メンタルヘルス

読書 創造の心理

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大学時代に半年ほど、著者・穐山貞登先生の心理学研究室に毎週1回通った時期がありました

教養課程の授業で、学生はわずか4人、毎回テーマを決めて90分くらいディスカッション

穐山先生と研究室の助手さんが議論に耳を傾け、ときどき短いコメントを挟む程度

なつかしい思い出ですが、すでに19年前に穐山先生はご他界、ツン読だった本書も絶版になっていました

本書は、主に天才の創造活動に関する心理学などの諸研究を網羅(1962年現在)してあります

延々と学説を、広く浅く羅列してある感じで、少々退屈

今回も飛ばし読みになってしまいました

(^_^;)

 

読書 創造の心理と秘密

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本書には「秘密」と言うほど大したことは書いてないですが、天才のエピソードがいろいろ出てきます

子どもが成長して社会に適応してゆくプロセスを、日本では「大人になる」と言います

これは「おとなしくなる」が語源との説もあります

つまり自己主張が弱くなって、よく言えば「丸くなる」、悪く言えば「詰まらない人間になる」

大人になるのは、創造性を失うプロセス、という側面があるようです

たしかに天才と呼ばれる人には、どこか子供っぽいところを濃厚に残している人が多い

ただし、子供っぽい人が天才とは限りません

(^_^;)

 

室井佑月と米山隆一が、結婚~?

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 日本は 中国や北朝鮮とは違って

  自由主義の国でありますから

 両性の同意があるのなら

  好きにしていただければ と思いますけど

 もの好きな人って いるんだねぇ~  (^_^;)

 

室井佑月(50)が、前新潟県知事の米山隆一(52)と近日中に結婚することが9日、分かった。

昨年末から交際していた。

室井佑月は再婚となる。

2人は共通の知人を通じて知り合い、昨年末から交際に発展した。

知人は

「米山隆一が猛アプローチして、室井佑月もそれに応えたそうです」

と明らかにした。

2人は既に周囲に結婚を報告している。

米山隆一は東大卒で弁護士資格と医師免許を持つ。

16年に新潟県知事に初当選し、18年に辞職している。

現在は医師、政治家としての視点から新型コロナウイルスに関してさまざまな発信をしている。

室井佑月は昨年8月に乳がんの手術を受けた。

関係者は「再発の不安を抱えながらの生活の中で、米山隆一から熱烈なプロポーズを受けた。大きな心のよりどころになっているようです」と明らかにした。

 

読書 天才の心理学

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約百年前に書かれた天才論の古典です

彼の3気質説(いわゆるヤセ・デブ・筋肉)を駆使して天才を分析し尽くしています

著者自身が天才と言ってよいので、非常に洞察が深い

天才は社会適応能力を犠牲にして、限定された領域において、その才能を開花させる

その非常に極端な形が、サヴァン症候群でしょうか

特に天才の典型としてのゲーテ、その家系における精神病の惨状には戦慄を覚えます

(^_^;)

男は弱いよ 金ピカ先生

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派手な格好で羽振りのいいイメージが強かった「金ピカ先生」が孤独死したというニュースは、日本中に衝撃を与えた。
それは、多くの人にとって彼の死に様が他人事に思えぬものだったからに他ならない。

話が嚙み合わない

「ハァ、ハァ、ハァ……早く死にたい」
8月下旬のまだ暑い日、本誌は生前の「金ピカ先生」こと佐藤忠志さん(享年68)を取材し、9月7日号の特集でその変わり果てた姿を伝えていた。
かつて築いた財産をすべて使い果たし、生活保護と、週に2回のデイケアサービスだけを頼りに生きていた佐藤さんの家は電気もガスも止められ、熱気がこもる寝室には、異臭が充満していた。
骨と皮だけのようになった身体にパンツ一枚の姿で、ガラス玉のような両目は、遠くを見つめたまま動かない。
口にするのは近所のコンビニで売られている格安のカップ焼酎と、タバコだけ。息も絶え絶えの様子で焼酎をあおり、ゴホゴホとむせる。
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「山城(新伍)、梅宮(辰夫)、(菅原)文太、あの頃の東映ヤクザ映画は楽しかったですね……」
頭がもうろうとしているのだろう。予備校講師時代の思い出を尋ねても、会話が嚙み合わない。
取材中、佐藤さんの口をつくのは「自分は生きる屍」「何にも関心がない」「早く死にたい」という、絶望に支配された人間の言葉ばかりだった。
そして、この取材からわずか1ヵ月足らずで、佐藤さんは誰にも看取られることなく、たった独りでこの世を去った―。
バブル期に一世を風靡し、最盛期には年間2億円とも言われる収入を得ていた佐藤さんは、なぜこれほどまでにも哀しく、孤独な最期を迎えなければならなかったのか。
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佐藤さんは、’90年代前半にはすでに講師を引退。その後は、知名度を活かしてタレントとして生活していたが、ブームはあっという間に過ぎ去り、収入は講師時代の100分の1以下に。
それでも、かつては毎日のように高級ホテルで食事をし、地方への移動も常にファーストクラスだった佐藤さんの放蕩ぶりは一向に収まらなかった。
「貯金はあっという間に減っていきましたが、決定打になったのは、なけなしのおカネを元手に出馬した’01年の参議院選挙でした。自民党から出馬したものの、落選してしまった」(佐藤さんの友人)
穴埋めのため、予備校講師時代に建てた「豪邸」も売り払った佐藤さんが、中野区内にある実家に妻と共に越してきたのは、いまから5年ほど前のことだった。
「もともと、あの家には佐藤さんの母親が住んでいました。お母さんはハデな人で、ヒラヒラのフリル傘を片手に真っ赤な帽子をかぶったりしていて、佐藤さんの独特のファッションセンスは母譲りだったと思います。
そんな母親が亡くなって間もなく、佐藤さんと奥様が引っ越してきた。あの頃はまだ元気で、『いくらの時計を買った』とか『収入がウン千万円あった』とか、昔の自慢話をよくしていました。でも奥様は常識人でね。いつも腰が低い人だった」(近隣住民)

そして妻は去った…

金遣いの荒さは「金ピカ先生」の異名どおりだった佐藤さんだが、人柄については見た目とは裏腹に穏やかで、人を怒鳴るようなことは一切なかったという。
そして、周囲の人が口をそろえるのは、「人一倍仲の良い夫婦だった」ということだ。
「先生は温泉が大好きで、羽振りの良かった時代はいつも夫婦で伊豆や箱根に出かけていた。そういう旅行も、外食するときも、先生は絶対に奥さんを連れていました。
奥さんはお嬢様育ちで、実家は相撲部屋の後援会会長をしていたほど。先生とは対照的に常に地味な服装で、とても出来た人でした。旦那さんを常に立てていて『うちの佐藤がすみません』というのが口癖でした。
先生はおカネの管理がまったくできない人なので、カネ回りの世話は奥さんがぜんぶやってあげていました。誰かとご飯を食べるときはいつも先生の奢りなので、奥さんの鞄には100万円の束が入っていた。
先生が、講師を辞めてあまりおカネがなくなってからも、奥さんが先生のもとを離れることはありませんでした。10年ほど前に先生が脳梗塞で倒れた直後も、奥様は献身的に世話をして、きっちり断酒を成功させていました」(前出・佐藤さんの友人)
仕事以外のことはまるで何もできない夫と、半歩後ろを歩きながら身の回りを甲斐甲斐しく世話する妻。
典型的な「昭和のおしどり夫婦」の関係に亀裂が走ったのは、実家に移ってから2年ほどが経ち、夫婦の生活が本格的に困窮してからのことだった。
相変わらず近所の飲食店に行くにもタクシーを利用するような佐藤さんの暮らしぶりに妻は呆れ果て、二人の間には喧嘩が絶えなくなった。
ついには「死ぬまで住み続けていい」という条件のもと、知人に自宅を売り払い、そのカネで高級外車を買おうとした佐藤さんに妻の怒りは限界に達した。’17年のある日、突然家を出ていってしまう。
そこから、佐藤さんは死に至る孤独な日々を過ごすことになる。
〈もう女房に未練ないし〉
〈(独りで生きる余生は)バラ色ですよ、ずっと〉
昨年の夏に『スポーツ報知』の取材を受けた際には、以前の威勢の良さがまだ残っていた。だが、それは精一杯の強がりだった。
プライドと見栄の塊だった佐藤さんは、実入りが減って人に奢ることができなくなってからは、次第に友人たちとも没交渉になっていったという。きっと、「みっともない姿は見せられない」と思っていたのだろう。
そんな佐藤さんにとって、妻はありのままの姿をさらけ出すことのできる、唯一の相手だった。
その「たった一人」を失った瞬間から、佐藤さんの本当の苦しみが始まった。
誰もいない部屋で、話し相手もなくタバコをくゆらせながらぼんやりと過ごす毎日。
「過去の人」になっても、カネがなくなっても、病気になっても、多くの人が離れていっても、それでもそばにいてくれた妻が、ついにいなくなってしまった。
〈自分の人生には、もうなにひとつとして残されていない〉
決して取り返すことのできない過ちに気づいたとき、佐藤さんが感じた絶望はいかばかりだっただろうか。

「全部オレが悪い」

気づけば、すっかり自暴自棄になり、心の痛みを少しでも紛らわそうと、朝から晩まで大量の酒をあおるようになった。
そして、昨年の秋には、デイケアサービスがないと生活できないところまで体調が悪化した。
デイケア施設の関係者が言う。
「地域包括支援センターの職員が様子を見に行った結果、『もう一人では生きられないから、サービスが入ったほうがいい』という判断になりました。
担当のヘルパーが佐藤さんの家に初めて足を踏み入れたとき、中は荒れ放題で、床のそこかしこに落ちたゴミが異様な臭いを放っていた。
できる限りのことはしようと思いましたが、当のご本人が生きる意欲をまったく持てなかった。当初はコンビニでサンドイッチなどを買っていましたが、次第に食べることすらやめてしまった」
電気もガスもつかない真っ暗な家のなかで、服をまとわぬ佐藤さんはじっと虚空を見つめ、微動だにしなかった。
このときの様子を「恐らく、完全な『自己放任』状態だったのではないか」と語るのは、遺品整理業「あんしんネット」の石見良教氏だ。
「『自己放任』は社会から孤立していた人が、死別や離婚で唯一の心の拠りどころだった人を失ったり、病気などの負の出来事に見舞われたりして、孤独に耐えられずに自暴自棄になってしまうことです。
とりわけ、佐藤さんのように子供のいない高齢男性はその傾向がより顕著になる。普通、人間は生ゴミの臭いに耐えられず片付けたくなるものですが、毎日ボーッと過ごしているうちに感覚が麻痺して、それが異常であることにすら気づかなくなってしまう」
すでにほとんど会話することさえままならなくなっていた佐藤さんだが、時折、妻への気持ちをこぼしていたという。
「よく言っていたのは『こうなったのも全部オレが悪いから仕方ないよな』と。もとから、奥さんの悪口を言うのは聞いたことがありませんでした。
自分が悪かったというのは重々わかっていたと思います。ごくたまに奥様が訪ねてくることがあったようで、そのときは嬉しそうに話していました」(前出・施設関係者)

男は弱い

羽振りが良かった時代を忘れられず放蕩を続け、すべてを頼り切っていた妻に愛想を尽かされる。
佐藤さんの辿った末路を、「自業自得」の一言で片付けるのは簡単だ。
しかし、どんな形にせよ、すべての夫婦に離別のときはやってくる。佐藤さんが襲われた絶望は、誰にとっても決して他人事ではない。
「連れ合いと離れた後、女性は『独りで生きなきゃ』と覚悟を決めて強くなる場合も多いのですが、男性の場合は、一気に弱ってしまう人が少なくありません。
近所付き合いや友人付き合いの多い女性にとって、夫は『たくさんある人間関係の一つ』に過ぎませんが、定年後に仕事関係のお付き合いがなくなった男性にとっては、奥さんとの関係は唯一無二のもの。
死別や離婚でそれが失われると、どうしていいかわからず、ただ呆然と立ち尽くしてしまうのです」(ケアマネージャーオフィス「ぽけっと」代表の上田浩美氏)
自分では何もできない男が独りになったときに襲われる、どうしようもない孤独。
人知れず最期を迎えた瞬間、佐藤さんがせめて絶望から解放されたことを願ってやまない。

「週刊現代」2019年10月12・19日合併号より

 

強姦魔・初鹿明博 立憲民主党

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立憲民主党の衆院議員、強姦魔・初鹿明博は20日、強制わいせつの疑いで書類送検されたことを受け、同日付で離党届を提出したと発表した。
報道各社宛ての文書で強姦魔・初鹿明博は「捜査機関の判断を待つ身でありますが、このような事態を招いたことに鑑み、離党届を提出しました」とした。
強姦魔・初鹿明博を巡っては2015年5月、タクシー内で知人女性にわいせつな行為をしたとして、警視庁葛西署が今月10日に書類送検した。
 

保釈 熊澤英昭さん 息子殺害

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 子供を作る自由はあっても 消す自由は無い
  人の親になるのは難しいですね
 この事案は 執行猶予でいいと思う  (T_T)
 

長男を殺害した罪で懲役6年の判決を言い渡された農林水産省の元事務次官、熊澤英昭被告(76)について東京高等裁判所が保釈を認める決定をしたことが分かりました。

保釈金は500万円で早ければ20日にも保釈される見通しです。

 農林水産省の元事務次官、熊澤英昭被告(76)はことし6月、東京 練馬区の自宅で、44歳の長男を包丁で刺して殺害した罪に問われました。
被告は起訴された内容を認め、今月16日、東京地方裁判所で懲役6年の実刑判決を言い渡されました。
判決の後、被告の弁護士は保釈を請求しましたが、東京地方裁判所が却下していて、弁護士が東京高等裁判所に抗告していました。
これについて、東京高等裁判所の青柳勤裁判長は20日、東京地裁の決定を取り消して保釈を認める決定を出しました。
保釈金は500万円で、納付されれば早ければ20日にも保釈される見通しです。
殺人罪で実刑判決を受けた被告の保釈が認められるのは異例です。
裁判所は1審の判決が言い渡され、証拠隠滅のおそれが低くなったことや、被告が高齢であることから健康状態を考慮して判断したとみられます。
裁判所によりますと、控訴する期限は来月6日で、これまでのところ、弁護側と検察とも控訴していないということです。

訃報 吾妻ひでお

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 美少女マンガ教の教祖にして
  うつ病や統合失調症など
 精神疾患のデパートみたいな人でした
  中島らもとか 天才アル中芸術家は
 みんな早死にしてしまう  (T_T)
 

「失踪日記」で知られる漫画家の吾妻ひでお(あづま・ひでお、本名日出夫=ひでお)さんが13日未明、東京都内の病院で死去した。

69歳。北海道出身。葬儀・告別式は近親者で行った。

食道がんで闘病していた。

1969年にデビュー。

テレビアニメ化もされた人気作「ななこSOS」のほか、「ふたりと5人」などのギャグ漫画を多く手掛けた。

一方で、2度も失跡したり、アルコール依存症で入院したりするなど型破りに生き、漫画執筆が何度も危ぶまれた。

心身が回復する過程で壮絶な実体験を漫画に描き、2005年「失踪日記」として出版。

同年の日本漫画家協会賞大賞に選ばれた。

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京アニの再現したろか


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 ゲームはすでに映画と並ぶ重要な芸術形態ですが
  鑑賞者に感情移入させるパワーが大きいので
 現実世界との境界を見失う人もいます  (;´Д`)
 
大手ゲームソフト開発会社に脅迫メッセージを送るなどした疑いで、平塚健一容疑者(40)が逮捕された。
平塚健一は7月23日、東京・新宿の大手ゲームソフト開発会社の「スクウェア・エニックス」のウェブサイトの問い合わせ欄に、

「クソゲー金返せ。乗り込むぞ」

「京都アニメーションの再現したろか」

などと、7月に京都市で起きた放火殺人事件を挙げて、脅迫メッセージを送りつけるなどした疑いが持たれている。
警視庁の調べに対し、平塚健一は、

「ゲームで負けたことに腹が立ち、メールを投稿してしまいました」

と容疑を認めている。
 

青葉真司の顔 京アニ放火犯

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▲京都アニメ放火犯人 青葉真司の顔写真

京都市伏見区のアニメ制作会社「京都アニメーション」(京アニ、本社・京都府宇治市)のスタジオで18日起きた放火事件は、25日で発生から1週間。
死者34人、負傷者34人という未曽有の大惨事は、京都府警が殺人などの容疑で逮捕状を取った青葉真司容疑者(41)が重篤な全身やけどで入院しており、動機は不明のままだ。
JR京都駅から南へ約10キロの宇治市宇治妙(みょう)楽(らく)付近で、赤いTシャツ姿でジーンズをはいた青葉真司とみられる男が防犯カメラに写っていた。