戦連勝で、大日本帝国の支配地が広がることに熱狂している国民も少なくなかった

その次は1987年(昭和62年)で、バブルの真っただ中、日本中が狂喜乱舞した時代

さらに次は2047年ですけど、それまで生きてるかな~?

(^_^;)

 

▲伊勢神宮

 

映画「ええじゃないか」

 

▲バブルのころのジュリアナ東京

お姉さんたち 今は還暦くらい?  (^_^;)

 

▲最近の伊勢神宮への集団参詣

 

札幌のレッサーパンダ

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 いまや動物界において

  カワイイと言えばスナネコ!

 に決まりなんですけど

  レッサーパンダもカワイイ!  (^_^;)

 

リニアを掘る

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  どんな岩盤でも切り崩して進む

   トンネル掘削機シールドマシンですが

 「静岡県」という非常に硬い岩盤

   には歯が立たないようです  (^_^;)

 

東京の地下およそ80mの地点で、「ドリル新幹線」の組み立てが始まりました。

品川駅の南側にいま、直径およそ30m、深さ約80mという巨大な穴が開いています。

JR東海が進めているリニア中央新幹線の建設拠点のひとつで、その開業後は非常口などになる「北品川非常口」です。

リニア中央新幹線は、起点の品川駅から、橋本駅(神奈川県相模原市)付近に建設される次の神奈川県駅(仮称)まで、全区間が地下深くを行く長さ36.9kmもの「第一首都圏トンネル」になっています。

この「第一首都圏トンネル」を掘削すべく、JR東海は現在、北品川の深く巨大な穴の底でトンネル掘削機「シールドマシン」を組み立て中。

7/21には、マシン先端に装備されるパーツ、無数の刃で岩盤を削っていく「カッターヘッド」が、穴の底へ降ろされました。

この地下深くで組み立てられたシールドマシンが、カッターヘッドをドリルのように回転させ、地中を水平方向に掘っていくことで、第一首都圏トンネルが造られていきます。

なお、分かりやすいよう「ドリルのように」と表現しましたが、カッターヘッドは尖っておらず、直径14mの巨大な円盤状で、約300トンもの重量があります。

巨大なため、穴の底には4分割して降ろされました。

この北品川非常口(北品川工区)で組み立てられているシールドマシンは、36.9kmある第一首都圏トンネルの全区間を掘削するわけではなく、まず北品川非常口から等々力非常口(川崎市中原区)までの8.2km、続いて北品川非常口から品川駅までの1.0kmが掘削担当区間です。

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リニア中央新幹線の建設では複数のシールドマシンが稼働し、トンネルを掘削していきます。

なお、この工区の建設は静岡県を通らないので、何の問題もなく、予定通りに進んでいるとのこと。

静岡県知事・川勝平太

デザインも、このシールドマシンのポイントです。

白色のボディ、青色のカッターヘッド、新幹線車両をイメージしたそうです。

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▲新幹線車両がイメージされた北品川工区のシールドマシン

このシールドマシンの掘削速度は、1日で在来線車両1両分の20m、日によっては新幹線車両1両分の25mを考えているとのこと。

月あたりでは、16両編成の東海道新幹線の長さに相当する400mの掘削を計画しているといいます。

なお、この北品川非常口があるのは、初の新幹線である「東海道新幹線」と、初の在来線である「東海道線」、そして「日本の鉄道の父」と呼ばれる井上 勝(1843~1910)が眠る東海寺大山墓地に囲まれた場所。

そこから2021年度初頭、この「ドリル新幹線」が、初の超電導リニア路線「中央新幹線」のトンネルを掘り始める予定です。

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梅雨明け

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 いよいよ ニッポンの夏

  始まりますねー  (;^_^;;;)

 

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しゃぶしゃぶ店で爆発

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 ミサイルの爆撃を受けたみたいですね

  プロパンガスのボンベというのは

 家の中に爆弾を置いてるようなものかも  ((((;゚д゚))))

 

7/30午前8時55分頃、福島県郡山市島で

「爆発音がして、建物のガラスが割れている!」

と通行人から119番通報があった。

福島県警や消防によると、

飲食チェーン「しゃぶしゃぶ温野菜郡山新さくら通り店

で爆発があり、店内にいたとみられる男性1人の遺体が、がれきの中から見つかった。

このほか、通行人らも巻き込まれて救急搬送され、少なくとも40歳代の女性2人が重傷、16人が軽傷。

店は外壁が吹き飛んで鉄骨がむき出しとなり、現場から数百メートルの範囲で、建物の窓ガラスが割れるなどした。

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▲骨組みだけになった、しゃぶしゃぶ温野菜・郡山新さくら通り店

福島県警などによると、店が使用していたプロパンガス6本のうち、爆発後も3本からガスが漏れており、福島県警は爆発した当時の状況を調べている。

店は新型コロナウイルスの影響により長期休業中で、改装工事を行い、31日から再オープンする予定だった。

店内で改装作業にあたっていた50歳代男性と連絡が取れていないという。

現場はJR郡山駅から西約3・5キロの市街地で、周辺には住宅や店舗などが並んでいるほか、女子大や付属幼稚園なども立地している。

 

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爆発のひどさから言って、営業中だったら

大量の死者が出たかも  ((((;゚д゚))))

 

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駆け込み寺を歩く

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私はキンキン冷たいビールが好きなので、どこのお店でも、グラスに氷をもらいます。

昨日、かっぱ寿司の逗子店でビンビールを飲み、グラスに氷をお願いしたら、次のビンビールを頼んだ時、言わなくても別なグラスに氷を入れて添えてくれました。

なかなか良く気が付く、素晴らしいサービスだなぁと感心しました。

(^_^;)

 

詳細はここをクリック

 

読書 夜這いの民俗学

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他に娯楽の少ない田舎や、都会で働く下層民にとって、昭和の初めころまで、夜這い(よばい)はごくごく普通の生活習慣だった

田舎の村で、一人の男(女)が村のほとんどの女(男)と関係していることなど、さほど珍しいことではなかった

商店では、番頭や手代、丁稚が、店の奥にいる女中に手を出すのは日常的だった

21世紀のいま読むと「ほんまかいな?」という赤裸々な話が続き、現代の日本人が抑圧している性欲が、実に大らかに、大っぴらに開放され、繰り広げられている

現代のオフィスラブなどとは次元の異なる、底抜けの自由奔放さだ

江戸時代からの儒教道徳などは、一部の武士階級だけに通用していたタテマエに過ぎなかったことがよく分かる

いまの世の中は、人間の根源的な楽しみである性が抑圧され、その反動として膨大な種類の娯楽が生み出されたのではないか?という逆説さえ感じる

著者は1909年生まれで、関西の田舎で生まれ育ち、大阪で丁稚奉公などいろいろな仕事を経験しながら、なぜか民俗学的な興味に取りつかれ、ひたすら体験し記録した

正統派民俗学の柳田國男には反発し、性とやくざと天皇を話題にしていないとして厳しく批判している

学者風に話を抽象化したり一般原則を導き出したりせず、ひたすら事実を延々と記述しており、非常にリアリティがあって面白い

今となっては、ほぼ消えてしまった古き良き時代?の、極めて貴重な記録である

(^_^;)

 

錦帯橋健太

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 高校生ならともかく

  40歳にもなって 馬鹿なの~?

 これからは錦帯橋健太

  改名するといいよ!  (^_^;)

 

山口県岩国市にある国の名勝「錦帯橋(きんたいきょう)」にバイクで侵入し、橋を傷つけたとして、山口県警は21日、岩国市南岩国町2丁目、建設作業員の船橋健太(40)を文化財保護法違反の疑いで逮捕し、発表した。

船橋健太は容疑を認めているという。

岩国署によると、船橋健太は17日午後6時40分ごろ、錦帯橋を400ccのバイクで走行し、橋板の広範囲にタイヤ痕を付けるなどして名勝を傷つけた疑いがある。

錦帯橋は5連アーチの木造橋で知られる。

岩国市によると、550枚の橋板のうち、322枚にタイヤ痕があった。

錦帯橋はバイクや自転車の乗り入れは禁止されている。

署が橋周辺の防犯カメラを調べるなどしていたところ、20日午後1時ごろに船橋健太が1人で署に出頭した。

「錦帯橋をバイクで走り、傷つけたことに間違いありません。

 申し訳ないことをして反省しています」

と話しているという。