タワーレコード新宿店のアニメ担当バイヤー・樋口翔さんが、アニソンの売れ筋や販売現場の生の声をお伝えする「新宿アニソンスコープ」。
洋楽の聖地 として知られるタワレコの中で、アニソンが充実し、巨大なPOPの展示やインストアライブを開くなど業界が注目する新宿店の18~24日の1位は、
歌手の LiSAさんのミニアルバム「LUCKY Hi FiVE!」だった。 続きを読む
40【カルチャー】
なつテレ「鉄人28号」
1963年10月~1966年5月 フジテレビ系列で放送
操縦者は少年探偵 金田正太郎 (^_^;)
なつテレ「ものしり博士」
1961年4月~1969年4月 NHK総合テレビで週1回放送
ケペル先生の動画は 見つかりませんでしたが
このテーマソングは 耳に焼き付いています
あれからはや半世紀 還暦を目前にしておりますが
何でもカンでも やってみよう~♪ とは思っています (^_^;)
なつテレ「お笑い三人組」
1956年11月~1966年3月 NHKテレビ放送
「あまから横丁」の ドタバタ喜劇
番組の最後に 三人がテーマソングを歌います (^_^;)
なつテレ「鉄腕アトム」
1963年(昭和38年)から1966年(昭和41年)にかけてフジテレビ系で放映
手塚治虫の代表作 日本を代表する漫画キャラ 高田馬場の駅メロ
設定で アトムの誕生日は2003年4月7日 いま13歳です
アトムの電子頭脳の記憶容量は 15兆8000億ビット(約1.7テラバイト)
現在、2.0テラバイトのハードディスク 6700円くらいです
日本人をロボット好きにして 産業ロボット普及に貢献しました (^_^;)
←ソフトバンクのロボット 「Pepper」
なつテレ「アタックNo.1」
ユーチューブよりサーバーがショボいのか、表示に少し時間かかります
1969年12月~1971年11月、フジテレビ系列で放映
「サインはV」と並ぶ二大バレーボール漫画
日本中にバレーボールブームが起きました
平均視聴率19.9%、最高27.1%で大成功
「だけど涙が出ちゃう、女の子だもん」は大流行 (^_^;)
なつテレ「ブーフーウー」
1960年9月~1967年3月 NHK「おかあさんといっしょ」で放映
3匹の子ブタたちは メキシコに住んでいる という設定
ブーの声は ドラえもんの大山のぶ代 ウーの声は黒柳徹子
「おかあさんといっしょ」は 今も続いてる 超長寿番組
この頃 60年安保で 全学連が大暴れしていました (^_^;)
この動画に出ている 社会党の浅沼委員長は
この1年ほどあとに 刺し殺されました (;´Д`)
なつテレ「スーパージェッター」
1965年1月から1966年1月までTBS系列で放送
30世紀のタイムパトロールであるジェッター
周囲の時間を30秒だけ止められる タイムストッパー
←これは航空会社ジェットスターのアイドル ジェッ太 (^_^;)
迎賓館 一般公開
浮世絵・水彩画に見る新宿風景展
新宿区立新宿歴史博物館所蔵の浮世絵、水彩画など、退色を避けるために公開の機会が少ない約80点を展示している。
江戸時代、現在の新宿御苑周辺が甲州街道の宿場町だった。
そのにぎわいは浮世絵師・歌川広重が馬の脚と“名物”の馬ふんを強調した構図で「名所江戸百景 四ツ谷内藤新宿」で表現した。
関東大震災後、焼失した下町から東京西部へ人々が移住し、新宿駅周辺が繁華街に。
芸術家を支援していた老舗飲食店の中村屋は、かくまっていたインド民族運動の指導者ラス・ビハリ・ボースから本場のインドカレーを伝授され、名物料理にした。
中村屋サロン美術館の太田美喜子学芸員によると、日中戦争が始まり、物資が不足した1940年、少量のカレーを分けて、多くの人に食べてもらおうと中村屋 が考案したのが「カリーパン」。
新宿を愛した画家堀潔が中村屋を描いた40年の水彩画には店頭に並ぶ行列が描かれている。
「カレーパンを求めてできた行列 かもしれません」と太田さんは話す。
新宿駅の乗降客数が日本一になった31年、軽演劇の小劇場「ムーランルージュ」が開場。
都会感覚のしゃれた風刺喜劇が売り物で、益田喜頓、森繁久弥、由利徹なども舞台に立った。
堀の41年の作品には、ムーランルージュの赤いネオンやかつての新宿武蔵野館も描かれている。